────歴史の隙間話弐。

Timeslipとは……無作為な出来事を指す



 ヒュンッと切っ先が飛び、物が落ちる音。

 地面に転がる男の頭。その表情は悲しさを浮かべているわけでもない、痛みを訴えってもいない。平常通りの顔だ。何が起こったのかわからないまま、首を落されたのだろう。


 男は懐紙で血をぬぐった刀を鞘に納める。カチンと小気味いい音がした。


 

「またハズレか、」



 遠くから走る音が聞こえた。幕府に仕える京の都を守る治安部隊、見廻組か。いや、ここは新選組の縄張りだったな。壬生の狼たちは死番という、名の通り死ぬ覚悟で特攻する当番が存在している筈。

 死に物狂いで斬りつけてくる男を相手にするのは、些か面倒だ。


 血まみれの懐紙を着物の袂へ入れ、男は走り出す。


 駆けつけた新選組が目の端に捕らえられたのは、紅色の鞘とはためく赤黒い襟巻のみ。

 足元に転がる頭と、頭が無い身体からは血が流れ出している。見慣れていない者は胃の中からせり上がってくるものを堪えていたが、堪え切れなかったものはその場で嘔吐していた。


「また首を一太刀か。相変わらず馬鹿力だな、野衾のぶすまの大将さんは」


 背後から首を落とし、一瞬で命を奪う。野衾の大将が得意としている手法だ。


 敵ながら素晴らしいと言わざるをえない。そして、危険だと再認識する。

 対峙した時、勝てるかどうかわからない。初めは一対一だったとしても、影から銃で狙われるとも聞いたことがある。

 野衾は戦いにおいて、卑怯だとかは関係ない。どう戦うかは問題ではない。

 

 勝つか負けるか。

 生きるか死ぬか。


 そこに重点が置かれているらしい。何とも戦いにくい相手だ。

 影から狙うことが多いから、武士というよりも暗殺者に近いだろうか。


 何にせよ野衾の大将は、うちの鬼の副長さんよりも喧嘩が強そうだな。僕は遠慮したい相手だけど、何故追いかけなかったとか言われそうだし。一応追いかけようかな。


 野衾の大将の顔は誰も知らない。手掛かりの一つくらい手に入れないと、鬼のような形相で怒られそうだ。顔はいいのに、女の子はそんな鬼の顔も好きなのかな? 僕にはわからないや。


 うちの副長の顔よりも、今は野衾の大将の顔だ。


「ちょっと追いかけてくるから、あとはよろしく」

「え、沖田隊長!?」


 「どこに行くんですか!?」という部下の声を聞き流しながら、僕は走り出す。

 紅色の鞘、赤黒い襟巻。かなり目立つ格好だ。すぐに見つかるんじゃないだろうか、見つけたらどうしようかな。すぐさま斬りかかろうか、避けてくれるかな。避けれるよね、あの野衾の大将さんだもん。


 あぁ、でも日がまだ出てるし、逃げちゃうかな。妖怪だって噂もあるし。人間じゃないのかなぁ、面白いなぁ……早く、戦ってみたいなぁ。


 僕はひとり、京の町を走り回る。

 紅色の鞘に襟巻……きょろきょろ見回すが、目に入る鞘は黒いものが多い。いないや、つまんないなぁ。


 団子屋をみかけて、一本頼む。

 そういえば副長の刀の鞘は赤いや、……流石にそれはないか。あの人に限って。疑ったわけではないけど、バレたら怒られそうだ。黙っていよう。


 みたらし団子を頬張り、咀嚼する。あまじょっぱいタレが美味しい、当たりのお店だったようだ。お土産に近藤さんと土方さんの分も買って行こうかな。

 僕は団子を焼くおじさんに、再度注文しようとした。だけど別の人が先に注文したようだ。ちぇ、待つしかないか。


「おじさん、団子ニ十本。あんことみたらし半々で。包んでね」

「あいよ。今日も食うね深山さん」

「いや、全部ひとりで食わないから」


 「流石に無理だよ」と笑う散切り頭の男。ひょろりとしていて背は高く、紅色鞘の刀を差していた。


「あ、居た」


 だけど、襟巻をしてない。外したのかな、そうだよね。そうだよね!!

