第433話 体育祭当日までのあれこれ


 一年D組の相馬君はいい奴だ。

 吉林高校に入学してから運動も勉学も中くらいの成績だがお気楽な性格でそんなことは気にしていない。

 たしかに何かに熱くなったり、一生懸命になったりするのは苦手だ。

 本当は勉強のために中学二年でやめたピアノに少しだけ心残りがある。

 でもそれだけだ。

 周りからはもったいないと言われたが別にピアノに人生を賭けられるものではないと思っていた。だからやめるなら早い方がいいだろう。

 今は気にしていることといえば今度発売される最新ゲームと大好きなライトノベル、そして漫画を購入するためのお金が溜まるかを気にするくらいだ。

 もちろんそれを話し合って盛り上がれる友達も数人いる。

 昨日は夜遅くまで乙女ゲーにいそしみ、すべてのシーンを解放したことで気分上々である。続編が楽しみでバイトは親がうるさいが短期バイトならバレずにいけるだろうなどと考えていた。

 そんなどこにでもいる高校生である相馬君に大事件が起きた。

 下校しようとした際、自分の下駄箱に綺麗な花柄の封筒が入っていたのだ。


(え? え? 何これ?)


 周囲に人がいなかったのもあったがそもそも何の警戒心もない相馬君はその場で封筒を開けて綺麗な便箋を取り出した。


(う! いい匂い。これってまさかだよね。人違いか……入れる下駄箱を間違えたか)


 などと考えながら文面を読んでいくと相馬君は混乱の極致に陥った。

 これは自分に宛てたものなのは間違いなかった。しかも女の子。

 それだけでも驚きなのだが混乱状態にまで至ったのはその差出人だ。

 なんと二年生の美ヶ原律子(うつくしがはらりつこ)から呼び出されたのだ。

 彼女は吉林高校で最も有名な女子生徒の一人である。

 彼女が有名な理由は二つ。

 まずはバイオリニストとしての実力だ。

 幼少のころに才能を見込まれてイタリアに留学し、そこで有名なバイオリンの大家に師事していた。

 さらには彼女はすでにいくつもの世界的なコンクールで優秀な成績を修めている。

 実は相馬君は彼女の演奏を聞いたことがある。それはベートーヴェンのバイオリンソナタ第9番イ長調Op.47「クロイツェル」だ。

 超高難度のソナタで彼女とピアニストの演奏は今でも耳に残っている。

そしてもう一つはその容姿。

 落ち着いた所作に優し気な風貌。そのたたずまいから妙に大人っぽくも見えて地味そうなのに妙に目立つ。そんな先輩だった。

 だからこそ情熱的で激しい「クロイツェル」は彼女の印象と真逆なので余計、印象に残ったのだ。


(あれはとても凄い演奏だった……。年齢も僕と一つしか変わらないのに)


 才能だけでは辿り着かない、身を削るような練習が目に浮かんでしまう。


(あんなに綺麗で優しそうなのに。芯が強いんだ、きっと。僕と違って)


 また、同じ学校なので当然、相馬君は美ヶ原先輩を数度見たことがある。

 一度は電車で夢中で恋愛系ライトノベルを読んでいた時、ふと顔を上げると隣に座っていたことがあった。美ヶ原先輩も制服から同じ学校だと分かっていたのだろう。自分と目が合うとちょっとだけ微笑んできたので心臓が飛び出そうになった。

 そして何となく彼女が電車を降りるまで可愛い少女の挿絵イラストが目立つ本をカバンにしまったのだった。

 その時、相馬君はそこにいるだけなのに何故、彼女の周りだけ景色が輝いて見えるのだろうと心が浮足立ったものだった。

 そんな一生、自分とは関係がないだろうはずの彼女からお呼びがかかった。

 しかも呼び出された場所は放課後、滅多に人が来ない校舎裏だ。

 昔は焼却炉があった場所だが今はそれも撤去されて大きな木が並んでいる場所である。

 さすがの相馬君も意識させられる。


(ななな、何故、僕に⁉ 話したことは……ない。うん、ない。絶対にない。あ、以前に電車で一緒だった時のこと覚えているとか……? ままま、まさかこんな)


