第321話 友人のニイナ③
ニイナは中に入ると部屋中央にある大きなテーブルに座る三人に目がいく。
テーブル奥の上座に当主と思しき黄大威(こう・だいい)が座っており、その左側に座っている二人の男女がいる。
手前に座っているのが黄英雄(こう・ひでお)とすぐに分かった。
ということは奥に座る女性が当主の妻で秋華のお母さんなのだろうと推測した。
大威は病気で臥せっていたと聞いていたが、その顔に病に侵されているような弱々しさはない。
それどころか濃い眉毛の下に力のある目と整えた口髭はどこか拳法の達人の風格を感じさせる。
このあたり、さすがは名門黄家の当主と言えるのかもしれない。
(黄家の長が揃っている、ってことですね。正直、すぐにコンタクトがとれるとは思っていなかったので驚きです。いきなり正念場が来たみたいです)
「初めまして。私はニイナ・エス・ヒュールと申します。この度は突然のご面会をお願いしましたのにもかかわらず、お時間を頂き誠にありがとうございます」
ニイナは緊張気味の自分をコントロールしながら右手で腹部をおさえ、左手でスカート部分を摘み、深々と頭を下げた。ミレマー流の正式な挨拶である。
だが相手の反応がない。
(返事がありませんか。歓迎されているとは思っていませんでしたので当然かもしれないです。ましてや秋華さんの敵方になってしまった英雄さんもいますし、私や堂杜さんは面倒な来訪者でしかありませんものね)
内心、苦笑いをしながら顔を上げるとそこにはニイナの想像する黄家の人間たちの難しい顔はなかった。
というよりも黄家のファミリーはポカンとした表情をしている。
(え、何ですか、この間は……?)
部屋内に漂う微妙な空気にニイナも戸惑う。
しばらくすると……大威の妻だろう女性の頬に涙がツーと流れていく。
(は?)
「なんて礼儀正しい子なのかしら! あの秋華(あきはな)に! あの秋華にこんなに素晴らしい友人ができるなんて! しかも能力者じゃない普通の女の子。それでミレマー元首の娘さんと聞いています」
「こ、これ、雨花(あめはな)、やめなさい。秋華の友人が困っているだろう……ゆ、友人……くっ」
(私のことを伝えているんですね……それにしても友人? 私が?)
突然おいおいと泣き崩れる妻の雨花を諫めながら、大威自身も熱くなった自分の目頭を右手でおさえる。
「だって、あなた……先日も突然、友達が来たって琴音さんみたいなまともな子が来てくれて驚いていたのに、またこんなに礼儀正しい子が来てくれるなんて。あの秋華に」
「うむ……あの秋華にな」
(あの秋華、が多いんですけど……)
ニイナは状況が掴み切れずにその場に立ち尽くしていると英雄から声が上がる。
「父上、母上、秋華の友人が困っていますよ」
だが英雄が言った〝友人〟の言葉に大威と雨花の目から涙はぶわっとあふれ出したのでニイナはもう数分、その場で立たされたのだった。
数分後、ようやく黄家ファミリーは落ち着き、着席したニイナたちの前にお茶が出された。
「申し訳ない、ニイナ君。お恥ずかしいところをお見せした。まずはようこそ、私が秋華の父親の大威だ。ゆっくりして欲しい。こちらも娘の友人ということで挨拶をと思っていたのだが、あの子が別いいというものでな。まあ、難しい年頃だから敢えてこちらからは何も言わなかったのだよ」
大威がそう言うとニイナは畏まったように頭を下げた。
「い、いえ、ありがとうございます」
(声の張りもありますし、やはりとても病人には見えないです。こればかりは見た目では分からないかもしれませんが)
「あの子は友達を呼んでおいて、自分は出掛けるとか……まったく」
ニイナは作られた笑顔を崩さずに頭を回す。
(これです。秋華さんは私をご両親に友人として紹介している? どういうこと?)
