第3話 魔女の騎士
そんなことを願いつつ、とっとこと馬の背に揺られて訪ねた先。
待ち構えていた新たなる『森の騎士団団長』を一目みた瞬間、私は心の奥底で悲鳴をあげた。たぶん、断末魔コンテストでもわりと上位を狙えたと思う。
「お待ちしておりました、魔女殿。どうぞ、お手を」
砦の前で私を待っていたのは、絵本から抜け出してきたかのような騎士だった。
いや、騎士というよりも王子さまといった方が良いだろうか。
きらきらと陽の光をはじく若干癖のある茶金の巻き毛。
ふわりと跳ねる毛先の自然さがある種の隙となって、嫌味な気障さを遠のけている。
目元の柔らかな、懐こさを演出する双眸の色合いは空のように澄んだ蒼だ。
しっかりと鍛えられた長躯にプレートメイルとマントを纏い、腰には手入れの行き届いた、それでいて必要以上には華美でないロングソードを下げている。
そこにいたのは、かつて私が不覚にも恋をしてしまったかつての『森の騎士団団長サマ』の上位互換としか言いようのないような美青年だった。
というか。
というか。
私はこの人を知っている。
若手の正騎士どころじゃない。
この人は王都でも大人気の『聖』騎士様、なの、では???
「―――…ひえ」
か細い悲鳴がつい口をついて出た。
「ひえ?」
緩く首を傾げて聞き返される。
「―――……」
「…………?」
何でしょうか、と馬上の私を見上げる蒼の双眸。
いっそ無垢なようにすら見える。
ふー、と深く息を吐いて、私は外面を取り繕った。
きっと何かの間違いに違いない。
そっくりさんか、本人だとしても何らかの気まぐれを起こして『森の騎士団団長』に就任した友人的な誰かについてこの辺境まで物見遊山でやってきたとかそういうアレだ。
よし、そうに決まったそう決めた。
「いえ、なんでもありません。エスコートは結構です。それとも、今代の『魔女』は馬も扱えないとお思いですか?」
「―――」
はち、と蒼が瞬く。
次にその双眸に滲むのは可愛げのない女に対する憤りか、向けられた拒絶への悲しみかと予想していたものの――
「ああ、それは出過ぎた真似を致しました。お詫び申し上げます」
ふ、と彼の口元に浮かんだのは柔らかな笑みだった。
そして、続けられる誠実な謝罪。
自分で跳ねのけておいて、そんな風に謝られてしまうとなんだか酷いことをしてしまったような気がするのだから私も勝手だ。
す、と手を引きつつも何か合った際にはすぐに助けに入ることが出来る程度の距離に彼が下がる。
「…………」
出来た所作だ。
目上の人間の我儘に付き合うことに慣れている。
私はそんなことを考えつつ、ひらりと馬から降りる。
幼い頃から森で暮らしているのだ。
彼に言ったのは別段見得でもなんでもなく、実際私は馬の扱いに慣れている。
馬から降りたタイミングで、顔なじみの騎士が顔を出した。
近くの村で普段は農夫をやっておられるアルドさんである。
「なんだ、団長さんもう迎えに出てたの」
「ええ」
「若魔女さん、こちら、うちの新しい団長さん」
「…………」
彼に向ける笑顔が引き攣ってなければいい。
そうか。
そっくりさんか。
「若魔女さん、しばらく風邪で寝込んでたんだって? もう大丈夫なのかい? あ、馬はこっちで預かるよ」
仮病である。
新しい騎士団団長に会いたくない一心で仮病をキメていただけである。
真正面からそんな風に心配されてしまうと、罪悪感に胸が重くなる。
「ええ、ちょっと体調を崩してしまって。心配かけてごめんなさい」
お願いします、とそっと馬の手綱を渡せば、私の父親ほどの年の騎士はにこにこと笑って元気になったなら良かった、と言ってくれた。
ますます罪悪感が増す。
「じゃあ、後は適当に中に案内してもらって」