 僕は刀を抜き、無言で斬りかかった。

 「ひぇっ!?」という声がして、ピタリと男に刀先を向ける。


「……刀を抜きなよ、野衾の大将さん」


 団子屋のおじさんが「し、新選組!?」と驚いている。

 そういえば今日は目立つだんだら模様の浅葱色の羽織を着ていなかったな、あとで土方さんに怒られるかも。でもここで野衾を倒したら、土方さんに褒められて、近藤さんは頭を撫でてくれるんじゃないだろうか。よし、倒そう。


「早く抜きなよ、腰に差している刀は飾りなの?」

「っひ、あ、あの、誰かと、お間違いなのでは……?」


 「お、おれ最近田舎からでてきたばっかりで……」という男は怯えてガタガタと震えている。

 あの野衾の大将なら、刀を突きつけられたくらいで泣き出す筈がない。僕が斬りかかった時も反応出来ていなかった。

 あーあー、ハズレか。残念。


「うーん、間違えた。ごめんね」


 刀を鞘に戻した僕は、団子屋のおじさんと田舎から出てきたという男に頭を下げる。

 今日も土方さんの説教を受けることになりそうだ。やだなぁ……長いんだもん。



 肩を落とし、トボトボ去って行く新選組の男。

 男の姿が見えなくなると、一触即発の空気は無くなり、京の町に喧騒が戻ってくる。


 団子屋の店主は溜息を大きく吐き出して、焼けた団子にみたらし餡をつけ始めた。新選組に刀を突きつけられた男は近くの椅子に座り、奥から出て来た店主の奥さんからお茶をもらって、一口。


「うまい。おばちゃん腕あげた?」

「お茶くらい簡単に淹れられるよ! それより、深山さんいいのかい?」

「いいのいいの。下手にどこか行くより目立たないし、団子食いたいし」

「豪胆というか、何というか」


 「注文のあんこ十本、みたらし十本お待ち!」と店主が深山に団子を渡す。受け取った深山は金を多めに払い、「騒がせてごめんね」と去って行った。


 団子を手にした深山は、物陰に入り懐に隠し入れていた赤い襟巻を首に巻き、団子を一本頬張った。


 醤油に砂糖を入れようと思った人は天才だな。いや、その前に大豆を醤油にまで仕立て上げた人も凄いわ。何故豆を潰して液体にしたんだろうか、発想はどこから? と串に三つ刺さっている団子の、二つ目を食べようとした時だった。


 背後から殺気。

 刃物が空を斬る音と共に、無意識に避けた。


 視線を向ければ、団子屋の前で斬りかかってきた男がひとり。新選組だ。


「やっぱり君が、野衾の大将さんだったのか」


 新選組の隊士が微笑み、何かを言っている。

 なんだこいつ、気持ち悪。とりあえず新選組とはた戦いたくないし、こいつ多分強い。逃げよう。


「紅い鞘の刀に、赤い襟巻。黒いのは返り血かな? まぁどうでもいいや。……さぁ、殺ろうか!!」 


 スラリ、刀を抜き構えた男に向かって俺は背を向けて、勢いよく駆け出した。


「あっ! ちょっ逃げるの!? 大将なのに!?」


 戦おうよ!! と背後で叫ぶ新選組の隊士。

 馬鹿かなこいつ、一対一に持ち込むと勝率は下がるし、面倒だし、一々相手してらんないし。

 あと何で俺が「野衾の大将」だと知っているのか。さっき幕臣の、なんだっけ名前忘れた、斬った時に見られたか。なら斬った方がいいか。

 しかし、相手は新選組だ。下手に斬って歴史を変えるのはちょっとなぁ。


 団子串を銜えながら、裏道を走る。いつもならここまで追いかけて来れる奴なんていないのだけど、今日はしつこい。

 ……斬るか。と柄を握る手に力を籠め、角を曲がろうとした瞬間。何かくる! と家の壁を足掛かりにして屋根の上に飛び上った。

 野生の勘というか、火事場の馬鹿力というか。死ぬと思って飛び上って正解だった。でなければ、下から上へと斬られていた。

  

 肩で息をしながら、下を見る。

 抜身の刀を持ち現れたのは、だんだら模様が入った浅葱色の羽織を着た長髪の男。

 あぁ、この男なら教科書で見たことがある。下手をすると局長より人気のある男前ではないだろうか。


「今のを躱すか。総司、こいつ何者だ?」

「野衾の大将さんですよ、深山とか呼ばれていました。偽名でしょうがね」

「ほう、最近有名な野衾か。珍しく仕事をしたな総司」

「珍しくは余計です! この大将は僕が斬ります。久しぶりに斬りがいがありそうなので」


 「ねぇ、大将さん?」と可愛らしく小さく首を傾げながら問うてくる、新選組一番隊隊長沖田総司に向かって、団子串を投げつける。すぐに斬り落とされたが、一瞬の時さえ稼げれば問題ない。


 視線がだんご串に向かった瞬間に、俺は屋根の上を駆け出した。




「あー! 生の新選組みちゃったよやべぇええええええ!!!!」

 


 

 新選組が有名となった池田屋事件より、少し後の出来事である。



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