第106話 偽善と酔狂の劣等能力者⑪ 決着

 マットウ邸の非常に広い中庭には兵士や避難してきた不安そうにしている一般市民たちで溢れかえっていた。その中でニイナは献身的に働き、マットウの娘としてそれぞれを慰安して回りながら、不安を取り除くように皆を励ましている。


(皆、戦っているの……私も私のできることで戦うわ)


 ニイナはそこで親とはぐれてしまったらしい女の子を見つけて、すぐに駆け寄り体を屈めると泣きじゃくる女の子に声をかけた。涙で顔を濡らす女の子に優しい表情で応対し、その手を握り立ち上がった。


「さあ、大丈夫よ? 私とお母さんを探しましょう。今にね、すごい強いお兄さんとお姉さんたちがこの街に近づいて来た悪い奴らを全部倒してくれるからね。そうしたら、すぐにお母さんとお家に帰れるわ」


「……本当?」


 女の子はニイナの顔を見上げる。


「本当よ。だから、行きましょうね。お母さんを探しに」


「うん!」


 ニイナは今、必死にこの女の子を探しているだろう母親を目で探しながら、周りの喧騒にも負けない大きな声を上げて女の子の手を引いた。

 そして、前方の奥に必死に辺りを見回し、大きな声で自分の娘と思われる名前を叫んでいる女性がニイナの目に入る。


「あれは、お母さんかしら?」


「あ! お母さんだ!」


 女の子がニイナの手を離すとその女性に向かい走り出した。

 ニイナはその姿をホッとしたような顔で、笑みを見せる。

 ……その時

 ニイナは得も言われぬ違和感を覚え、右腕で自身の胸の辺りを握りしめた。


(何? この感覚は……何かが失われていくような……)


 何とも言えない感覚にニイナは戸惑う。

 それは自分の中から掛け替えのないものが吸われていくような感覚だった。

 一瞬だけ、あの頼りない笑顔をする少年の顔が脳裏に浮かぶ。

 自分たちのために、自分には何の得にもならい戦いに身を投じた少年。

 あの少年が自分の心に寄り添ってくれたおかげで、今、こうしていられるきっかけをくれたのだ。

 だが、その少年の姿が段々と消えていき、ニイナの心が悲鳴を上げるも、その姿はやはりニイナの意識からその存在を薄めていく。

 ハッとしたようにニイナ顔を上げて、辺りを見回した。

 この感覚は受け入れがたいものだ。絶対に流されるわけにはいかない、とニイナは何故か思う。


「祐人!」


 ニイナは無意識に北の空の方向に声を上げた。


「お姉ちゃん、どうしたの?」


「え?」


 そこに先ほどの女の子が、母親を連れて何か様子のおかしいニイナを心配そうに見上げていた。


「ニイナ様、ありがとうございます! 娘から聞きました。何とお礼を言っていいのか!」


 必死に頭を下げる女性に、ニイナは柔和な表情を作り応対する。今は混乱するミンラ市民に少しでも不安にさせるようなことをしてはならないのだ。


「いえ、気になさらないで下さい。フフフ、良かったわね、もうお母さんから離れちゃダメよ? それにもうすぐ家に帰れるんだから」


「うん! すごい強いお兄さんとお姉さんたちがいるんだもんね!」


「……お兄さん?」


 ニイナは怪訝な表情を一瞬見せるが、すぐに笑顔で女の子に返す。


「そうね! すごい強いお姉さんたちがいるから大丈夫よ! さあ、あちらの避難スペースの方へ行きましょう。何か足りないものはありますか?」


「あ、はい、ありがとうございます。その……少々、赤ん坊へのミルクが足りないといわれている方々がいました」


「分かりました。すぐに用意いたしますね」


 そう言うと、ニイナはすぐにその場から離れた。

 だが何故か、ニイナの理由の分からないものが心に引っかかっている。

 それはあの女の子の何気ない言葉。


(……すごい強いお兄さん?)


