第23話 「違います! そういうんじゃないんです」(5)

「優馬っ!」


 勢い良く医療課のドアを開ける。広い部屋を見回すと、奥の方にベッドが並んでいる一角があり、そこにひとりの白衣を着た男が立っていた。ツカツカとそこへ歩み寄ると、男は少し渋い顔をして「お静かに」と口に指を当てた。


 結衣は軽くお辞儀をすると、ベッドを見た。そこには優馬が横たわっている。ベッドサイドに近づいて、優馬の肩を掴んで少し揺さぶってみる。「……優馬」胸をポコポコと叩く。「起きてよ、優馬。目を開けてよ……」それでも優馬は反応しない。


「……優馬っ」


 優馬の胸に顔をうずめる。「目を覚ましてぇ……」と絞り出すような声。結衣は自分が泣いているのだと自覚した。それでも構わないとも思った。どうしてこんなことになったんだろう。優馬の胸に顔をうずめたまま、右手で優馬の肩を叩く。「起きろ、優馬……起きてよ!」


 白衣の男性が結衣の肩に手をおいて「もう、やめて上げて下さい」と言うが、それに構わず結衣は、優馬の肩を叩き続ける。「優馬、起きて! 目を覚ましてよ! どうして、どうしてこんなことになっちゃったの……。優馬っ!」


「うーん、うるさいよ。結衣……」

「……え?」


 顔をあげると、優馬が寝ぼけ眼で結衣を見ていた。「あれ? どうしたの? 結衣。なんで……と言うか、ここどこ?」優馬は少し頭を持ち上げて、あたりを見回した。


「へ……? 優馬……生きてたの?」

「勝手に殺さないでよ……。でも、俺どうしてこんなところで寝てるんだろう?」


「あぁ、目が覚めましたか」と白衣の男が近づいてきた。「少し失礼しますよ」と結衣と優馬の間に割り込んで、優馬の服をめくり上げて聴診器を当てたり、脈を計った。


「どういう状況だったかは分かりませんが、どうやら頭を強く打っていたようですね。軽い脳震盪だと思います。しばらくは大人しくしておいて下さい。気分が悪くなったり、調子が悪いようなら、また来てください。では、もう帰っても良いですよ」


 そう言い残すと、次の患者の元へと行ってしまった。「頭? 打ったって、何してたの?」結衣が優馬の頭に手をやり、ゆっくりと触る。後頭部辺りを触った時、優馬が「いてて」と声を上げた。「あ、ごめん」「いや、大丈夫」


「で、本当に何してたの?」

「うーん、なんだったっけなぁ……。確か、朝早く目が覚めて、学校の周りを散歩してて、近くの丘にを通ってて、それで……あっ!」

「どうしたの? 思い出した!?」

「……うん。ねぇ、結衣」

「なに?」

「これから、ちょっと時間あるかな?」




 医療課を出た結衣と優馬は、学校近くの小高い丘へとやって来ていた。結衣は「まだ無理しない方が良いよ」と言ったが、優馬は「大丈夫大丈夫。もうなんともないし」と元気そうな笑顔を見せた。


「ここだよ」優馬が一本の木を指差した。それは丘の一番高い場所に立っていた。「さっき、ここからお……」と優馬は言いかけて言葉を切る。そのまま「よっと」木の枝に手をかけ登っていった。「ちょっと、危ないよ」と結衣が言うと、枝に跨った優馬が「結衣、登っておいで」と手を差し出した。


 結衣は一瞬躊躇したが、優馬の手を取ると、もう一方の手で枝を掴んだ。だが、足をかける場所がなく、上手く上がれない。「うーん」枝を掴んだ手に力を込めるが、多少体が浮く程度で、やはり登ることが出来ない。


「ちょっと引っ張るよ」と優馬の声が聞こえて、結衣の体が宙に浮く。「うっ……うわっ!」「よいしょっと」優馬が結衣の腕を引っ張り上げ、結衣の身体は一気に枝へと持ち上がる。


