NHKの回し者でいいです。

朝宮ひとみ

序:ネコメンタリー 養老センセイと”まる” その1

番組名:ネコメンタリー 猫も、杓子も。特別編「養老センセイと“まる”鎌倉に暮らす」

視聴:2018.3.3. 21:00~ BSプレミアム




 作家と猫、というと例えば、『吾輩は猫である』など、猫が登場する作品がいくつか思い浮かぶ人もあるかもしれない。


 作家は、猫が好きなのだろうか。いや、猫好きな作家がいることは存じている。H.P.ラヴクラフトの『ウルタールの猫』なんか読むと、これ書いたやつ人間より猫を重んじる人だという確信めいた何かが下りてくるだろうし。


 しかし、養老先生(当たり前だが私の先生ではない)が猫を好きかどうか、わからなくなってきた。

 あ、私が養老氏を「先生」と呼んでしまうのは、番組タイトルとか名誉教授とか一切関係なくて、単に、小学生のころに見たNHKスペシャルの中でいつも『養老先生』と呼ばれていたからである。その番組についてもあとで絶対書く。

 絶対という言葉は極力使わない、絶対零度とか既に入った状態の名詞や固有名詞しか使わないくらいの心持ちでいるつもりだが、このエッセイの存在意義の一つなので、書く。うん。こういうときにしか、使っちゃあいかん。


 それはさておき、嫌いではないのだろう。画面の中で、猫の「まる」はととと、っと養老先生を追いかけたり、先を行ったり、大きな机の上をどんどん作業中の先生に接近していったりする。養老先生は書類の上でごろ寝されてどうしようもなくなってしゃーないかとまるの頭などを撫ででやったりする。まるは何キロもあって重いのに先生がよっこらしょ、と持ち上げたりする。私には上がる気がしない。ちなみに、養老先生は1937年11月11日生まれで、私は1982年11月8日生まれである。なので、だいたい私の年齢に45を足すと先生のお歳になる。

 小学生がほうれい線浮かせたおばちゃんになるのだから、先生も髪は真っ白になるし、80歳でそんな7キロだかのものを膝に乗せたり持ち上げるのは、好きじゃなきゃやらない、と思われる。あとは、必要だからか。

 番組の中で紹介された限り、まるは先生の膝の上が好きではなく、ぱっぱと降りて行くらしい。ひょっとすると先生は内心、お前みたいな重いヤツ乗っけてたら重いんだよ、と思うのだろうか。それとも、乗せたいのにどうして乗ってきてくれないのかと思うのか。もちろん分かるはずがない。


 我が家には猫がいない。野良猫は近所にうろうろしていて、家の庭や裏口を出たところでドッタンバッタン大さわぎであるが、我が家は内職をしているため家の中にむしろ奴らを入れてはならない。なので、こうやって文章を打ち込んでいても、手書きしていても、邪魔は入らない。基本的に邪魔は入らない。自分のやる気と、先日書いた『よろしい、ならば戦争だ』のひげさんの行動次第である。ブログやSNSを唯一持っているひげさん以外の兄弟については書かないことにしていることをご了承願いたい。


 こうやって書いているとわずかに文体模写のようだ。だがあの文体で書けたら私が自給自足したいわ!と思っているくらいに、私はあの文体が好きで、今の養老先生のことはエッセイストだと思っている。その前は、まあ、あの番組や一部の著書で先生に出会った者の宿命として、脳の学者だと思っていた。


 そして、先生のエッセイに出てくる、まるが好きだ。好きである。名前を体現するかのごとき体格(先生食べさせ過ぎですって)と、あの風格漂う顔。猫の種類には詳しくないが、あの猫種の顔がみんなああではないというのはネコ歩きや、他局だが『どうぶつにサンキュー』を見ていればすぐに実感できる。


 私は幼いころから野良猫には逃げられ続ける人生であったし、祖母と母が猫嫌いであるし、実際庭や畑を荒らされるし、もちろん糞害もあったし、喧嘩で壁に激突したり、発情期の鳴き声がすごかったりという騒音もある。

 しかし、仕事をやめた親父が猫を愛護センターにブチ込もうと餌を買ってきて捕まえようとして、センターへ行ったら引き取りやってなくて、全て木阿弥になったので、子猫全部にトイレだけしつけた。糞害は少なくとも家の敷地内にかぎってはなくなった。そいつらが名残で今まで通り家の周りに住み着いているもので、一部が親父になついてしまったため、そいつらだけは、私にも慣れた。


 先日は私の体調が悪く遠出する予定がぱぁになり庭先で陽にあたっていた私に、親父に一番なついている奴が近寄ってきて、真横でごろんと腹を向けて転がった。そのままぼーっとしているうちに、他の猫と共に玄関先の土を落とすマット、あれに寝転がりだして私は戻れなくなった。いや、追い払えばいいんだ。でもやらない。玄関から親父が出てくるまで私はぼーっとしていた。


 最近親父はなつかれたせいなのか、当初の目的である、騒音のもとである発情期のあれをなくすために今いる奴らに必要な処置をし、縄張り争いをなくすために外から来る奴は追い出す、というのを忘れかけている。最初は、何かあって全部行政が察処分してくれても平気みたいな発言をしていたくせに、少し前から「一匹くらい、去勢せんでもいいんじゃないか」と言い出した。私が反論するのに被って、はるかに超える勢いで母が怒ったので、楽する方法でも探してくれたらいい。

 一番は、メス(裏に一匹、近所のどこかの家の屋根に一匹、あともう一匹いる可能背あり)をとっつかまえて避妊してやるのが頭数が少なくて、早く確実で費用も安く上がって楽なのだが、裏にいる奴、仮にゲルとしよう、こいつは、親父になついた猫たちと違い、餌は食うが、なでたり近づいたりを絶対に許さないのだ。ひなたぼっこをしているところに通りかかると、石破茂の怖い顔写真のような顔で睨む。だから勝手に私はゲルと呼んでいるわけである。無理。

 虫取りみたいなたもをばっとかぶせればいいと、母は我々をせかす。嫌いだからな。分かる。だが、奴は餌を食べている時でさえ、一定以上の距離を私がたまたま通りかかっただけで、食べるのをやめてさっと距離を取れるのだ。無理だろ。


 とまあ、猫についてリアルで語り合うのは難しい家なので、自分の部屋で眺める、のんびりとした先生とまるの姿は、癒しである。俳優さんの朗読も声の雰囲気がよい。欲を言えば先生の声で聴いてみたいのだが欲張り過ぎだ。


 そういえば、特別編でないバージョンを、見ているはずなのだが、その時は私は半分くらい(この特別編の後半あたり)しか見ていないということしか覚えていない。



 ちなみに、私が好きな猫はこのまるちゃんと、最近だとアニメ『ハイスクール・フリート』の多聞丸と五十六である。でも、環境が整ったとしても、あいつらの一部でも飼うか保護といえるような状態にしてその二匹の名前を付けることはできない。あいつら、仕事とかしないもん。親父にじゃれついて、餌をねだって、遊んで、私に「はぁ、」という顔をして、寝るだけである。


 もちろん、自分の作品(もちと惑星https://kakuyomu.jp/works/1177354054883167774)に出てくる猫ジョシュも好きだ。他の同作品キャラより描写しにくいのが欠点である。賢さを伝えられる描写を書くには私がもっと賢くならないといけないと言われている気分になる。


 番組の話をあまりしてないが次回にぼちぼちすればいい。存在意義を忘れなければいいんだよ。

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