 ニイナは振り払うように顔を振り、子供の言うことに、ここまで気にすることでもないと、自身の戦いに身を投じていくのだった。




 グルワ山中腹にある洞窟の最奥の広大な空間に今、強大な魔獣が姿を現そうとしていた。

 その魔獣は既に暗闇の中から上半身を露わにし、窮屈そうではあるが徐々に、そして確実にその全身をこの現世に顕現しようとしている。

 その正面に立つ祐人とガルムの視線が交差すると、ガルムはその巨大な顎を広げ、それだけで肉体を塵に変えるほどの咆哮を上げようとしていた。

 だが、祐人はガルムの咆哮を睨み、動じることもない。

 祐人の心の内に魔界で散っていった戦友たちと最愛の少女が姿を見せていた。

 その祐人の頭の中に先ほどのロキアルムの言葉が木霊する。


“糧になるためにその命を捧げろ……その命で役に立て……”


 すると……その苦楽を共にした戦友たち、そして、その藍色の髪をした少女、リーゼロッテの体が砂の人形のように崩れていく。

 今……祐人の中に住む闇が祐人の心を黒く染めあげていき、祐人を漆黒の闇の最奥へ誘っていった。

 祐人の表情が完全に消え失せ、祐人を覆う圧倒的な殺意がその暗く鋭い眼光に乗せられ、ガルムに向けられた。

 祐人の右足が一歩前に出る。


“祐人……”


 祐人は目を見開いた。

 突然、祐人の耳に幻聴か空耳か……とても懐かしい、それでいて心安らぐ少女の声が聞こえてきたのだ。


“私たちはいつまでも祐人を見守っているから……”


 祐人の心に覆う闇の底から、小さな光が照らし出される。

 その聞き間違えることがあり得ない、リーゼロッテの声。

 祐人は表情を取り戻し、視野が広がっていく。

 祐人の胸の内に、今、大事にしている掛け替えのない友人たちの顔が浮かんだ。

 それは……日常の友人である茉莉、一悟、静香。

 そして、今や同期であり戦友ともいえる瑞穂、マリオン。

 皆、一様に自分のことを知ってくれている友人たち、自分を思い出してくれた友人たちだ。

 祐人は心の内から……これら友人たちとの繋がりを諦めるのではなく、むしろ勇気が湧いて来る。


(そうだ……これは僕の復讐ではない。僕が……今現在の僕が! こうしたいと強く思ったことをしているんだ。リーゼ! 僕はこいつらが許せないんだ。自分たちの目的のためと、平気で他人の想いを踏みにじり、人の命を、その魂をゴミのように見下すこいつらが! だから僕は……!)


 祐人の心に、このミレマーに悲壮の覚悟で人生を捧げたマットウ、その中で散っていったグアランの顔が浮かぶ。

 そして……ニイナの泣きじゃくる顔が祐人の心に映し出された。

 祐人は生気のある顔でガルムをギンッと睨む。

 祐人は両手を広げた。すると……祐人の両腕、両脚に小さな魔法陣が出現し、それがガラスが弾けるように割れる。

 途端に……祐人の右半身に強力な魔力を含んだ黒い影が浮かび上がり、祐人自身の浸食を始めた。そして、その影はザワザワと祐人に纏わりつくように蠢き、その右目の眼球にまで至っている。


「……!」


 ガルムは祐人の変化に気付くと溜めに溜めた魔力を凝縮させ、この地下空間を破壊するほどの咆哮を上げた。

 祐人の両手には漆黒の長刀倚黒と白金の鍔刀倚白が握られ、祐人の中心軸から凄まじい仙氣が吹き上がる。




 ロキアルムは隠し部屋の中で静かに、回復を行っていた。


(我の回復は最小限に……今はガルムの掌握が先か)


 ガルム召喚に思った以上の力を使った。

 この魔力場でなければ、やはり召喚することは不可能であっただろうとロキアルムは悟る。


(だが、我は成したのだ! ガルムがいれば……この不愉快な世界は、もう我々を無視することは出来ん!)


 ロキアルムが、そう考えたところで、ガルムの2度目の咆哮が繰り出され、隠し部屋の壁が僅かに崩れる。


「ククク、あの小僧、完全体のガルムを相手によくも保っているな……。だが、無駄なあがき……ム!? 何だ! この力は!? これは……」


 そう呟くロキアルムの正面の隠し部屋の出入り口である岩戸が轟音を上げて砕け散った。


「な!」


 ロキアルムは事態が読めず、呆然と、その砕けた岩戸から徐々に姿を現した人影に目が吸い寄せられる。


「貴様は!? 何だ!? 何なのだ!? どういうことだ!」


 破壊された出入り口の岩戸の破片と埃が消えていき、そこに二刀を携えた少年を視認する。


(何だ? 何だ? 何だ? 何だ! 何が! これは幻か! 敵の精神攻撃とでも言うか!)


