第107話 残したもの、残された人

 マットウ邸の中庭に設置されたミンラ防衛の作戦本部の周りには、既に戦勝ムードで賑わっていた。

襲来した妖魔はすべて駆逐し、前線では未だ臨戦態勢は崩していないが、敵の増援や再襲来の様子は今のところ確認できない。そのような状況から、前線の兵士の間にも笑顔がこぼれ始めていた。

 また、作戦本部周辺の賑わいの理由は、この戦勝ムードの他にも理由があった。それは各主要都市を預かる将帥からのマットウ将軍への帰順の連絡を皮切りに、その他の基地所属の司令官からもマットウ支持の表明が後を絶たないというものがあった。


「マットウ将軍! たった今、首都ネーピーから正式にマットウ将軍の指揮下に入ると連絡が入りました! また、ネーピー防衛を臨時に指揮した指揮官……相当、若い指揮官でしたが、マットウ将軍へネーピーへの凱旋を要請してきています!」


「ふむ……そうか」


 通信を終え、興奮気味のテインタンからの報告に、マットウは事態の急展開に思慮深く、かつ各方面からくる同じ報告に表情を引き締め、ミレマー全体の地図に目を落とした。


「テインタン、一体、何が起こっているのか……お前には分かるか?」


「いえ……正直、私にも分かりません。ただ、敵に襲撃を受けた主要都市防衛部隊の司令官から受けた報告で、一様に共通するのは、我々への援軍の感謝が添えられていることです」


「……。確かにミンラ近郊以外に配置されていた者たちには、近くの襲撃された都市への支援を指示してはいたが……全都市に、しかもこれだけ早く到着はしていまい。それにミレマーの最南端のパサウンには我が部隊も行けるわけもない」


 マットウの影響下にある地域は主にミレマーの北側である。最南端の港湾都市パサウンに行くことは軍事政権の色濃い支配地域を抜けていくことになり、情勢的にも時間的にも、そのようなところに援軍を送るのは不可能だ。


「はい……ですが、一つ言えることはピンチンを守られていましたテマレン将軍の軍事政権離反が大きかったです。テマレン将軍は兵や国民からも信望の厚い方ですから。しかも、そのテマレン将軍がマットウ将軍の支持を全地域に表明しています」


「これは夢か……またはカリグダの罠とも……」


「はい……その可能性は否定しませんが、今現在のことを考えますと、その可能性は非常に低いと考えます」


 テインタンは声を改めた。

 マットウは何故、自分の腹心がそのように言えるのか、とテインタンに顔を向ける。


「マットウ将軍、たった今、信じられない報告が同じ内容で、多方面から、そして複数、寄せられています」


「それは?」


「首都ネーピーの郊外でカリグダ元帥、及び大将級の重鎮たちの死亡が確認された、というものです」


「な! それは本当か!?」


「今、確認中ですが、恐らく真実と考えて良いと思います。後ほど写真、映像も届く手筈になっています。また、この情報の報告者の中にはカリグダが創設した近衛兵の隊長の名がありました。その者の報告は詳細にカリグダ元帥の最後を通信電文で送って来ています。どうやら、近衛兵はネーピーから逃亡を図るカリグダに付き従ったようです」


 テインタンのまさに信じられない報告にマットウは驚きを隠さなかった。


「何という……しかも近衛兵はカリグダに忠誠心厚いエリートたちではないか。そのような者たちが、何故、私に? 保身のための鞍替えか? いや、そこまで我々が優勢であったわけではない。このような偶然、いや、これだけ私に都合の良い状況は……?」


「いえ! 偶然ではありません、将軍!」


 テインタンが語気を強めたことに、マットウはテインタンの目を見つめてしまう。

 ハッとしたようにテインタンは身を正した。


「……申し訳ありません、将軍。確かに、我々のあずかり知らぬところで、大きな力を貸してくれた者もいると考えます。これは現在、確認を急いでいます。……ですが、それだけでは……決して偶然でも、幸運でもないのです」


 テインタンは神妙な顔になり、そして、目を瞑った。


「その近衛兵の隊長の通信電文の最後に……ある一文が書いてありました」


 そのテインタンの態度の変化にマットウは眉を寄せる。


「……何と書いてあった?」


「グアラン・セス・イェン麾下、近衛部隊隊長……と」


「な!」


 マットウは目を大きく広げた。

 テインタンとマットウの間にしばしの静寂……言葉にならない時間が流れる。

 そして……たった一言だけ、マットウの口からこぼれた。


「…………グアラン」


 それ以上、マットウは言葉を発しなかった。

 マットウの前に……亡き親友の姿が浮ぶ。

 グアランはニイナの丘にいた。

 そのグアランが……マットウの肩を掴む。


“俺は! この政権の内から蝕む大病になる!”


 そして……グアランはその言葉通り、暗躍していたのだ。

 たった一人……魑魅魍魎の住む軍事政権で、まさに内から蝕む大病とならんと。

 グアランがカリグダの最後の盾になるはずの近衛兵に手を入れ、いかに懐柔したのかは分からない。だが、それを成すにはどれだけの慎重さと巧妙さ、そして、どれだけの胆力と精神力が必要であったろうか……。

 グアランは全身全霊をかけて、戦っていたのだ。

 そのすべては……このミレマーの未来のために……。

 マットウは胸のポケットからサングラスを取り出し、それをかけるとテインタンに言った。


「テインタン、このミンラを収拾後、私は首都ネーピーに向かう。その際にはテマレン将軍に御同行をお願いしろ。その上で私は……新政権の樹立を宣言する!」


「ハッ! 了解いたしました! 直ちに連絡します」


 テインタンは敬礼すると、マットウの部屋から退出しようと体を翻す。

 この時、テインタンはマットウのサングラスの端から流れていた涙を見逃してはいなかった。だが、テインタンは上官の涙を見て見ない振りをするためばかりに、体を翻したのではない。

 司令官室を退出したテインタンは……まず自分自身の目を拭ったのだった。

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