「はい、ありがとうございます」
はーい、とにこにこ笑いながら彼は馬を厩舎へと連れていく。
それを見送って、少しばかり眉間に皺を寄せた彼が口を開いた。
「彼らはいつもあなたに対してあのような?」
「ええ」
「少々、魔女殿に対して気安過ぎるのでは」
「これまでの積み重ねた関係がありますので」
言外に、お前は違うからな、という棘を滲ませる。
その棘に気付いたのか気付かなかったのか、彼はふむ、と小さく頷いた。
この件で彼が部下に対して叱るようなことがなければ良いとは思うが、騎士団の規律は団長である彼が定めるものだ。
私が『森の魔女』であるとはいえ、騎士団のあり方にまでは口出し出来ない。
出来ないが、彼の方針が先にわかっていた方が私としても心構えが出来る。
何も知らずにいつも通りに接して、彼らが後から叱られる、なんてことは避けたい。
「彼を、叱りますか」
「いえ。あなたはそれを望まないでしょう」
少しばかり、安心する。
「お優しいのですね、魔女殿は」
ふと、小さな声が続いた。
嫌味でもなんでもなく、素直に称賛するような誠実な声だ。
けれど、騎士なんてみんなそうだ。
誠実そうな顔で、誠実そうな声で、人を騙すのだ。
私はもう騙されない。
心動かされたりなどしない。
すい、と顎先をそらして聞こえなかったふりを決め込む。
「では魔女殿、案内しましょう」
が、彼は私のそんな態度など気に留めた様子もなく、あっさりそう言って先導するように歩き出した。
「…………」
先導するように前を歩く、マントに覆われた背は広い。
彼――…前の正騎士よりも少しばかり背が高いだろうか。
年も関係しているのかもしれない。
彼は、まだ年若かった。
私とは、一つか二つぐらいしか年が離れていなかったんじゃないだろうか。
騎士団長とはいえ、他の騎士たちからはその若さ故に随分と可愛がられていたようだった。
そんな彼と比べると、今私の目の前を歩く新たな騎士団団長の背中は随分と広く、堅そうに見えた。両の脚はしっかりと大地を踏みしめ、広い肩幅はすでに大人の男として完成されている。
村の男たちとは、鍛え方が違う。
戦うために鍛えた身体だ。
「こちらです。どうぞ」
ドアを開けて促される。
案内されたのは、団長室だった。
とはいっても、小さな砦では団長室が応接間を兼ねている。
客人の類は皆ここへと通されるのだ。
目の前には大きな執務机があり、その手前に向かい合わせになるようにソファとローテーブルが置かれている。
テーブルの上に置かれているのは、形ばかりの許可証だ。
『森の魔女』が、『森の騎士団団長』を承認するという書類。
全力で署名したくない。
が、これも仕事である。
「こちらに名をいただけますか」
「ええ」
私は書類の正面に腰かけ、持参したペンで書類へと名を刻む。
インクが乾いたのを確認して、書類を手に取り立ち上がった。
契約を交わす、というのは古の魔術にも連なるちょっとした儀式だ。
森の魔女である私が仲介をすることで、彼は森に連なる騎士となる。
その証として、彼の手の甲に森を意味する印が浮かべば、契約は完了だ。
彼の正面に立つ。
「森の意思を人に伝えるもの、今代の森の魔女として私、アデリードは貴方、エリオット・スターレットを――……」
そこまで口にして、思わず動きが止まった。
待って。
待って待って待って。
はいはいお役所仕事お役所仕事、と文面もざっといつもと変わらないかぐらいしか確認していなかったわけなのだけれども。
今私がさらっと読み上げたその名前は。
エリオット・スターレットというのは、やはりあのスターレット卿のことではないのか。
聖騎士、エリオット・スターレット。
騎士の名門であるスターレット家の嫡男であり、王都守護騎士団団長に選ばれるのも時間の問題と言われていた若き英雄だ。
