日はまた昇る

サックン

日はまた昇る

 この地には、太陽が沈んだことがない。

 その歴史が今、幕を下ろそうとしていた。







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 ────…………


「前から思っていたのだが、その服は着にくくないのか?」

「む、これか?これ以外を着たことがない故分からぬが、其方こそ上下が分かれているというのは面倒ではないのか?」

 そんな会話が、喧騒の片隅でひっそりと囁かれている。

 随分と大きな焚き火だ。正方形に組まれている丸太は一本ごとがしっかり太いため、小さな小屋くらいの大きさにはなっている。そこから燃え盛る炎は、まだ落ち切っていない微かな夕日をかき消すかのような勢いであり、火の粉の舞い踊る様はどこかおどろおどろしい。香ばしいような焦げ臭いような木の焼ける臭いが辺りを包み込む中、二人の会話は続く。

「分かれている方が楽だろう。身体にフィットし、形に無駄がない」

「何を言うか。着物はくず布が最小限に抑えられる形故、無駄なく使い切ることが出来るのだぞ」

「コストの削減に繋がっているということか。その発想は我が国でも取り込んでみたかったな。……なるほど着物というのか」

 二人共、壮年の男だった。焚火を遠巻きに見ながら並んで座り込んでいる。先ほど「喧噪」という言葉を使ったが、まさにそこは宴の最中であった。あるところでは踊り狂い、あるところでは手を叩いて大笑いしている。皆に共通するのは、清々しい程の哄笑であるというところだろう。その姿は一種の異様ささえ感じられた。何故異様に感じるのか。────それは、その場にいるのが皆、一目で兵士と分かる男たちばかりだからだ。一方は詰襟と金ボタンの印象的な軍服であり、髪は黄金色が多い。もう一方は合わせ襟と腰帯が目を引く着物であり、髪は黒。彼らの足元で乱雑に転がっているのはレイピアや刀だろう。それらには目もくれず、二種類の人間たちは混ざり合い、談笑し、踊る。その姿はかつてからの旧友にも見えた。

「……『太陽暦1000年の今日、太陽は完全に沈み世界は滅ぶ』。我々がいかに足掻こうと関係なかったわけだ。現に太陽は沈んでいる。明るくない空など初めて見たよ」

 片方が嘲笑しながら言った。立派な髭と後ろに撫でつけられた髪は両方とも金色だ。

「勿論拙者もだ。空とは赤くなった後に黒くなるのだな。不覚ながら美しいと感じてしまった」

 もう片方も嗤う。細められた目は黒い。同じ色の黒髪を後ろに束ねていた。

「私たちが初めから手を組んでいれば、結果は違ったと思うかね」

「もはや分からぬよ。ただ、浅はかだったとは思う。我らは土地が随分近いのに見た目が多少違い、衣食住の文化が多少違い、考え方が多少違っていた。200年近くも争っていた理由なんて、本当のところそれだけだ。日が落ちて漸く思い知ったよ。……暗くなったら同じだな」

 そう話している間にも、あたりはだんだんと薄暗くなっている。踊りは熾烈を極め、歌声は次第に高らかになる。皆、既に諦めた。沈まない太陽は沈む。自分たちも名運尽きたのだと悟ったのだろう。

 ここにいる者たちは皆、生まれてからずっと互いに争い続けてきた。両国に共通する言い伝えのためである。太陽が沈むのは互いの国が存在しているせいであり、どちらかが滅ばぬ限り永遠の繁栄は約束できないというものだった。今思えばひどく稚拙で馬鹿馬鹿しいものである。

「冷静になればすぐ分かることなのに、こんなことのためだけに私は、部下を殺してまでお前の部下を殺させていたのだな」

「拙者もそれは同じことよ。最期の時間くらい、娘の顔を見ておきたかったものだ」

「おお!娘がいるのか!私にも息子がいるよ。今年で10歳になる」

「何!?拙者の娘と同い年ではないか!きっと貴殿に似て神々しい見た目をしておるのだろうな」

「それがとんだ弱虫坊主でな……貴公こそ、さぞ凛とした御令嬢なのだろう」

「あれはちょっと……血気がありすぎるきらいがなあ……」

 すっかり父親の顔で笑いあう二人の男は、とても軍の指揮官には見えない。

 そもそも、もう指揮官など意味がないのだ。

「……さて、我々も若い衆に混ざってみないか?」

「そうだな。今更やり残したこともない。むさ苦しい軍だが、最期くらいぱーっとやろうではないか」

「旨い飯も酒もないが、幸い肴だけはたくさんあるしな」

 すると急に、周りから声という声が消える。男二人が周りを見ると、斜め上を見上げていた。


「日が……落ちていく……」


 若い兵の声。皆の視線の先で、とうとう日が沈もうとしていた。

「潮時か……」

「あっけない幕切れだったな……」

「人生こんなもんなんだな……」

「あの子に告白すればよかった……」

「妻の顔を見たい……」

 口々にそんな言葉が聞こえてくる。小さな嗚咽も聞こえた。一様に太陽を見る姿は、さながら祈りを捧げているようにも見える。群青を天いっぱいに伸ばしたような暗闇の裾に、薄くぼやける赤い太陽が頭の先のみを残していて、まるで死への秒読みをしているかのようだった。それは観衆たちとの別れを惜しむようにゆっくりと、だが確実に、己が沈み切るその瞬間を窺っている。

 その絶望的な風景を前に、金髪はちらりと黒髪の方を見た。黒髪はその精悍な瞳から、するりと一筋の涙をこぼしていた。


「綺麗、だ」


 呑気なものだと思う。だが、本当に美しい光景だった。それを目に焼き付けながら、金髪は静かに目を閉じた。







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 ────…………


 自分は死んだのではないのだろうか。そんな不可思議な感覚を覚え、皆が目を開ける。確かに周りは暗闇に満ちてしまっていたが、それ以外は何もなかった。この地に初めて日が沈んだ。ただそれだけのことだった。

 い、今までのことは一体……

 呆然と立ち尽くす兵士たちに一番に声をかけるのは、やはり指揮官だ。

 皆の者、無事で何よりじゃないか。

 多少拍子抜けであったと思うが、我々はこの戦いで二つの教訓を得た。

 日は落ちても大丈夫ということ。そして、争いは終わったということだ。

 次々と湧き上がる歓声を受けてなのか、焚火は人の子らと張り合うかのようにぱちぱち音を出しながら、勢いを増している。光がないなら明かりを灯せば良いだけだ。







 最近、二つの国に一つの諺ができた。

 争い事や揉め事の後には、かえって良い結果や安定した状態を保てるという意味の言葉である。


「日はまた昇る」。

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