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さて、「はじめに」でも述べた通りわたしはほかの人と「死」に対する姿勢が違う。個人的にしっくり来る表現としてはみんなは死について「二次元的な感覚」で接しているが、わたしは「三次元的な感覚」で接しているのだ。今みんながこのサイトで読んでる小説にも「死」という概念が関わることは多いだろう。わたしもネット小説をよく読むが、最近のトレンドは大体一度死ぬってことが含まれている。でも死を題材の一つとして取り扱えるのはその人が死に対してそこまで近寄っていないからだと思うのだ。多分みんなはまだまだ先のことだと考えてるし、文字だけ「死ぬのはやだなぁ」と浮かべてる。でもわたしは、死について考える時自分が死ぬ瞬間から死んだ後のことまでをはっきり想像してしまう。勿論どんな死に方をするかなんて分からないからあくまで想像なんだが。でもそれが恐怖かと言われるとそうじゃない気がする。タナトフォビアについては前調べたけど、わたしは別に死の痛みが怖いとか死後の世界がどうなっているか分からないから怖いとかそういう訳じゃない。だって死後はそれを感じる機能が停止するんだから怖いもクソもない。今そんなこと考えたって意味が無い。わたしが死に対して嫌な感覚を持っているのはこの人生をそれなりに気に入っているから。愛着のあるものを手放さなきゃいけないのが嫌なんだと思う。でも確証はない。ただ例えば今後私がすごいことをして名前がどこかに載ったりWikipediaに項目が立てられても、そこに私が見たもの感じたもの全てそのまま記録されるわけではないし、記録されたものを将来物質的にわたしが別の誰かを構成するものになったとして、それはわたしであったこと全てを忘れている。かといって何も残らないのも虚しい。

そもそもなんで私が死について考えるかって、たまに発作のようにそういう時期が来るのだ。きっかけは様々。今回は2018年1月22日あたりから始まった。今回は今までの中で一番ヤバイ。いつもなら数日で抜けるけど今回まだ続いてるし、ディープな感じになっている。時々大丈夫そうだと思っても数日立つと逆戻りしたり……そもそも死ってどこにでも転がってるものだ。気分転換したり忘れたりしようと試みても、「このコンテンツ作った人もいつか死ぬ」とか考えちゃうと同じ思考をぐーるぐるぐるぐる繰り返してしまう。今回の何がやばいって生活に結構支障が出てるのだ。食欲はあっても考えてしまって指が動かなかったり、寝る時動画流しながらじゃないと考え事しちゃって眠れなかったり、勉強に集中出来ない。娯楽も純粋に楽しめないし外出しても友達といても「でも、この人もいつか死ぬ」という考えが出てきてしまう。


本当に疑問なんだ、どうやってみんなこういう考えをせずに生きていけてるのかっていうのが……

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