私は友人ではありません、と言おうかと思ったが、ここは余計な事は言わずにこのまま話をした方が良いとニイナは考える。
(はあ~、秋華さんは何を考えて……。まあ、それも含めて探るとします。色々と踏み込んでみましょうか)
「いえ、秋華さんには堂杜さんがついていきましたので私はお留守番がいいかと思いまして」
ニイナは主語や目的語を省き、かなり抽象的な言い方をする。
これは相手の受け取り方で大分、意味合いが変わるのを見越しているのだ。
この後に掘り下げる質問が来るか、それとも何かを汲み取ったセリフが来るか、それによって自分と祐人のことについてどういう理解をしているのかが色々と分かる。
「もう、あの子ったら日本から来たばかりの人を外に連れていくのもどうかしています。長旅で疲れているのですから、まずはこちらで休んでもらって体調を整えてからがいいでしょうに。堂杜さんも大変ね、あの子に引っ張りまわされて」
雨花が呆れたようにため息をつく。
(うん? それはどういう反応? やはり護衛で来たこともまったく知らない? ということは秋華さんは内緒で護衛を雇うよりも、むしろ隠さずに友人として呼んだことにしたと。敵方に対するカモフラージュでしょうか)
そうニイナは考えると敵方の神輿である英雄に目を向ける。
(ちょっと、分かりませんね。英雄さんがここに来た理由はその辺りを探りに来たのでしょうか。秋華さんの言い方だと謹慎させれたような言い方でしたが、気になって強引に来たのかもしれませんね。まあ琴音さんを平気で自分の政治的な盾にするくらいの子ですから、兄の英雄さんは警戒するでしょうね)
すると英雄が突然に立ち上がった。
「は? 母上、今、何と言いました⁉ どうもり? 堂杜と言いましたか⁉ それはまさか……」
「英雄、何ですか突然。お客様の前で無作法ですよ、座りなさい。ええ、そうよ、堂杜さんよ。秋華が招いたもう一人の友だちよ。しかも……男の子です。あの秋華が男の子の友だちを、まさか我が家にまで連れてくるなんて思ってもいなかったわ」
「うむ、色々と聞いているが、まあ楽しみなことだ。あとで顔を出してくれるかな。フフフ」
「笑い事じゃないですよ! 俺は聞いてないです! 秋華が男を連れ込んでるなんて。黄家の年頃の娘がはしたいない! しかもよりによってなんであんな奴を……あいつがこの黄家の敷居をまたいでいるなんて!」
目の前で黄家ファミリーが勝手に会話を進め、英雄が大きな声を上げるとニイナも困惑する。
「連れ込むなんて……馬鹿なことを。また始まりました。あなたもいい加減、妹離れをしなさい。秋華だってもう十四ですよ。男の子の友だちくらいいたっていいでしょう。むしろ、一度も友だちを連れてこないあなたの方が心配だわ」
「……グ」
あきれ顔の母親のセリフに英雄が黙る。
「うん? なんだ、英雄はその堂杜君を知っているのか?」
「いえ、父上、そいつはたまたま新人試験で一緒だったってだけで、いたかどうかすら覚えてない奴です。まあ、付き合う価値もない奴だったということです。ランクもたしかDで同期の中で最低ランクだった」
「ほう……英雄の同期でランクはDか。まあ、若さから考えれば立派ではないか」
「父上、私はその歳でランクはAです!」
「分かっている。そんなにいきむな」
この時、ニイナは偉そうに語る英雄に僅かに冷たくなった視線を送る。
ポーカーフェイスであり、ニイナの感じた不愉快感が相手に伝わるほどではない。
だが祐人を低く見積もるどころか、どこか見下す言い方の英雄に対し沸々と湧きあがる怒りは確かにあった。
「もう英雄は……そんな風に相手を言うものじゃありません。堂杜さんは秋華の友だちでましてやあなたの同期なのですから」
困ったものね……という感じで雨花は嘆息するとニイナに顔を向ける。
「ごめんなさいね、ニイナさん。この子は重度のシスコンでね。秋華のことになると見境がなくなるのよ。気を悪くしないでくださいね。この子は自分の好きな人や物に際限なく真っ直ぐに突き進むから心配でね。最近、ちょっと悪さをしたからお灸を据えたのに全然、効いてなくて」
「は、母上!」
(お灸? それは秋華さんの言っていた大祭の件のことかしら……秋華さんから聞いているのと随分と印象が違いますが。謹慎させられていたわけではないのですか)
「は、はあ……いえ、妹さんを大事にしているなんて素敵なお兄さんだと思います」