聖騎士、というのは彼の退魔能力の高さ故につけられたあだ名のようなもので、確か死霊の類を寄せ付けず、彼の剣は魔を払うとされている……、とかなんとか。
知っている。
私は彼を知っている。
さんざん、彼が言っていた。
あの人のような騎士になりたいのだと。
「そっくりさんじゃなかった……」
呆然と、思わず唇からそんな言葉が零れる。
「?」
唇は緩く笑んだまま、彼が首を傾げる。
「何か問題でも?」
「―――……いえ」
ここでどうして貴方のような人がこんなところに、と口に出さなかったのは意地のようなものだったのかもしれない。
――そんな意地を、私は数秒後には後悔することになるわけなのだが。
思えばここで、貴方のような貴重な人材を一時とはいえ森に留めるわけにはいかないとかなんとか適当に言い張って彼を追い返しておくべきだったのだ。
「今代の森の魔女としてあなたを、エリオット・スターレットを森の騎士として歓迎しましょう」
あとは、彼の言葉を待つだけだ。
彼が、「私、エリオット・スターレットは今この時より剣を森へと捧げ、森のためにこそ剣を振るうと誓いましょう」と応じれば終わりである。
それが、森の魔女と森の騎士の契約だ。
特に罰則もない、形ばかりの誓約――…だった、はず、なのだ、が。
彼は片手で軽くマントを払うと、す、と極々自然に、まるで当たり前であるかのように私の前に膝を着いた。
「え」
片手は立てた膝の上に。
もう片手は軽く拳を作って床に付けられている。
忠誠を捧ぐかの恭順のポーズに動揺する。
そして彼は緩く視線だけを持ち上げて口を開いた。
「私、エリオット・スターレットは今この時より剣をあなた、森の魔女アデリードに捧げ、あなたのために剣を振るうと誓いましょう」
「えっ」
文言が、違う。
これではまるで。
彼が、私に忠誠を誓っているかのようだ。
「それは、えっ、ちょっ……」
私が慌てている間にも、手にしていた契約書がめらりと熱のない焔に包まれる。
契約が成ってしまう。
「まって……!」
そう声を上げるそばから、燃え尽きたかのように契約書ははらはらと細かい光の粒子となって私の指先がすり抜けて散っていってしまった。
「……ッ!」
慌てて、目の前に膝を着く騎士の下へと屈みこむ。
その右の手を取ってみれば……その手の甲には見知った鮮やかな深紅の薔薇が咲いていた。
「ぁ、ああああ……」
呻き声が漏れる。
そのまま膝から崩れ落ちたい気持ちでいっぱいいっぱいだ。
本来、森に剣を捧げた騎士の手の甲に刻まれるのは、深い濃緑で描かれる森の刻印だ。
だが、彼の手の甲に刻まれているのは、深紅の薔薇である。
魔女の刻印だ。
私が養母から継いだ魔女の紋章。
それが、聖騎士サマの手の甲に刻まれて、しまッた。
どうしたらこの事態をリカバリー出来るのかがわからない。
相手が森の騎士であるならば、契約の解除はそれほど難しくない。
騎士が森の奥にある泉に赴き、任を解いてくれるよう願を掛け、その水で手を洗えば良い。
後は森がその願いに応えて、手の甲に刻まれていた森の刻印は消える。
それが、騎士の森の去り方だ。
文字通り、手を洗う。
だが、彼の手に刻まれてしまったのは魔女の刻印である。
これはきっと、泉で手を洗ったところでどうにもならないだろう。
魔女の騎士の刻印を解除してくれと乞われても、森だって困る。
ということは――…森と騎士の関係に倣って彼が任を解いて欲しいと私に願い出てさえくれれば良いのではないだろうか。
それで、なんとかなるのでは。
なんとかなってくれないと、困る。
「ああもう……」
独り言のように弱り切った声が漏れた。
こんなケース、見たこともなければ養母からも聞かされていない。
