第191話 戻る日常


「まったく……昨夜はひどい目にあったよ」


 若干、足取りも重く校舎に向かう祐人。


「祐人」


 背後から声がかかり、振り向くと瑞穂とマリオンが清聖女学院の制服姿で寄ってきた。


「あ、おはよう、瑞穂さん、マリオンさん」


「どうしたんですか? 祐人さん、ちょっと顔色悪いですけど」


「あはは……ちょっとね、意外と疲れが取れなかったからかな?」


「大丈夫なの? あなたが疲れてるところなんて中々、見たことがないわ」


「はい……心配ですね。今日は学校休んだらどうです?」


「大丈夫だよ! それにそれは瑞穂さんやマリオンさんも同じだし」


 そう言い、三人は肩を並べて清聖女学院の整備された並木道を歩き出す。


「そうだ……今日、学校が終わったら、また秋子さんのお見舞いに行こうと思ってるのよ」


「ああ、そうだね。呪詛も解けたはずだし……これから回復していくと思うけど。また僕が……回復をすれば……」


「……はん? 祐人」


「……祐人さん?」


「何でもないです」


(でも、効果は高いんだけどな……)


「まあ、でも必要ならお願いするわ。意識が戻っていたら駄目だけど……」


「え?」


「そうですね、治療の一環なのは間違いがないですし……でも、意識がない時だけですよ?祐人さん」


「う、うん、分かってるよ!」


「でも……祐人さん、意識があった時に施したら……一体、どうなるんですか」


 ちょっと頬を染め、小声で聞いてくるマリオン。


「……え? 何?」


「あ、何でもないです!」


 慌てて手を振るマリオンだが……その横でこれをしっかり聞いていた瑞穂は顔を赤くしつつ、小声でささやいた。


「マリオンは本当にムッツリね……」


「な!? み、瑞穂さん! 瑞穂さんだって昨日、一度、どんなものか経験するのもいいかもって言ってたじゃないですか」


「わーわー! それは! 友人に勝手にしておいて、私が知らないのは不味いと思っただけで、他意はないわよ!」


「何の話してんの?」


「何でもないわよ! エロ道士!」

「何でもないです!」


「のわ! エ、エロ道士って……」


 ガヤガヤしながら歩く三人。

 もうすぐ夏休みも近づいてきており、朝とはいえ燦々と輝く太陽の日差しがさしてきている。

 通りがかる他の生徒たちにも瑞穂とマリオンは挨拶を交わし、日常が戻ってきたのだな、と感じていた。

 そして、その横に祐人が一緒に歩いている……というのも、何とも言えない高揚感も感じていた。

 瑞穂とマリオンは左右から祐人の横顔を盗み見て、ちょっとだけ笑みを見せる。

 二人には何とも言えない感慨深さがあり、今回のような呪詛事件とは関係なく、祐人を試験生として呼んだのは、不謹慎ながら良かったと瑞穂は思った。

 表には出てこない瑞穂とマリオンの感情は上気している。


 ……だから、気づかなかったのかもしれない。


 先程、挨拶を交わした清聖女学院のお嬢様の熱い眼差しや、よそよそしさ、または神々しいものを見るような目に、敵対の目、等々があったことに……。

 校舎までの長い美しい並木道を歩いていると、前方から登校している生徒たちに逆らってこちらに向かってくる一段が祐人の目に入った。


「あれ? あれは……一悟だ! 茉莉ちゃんたちもいる、どうしたんだろう?」


 よく見れば、一悟、茉莉、静香、そして花蓮もおり、何故か、一様にその目が陰で覆われている。そして、皆、全員その肩から寮に入るために持ってきたバッグ等をもっているではないか。

 瑞穂とマリオンも何事かと訝し気にこの集団に目を向けた。


「一悟! 茉莉ちゃん! どうしたの!? どこに行くの?」


「祐人……ね?」


 茉莉が静かに祐人に話しかける。

 何故、確認してくるんだろう? と思うが、返事をする祐人。


「う、うん」


「じゃあ、帰るわよ」


「え? どこに?」


「もちろん、吉林高校に決まってるでしょう? 祐人も寮に戻って荷物を持ってきて、待っててあげるから」


「あれ!? だって試験生としての期間って、もうちょっとなかったっけ? 何があったの?」


 そこに一悟が前に出てくる。


「……祐人」


「な、何?」


「俺たちは……返品だ」


「返品!?」


「ああ……事情は後で話すから、とりあえず帰る準備をしてこい」


 何が起きたのかは分からないが、全員、荷物を持っていることから嘘を言っているとは思えない。祐人は瑞穂とマリオンに顔を向けるが、二人とも知るはずもなく首を傾げている。


