Blues of ''Boy Meets Girl''

session 001

 銃と一体になる感覚を、私は知っている。


 不可視の弾丸が放たれるその瞬間、私の身体は銃床ストックとなる。衝撃が全身を突き抜け、刹那、骨が共鳴する。


「……1…」


 爆散する対象を捉える目は照準器サイトだ。それは、私という有機物から兵器という無機物に昇華された、部品パーツだ。そこに意識などという不確ふたしかなものは介在しない。


「……2…」


 圧縮管ポンプうなり、銃身バレルきしむ。それはどんな音楽よりも甘美な旋律メロディだ。撃鉄トリガーを引くその指は奏者を導く指揮棒タクトだ。


「……3…」


 それはひどく自身を冷静にさせた。この瞬間、全ての感情が私の肉体から剥がれ落ちるのだ。怒り、悲しみ、恨み、そして後悔。私を支配していた負の感情は、慈愛や幸福といった正の感情を道連れに、奈落の底へと落ちていく。


「……4…」


 私は今、人間ではない。


 どうだろう。引き金を引く度に命が散って行こうとも、この通り私の心が悲鳴を上げることはない。他の生命を奪うことに、何の躊躇ためらいもない。


 これを人と呼べるだろうか。


「……5…」


 ――いや。


 それはきっと言い訳なのだ。


 あの日以来、私の心は凍りついてしまった。心が震えないのは、こうして銃の一部になっているからでは無い。そうでなくとも、訪れる日常はただただ私の目に観測されるだけ。あるとすれば、恐怖によって動けなくなってしまったこの体。


「………はずした…」


 寒さに震えるように強張ってしまった私の体。

 人としても、銃としても、不完全なそれ。

 私が私である、唯一の証。



 ――私の後悔の証。





∑∑∑





「……地方は早朝から快晴、風はほとんど無く、汚染砂の影響は極めて少ないでしょう。絶好の外出日和…」


 ノイズ混じりの無線から流れるアナウンスで僕は飛び起きた。羽毛布団が派手にホコリを舞い上がらせる中、急いで着替えてインストゥルメントを足首に装着する。ベッドの上以外は物置になっているような部屋から、必要なものを手早くかき集めて肩がけのカバンに押し込む。二階の窓を開け放ったら、そのまま外へ飛び出した。


 屋根から屋根に飛び移って、全速力で駆けていく。早朝の澄んだ風が不快な寝汗をさらって行く。まだ低い太陽光が網膜に飛び込んで痛いけど、それが最高に気持ちいい。体はいつになく軽やかで、今なら屋根を一個抜かしで飛び越えていけそうだ。好奇心が体を支配して、何もかもが絶好調だ。


 後ろからシンおじさんの怒鳴り声が聞こえる。けれど今はそんな事を気にしている時間はない。ごめんね、後で聞くから! そう叫んで、それでも駆けていく。僕はあの崖を越えた山の向こうに、一刻も早く辿り着かないといけないんだ。だって今日は、絶好の日和なんだから!


 何軒も屋根を飛び越して、そして目の前に立ちふさがる崖の斜面へ大ジャンプする。10メートルくらい飛んで崖の縁に手をかけて、そのまま勢いを使って体をふわっと浮かせてよじ登ると、今度はその斜面を駆け上がっていく。木々や草花がものすごいスピードで後ろに流れていく。林を抜けたら山の頂上だ。残っている体力を振り絞って大きくジャンプする。僕は文字通り、飛んだ。


 突然景色が開け、膨大な光量に目がくらんだ。見開けば、大自然がどこまでも続いていた。水平線の向こう、一際鮮やかなが陽光にきらめいている。


「やった! 一番乗りぃいっ!」


 高度はどんどん落ちていく。着地場所はあのお気に入りの高台だ。回転しながら受け身を取ると、首から下げていた超望遠鏡を覗き込んだ。


「うわぁー。本当によく見える! 絶好だ!」


 ネジを回してピントを合わせる。いつもは霞がかっているが、今までにないくらい明瞭に映し出された。


「すっごい! あのおっきいのはニッポン杉かぁ。それでその奥は…ニッポン桜!」


 目に映るもの全てが新鮮だった。教科書に載っていたけれど、あんなもの全部嘘っぱちじゃないか。そう言いたくなるほど段違いに鮮烈で、魅力的に思えた。


「やっぱり生は違うなぁ! おおー凄い! くぅ~、僕も早くあそこにいきてー!」


 思わずガッツポーズした。



 映るのは特別破棄区域の大自然。

 かつて、アオモリと呼ばれただった。

 

 ニッポンがその歴史から消えたのが200年前。


 今では誰も近づかないし、近づけない。

 そう、僕達を除いて。



 そこまで来て、ふと人の存在に気がついた。100メートル程先の崖下でうつ伏せになっている。


「なんだ、一番乗りじゃなかったのかぁ…。それにしても、誰だろう」


 超望遠鏡のピントを調節して覗きこんだ。僕よりも少し年下くらいの子供に見える。腕を伸ばして構えているのは、身の丈半分もある長物。


「浄化空砲? あんなもの持ち出してどうするんだろう」


 構えた先に望遠鏡を向ける。30メートル程先のやぶの中に、ヤツはいた。その子の何倍も大きいニッポン狼だ。何か他の動物の死体を漁っている。


(あれを仕留めるつもりなのかぁ)


 その子は慎重に狙いを定めている。

 

 けれども僕は気が付いた。ヤツの耳がぴくっと動き、その子の方に向けられていることに。


 ――気がつかれている。


(あれは避けられるかもなぁ…やめといたほうがいいよー、なんて、聞こえないか)


 でもまぁ、浄化空砲が放たれればたいていのニッポン狼は驚いて襲ってこないから、大丈夫だろうけれど。


(それにしてもなんでこんな所で? バディも連れずに?)


