王立勇者育成専門学校総務課 〜結衣のお仕事編〜

しろもじ

第1話 「それは人事課の仕事だと思うのですが」

「いえ、そのようなことはないですから、ご安心下さい」


 望月結衣はカウンターテーブルを挟んで座っている青年にそう言った。青年はその言葉に納得している様子もなく、抗議を続ける。


「そんなこと言われても信じられません! だって、僕、聞いちゃったんですから!」

「ですから、どうかそのようなデマには踊らされないよう、くれぐれも……」

「考えてみれば変な話だったんですよ。だって、前世の記憶を持ったまま転生なんて都合の良い話があるわけないって、すぐ気がつくじゃないですか!」

「いえいえ、ですからぁ」

「記憶を消去されて転生なんて、冗談じゃないですよ! あなた達には説明責任があるんじゃないですかっ!?」


 困ったな。結衣はため息をつく。滅多にないことではあるが、数年に1回はこういうことがあると、少し前に教えられたことがある。その時は「数年に1回なら、ほとんどないと言っても良いんじゃないですか?」と答えたのだが、そのほとんどない状況が、今目の前で起こっている。


「そもそも、私、管轄外なんだけどなぁ」

「えっ!? どういうことですか!?」


 いつの間にか思っていたことが口から出ていて、慌てて結衣は苦笑いを浮かべながら「いえいえ、こちらの話ですぅ」と、ごまかしモードに入る。


 世界は数え切れないほどの鏡面世界で構成されている。一方、魂の数は有限。そこで、ある世界で寿命を終えた魂は、別の世界へと転生という形で生まれ変わる。転生とは言っても、前世の記憶を持ったまま、というわけにはいかない。


 肉体は生まれて成長し死んでいくものだ。知識などの記憶のみが、生まれたときから完成されているという状況は、色々と問題を引き起こす。だから、当然転生の際には、きれいさっぱり消去されることになっている。


 転生は、一度神界という、神の世界を経由して行われる。そのまま即転生されることもあれば、特殊な訓練を受けてから転生される者もいる。記憶は消去されるが、持って生まれるもの、例えば「才能」と呼ばれるものは、ここで鍛錬されることとなる。


 鏡面世界には、様々な問題がある世界も存在する。その問題に対処できるよう、神界で訓練を受けた後、派遣されることがある。神界でも数少ない教育機関のひとつ、それが『王立勇者育成専門学校』。


 結衣は1年ほど前、ここに転生してきた。当初は「自分も勇者に!」と意気込んでいたが、結衣が配属されたのは「総務課」。通称「なんでも屋」。文字通り、学校運営に関わること全てが業務範囲になっていた。


 そういうわけで、結衣がいくら「管轄外」と言おうとも、総務課に回ってきた仕事はこなさなくてはならない。学校で学んでいる生徒を指導する教官が足りなければ、代わりに受け持つこともあるし、武器や装備などの買い出しも総務課の仕事だ。


 そして、このようなクレーム処理も最終的に彼女の元へとやってくるのが、いつものパターンになっていた。そう言われてもな、と今度は心の中でそっと思う。結衣の目の前に座っている青年は「勇者候補生」のひとりだ。訓練が終了した時点で「勇者」を必要としている鏡面世界へと転生される。


 勇者としての素質は受け継がれるものの、余計な記憶は消されてしまうことは、彼の言うとおりだ。この青年の主張は正しい。でも、だからと言って「そうですよね」と言うわけにはいかない。そんなことを言った場合「じゃあ、消さないで下さい」と言われても困るし、そもそも結衣にそんな権限はない。


 まさに板挟みの状態だった。早くフィーネさん、帰って来ないかな? 結衣は願うように心の中でつぶやく。結衣が転生した時から、彼女の面倒を見てくれているフィーネ・フリック。彼女はついさっき「ちょっと、おやつ取ってくるね」と出かけてしまっていた。


「おやつ取りに行くのに、一体何分掛かってるんだろ」

「はい?」


 しまった、また声に出てしまった。訝しげな目で見てくる青年に、ペコペコ頭を下げる結衣。(早くぅ、フィーネさん)思わず涙が滲んでくる。青年は両腕を組んで「もしかして、誤魔化そうとしています?」と突っ込んできた。青年の視線が痛い。おやつはいいから、もう帰ってきてぇぇ。


 しかし、いくら心の中で拝み倒しても、フィーネは帰ってこない。ここは、誠に遺憾だけど、あの手を使うしかないか。結衣はすぅっと息を吸うと、腹を決めて憤慨している青年に向かって口を開いた。


「これはここだけの話にしておいて欲しいのですが、私も転生してここに来ているんですよ。そして、ここからが肝心なのですが……」


 口元に手を当てて、さも最高機密事項であるかのように、青年の耳元に囁く。


「私、前世の記憶を持っているんですよ! 前世は女子高生でした。車に轢かれて事故で死んだんですけど……。でも、ね! ほら! ちゃんと記憶、持ってるでしょう? だから、あなたもきっと」


「知ってますよ。望月結衣さん。確か600兆人目の転生者ってことで、特別にそうなったんですよね?」


 あら? この話は自分にとっても、あまり良い記憶ではなかったから、秘密にしていたはずなのに。なぜ、こんな候補生まで知っているようなことになってるの……?


