第2話
僕らは、ながくながい居場所探しをしているみたいだ。
終わりのない旅を続けて。君は覚えているだろうか。僕と君が見た、広い宇宙を旅してこの星にたどり着いた流れ星が、この地球という星と一体となった場所を。山々の連なる僕らの故郷に太古のクレーターがあることを。あそこは当時流行っていたパワースポットとか呼ばれていたけど、僕らには、これから始まる長い旅の始まりの場所だ。
「悲しくなるからもうはなさないで」と君は言ったけど、あれはどういう意味だったのだろう。
僕の説教に対して話さないでと言ったのか、僕と繋いでいた手を離さないでと言ったのか。
どこにいてもここは私の居場所じゃないと君は言ったね。
色んな場所で何度も巡り合った。
その度、何度も僕らは姿を変えた。ここに居たくて、居ることを許されたくて。一緒の夢を見たね。
泣きはらした瞳で初めて見た朝日を覚えているかい。
眩しくて、辛くて、苦しくて、どうして夜は明けてしまうのかって思った。
どこにいても僕は許されない。
居たいと思った場所でさえ、僕を拒絶した。どこにいても、誰と過ごしても、僕の心は寂しい君の元へ旅立ってしまう。人殺しの僕は、永遠に旅を続ける。君に追いつきたくて、君と同じ世界に生きていたくて。あの夢を覚えているかい。誰もが願う。たどり着いた場所を。
ここは私の居場所じゃない。
こんな寂しくて悲しい場所じゃない。もう何度も聞いたよ。
幸せになりたいって。いったいどこにあるのだろうね。幸せになれる場所が。探しても探しても何か違って得ることができない。
手にした束の間の休息地も砂でできていて、すくい上げたらこの手をすり抜けて形を無くしてしまう。
あのクレーターに出会った場所を覚えているかい。
緑の木々たちが涼やかに僕らの存在を許してくれた。流れ星が堕ちた瞬間、全てを焼いて壊したはずの場所だよ。長い時を経て、傷を優しく包むように緑が生い茂っている。
「あの人は、私が潰したわ」
君は冷たく言い放った。僕の信じていたものを、僕の唯一の救いと希望をいとも簡単に壊してくれたね。
僕も、薄々気づいていたんだ。本当に優しい人は、人を利用しないって。
僕は、それでも利用価値のある人間でいたかった。あの人に認められたくて、ここに居ていいんだって言葉を聞きたくて。
これが間違いじゃないって信じたいよ。でも、君はいとも簡単に壊したね。
本当の居場所はどこにあるのだろう。
強がって、大人ぶって、一人で魑魅魍魎の中に走っていった君。
小さな肩を震わせて泣いていた小さな女の子を僕は忘れることができない。
ある事件をきっかけに、世間に公になったこの世界の問題。
「セカンドクラス」
第二の人間と呼ばれる人間たち。人から産み出された人であって人でない者。人間に利用されるために生まれた人。
望まれて生まれてきたけど、そこに優しさも愛もない。進歩した医療技術、特に産科医療が競い合うようにして産まれた一人の赤ん坊。
僕らはそんな急速に進化する時代の波にも翻弄されたね。
利用価値がなければ生きていてはいけないって、自分の生まれてきた意味を考えると思った。
ありのままで愛される人間なんて、許さないって君は言った。
君は、人であって人であってはいけなかったから。
僕は、一人の人間だと思っているけど、あの人のために、マーダーマシンとなる道を選んだ。
僕はセカンドクラスではないけど、僕は自分を、君と同じだと思っている。
誰かのために生きる道を選んできた。
あの人や君が居なければ、生まれてさえもいない存在だと思う。
君も同じ気持ちでいてくれると、願いのような、祈りのようなものを心の奥底に持っ
ている。
君は、小さな胸に自分の過酷な宿命を抱いていた。
けっして幸せと期待の中生きてきたわけじゃないことを知っているけど、それでも、歪ながらも優しさを持っている。
小学校に転入して間もなく、僕は遠足に参加することになった。
この小学校では、以前、まだ四、五年もたたないらしいが、児童による殺人事件があったらしい。
その後、学校全体でこの小学校を良いものにしようと活動してきたようで、その活動の一端で、遠足の目的地「しらびそ峠」において、「LOVE & PEACE」という旗を掲げて写真を撮るのが第一の目的だとあかつきから聞いた。
