第187話 呪いの劣等能力者⑪


(こいつの目は……我らと相いれない者たちが見せる目と同じ……!)


 アレッサンドロはこの目をした者たちを知っている。

 いくら脅そうが、懐柔を試みようが、頑として受け付けず、己の正義を貫く使い勝手の悪い者たち。そしてその共通点は自分以外の人間たちのことを考えている、というものだ。

 この国にも少数だがそういった人物たちに出会った。

 アレッサンドロにとってこれほど愚かで頑迷な者たちはいない。

 何故なら、この者たちは常に今の人々のことばかり考えているのだ。それに対し自分は今後の人類のことを考えているのだ。どちらが、より崇高で遠大な目標を持っているかは自明の理。


(しかし、いくら話し合っても決して、これを理解しようとはしない者ども……。不味い……この小僧とここでやり合っては。ほぼ一人で闇夜之豹を屠ったこの小僧と戦闘をしても勝算はない)


 そこで祐人が歩を進めた。

 アレッサンドロとロレンツァは後ろに下がる。


「ええい! ロレンツァ!」


「はい!」


 アレッサンドロは胸の中から小瓶を取り出し、地面に叩きつけた。

 割れた小瓶から薄紫の煙が噴出し、祐人とアレッサンドロの間に立ち込める。


「!」


 咄嗟に危険を感じた祐人は自身の鼻をギプスをつけた左腕で覆い、倚白を薙いでその煙から身を守る。だが、そうすることで煙は拡散し、森の中に広がってしまう。

 すると……煙に触れた草木たちがザワザワと蠢きだし、まるで自由意志を持った軟体動物のように暴れだした。


「これは!」


 木の枝は弦のように、草は蛇のように祐人に巻き付こうと辺りの沢山の草木が狂ったように祐人に襲い掛かる。

 この時、既に祐人から背を向けて走り出しているアレッサンドロとロレンツァ。


「あ、あなた、どこへ?」


「チッ、貴重な秘薬を……奥の手を一つ使ってしまった。……池の北に行くぞ!」


「! それでは……」


「ああ、池の北の祭壇でアズィ・ダハーク様をお招きする! 僅か数分だろうが……それでこの一帯は焦土となろう! それあの危険な小僧ごとすべてを薙ぎ払う!」


 アレッサンドロが放った秘薬は、その生き物が持つ生命力を極限にまで高めるために調合した秘薬中の秘薬。エリクサーをその手で開発していた途上でできたものだった。

 だが、アレッサンドロはエリクサーの完成をみず、その代わりにその秘薬に瘴気を調合することに成功した。

 秘薬に触れた生き物はその種族を超える能力を手に入れる代わりに正気を失い、生そのものを憎む魔物と化す。

 本来、アレッサンドロはこれを敵対する超上級能力者対策にとっておいたものだ。

 このような植物に使うのではなく、元から高い戦闘力を持つ闇夜之豹たちなどに使うのが良いと。

 しかし、今は自分たちがその超上級の戦闘力を持つ敵に眼前に迫られ、周りには駒がいない。そのため、仕方なくこの場での使用となったのだ。


「得体のしれぬ生意気な小僧め! 堂杜と言ったか……貴様を殺した後に徹底的に調べ上げてくれるわ!」


 そう言いながらも必死に移動するアレッサンドロたちの後方で、轟音が鳴り響いた。

 全身に巻き付く魔物と化した草木を引き裂いた祐人は鋭い眼光をアレッサンドロたちの向かう方向に向ける。


「逃がすと……思うな」




 瑞穂とマリオンは倒壊寸前の水滸の暗城で辺りを警戒していた。


「それで祐人は一人で先に行ったの?」


「はい……さすがに私を狙った張本人たちの前に私を連れて行くのは迂闊すぎるし、どのような手を打ってくるか分からないし、と。慎重に確実に伯爵という人物を捕らえたいと言っていました」


「ふむ……まあ、そうかもしれないわね。そこは祐人の判断を信じるしかないわ。あの認識票といい、謎が多い連中のようだしね。肉弾戦になれば、祐人に勝てる相手なんて中々いないし。私もこの手で叩きのめしたいところだけど……」


