マイ フィロソフィ1 路上のタンポポ

サマエル3151

第1話マイ フィロソフィ 1−1

マイ フィロソロフィ1 路上のタンポポ                      

                    無草 宗一郎



 

1章 全ての始まりの不登校



 僕の名は笹原一樹。これは僕についての物語としか言いようがない話だ。

 物語はどこから始めるべきか。まずは自身の家庭の話をしようか。

 僕が生まれたところは東京の立川(たちかわ)だ。その中のあるアパートに僕たち家族が住んでいる。僕の両親は普通の親だ。父は聴覚障害者のための学校の先生をしている。母は中学校の事務のパートをしている。

 立川(たちかわ)はうざい場所だ。人がたくさんいる。とにかくうるさい。僕はうるさいものが嫌いだ。

 しかし、今一番問題なのは僕が学校にいってない事だろう。

 学校は小学のときから嫌いだった。いつも人がいて,人と一緒にいるというのがいやだし、みんな仲良くの言葉がいやだったし、かといって一人になるとまるで世界から締め出された(しめだされた)感覚がいやだった。

 同年代の人しかいなくてどこまでも閉ざされた場所で、どこか学校には独特の空気がある。周りにひたすらあわせる均質性(きんしつせい)と、同年代の何かの特技をもつよう強要させられる少年達の感覚(少女の事は僕は男なのでよくわからない)。それがないまぜになって強力な息苦しさがある。

 小学校はなんとか行けたが、僕は中学は一日しか行かなかった。        

 両親の反応は書きたくもない。あえて書くならば、父は何も反応がなかった。あとでははから聞いたのだが、父はあれでかなり心配してくれてたらしい。かなりの子煩悩だとそうだ。僕はそれを聞いてあきれてしまった。影で心配してるだけで、だからなんだというのだ。心配したら物事がよくなくなるのか。パレスチナの地が平和でありますようにと祈ったらあの地域が平和になるとでも言うのか。

 見守る姿勢は悪くないが、それにも条件というか、そもそも見守るというのは見守る対象(たいしょう)をまず見て、対象が壁にぶつかっても対象が壁を越えれると思ったら見守って、対象が明らかに壁を越えれない時には手を貸すというのが見守るという事だろう。

 対象が壁を越えれない時に手を貸すのは心配して見守ってる事ではない。それは親の責務を放棄している事だ。

 母は最初当たり散らして次に泣いて次に優しくなった。もうこれ以上言いたくない。

 僕は今自宅から立川(たちかわ)の町並みを見ている。僕はこの家が嫌いだ。父も母もいるだけですごいプレッシャーをかかってしまう。家庭という場所は距離が近い分だけ、嬉しい事も分かち合えるかもしれないが、逆に近い分嫌な事も強烈に意識してしまう、言うなれば劇薬(げきやく)みたいなものだ。

 このあと僕は家庭や親が悪いのではなくて子どもにとって家庭しか場所がないと言うのが一番の問題という事に気づいた。しかし、当時の僕はとにかく親が悪いと思っていた。

 今でもホントこれは恐ろしいと思うのだが、テレビやあらゆるメディアで家族の大切ばかりが喧伝(けんでん)されて僕はそれを真に受け、家族は安心できるもの、しかし、実際は安心できない、助けてくれない。だから親が悪いと思っていた。

 今では悪いのは親ではなく子どもの教育を親に丸抱えさせる社会がおかしいと思うのだが当時はわかっていなかった。

 それで僕は鬱々(うつうつ)としたまま日々を過ごし

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