 そう思った矢先、先に仕掛けたのはヤツだった。身体をぐるっと反転させると、一気に駆け出した。その軌道に迷いはない。仕留める気なのは狼もその子も同じだった。

 

 迫りくる狼にその子も慌てて浄化空砲を撃った。けれどそれは狼の頭上を通り過ぎていった。狼は驚いた様子も無く、そのまま一直線にその子に向かっていく。にも関わらず、その子は


「やっば!」


 僕はインストゥルメントのネジを回して出力を最大にして、地面を蹴った。


「間に合え!」


 あまりの速度で歪んだ景色の中、僕の目が捉えているのはその子だけだ。僕は懸命に駆けた。そして狼の大きな口がその子の頭に噛みつこうとしたその刹那せつな、僕の腕がその子をさらって行く。狼の牙はその子が被っていた帽子を引き裂いた。


「ねぇ君! なんで逃げないの!?」


 返事はなかった。見れば僕の腕がその子の腹部にめり込んでいた。気絶してしまったのかもしれない。


「あっちゃー…」


 着地と同時にその子をおぶさって、そして懸命に駆けた。先ほど下った崖を三段跳びみたいにして一気に駆け上がる。大柄な狼は崖を駆け上ることができずにいた。その巨大な遠吠えが耳をつんざく。しばらく睨み合いが続いたがしかし応援は無く、狼は渋々きびすを返し、藪の中に埋もれていった。


 僕はお気に入りのスポットにその子を下ろし、仰向けにする。破れた帽子が地面に落ちると、肩くらいの長さの髪がばさっと広がり、顔半分を覆い隠した。


「すごい! 桜色だ!」


 思わず大声を出してしまった。それに反応してか、その子の瞳が少しずつ開いていく。その瞳は陽光を取りこんでエメラルドのようにキラキラと輝いている。


「良かった、ごめんね? 痛かった? 乱暴だったよね?」


 人種によって色々だということは知っていたけれど、こんな髪色は見たことが無かった。


 透けるように白い肌。

 眩い翡翠色ひすいいろの瞳。

 そしてあの場所に咲く、桜色の髪。

 

 全部、初めてだ。


(どこの国の子なんだろう)


 その子は生成きなりのシャツにボロ布のような外套がいとうでその身を包んでいた。茶色い長ズボンを履いているけれど、胸の部分を見れば僅かに隆起している。もしかして女の子?


「おーい」


 しかし返事はない。何かを言おうとして、むせこんでいる。呼吸が整うのにずいぶんと時間がかかっていた。僕の左手は綺麗にそのミゾオチに入ってしまったようだった。


 ごめんね。痛かっただろうに。


「大丈夫?」


 半身を起こし口を拭うと、小さく一回頷うなづいた。どうやら大事無いみたいだ。出血も無いし、やられたのは無残に横たわる帽子だけ。これが彼女の頭部に向けられていたと思うと、ゾッとした。


「でも危ないよー。君、子供だよね。浄化空砲なんて持ち出して…。ガッコーで練習するならともかく…」


 今時こんな旧式の武器を扱う人なんていないのに。そう思って手に取ってみると、それは僕の知っているどの空砲よりも軽くて精巧だった。新型の開発はまだ行われていたのかな。


「…じゃない」


「え?」


「子供じゃない、って言った」


 そういって彼女は僕の腕から浄化空砲を奪い取った。


「かえして」


 身の丈半分はあるそれを大切そうに抱き抱えて立ち上がった。見上げても乱れた前髪で顔がよく見えなかった。太陽がやけに眩しい。それでもその片眼が僕を睨みつけているのはわかった。


「もう関わらないで」


 そう言って彼女は背を向けて歩き出した。僕は不思議と追いかけることが出来なかった。彼女の後ろ姿は美しくて、見慣れた景色からまるで切り取られたかように眩しくて、僕はそこから目を離すことが出来なかったんだ。


「…僕、なんか悪いことしたかな…」


 気がつけばその姿を見失っていた。


 透けるように白い肌。

 眩い翡翠色ひすいいろの瞳。

 そしてあの場所に咲く、桜色の髪。

 

 その全てが、目に焼き付いている。


「キレーだったなぁ…」


 仰向けに倒れ込んで天空を仰いだ。澄み渡る初夏の空を見ても、それが消えることは無かった。


 

 そのあまりに高い彩度は、僕の憧れたあの場所に似ていた。


 

 そう、あの水平線の向こうの、極彩色ごくさいしきの秘境に。

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