「私も同じ気持ちです……ですが祐人さんは私たちの分まで怒っていました。それと志平さんたちの分も……。だから、私も任せようと思ったんです」


「そう……ね。あいつは……いつもそうね」


「本当に」


 二人は心配もあったが、互いに目を合わせると嘆息するように微笑した。




 アレッサンドロは必死に走り続けている。

 今、向かっている目標の祭壇はすぐそこまで来ていた。


「もうすぐだ! ロレンツァ」


「はい……う!」


「どうした!?」


「あの小僧が、こちらに向かって!」


「な、もう切り抜けたというのか!? なんという小僧だ!」


 鬱蒼とした木々を抜けると、大きな岩をくりぬいたような祭壇が姿を現す。ちょうど、人ひとりを横たえるぐらいの大きさの岩のテーブルには、全体を幾何学模様が彫られており、その周りにはその祭壇を取り囲むように高さ2メートルほどの石柱が12本、立っている


「よし! ロレンツァ、すぐにゲートを開くぞ! 準備を……」


 荒い息で祭壇に手をついたアレッサンドロはマリオンの金色の髪の毛を取り出した。


「ここまでだよ……大人しく贖罪しろ」


「!」


 ハッと振り返ると、そこに殺気を放つ少年が立っている。


「あなた! 早く! ここは私が時間を!」


「頼む!」


 アレッサンドロは急ぎ祭壇の中央に供物である髪の毛を置き、魔力を練り上げて何やら呪文を唱え始めた。


(すぐだ! すぐにゲートは開く!)


 祭壇は弱い光を発し始め……それに連動するように取り囲む石柱が振動し、互いに共鳴しているようだった。


「よし! あとは……お招きするだけだ!」


 アレッサンドロは体を祐人に向ける。

 見れば祐人はロレンツァを前にして何もせずに、倚白を右手に握っていた。


「クックク、はははー! 遅かったようだな、小僧! アズィ・ダハーク様が来る! 貴様もあの小娘たちも終わりだ! 舐めてあの金髪の小娘を連れてきたのが間違いだったな! 本来ならもう少し時間をかける予定だったが、我々を追い詰めた貴様のミスだ! 貴様の張り切りすぎが結果、超魔神の降臨を早めたのだ!」


 それに対し祐人は能面のような表情を変えずに応答する。


「そうかい……では呼んでみろ。そのアズィ・ダハークを。呼べるもんならね」


 その祐人の見下しともとれる態度にアレッサンドロは怒りに体を震わせた。


「この……無知で愚かな小僧が!」


「あなた、呼びましょう。何も知らぬこの小僧に正義の鉄槌を下し、世界の変革を見ましょう!」


 ロレンツァの言葉にアレッサンドロは笑みを見せて大きく頷く。


「さあ! お越しくだされ! アズィ・ダハーク様ぁ! この小僧を瞬殺し、あなたをこの世界に繋ぎとめる小娘もここにいますぞぉ!!」


 アレッサンドロは叫び、その体から一滴残らず、すべての魔力を祭壇に注入した。

 祭壇の光量が増し、石柱がガタガタと大きく振動する。

 すると、祭壇の南側に広がる池の水面に漆黒のサークルが出現した。そのサークル内の水面は青から深紅に色を変え、その面積を高速で広がっていく。


「ハハハ……ハッハッハー! さあ! 来るぞ!」


「ああ、ようやくまた会えるのですね! アズィ・ダハーク様!」


 瞳孔が開き、涙を薄っすらと浮かべて、アレッサンドロとロレンツァは恍惚の表情を見せ、まるで自分たちの人生最高の時を迎えたような顔だった。

 祐人はこの時も相も変わらずこの状況を見つめている。

 数秒……両手を天に広げながら体を硬直したようにしているアレッサンドロとロレンツァだったが……眼前に広がる漆黒のサークルが力弱く失速するように消えていくのに気付いた。


