18年3月3日・荒れ桜

一日一作@ととり

荒れ桜

死ぬなら春、桜の木の下で。などと歌ったのはどこかの坊主だったか。儂は嫌だ。断固として嫌だ。死ぬなら真冬のエベレストの頂上で吹雪にまかれて前のめりに死にたい。できたら先に登ったやつの残した痕跡を全部蹴り落して、自分だけその頂上に君臨したい。周囲の山を下に見て、周囲の人間も下に見て、愛鷹山を蹴り飛ばし、八ヶ岳を叩きのめし、それは富士山だ。


儂は公園のベンチに座ってつらつらとそんなことを考えた。どれだけ頭をひねっても、いい句が浮かばない。5、7、5、5、7,5。ラジオ体操のように体を動かしてみようか。頭の血が廻ったら何かいい言葉が浮かぶかもしれない。菜の花や花鳥風月桃源郷。大体この公園というのがいけないのではないか。儂ははたと思い至った。あかあおきいろに塗られた遊具。鉄棒、あすれちっく、カサカサに乾いたアスレチックの網の紐。硬い土、抜いても生えてくるセイヨウタンポポ、クローバー、何だお前ら、我が物顔に生えてるが、日本の植物ではないではないか。こんな環境で、何かひねり出そうとしても、ろくなものが出るわけがない。やめだやめだ。やはり京都か。日本人の心のふるさと京都。それとも信濃か。日本の自然の原風景、信濃。異論は認める。儂は杖を持つと、ベンチから立ち上がった。家に帰る。帰るか、帰っても待っているのは、物の置かれた机、本が二重に置かれた本棚、ひっくり返った靴、汚れた金魚鉢が待ってるだけだが。


天に召される日が近づいたといっても、人間と宇宙の距離が近くなるわけではない。ありんこのような人間はありんこのまま、巨人のような人間は巨人として、生涯を閉じるだけではないのか。アシナガアリがクロオオアリ程度に大きくなるのが人生というものではないのか。アリが巨人になれるわけがない。儂は信号が変わるのを待ちながら、自分の人生を思い出した。思い出そうとした。ふと、眼下に桜が見える。桜……桜だ。サクラダファミリア?いや、いや違う。なぜ、なぜ眼下に見えるのだ。


シンダ?死んだ?死んだのか?儂はもしかして死んだのか?


死ぬ?死ぬとはなんだ?儂はまだ、一句もできてない。イカした老人は素敵な句の一句もひねらねばと俳人になろうと思ったところではないか。まだ一句もできてない。その一句が辞世の句だなんて笑えない。いや笑えるか。いやいやまてまて、なかなかそれもイケてるんじゃないか?でもまだできてない。意識が途切れるその瞬間まで、儂は…何かを生み出したい。ああ、そうだ、「俳人になろう」とか良いじゃないか。なろう系俳句だ。流行るぞ。異世界や、チートで魔王を、打ち倒し。ハッハッハッハ!


ああ、この景色どこかで見たことがある。

春過ぎて 夏来にけらし 白たへの 衣干すてふ 天の香具山


(2018年3月3日 了)

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