初めて会った日から何かにつけ、あかつきは僕の世話をしてくれた。僕は勉強の方は転入する前から父に教えられてきたため大丈夫だったが、勉強も小学校の集団活動の決まりごともあかつきが教えてくれた。
僕は、あかつきに近づけた気がして、あかつきさんと彼女を呼ぶようになっていた。
しらびそ峠へと続く山道を教師を先頭にして、整列して歩いていた。
僕は列の後ろで、列の前の何人かがクスクスと笑っているのを見た。
まただ。とても嫌な気分になる。彼らが笑っているのは、先頭から 3 番目にいるあかつきの姿だ。
「ハゲ、今日も来たよ」
「今日くらいは休みだと思ってた」
あかつきのすぐ後ろのやつが、あかつきの被っている帽子を取った。
「ハゲ、今日も光ってますな」
クラス中に笑いが起こる。
あかつきは、あの初めて会った次の日、髪の毛を自分の頭から削ぎ落としてきた。ベビーショートよりも短い、頭を丸めて仏門に入った尼さんのように。
教師は何をやっているんだ。
こんなあからさまないじめを止めないのか。
先頭の教師は、ひきつった笑顔をしていた。そうじゃなくて、こいつらを止めてくれないか。
「黛さん、どうしてそんな頭にしたの。あなたが笑われるのは、あなた自身のせいです」
教師は僕の期待ハズレの対応をした。
なぜなんだ。
あかつきはあの日、今腐った笑顔でゲラゲラ笑っているこいつらに髪を切られたんだ。
どうして誰も彼女をかばわないんだ。
僕は、思い切って大声で言った。
「あかつきさんは、この人たちに髪の毛を無理やり切られたんです」
クラス中の視線が僕に向けられる。
みんなギョッとしてこちらを見ている。…あかつきさえもだ。
「そんなことない。私は私の好きでこの頭にしたんだよ」
あかつきの思わぬ言葉で、僕は二の句を継げなかった。
何でなんだ。君は、こいつらをかばうのか。痛みがないとはいえ、君の体を傷つけたやつらを。
「太くんは、まだこの国にきて日が浅いから、何か勘違いしているんだよ」
あかつきは、そう言った束の間沈黙して笑い声をあげた。
「何かおかしくなっちゃった」
クラスの誰かが言った。
あかつきは大声でゲラゲラ笑いながら彼らを見下している。
「心の醜さが見えるよね。人の容姿を笑ってさ。自分がどんなに汚いのか知らずにヒトを笑えるのって滑稽。ツボに入っちゃった」
するとあかつきの髪を切った女子たちがドキッとしていた。
痛快だった。
こんな仕返しの仕方があるのだと思った。
その当時、何気ないやりとりにすぎなかったけど、思い返せば、あかつきは自分の頭を武器にしてあいつらがこれ以上余計なことを言わないように、けん制していたのだ。
木々の葉を揺らしこちらに吹いてくる初秋の風が冷たい雰囲気を醸し出していた。
僕らの故郷は、自然がどこよりも一番近くにあった。
まっすぐ天まで伸びた木々の隙間から見える凍てつくような真っ青な空が、冬の気配を感じさせた。
その中を歩いているとハアハアと自分の息が騒音に聞こえるほど、この世界にミスマッチで、沈黙の記憶を思い起こさせる。
まるで昨日のことのように。
「お兄ちゃん」
小さな僕の妹。
再び逢えたのも、森の中だったな。もっと乾燥していた空気が漂っていて、火薬から発せられる硝煙の臭いがした。枯れた木々の中だった。
無くなったはずの左足が痛む。
僕の左足の時間はあの時止まったはずなのに、僕の体は今でも生きていてあの時の痛みが何度もぶり返すように、思い返すようにズキズキと痛む。
そして、僕の時間は、あの時止まったはずなのに、体だけは続けている成長がもどかしい。
足の骨の成長は僕の体を蝕んでいた。
骨が皮膚を突き破る感覚。
「明王寺くん、足が痛いの」
先ほど嫌な汗を流していた教師が、何事もなかったかのような顔をして僕の顔を覗き込む。
義足と足の擦れる感覚が長く続くと痛みも大きくなることを教師に話していたことを思い出した。
僕は黙ってやり過ごそうとしていたのに、教師のその言葉で、クラスの連中が面倒くさいというような顔をしてこちらを見ている。
気づかれないようにしていたのに。