「……!」


 アレッサンドロはもう一度、天に両手を広げ直す。

 だが、異界とのゲートであるはずの漆黒のサークルは明らかに収縮を始め、最終的には数十センチの小さな円にまでになると……その姿を消した。


「……どうした、伯爵?」


 祐人の低音で冷たい問いかけにビクッとアレッサンドロは反応する。


「あ、あなた……!?」


「馬鹿な! 何故!?」


「失敗でしたの!?」


「そんなわけはない! 私はあの御仁の言う通りにした! 何の間違いもないはずだ!」


「終わりか? じゃあ、始めようか、貴様らのこれまでしてきた悪行の贖罪を」


 祐人がついに動き出す。

 ゆっくりと……だが、確実にアレッサンドロたちに近づいてくる。


「な、な、な……何故だ!? 何故なんだぁ! あの御仁がたばかったのか!?」


(……御仁?)


 その言葉に祐人は僅かに眉を動かす。

 現状の把握もままならないアレッサンドロとロレンツァは近づいてくる仙道使いの少年を前に体を震わせ始めた。


「お前らの冥途の土産に教えてやろうか? 何故、アズィ・ダハークが姿を現さないのか」


「……! 何だと!?」


「教えてやるよ……。アズィ・ダハークが姿を現さないのは……」


 ゆっくりと歩を進めてくる祐人を前に、ゆっくりと後ろに移動するアレッサンドロとロレンツァ。


「何故なら……災厄の魔神アズィ・ダハークは、既に消滅してるんだよ」


「!」


 祐人に言われた信じられない事実に声を失ったアレッサンドロたちの背中が石柱に触れた。

 一瞬、祐人の目が遠くを見つめるようになる。


「僕が倒しているからね。魔界と言われる名の地で……」


 アズィ・ダハーク……災厄の魔神は、魔界の中でも有数の力を誇った魔神の一角。


 そして……祐人の掛け替えのない戦友たちを、最愛の少女を手にかけた魔神……。


「な、何だと……?」


「だから現れるわけもないんだよ。お前らがアズィ・ダハークを知ったのはいつだ? 随分と昔ではないのか?」


「そそそ、そんな戯言を信じろと……」


「お前らが信じようが信じまいが、知ったことではないよ。僕もその不愉快な名をこちらで聞くことになるとは思わなかったからね」


「こちら……だと?」


「もういい、終わりだ。お前らによって命を失い、希望を奪われた人間たちの恨みをここで受けろ。僕はただの……その請負人だ」


 アレッサンドロとロレンツァが柱に背を預けながら座り込む。

 祐人が戦意を失うアレッサンドロとロレンツァの前に立った。

 アレッサンドロとロレンツァは顔を上げて、自分たちを見下ろす少年の肌の粟立つような視線を受けた。


「まだだ! ここで死んでなるものか! ロレンツァ!」



 アレッサンドロとロレンツァは慌てふためくように薄紫色の液体が入った小さな小瓶を取り出すと、覚束ない震えた手でその蓋を取る。

 それは先程、祐人に投げつけたアレッサンドロの作成した瘴気の混じった未完成のエリクサーだった。

 二人はそれを一気飲みする。


「グアァー!」


「グウー!」


 二人は悶えるように苦しみながら唸り声をあげた。

 すると徐々に体は変質していく。

 二人の筋肉が盛り上がり、その衣服が裂け、その体が魔物へと作り替えられているようだった。


「殺してやるぅ、小僧ぉぉぉ! グワバババァー!!」


「最後の最後に、最も愚かなのはあんたらだな。そもそも半妖の体で、残った人の身を捨ててまで逃げようなんてね。結局、お前らのしてきたことは自分可愛さの行動だったということだね。人を平気で踏みにじってきて!」


 祐人は倚白を構える。


「お前らは既に……僕という呪いにかかったことを忘れたか! せめて人間の体が残っている間に贖罪しろ! 地獄でお前らに弄ばれた人たちが待っているんだからな!!」


 祐人の倚白が抜かれ……、


 そして、二体の半魔物と化した肉塊がその場に残った……。



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