雨花にそう言われてニイナが引き攣りそうになった顔を何とか自然な笑顔に変えて最高の社交辞令で返す。
「おお、分かっているな、君は。分かる人には分かるんだ、秋華はいい友だちを持った」
社交辞令を全身で受け取った英雄はちょろくもニイナを褒めだして、雨花が二度目の嘆息をした。
(雨花さん、何か大変そうです。このお兄さんに秋華さんですものね……ハッ、危ない、これは相手の作戦かも知れません、こちらに何も情報を与えないようにする。英雄さんは……違う気がしますが)
すると雨花がニイナに笑みを見せて話しかける。
「そういえばニイナさんは秋華とはどこで知り合ったのですか? ご存知の通り我が家は特殊です。中々、普通の方と友人にまでなるのは少ないのですが」
探りを入れてきた? と思うがこの辺を取り繕う必要はない。ニイナは正直に答える。
「はい、初めてお目にしたのは四天寺家の大祭のあとに一緒に食事をしたときです」
「まあ……ニイナさんは大祭に招かれたので?」
四天寺家の大祭と言ったところで雨花は目を細める。
ニイナは変な勘繰りをされるのではと恐れてすぐに言葉を付け加えた。
「あ、私は瑞穂さんとも以前から友人でしたので、当然参加したのではなく観戦といいますか、応援といいますか……」
「ほう、四天寺のご息女と友人とは……ああ、そう言えば機関からミレマーに派遣されて大活躍をしたと聞いている。なるほど彼女とはそこで縁があったのか」
「はい、その時から親しくさせていただいています」
さすがに色々と知っているな、とニイナは思う。それとも事前に調査をしているのか。
「うむ、それなら我々のような人種にも慣れているわけだ。秋華とも仲良くできたのも頷ける。よい出会いだな」
大威は当主というより父親の顔で頷く。
そしてニイナの前にいる英雄が瑞穂の友だちと聞いて目を見開くと明らかにソワソワし始めた。
「お、お前は瑞穂さんと友だちなのか⁉」
「英雄! 女性にいきなりお前とはなんですか! そんなんだから瑞穂さんにも相手にされないのです」
「ぐ……⁉」
「ニイナさんも大祭を見ていたなら、あなたが勝手に参加した大祭で無様に負けたのを見ているわよ。あなたが偉そうにすればするほどニイナさんには小物に見えるわ」
「は、母上……」
英雄は言葉を失い、目に見えて青ざめてズーンと凹んで涙目になる。そしてその目でニイナに視線を向けてきたのでニイナは慌てて視線を外す。
すると、何かを感じ取ったのか、英雄はより肩を落とした。
「あんな化け物がいなければ俺だって……しかも参加資格のないジジイだったのに」
ブツブツと悔しそうにしている英雄を見て、その参加資格のないジジイの正体を知っているニイナは若干、同情してしまう。
それにしても……とニイナは悩みだした。
(何なんでしょうか……さっきから私を娘の友人として扱っているだけのような……)
ニイナにしてみれば敵地に乗り込むような決死の覚悟のつもりでやって来た。
だがこれでは娘の友だちと会話を楽しんでいるだけのように感じてしまう。
横に座るアローカウネに顔を向けるがアローカウネは表情を変えずにお茶を啜っていた。
こう見えてアローカウネはミレマーの元軍人で実戦経験の深い人間だ。そのためか相手の機微を見抜くのが上手い。
これまでもニイナが対応した相手がニイナに対して悪意があると感じ取ると自然に間に入るのだが、まったく動く気配はなく従者らしく主人の邪魔をしないようにしている。
「あ、そうそう、堂杜さんとも友達なのでしょう?」
すると息子の状態を無視するように雨花は話題を変える。
「あ、はい。通っている学校が一緒なので」
「なんでも堂杜君も大祭に参加したのよね。最後は負けてしまったようですけど、秋華が凄いって言っていたわ。うちのはその前に負けて気を失っていたって聞いていましたけど」
さりげなく英雄に追い打ちをかけながら、雨花は興味津々な様子で前のめりに両肘をテーブルに置いた。
「実はとても気になっていたのです。どんな子なの? 優しいのかしら」
「これ、お前」
「いいじゃない。秋華が連れてきた男の子よ、気になるじゃないですか。あなただってそうでしょう」
「まあ、そうだが」
「あんな奴……どうせ俺が戦った奴とやり合っていれば瞬殺されてるはずだ。運よくあいつが失格してたから……ブツブツ」
雨花から祐人についての質問が来てニイナは一瞬、警戒する。
しかもにこやかに自然体で聞いてくるではないか。