「痛かったら正直に言ってね。無理して歩くことはないよ。それに、君に無理をして歩かれても迷惑なんだ。みんな君の足手まといに気を使って疲れてしまう。もう、歩くのはこの辺でやめよう」
僕は、迷惑なのか。
そうだよな。足が不自由なのに無理して歩いても、人に迷惑かけるだけ。
僕は、教師の言葉に頷いた。
教師は、携帯電話を取り出し、すでに目的地のしらびそ峠へ着いているグループに連絡をとる。
その隙に、あかつきが僕のとなりにやってきて言った。
「先生はああ言ったけど、君は迷惑なんかじゃない。だけど、この人たちの中にいると君が傷つく。だから先に行ってて。しらびそ峠に着いてる先生たちの中に私たちと同じクラスの友達が一人いるよ。その子なら、君と友達になれるかも。一緒にいて飽きない子だよ」
あかつきはそう言って、クラスの連中と共に先へと歩いて行った。僕は、教師と共にその場に残って車で迎えが来るのを待った。
その時、なぜあかつきを引き止めなかったのか、悔やまれて仕方がない。
あの時、僕は、君をもっと知っていたら、迷わず君を引き止めたのに。
あの時、君は魑魅魍魎の中に単身飛び込んでいった。あいつらは、彼女を許さないだろう。
頭を丸めて独り闘っている君を、あいつらは嘲笑で迎え撃つ。さっきの出来事の繰り返しになることを僕は想像しなかった。
自分だけがかわいくて、自分を守りたくて、君を置き去りにしたのだ。
独りで闘う君を知っていたとしても、僕は何度君を見捨てただろう。
こんなことが未来に何度も繰り返されることになるなんて、僕は想像しなかった。悔やまれてならない。
後悔なんてするくらいなら何か事を起こせばいいと君は言ったけど、僕はどれだけ何もせずに君を放り投げることをしてきたのだろう。
生意気とかいい子ぶってるとか、君はさんざん言われてきた。
僕は、尖っていても、いいかっこしいの君でも君を受け入れなければならないのに。
どうして僕は、君に、手を伸ばさずにいたのだろう。
君を救うチャンスは何度もあったのに、僕はどれだけ君と一緒に逃げるチャンスを逃してきたのだろう。
だから、僕の無知と怠惰の結果として君を更に傷つけてきたことに、悔やまれてならない。
「明王寺くん、あかつきさんとはあまり仲良くしないほうがいいよ」
教師は言った。
「あかつきさんは嘘つきだし、君は知らないと思うけど、あの子はクラスでも嫌われていてね。目立ちたがりだし、君にプラスになる人だとは思えない」
僕は、言い返すべきだった。
「あかつきのこと、何を知っていて言っているのか。あかつきは、寂しい子だよ。一人で目には見えないものと闘っている。強い子だよ。僕は、あかつきの側にいたいんだ」
そんな言葉は、未来にいるから言えることであって、その時の僕はただ黙って、素直にその言葉を受け取ってしまった。
どこかで、こいつらの言っていることは信用できないと思いながらも。
やがて、数分の間に迎えの車がやってきて僕は車の後部座席に座り込んだ。座席後ろの窓からは、再びクラスに合流しようと歩き出した教師が見えていたが、クネクネと曲がった道に差し掛かり、その姿は見えなくなった。
そして、もう少し行ったところで前の窓にクラスの連中の姿が見えた。
「あ、あかっちゃんだ」
不意に聞こえてきたのは、車の助手席に座る一人の女の子の声だ。助手席に人がいたのか。
その時そのことに気づいた。
助手席には、背の小さな女の子が乗っていた。
「ちひろさん、車の窓から顔を出してはいけないよ」
運転席の教師がその子に注意した。ちひろというその子は、楽しそうな声で、クラスの連中に紛れて歩いているあかつきに向かって手を振った。
あかつきは、車のその子に気づくと笑顔でこちらに手を振り返した。
「あかっちゃん、早くしらびそ峠においでよ」
その言葉に、あかつきは遠くまでよく聞こえる声で答えた。
「さっきも聞いたよ。その言葉」
僕を迎えに来た道で、同じやりとりがあったのか。
「こっちも、こっちのペースがあるし、すぐ行くことはできないけど、必ず行くから」
あかつきは、そう言って後部座席の僕にも目を配ると、再び笑顔をつくって見せた。
君は、弱さを見せなかった。歩いているその時に何があったのか、そんなこと何も考えさせないようにしていた。