「わ、分かった! ちょっと待ってて! あとで事情を聞くから!?」


 祐人は体を慌てて翻し、寮に自分の荷物を取りに行こうと走り出した。

 その祐人の後ろ姿をそこにいる全員が見つめている。


「ああ、事情はゆっくり話すよ」


 と、一悟。


「私もゆっくり、じっくり説明するわ」


 と、茉莉。


「あ、もちろん、私もね」


 と静香。


「その説明には、私も参加する」


 と花蓮。


「ああ、説明してやるよ……なあ、みんな」


 一悟がそう言うと数秒の間、静寂が起きた。

そして4人が大きく息を吸う。


「お前の体になぁ!!!!」

「祐人ぉぉ! 徹底的に説明するわ!!」

「堂杜君、逃がさないから!!」

「無関係な私を巻き込んだ罪……万死に値する!!」


 4人の気迫に「きゃっ!」と声を上げて、体を抱き合い怯える瑞穂とマリオン。


「あああ、あの何があったんでしょうか? 皆さん」


「そうね……試験生を突然、返すなんて、頼んで呼んだのは学院側よ? そんな失礼なことをするなんて」


 そう言う瑞穂とマリオンに4人の目が同時に向かってきた。


「「!」」


 さすがにちょっと怖い。

 だが……よく見ると4人の目は優しくもあり、でも、可哀想なものを見るような同情と憐憫が合わさったような目をしていた。

 そこに茉莉が瑞穂とマリオンに近寄ってくる。

 何だろう? と思うが、茉莉の顔は真剣そのもので、それでいて目がかすかに潤んでいる。

 この茉莉の表情に瑞穂とマリオンは不覚にも綺麗な人だな、と思ってしまった。

 こんな人がいつも祐人の近くにいたのかと思うと心がざわざわしてしまう。

 しかも、この少女が祐人のことをどう思っているのかは知ってしまっているのだ。

 そういう意味ではとても手ごわいライバルといっていい……いや、もう、二人の心はそのように理解しているのだろう。

 だから、近寄ってくるこの少女にちょっとした警戒心というか、距離を置こうとするような気持ちが湧きあがってきてしまうのだ。

 その茉莉が瑞穂とマリオンの目の前に立つ。

 そして、茉莉は二人を交互に見つめた。


「な、何よ……」


「な、何ですか?」


 茉莉は……警戒する子猫のような瑞穂とマリオンに構わずに……突然、二人を抱きしめた。


「「!」」


「くじけないでね! 心を強く持って!」


「は?」

「え?」


 茉莉にきつく抱きしめられて、狼狽する瑞穂とマリオン。

 一悟たちも目に涙を浮かべて、うんうん、と頷いている。


「頑張れ……二人とも!」

「短い間だったけど、二人に会えて良かったよ! 応援してるから!」

「私も陰ながら二人の無事を祈っている!」


 勝手に感動的なシーンのようにされて、瑞穂とマリオンも訳が分からない。


「何かあったら、遠慮なく連絡してきてね。これみんなの連絡先だから」


 茉莉に全員の携帯電話の番号等が書かれた紙を渡されて、それを受け取ってしまう瑞穂とマリオン。見てみれば事前に自分たちのために作ってくれたものらしいことが分かる。


「ちょっと、その前に何があったのか教えてよ!」


「そうです、どうしたんですか? 私たちになにがあるんですか!?」


「おーい! 荷物持ってきたぁ!」


 そこに、走ってこちらに向かってきた祐人に茉莉たちは顔を向ける。

 そして4人は互いに頷き合った。


「じゃあ、行きましょうか」


「そうだな」


「そうだね」


「……行く」


 4人は祐人を迎えると、一悟は祐人の肩に手を回し、茉莉はその右手を掴む。後ろからは小柄な静香と花蓮が背中を押した。


「え? え? 何? もう行くの? 茉莉ちゃん、若干、痛いんだけど……。水戸さん、蛇喰さん、押さなくても一人で歩けるから……」


 4人に囲まれ、まるで鉄拳制裁を受ける人みたいな祐人を無言で見送る瑞穂とマリオン。


「な、何なの? マリオン」


「さあ……分からないです」


 二人の間に夏の熱気の籠った一陣の風が通りすぎる。

 そこでハッとしたように、瑞穂が祐人に声をかけた。


「祐人ぉ! 帰ったら私たちに連絡しなさいね!」


「うん! 分かったぁ!」



 祐人から返事があり、瑞穂とマリオンは安堵するような顔をする。

 そして何があったのか気になるので、急ぎばやに教室に向かった。

 この直後、遠方から少年と思われる悲鳴が聞こえたような気はしたが、気のせいだろうと思う瑞穂とマリオンだった。



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