養母がこの世を去る前に、私はたくさんのことを学んだはずなのに。
養母がいなくなった後も、森を守っていけるようにと頑張ったはずなのに。
この状況を、どうしていいのかがわからない。
森の騎士は、森に剣を捧げて成るものだ。
魔女に剣を捧げた騎士なんてこれまでいなかった。
何考えてるんだこのひと。
「契約を、一度解きましょう」
「―――何故」
「何故、って」
お前が契約の文言をトチったからだ、このスカポンタン。
なんて恨み言がが喉元までせり上がったのを何とか堪える。
「貴方の剣は森に捧げられるものです、魔女に捧げてどうするんですか」
「別に問題はないのでは」
「一体何がどうしたらこの状況が問題ナシになるんですか」
問題だらけだ。
なるべく関わらないようにしておこうと思っていたはずの正騎士はまさかの聖騎士だし、その聖騎士は魔女の騎士なんていうわけのわからないものになってしまうし。
「あなたは森の魔女、でしょう?」
ゆるりと身体を起こした彼が、にっこりと笑う。
柔らかな、笑みだ。
騎士らしい誠実な所作で、彼の右手に触れたままだった私の手を取る。
今度は何を言い出す気だ、と若干身構えながらも頷いた私に、彼はならば問題などありません、と力強く言い切った。
「私は森の魔女であるあなたの騎士なのですから。あなたが森の魔女である限り、私の剣は森のためにも振るわれましょう」
「…………」
そういう問題かな???
そんなツッコミが今度こそ唇から零れそうになったものの、私の唇から変わりに零れたのはまるで悲鳴のような幽かな吐息だけだった。
ひええ。
ひえええええ。
ダメだ。
なんというか、ダメだ。
たぶん、私はこの男とは相性がよろしくない。
私の一回り以上も高い上背に、がっしりと広い肩幅。
光をはじく金茶の巻き毛に、青空のように澄んだ人懐こい双眸。
彫り深く整った顔立ちに、柔らかな物腰。
その一般的には美徳とされている全てが、私にとっては鬼門だ。
万が一。
もしも、もしも、億が一にも。
―――彼を、好きになってしまったら。
また、置いていかれてしまう。
そして、私は森を守るものだ。
私は、森を離れられない。
だから、近寄りたくない。
だから、近寄ってほしくない。
逃げなければ。
「契約は、成りました」
口早に、言う。
契約は、成った。
彼は森の(ために働く)騎士だ。
そういうことにしてもいいのではなかろうか。
そういうことにしよう。
よし。
というわけで、契約も済んだことだし、さっさとこの場を離脱して逃げ帰ろう。
私はしんなりと力なく彼の掌に預けたままになっていた手を引こうとして――…彼の大きな掌にまるで引き止められるかのように、ぎゅ、と手を握られた。
「ッ……」
心臓が跳ねる。
大きな掌だ。
戦うことに慣れた、剣だこのある硬い掌。
掌から伝わる彼の熱がじわりとしみ込んでくる。
浸食、される。
体温に絡めとられて、動けなくなるような錯覚。
心臓が煩く鳴り始めるのがわかって、ますます逃げたくなる。
「……ぁ、」
離してください、と言おうとした声がみっともなく震える。
彼は、そんな私の目の前で恭しく腰を折った。
手の甲に、柔らかな温もりがそっと触れる。
「私は、あなたの騎士です」
手の甲に口づけて。
窺うように持ち上がった蒼の瞳が私を射抜く。
鮮やかな空のように透けるその蒼に、獲物を狙う狼めいた物騒な色合いが滲んでいるようなのは私の気のせいなのか。
その声音に、底知れぬ熱を感じたのは私の気のせいだったのか。
――かくして、魔女と騎士の契約が成立してしまったのだった。
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