クラスの連中を追い越すと、ちひろは、後部座席の僕の顔を見つめた。
「君が、転入してきた明王寺太くんなんだね」
僕が無言で頷くと、ちひろは笑顔で言った。
「はじめまして。寺脇ちひろです。仲良くしてね」
ちひろは、明るい子だ。太陽に照らされたみたいにポカポカした感じがする。クラスの他の連中とは雰囲気が違っていた。
子供らしく無邪気な子供だ。それは、子供だから、子供らしいのだけど、他の連中のように陰湿な感じがないのだ。
この子となら仲良くなれそうな気がする。
あかつきが言っていた僕と友達になれる子とはこの子のことだと察した。しかし、ちひろは、その明るさからはみえない事情を抱えている。
「そんなに長くは太くんと一緒にいられないけど、楽しい小学校生活を一緒に送ろうね」
それは、どんな意味なのか。
僕は、本当に無知だったのだ。小学校生活も終わりのほうで転入してきた僕とは小学校生活は短い期間でしかないのだと思った。
中学生になれば、一緒のクラスでもなくなるし、本当にそのまま小学校生活を共に過ごすのは短いのだと受けとった。
ちひろはそんなことを言いたかったのではない。
中学生になったら、ちひろは僕たちと一緒にはいられなかった。
同じ中学に進学もしなかったし、同じように中学生になることもなかった。ちひろに残された人生は短かったのだ。
「ちひろさん、後ろ向いてたら酔っちゃうよ」
ちひろはその言葉で、僕から視線を外し、前に向き直った。
「あかっちゃんはね、あの事故が起こった港街で育った子なの。色々苦労してきたみたい。お母さんと弟を亡くしているんだけど、親戚がここにいて一人で引っ越してきたんだ。あかっちゃんは、いつも不機嫌そうな顔をしているけど、本当は明るい子なんだよ。太くんは、気づいているでしょう。あかっちゃんが本当は頑張り屋の女の子だってこと」
しらびそ峠に車で辿り着いてから、ちひろはあかっちゃんと呼ぶあかつきのことばかり嬉しそうに話してくれる。
芝生の上にシートを敷き、クラスの連中より先に、持参した水筒のお茶をすすりながら。
あかつきは、ちひろのことを一緒にいて飽きない子だと言っていた。
あかつきはちひろのことを気に入っているのだろう。
そして、ちひろのほうも、あかつきのことをあのクラスの中で特に気に入っているようだ。
「ねぇ、聞いているの。太くん」
ちひろがまたもや僕の顔を覗き込む。
「聞いているよ」
僕の反応がないことにちひろは少し不満そうだ。
「太くんは、無口だね」
僕は必死にオーバーな反応を返そうと考えた。が、頷くくらいしか、僕は反応を返せないと気づいた。
何か余計なことを言いたくなかったのだ。
あかつきが、クラスの連中にどんな風に扱われているかとか、あかつきの頭に毛がないこととか、なぜあんな可哀想な頭になってしまったのかとか。
嘲笑にさらされるあかつきとあかつきを笑うクラスの連中を許
せないとか。
「あかっちゃん、また何かやらかしたんでしょう」
ちひろは、僕の心を見透かしたのかそんなことを言い出す。
「あの頭、あかっちゃん自分であんな風にしたんだね」
はっとした。
ちひろはあかつきの露わになった頭を見ていた。
違うのだ。
あかつきは好きであんな頭になったわけではないのだ。
クラスの女子たちが、よってたかってあかつきの髪の毛を無理矢理切ってしまったのだ。
「あかっちゃん、優しい子だよね。あんな頭にしちゃったら、自分がどんな羽目に会うのか考えたかもしれないのに、わたしのためにああしてくれたんでしょう」
一瞬何のことだか分からなかった。
ちひろのためとはどういうことか。
ちひろはおもむろに自分の頭に手をかけた。
被っていた赤白帽を脱ぎ、自分のものにしか見えない髪の毛に手をやり、その髪の毛を引きちぎるかのごとく勢いよく引っ張った。
「何を」
と、僕が言いかける間も無く、ちひろは髪の毛を脱ぎ捨てた。
「わたし、こんな頭なの」
ちひろは、笑顔だ。
なんのためらいもなく、僕にありのままの姿を見せてくれた。
ちひろは、かつらを被っていたのだ。
何も身につけないその頭には、髪の毛がなかった。
「それって、あかつきと同じように」
