第7話マイ フィロソフィ1−7
僕は叔父さんの家にいていろいろ考えていた。ここで起きた出来事はあまりないけど、おそらく家から離れていたためだろう。僕が自然に安心できた。
家ではこうはいかない。あそこは何か不自然だ。親というより前にも言ったが子どもの教育をしているのは母親だ。父はまるで何もしていない。その母は最近はなにもいわなくなってきた。多分、不登校は刺激してはいけない、というような事を聞いたりしたんだろう。ただ、しかし、何かすごいプレッシャーというか、すごい気を使わせているというのが僕にとってすごいプレッシャーになるのだ。僕はずっと子が不登校になったら親はどういう反応をとるのかを考えていたが、親が子どもを気遣っていても、その気遣いが子どもにとって凄まじいプレッシャーとなる逆接(ぎゃくせつ)!こういう事を考えて言葉にできない苦しみに悩んでいたが、本などを呼んである日すとんと答えがわかった。
叔父さんの家にきて学んだ事は家族と離れる事がどれほど大切かということ。
親と一緒にいると親と相性がよければいいけど、良くなかったらひたすら親の事で神経が費やされてしまう。それがどれほど病理的かを僕は身を以て学んだ。
不登校時。しょっちゅう親がどう出るかでそれに神経を集中してそれでもう、嫌になった。どれだけまっても、親は自分が思ったように行動をとらないのだ。
僕の両親、いや、母親は何度か僕を不登校専門の遊び場に連れて行ったことがあって、その帰りにホットケーキとかをごちそうになったが、まともに僕自身にこれからのことを尋(たず)ねることはしなかった。
僕に食べ物をおごって、それでなにもしなかった。
おやつを上げれば親の義務を果たすことになるのか?そんな動物を愛するような仕方で親は子どもを愛していると言えるのか?
僕はそう思わない。彼らはそういう仕方で僕を愛してくれたが、しかしまともに僕にこれからの進路や学校の尋ねかった。
これは腐ったカウンセラーや精神科医が害毒ははき続けているから問題だと思うが、不登校になったときは見丸だけじゃあだめなんだよ。
一週間ぐらいは様子を見るぐらいでいいと思うけど、しかし機械を見て、できる限り三日後から1週間以内の期間に本気で子どもと関わらなければならないと思う。
その子どものこととか、学校のこと、進路について本気で話さなければならないと思う。
もし、そういうつっこんだ話しをしないなら、子どもは親に本気で見放されたと思って、かなり強い人間不信に陥るんだ。
見守ることも度を過ぎればそれはそれで子どもを蝕んでしまう。だから、あまり見守ることにたいして注意を払った方がいい。
そんな狂った状況でずっと親の事を見ているのだ、頭がおかしくなる。
それはともかく過去の自分はなにを考えていたかというと、叔父の家にいると親がいない分すごく安心できるという事だ。
叔父さんとおばさんには僕にとって安心ができる相手だった。
例えるなら、ワークホリックの人が仕事がないど田舎に休暇で来たときのようだった。仕事中毒のように、いればその事をいつも考え続けてしまうのだ。それにはもう、僕は耐えられない。ここに来た時あまりにあの事を考えなくてよかったので僕は圧倒的に今までにない安らぎを憶えたのだ。
もう、正直言って実家の事は書きたくない。しかし、あと少し書こう。そう僕が叔父さんの家を離れるときなのだ。
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