「優馬……いつの間にこんなに力が……」

「ねぇ。ほら、見て結衣」


 優馬が指差す方を見ると、そこにはなだらかな草原が広がっていた。遠くに山脈が連なっており、草原の中央には大きな湖も見えた。


「うわー! キレイ!!」

「でしょ?」


 優馬が満面の笑みを浮かべる。


「結衣、高いところ好きだって言ってたじゃない? だから、今朝ここを通りかかった時、きっと気に入ってくれるんじゃないかなって」

「高いとこ好きって言ったっけ?」

「だって、ほら。ドラゴンに乗って大空をとかって言ってたでしょ」

「……あはは。あれはそういう意味じゃないんだけどな」

「ええ!? そうなの?」

「うん。でもまぁ、確かに高いところは好きだよ」


 結衣はもう一度、景色を見回した。広大な大地に広がっている草が風を受けて波のようにたなびいている。湖面は太陽の光を浴びてキラキラと光っていた。それらを包み込むように広がっている山脈は、所々雲に覆われており、幻想的な光景になっていた。


「こんな場所あるの知らなかったなぁ」

「ここは学校の裏手だからね。普段あんまり来ないし」

「うん。こんないい場所見つけるなんて、優馬にしては上出来じゃない」


 その結衣の言葉に、優馬の顔から笑顔が消えた。「優馬?」結衣が顔を覗き込むと、優馬はいつになく真剣な表情でこう言った。


「ねぇ、結衣。俺はまだ頼りないかな?」

「……えっ?」

「昨日、フィーネさんとロッティさんに捕まってた時、ふたりが言っているのが聞こえたんだ。『結衣は優馬のことを頼りない弟程度にしか見ていないのかもしれない』って」

「あー、それは……」

「確かに、ここに来るまでの俺はそうだったのかもしれない。何でも結衣に頼りっぱなしで、色々迷惑もかけたと思う。その時はそれを何とも思ってなかったんだ。でも、自分が死んだと思ったら、まだ生きていて……」

「……優馬」

「だから、ここに来てからは、出来るだけ自分で頑張ろうって。今度はちゃんとやろうって決めたんだ」


 優馬の言葉を聞いていた結衣は、この1年ほどのことを思い出していた。確かに優馬はずっと頑張ってきた。元々あんまり体力のある方ではなかったが、日に日に力強くなっているのは結衣も気づいていたし、つい先程結衣を軽々と引っ張り上げたのを見ても、間違いない。


 もしかしたら、それを認めたくなかったのかもしれない。いつまでも自分にとって優馬は「世話の焼ける弟」であって欲しかったのかもしれない。でも、永遠に変わらないことなどない。結衣がこの世界にやってきて変わったように、優馬だって同じく変わっていくのだ。それぞれが変われば、その立場や関係も変わってくるものかもしれない。


 結衣は優馬のたくましくなった腕を見た。あまりマジマジと見たことはなかったが、いつの間にかこんなに太く筋肉質になっている。そう言えば顔つきも変わっていることに気づいた。なよっとした顔は、今はひとりの立派な青年の顔つきになっていた。


 結衣は体温がグッと上がるのを感じた。もはや優馬は弟なんかじゃない。目の前にいるのは、ひとりの立派な男性だ。情けなくもないし、ハラハラしながら見ることもない。マズイ、心臓が破裂しそう。なんでこんなにドキドキしてるんだろう……。


 もちろん理由は分かっている。優馬を意識しているからだ。今までことあるごとに有耶無耶にしてきたが、心のどこかで優馬をそういう対象として見ていることは気づいていた。いつまでも同じ関係はない。どんなものでも変わっていくものだ。それが今なのかもしれない。


 結衣は両手をギュッと握りしめると覚悟を決めた。「ねぇ、優馬――」そう言おうとした時、優馬の言葉が聞こえてきて、結衣の心臓は潰れそうに痛んだ。


「俺、そろそろ転生されるらしいんだ」

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