 相馬君は明らかな心臓の不整脈を感じながら指定された場所に向かう。

 すると木々の間に彼女は立っていた。

 彼女は相馬君を見つけるとはにかんだ笑みで出迎えた。

 そんな笑みが逆に艶っぽく見えてしまう人だ。


「あ、ごめんね……その、突然、呼び出しちゃって」


「あ、いえ」


 相馬君は冷静に応対しようと全能力を傾けていたがきっと失敗しているだろうと思う。


「そのね……あ、ちょっと待って」


 美ヶ原先輩はそう言うと相馬君に背を向けてポケットから指令書と書いてある紙を取り出し必死に読み直している。


「もう~、いくらチームのためとはいえ、何で私がこんなことしないといけいないのよ~。こんなの私にできるわけないのに」


 涙目になりながら小声で呟く。

 相馬君も緊張のあまり頭がまったく機能しないが美ヶ原先輩が耳を真っ赤にしているのは分かる。

 すると意を決したような表情で美ヶ原先輩がこちらに振り返ってきた。


「あああ、あのね! その……今度、私とカラオケに行かない?」


「……え? え——⁉ 先輩と僕が⁉」


「あ! そ、そうよね! 突然、私なんかに誘われたら驚いちゃうわよね! ごごご、ごめんなさい。えーとね、そのね、カラオケでも歌いながら……歌いながら⁉」


「え?」


「あ、ごめん、ちょっと待って」


 美ヶ原先輩はまた後ろを向いてポケットから紙を取り出すと穴が開くように見つめる。


「ちょっと私、歌は専門じゃないのに! バイオリンをやっているだけで音楽なら何でもできるって思うのやめて欲しいよ~」


「あの、どうしたんですか?」


「あ! なんでもないわ!」


 美ヶ原先輩は慌てて両手を振るが右手には紙を持ったままだ。

 すると突然横からその紙をヒョイっとつまんで取られた。


「え?」


「ああ、なになに?」


【指令書】緑チーム(Ⅾ組連合)の情報が少ないから律子は一年の各競技の参加者を聞いてくること。一年の相馬君は中学の時にピアノをやっていたから呼び出して音楽関連で話を盛り上げて心を奪っちゃえば全部教えてくれるよ。大丈夫! 律子なら横にいてあげるだけで大抵の男の子はいちころだから。場合によってはこちらの駒にするのよ。あ、カラオケとか誘うのいいんじゃない? 歌も上手いでしょう? まあ、手強ったら手ぐらい握ってみて。ちょうどいいからこれを機に律子は小悪魔スキルも身につけなさい。若菜より。


 紙の内容を読み上げると一悟はニっと笑う。


「袴田君!」


「相馬君、間に合って良かったぜ。まさか、美ヶ原先輩を使ってこんな手を打ってくるとはねぇ。若菜先輩は二年E組の体育祭実行委員だったよな。たしか演劇部だったか」


「あわわわわ」


「いやいや、これはあくどいなぁ。酷いと思いません? 美ヶ原先輩」


「か、返してください」


「これは重要な証拠として俺が保管しときますわ。まあ、条件次第では返さなくもないと若菜先輩に伝えておいてくださいね。優しくて有名な美ヶ原先輩」


 一悟は若干、怖い顔をすると美ヶ原先輩は半べそをかいて逃げ出した。


「ごごご、ごめんなさーい!」


「ふふん、若菜先輩はやらかしたな。人選ミス、もしくは使い方のミスだ。まあ、いい取引材料ができたぜ」


 一悟がニヤリとする。


「あ、美ヶ原先輩!」


 思わず相馬君は大きな声で遠くの美ヶ原先輩を呼び止めた。

 すると律儀にも美ヶ原先輩は立ち止まり振り返る。


「あ、あの! 今日は話せて嬉しかったです! そ、その今度……いや、ずっと先になるかもしれないけど! 全然、無理かもしれないけど! いつか先輩とソナタを演奏したいです!」


「……え?」


「僕! またピアノを始めます! 今度は一生懸命にやります!」


 美ヶ原先輩は目を見開いて驚いた表情を見せた。

 だがそれ以上の表情の変化は距離があって分からない。

 相馬君はさらに大きな声を上げようとすると一悟が前に立った。


「ゴォラァァ‼ 早く帰って若菜先輩に袴田が怒ってたって伝えろやぁ! 俺は美人だからって容赦しねぇぇぞぉ!」


「ひい——!」


 とりあえず美ヶ原先輩が思いっきり泣き顔になったのだけはよく分かった相馬君だった。



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