 結衣は知らなかったが、この噂は学校内では公然の秘密だった。娯楽施設などほとんどない王国内の、それに輪をかけて遊ぶ場所などない育成専門学校内においては、この手の噂話をすることが、生徒たちにとっては貴重な娯楽となっていた。だから、入学してすぐに聞かされる噂話の筆頭に「600兆分の1の女」と言うタイトルが挙げられるのは仕方がないことでもあった。


「理論的に記憶を持ったまま転生できるのなら、そうべきじゃないでしょうか?」

「ですから、先程から申し上げておりますように、そんなことはなくてですね」

「どうしてここまできてそんなことを言うんですか!? 転生したら記憶は消される。これはもう明白じゃないですか! なのに、あなたはそれを認めない。いいですか、そういうのをお役所仕事って言うんですよ。そもそも――」


 うぅ、面倒くさい。結衣はうつむき、青年の主張を聞きながらそう思った。そんなことは言われなくても分かっている。何がお役所仕事よ。私がどれだけ、広範囲に仕事をしていると思ってるの。縦割り行政なんて真っ青なくらい、縦横無尽に働いているっていうのに。


 結衣が心の中で愚痴をこぼしていると「あらあら、何事かしら〜」という、脳天気な声が聞こえてきた。やっと帰ってきた!


「フィーネさん!!」


 まるで、待ち焦がれれた恋人の名を呼ぶように、結衣は両手を胸の前に当てながら叫んだ。カジュアルなニットに丈の長めのスカートを履き、ゆっくりと歩いてくる。少しウェーブのかかった金色の長い髪が、それに合わせて優雅に揺れていた。


「あ、結衣ちゃん。おやつ買ってきたわよ」


 正直、今そんなことはどうでも良い、と思いながらも、手渡された紙袋を受け取る。ほんのりと甘い香りが漂い、思わず「これ、チコリの実のパイじゃないですか!」と興奮しながら、袋を開ける。


「そうよぉ、結衣ちゃん大好きだって言ってたもんね」

「うわぁ、良い匂い〜。うーん、美味しそう!」

「紅茶を淹れて、休憩しましょ」

「賛成ですっ!」


 ドン! という鈍い音がして、結衣とフィーネが振り返ると、青年のこぶしがカウンターの上に叩きつけられていた。あ、一瞬忘れてた。結衣は慌ててフィーネに事情を説明する。ふんふん、と聞いていたフィーネは、結衣の説明が終わると青年の手を取って「じゃ、ちょっとこちらに来てくれるかな?」と言った。


 首を傾げている結衣をよそに、フィーネは総務課の奥にある応接室へと青年を連れて入っていった。結衣はきっとフィーネがいつもの調子でのらりくらりと青年の主張をかわすのだと思っていた。


 実際、結衣自身も、その手法で何度も聞きたいことを有耶無耶にされたことがあった。褒めているのかどうか分からないが、その手のことに関して、フィーネの右に出るものはいないと、結衣は確信していた。これは長くなるのかも。


 結衣がパイを皿に並べて、紅茶を淹れるためにお湯を沸かしていると、応接室のドアが勢い良く開いて、青年が飛び出してきた。思っていたよりも早い。案外ちょろい相手だったのか? それともフィーネの能力が更にレベルアップしているのか?


 部屋から飛び出してきた青年は真っ青になっていた。そして「そっ、そんなの出来るわけないじゃないですか!? 無理です! 僕には絶対無理っ!!」そう言い残すと、逃げるように総務課から出て行った。


「いったい、何があったんですか?」


 結衣が応接室から出てきたフィーネに問いかけると、紅茶の茶葉をティーポットに入れながら、いたずらっぽくこう答えた。


「転生した後に、ちゃんと出来るかテストしてあげたのよ。でも、無理だって」

「テスト?」

「うん。『転生するってことは、生まれ変わるってことよね。それは赤ちゃんからやり直すってことなの。じゃ、ちょっとやってみてね』って言ったんだよね」

「え、あ、あぁ……。そうか、記憶が」

「そうそう。記憶が残ってるってことは、生まれた時、赤ちゃんのフリをしてもらわないといけないからね。生まれて来た子が、いきなり喋りだしたら怖いでしょ?」

「まぁ、怖いですよね。それに、それはそれで問題になりそう」

「うんうん。だから『ほーら、ママでちゅよ〜。赤ちゃんになりきれましゅか〜?』って言ったら、怒って出て行っちゃった」


 フィーネはそう言うとコロコロと笑った。先程の青年が「バブー」と言っている姿を想像して「流石にそれは酷い」と結衣は思った。しかし、結果的には問題は解決したわけで、一応フィーネにお礼を言う。フィーネは「いいのよ。困った時はお互い様だし。それに私も総務課の一員だしね」と言うと、少し考えてからこう付け足した。


「結衣ちゃんもしてみる?」

「はい? 何をですか?」

「赤ちゃんのマネ。 今度転生する時に役立つかもしれないわよ」

「ブッ! ゲホッ、ゲホッ……けっ、結構ですっ!!」


 飲みかけの紅茶を吹き出しながら、結衣は真っ赤になって拒否した。

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