僕は、見てはいけないものを見てしまったと思った。
クラスの連中に、この明るい子でもいじめられていたのかと。
でも、違った。
ちひろは僕になんの躊躇もせず話してくれた。
「わたしね、病気なの。それで、この頭になったんだよ」
それで納得する。
ちひろは、あかつきが体を張って自分を守ってくれたと思っていること。
ちひろが先ほど、そう長くは僕と一緒にいられないと言っていたことの意味が、そう遠くない未来が見えた気がした。
そして、あかつきが、髪の毛を切られながらも、そのまま虎刈りにせずに全ての髪の毛を削ぎ落としてしまったことは、あかつきが自分自身で判断してやったことだということも、遅れながら気づいた。
「ちひろさん、何をやっているの」
驚いた声で、遠くにいた教師がこちらに駆け足で寄ってくる。ちひろは、しまったなというような、恥ずかしいというような表情をして、
「優しい子だよね」
ちひろはそう呟いて、かつらを着けずに帽子をかぶり直した。
走り寄ってきた教師は、ちひろが帽子をかぶり直したところでこちらに寄ってくるのをやめた。
それにつけても、本当にあかつきは、ちひろの頭がこういう状態だと知っていてそうしたのだろうか。ちひろのために、純粋にそれだけで。
「あかっちゃんのことわたしは好きだけど、あかっちゃんはどう思っているのかな」
きっとちひろは、僕から「あかつきもちひろのことが好きなんだよ」と聞きたかったのかもしれないが、僕は他のことに気をとられていて見当違いな答えをした。
「あかっちゃんて、さっきから言っているけど、あかつきさんのことなの」
あかつきの頭のことを考えていたら、別のことも気になった。ちひろは、なぜあかつきを「あかっちゃん」と呼ぶのか不思議だ。
「うん。あかっちゃんは、黛あかつきのことだよ」
「なんで、赤ちゃんなの。あかつきさんは小学生だよ」
ちひろは目をみはって笑った。
「赤ちゃん。どうして」
「あかっちゃんって、赤ん坊のことではないの」
「違うよ」
ひとしきり笑った後、ちひろは教えてくれた。
「あかっちゃんは、あだ名。赤ちゃんではなくて、うん。そうだなぁ。別のこと聞いちゃうけど、太くんは外国で生まれ育ったの」
「うん。日本に来たのは三年前かな」
「そうなんだ。あかっちゃんはね、外国でいうところのミドルネームみたいなものだよ」
「ミドルネーム。ふうん」
そうか、ミドルネームなら納得がいく。
僕の昔の名前が、祖父と父の名前を受け継いでいたことと似ているのかもしれない。祖父や父の名前とは関係ないのだろうけど、あかっちゃんという別の名前なのだ。
「あかっちゃんの名前のイメージって、赤って感じがするでしょう。わたしは、あかっちゃんには赤が似合っていると思うんだ」
「あかつきさんのイメージが赤」
「そう、太陽の昇る寸前の空の色って、赤い色をしてるよね。わたしは、朝焼けをイメージしたよ」
「そうか」
僕のイメージを言えば、あかつきのイメージカラーは青だった。深く深い群青色。
でも、ちひろがイメージしたのは、朝焼けの赤なのだ。僕は言った。
「朝焼けって不穏な感じがしない」
「不穏って、朝焼けを見た日の天気は崩れるって話」
「そう」
僕は、どうしてもあかつきのイメージを赤から青に変えたかった。
特に意味も理由もないけど、あかつきが赤い色のイメージを持っていることが受け入れられなかった。
頑なになっているのだ。
彼女を僕の手中に収めておきたいなんて、大それたことだけど。
大それたことを考えていたと今なら思えるが、その時は、この国で初めて出会った同級生の女の子を僕の想像できる範囲内に置いておきたかった。
本当に、今思えば大それたことだ。
あかつきが僕の手のひらに収まる器ではないのに。
そして、赤は、あの色。
鉄の味、硝煙の臭い、生ぬるい人体の中、それを思い起こさせる
から。
「あかつきは、青い色だよ」
そんな意味不明な言葉が言いかけた途中で途切れた。
「あかっちゃん」
ちひろは嬉しそうに顔を上げた。
その視線の先にはあかつきがいる。
僕は何でか恥ずかしくなり視線を落とした。
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