今度こそ、こちらを探ってきたのだと思う。今までの会話もこちらの警戒心を解かせるためのものだったのかもしれないのだ。
だがここで隠すのは不自然だ。
「あ……はい。優しいです」
「どれくらい? ニイナさんの印象でいいから」
相変わらず笑みを浮かべながら雨花は聞いてくる。まるで娘が連れてきた男の子のことを母親として嬉しく思っている姿そのものだ。
「おい、男は強さだぞ。ましてや能力者ならなおさらだ。今はランクDでも上を狙わなくては駄目だ。その辺を私が直々に教えてやるから今夜は一緒に食事を……」
大威が横から口を挟み、英雄は大きく頷いている。
「あなたは黙っていてくださいな。今は私が聞いているんですから」
「う、うむ」
「どう? どれくらい優しい? 堂杜君は」
(えっと……もう分からなくなってきました)
ニイナの頭の中はこんがらがっている。
というのも大威も雨花も跡目争いに首を突っ込んでいる様子はない。仮にまったく気づいていないなどということがあるのだろうか。
神経戦を想定していたニイナは拍子抜けを飛び越して脱力気味だ。
また、敵方の旗印の英雄は祐人が来たことをまったく知らなかったという反応であり、それだけでなく、男性が来たかどうかに喰いつくちょっと痛い兄というもの。
(印象として英雄さんは器用なタイプには見えません。それどころか話し方、表情が直情径行そのもの。それすらも演技というのなら脱帽ですが……どうにも雰囲気がないです)
振り返って黄家のトップ二人の反応を見れば単に秋華が友だちを招いたということで終わってしまう。
そもそも祐人の能力や戦闘力を探ってくるなら分かるが、優しいかどうかを聞いてどうするつもりなのか。
(どういうことでしょうか。二人は本当に自分の息子と娘が跡目争いを始めていることを知らないのですか。それとも承知の上なのでしょうか。能力者の人たちは普通の感覚ではない可能性があるのでどうも分かりづらいですが……)
「ニイナさん?」
雨花に呼ばれてニイナはハッとする。
質問の途中だった。
祐人が優しいか、どうか……。
ニイナは雨花と目が合うと不思議な感覚に囚われた。
というのも雨花の目には意外と真剣な光が灯されていると感じ取ったのだ。
真剣に祐人が優しい人間かを知りたいかのように。
それでニイナも正直に思う答えを伝えた。
「とても……とても優しいです。困っている人や友人を決して見捨てず、必ず手を差し伸べる……そんな人です」
雨花はニイナの言葉を聞き、ニイナの顔をジッと見つめると……相好を崩した。
「そう! 良かったわ!」
この反応を見た瞬間、不思議とニイナの中にあった計算や警戒が薄れた。
その後、雨花から秋華の話や英雄の話、ニイナからは学校での瑞穂や祐人との話題で盛り上がる。
祐人たちと海に行った話になると、英雄がえらく喰いつき悔しそうにしている。
和やかに時間は過ぎ、想像以上に長居してしまったニイナはそろそろお暇しようとするとニイナたちのいる部屋の扉が荒々しく開いた。
「ちょっと! 何をやっているのよ! 私のお客を勝手に呼んで!」
入ってきたのはいつもの不敵な彼女とは思えない焦った表情の秋華だった。
「あら、何って楽しくお茶を楽しんでいただけよ。何を怒っているのですか、あなたは」
「もう、ママ! やめてよ。さ、ニイナさん行きましょう」
秋華は中に入って来るとニイナの腕をとって連れて行こうとする。
「あ、待て、秋華、聞いたぞ! お前、あの堂杜を呼んだのか⁉」
「お兄ちゃん、うるさい!」
「ぐっ……」
妹のひと睨みで黙る兄。
「ニイナさん、変なこと聞かれなった?」
「え⁉ あ……秋華さん、これは私が……」
「いいから行きましょ! パパも勝手なことをしないでよね。体に障るでしょ、体調が悪いんだから。あ、それとあとで話があるからね」
「ふむ……」
「ちょ、ちょっと秋華さん。あ、あの、ありがとうございました」
「挨拶なんていいから、行くよ、ニイナさん」
そう言うと秋華はニイナを連れて行き、去り際にアローカウネが深々と頭を下げて部屋を出て行った。
大威はそれを何も言わずに秋華を見送る。
「話か……」
静かになった部屋で大威はそう呟くと目を瞑った。
「あなた、秋華の〝検査の日〟がもうすぐです」
「……分かっている」
雨花に静かに答える大威は目を開けた。
英雄も眉間に皺を寄せて軽く俯くのだった。
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