遥かから、あなたに

翔谷 涼

遥かから、あなたに



「ねぇ、星って何だと思う?」


 呟くように彼女は言って、柔らかな草の絨毯の上に寝転がった。

 草木が静かにさざめく夜闇の中、私たちは丘の上にいた。空には溢れんばかりに瞬く星の海。街からいくらか離れたこの場所は、何ものにも邪魔されない星空のステージ。さしずめ私たちは観客といったところだろう。

 唐突な質問にいぶかしむ私をおいて彼女は続ける。


「私はね、心みたいなものだと思うんだ」


 メジャーな考えだと思うんだけどね、と付け足して笑った。


「星はそこにあるのかどうかも分からない。今はもしかしたら私たちの見ている裏側にいるかもしれない。でも、星たちの光は私たちに降り注いでくる。不思議じゃない?」


 私が考え込んでいると、分かりづらいよねうん、と早口に彼女は言って、光を受け止めるように右手を空へ伸ばした。


「なんで光は届くんだろう、なんでそこにいないのに……ううん、ちょっと違うかな。いないのにいる、いるけどいない。私たちの心みたいにあっちこっちにふらついて、それでも誰かに届く何かがある」


 仰向けになった彼女の目は、遥か彼方を見ているようだった。何も見えない暗闇に、それでも伝わる何かを見つけようとしているように。


「それって不思議なことだよね。私たちに伝えるために光ってるみたいで。でも、私たちからの返事なんてあっちには届いたりしない。いつも宙ぶらりん」


 そんなことない、と私は思う。星たちから伝わる何かがあるなら、私たちの想いもきっと伝わっている。今は見えないどこかに、彼女の心の輝きはしっかりと届いている。そしてそれに乗った何かが、相手の心に何かを生むのだ。


「……私の想いが、誰かさんに伝わらないみたいにねっ」


 躊躇ったような間の後の、わざとらしいくらいに明るい口調に、ちらりと勘がはたらいた。なるほど、つまり彼女が言いたいことはそういうことか、と得心がいく。想い人がどこの誰かさんだとか、いつからどんな関係かとか野暮なことを聞く気はないが、彼女の心の光はちゃんと届いてるんじゃないかと思う。こんなにもあなたは輝いているんだから、なんて言えたらいいのに、と自分の身の上を今更ながら恨んだ。

 もし今喋れたとしても、恥ずかしくて言えないかもしれないけれど。


 青や赤に彩られた星光の合間に、一瞬だけ流れ星が見えて、そして消えた。まるで私の想いみたい、なんて彼女はひとりごちて、それから静かになった。

 周りを囲む木々は睦まじく揺らめいて、少し太めの三日月も低いところで私たちと寝そべっているように見える。幾重にも積み重なった虫たちの大合唱に包まれて、私たちは光と戯れていた。




 しばらく彼女と無言で夜空を見上げて。

 るん、と音符が出そうな軽快さで彼女は起きあがった。ほんのりと夏の残り香を含んだ薫風に、彼女は気持ちよさそうに頬を緩める。風を孕んだ長い髪が柔らかくたゆたい、つややかに光を鏤める。私が今彼女に見惚れているように、どこかの誰かさんも、煌めく彼女の光を感じているかもしれないなと、ふと思った。


「さて、そろそろやりますか」


 彼女は私の傍に寄り、そっと私を掴む。先ほどの神々しいような眩さはいつの間にか消え失せ、彼女は子どものような無垢な笑顔を浮かべていた。


 こんな笑顔も、色鮮やかに輝いている。人の表情ひとつひとつ、全ては輝いている。見えない誰かに向けて、そして今は見ていない誰かに向けて。届くことを希い、めいめいに辺りを照らして、心の光は進む。


 そして、私はその光を捉える。一枚の形に残して、いつか誰かの目に映るように、いつかその想いに気付けるように願って。それこそが、カメラである私の本分なのだから。


「準備はいい、よね。それじゃ、この星空を――」



 ――この一枚に。彼女とは違う台詞を心の中で呟いて、私はシャッターを閉じた。

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遥かから、あなたに 翔谷 涼 @th5296

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