「おい、何を言ってるんだ、お前は。もう忘れたのか? お前を偽善と酔狂で倒しに来たランクDだよ」


 ロキアルムは祐人の言っていることが理解できない。

 そう、理解できないのだ。

 何故なら、道士とはいえこの未熟で生意気な小僧に完全体の超魔獣ガルムをあてたのだ。

 こんな状況があるわけが、起きるわけのないことだ。

 祐人の背後に、祐人が破壊したためにできた、この隠し部屋の大穴がある。

 その大穴の向こうに、ロキアルムは信じられない光景を見た。

 そこに十数メートルの巨躯の魔獣が鼻から尻尾にかけて上下左右に4等分に切り裂かれ、塵となっていく姿。

 この時、ようやくロキアルムは、目の前に立つ少年の体から吹き上がる力を感じ取った。


「な! こ、これは! 霊力と魔力! 何故、道士である貴様から!? いや、何故、霊力と魔力が同時に!? しかも、この強大な力は!」


「お前には関係ないよ。今度こそ終わりだ……もう手順もなにもないんだろう?」


 祐人はゆっくりとロキアルムに近づいていく。

 ロキアルムは混乱の極致で、考えが纏まらない。


「ままま待て! 待ってくれ! 我はここで終わるわけにはいかんのだ! そうだ! 貴様も仲間にならんか!? そうすれば、お前もそれほどの力があってランクDなど!」


 ロキアルムの提案に祐人は歯を食いしばり気迫を放つ。


「この下衆召喚士が! よく聞け、この下衆……命乞いをするなら、何故それを相手にも感じてやらない!? お前の目的、想いが何故、何よりも優先されると言い切れる! お前だけじゃないんだ! この不自由な世界で、みんな必死に生きているんだ! お前のしてきたことは、お前だけの命で! 今までお前が踏みにじってきた人たちの命と人生を贖えるものか!」


 祐人が言い放つと、ロキアルムの下半身から生える触手のような血の蛇と両腕が吹き飛んだ。

 悲鳴をあげる暇もなく、再び上半身のみになり、地面に落とされたロキアルムは涙を浮かべて、自分を見下ろす祐人を見つめた。

 今のロキアルムにこの理解しがたい現状を把握するほどの冷静さはない。ここにきてロキアルムは、そこまで来ている自身の死を感じとり、耐えがたい恐怖がロキアルムの全身を包んでいく。

 その時、ロキアルムは祐人から吹き出ている力の流れが見えた。


(こ、これは……何という……)


「ま、待て! 貴様はその力を使うのに己の存在を使っているのか! 馬鹿な! それでは誰もお前のことなど覚えてはいられんぞ! お前はそれでいいのか!? 何のために我と戦ったのだ!」


 祐人は下らないものを見るようにロキアルムに目を移す。


「それほどのものをかけて戦っても何も得られんぞ! 称賛も! 名誉も! 感謝も! 貴様はそれでいいのか!?」


「馬鹿なのか? お前は……」


「は?」


 ロキアルムには祐人のその言葉の返答の真意が分からない。


「それを得て、何になるんだ?」


 祐人は情の欠片も感じられない目をロキアルムに向けた。


「いいか? よく聞け、もう一度言うぞ。僕がここに来たのは僕自身の偽善と酔狂を貫きに来たんだ。たった、一人の少女の涙を見て、ね」


「は? な……」


「その少女の想いはお前と違い、自分だけではないミレマーに住む全員の未来を見据えていたんだ。そして、お前は、その未来を何の理由も、何の脈絡もなく! 自分アピールのショーで潰そうとしたんだ! そんなお前に、僕がここに来た理由など分からないだろう。僕はそれらミレマーの価値ある未来を追いかけた人たちの想いを受け取ったんだ!」


 ロキアルムには、もう、この状況を覆す術も力も残っていなかった。

 この少年が一刀を加えるだけで、自分は死ぬ。


「感謝なんていらない……いるわけがない。僕の行動は僕のものだ。それに、たとえあの気分の良い人たちに忘れられても……また、思い出してもらえるようにするだけだ。その勇気も僕は既にもらっているんだ」

 

(死ぬ……我が死ぬ? 嫌だ! 怖い! 我の未来が! 我の輝かしい道が絶たれる!)


 祐人の冷たい視線にロキアルムは震えだすと、祐人が両手に握る剣を手のひらの上に立てた。

 すると、その二つの刀は祐人の手のひらに沈んでいき、その姿を消した。

 ロキアルムには祐人の行動の意味が分からない。何故、剣を納めるのか。

 だが、ロキアルムはこの小僧はひょっとして……と考える。


(こいつは……人を殺したことがない……? であれば……)


 ロキアルムは表情は変えず、だが、心の内に光明を見つけた気分になった。一度も人に手をかけたことのない、この甘い小僧は自分を捕らえることを考えているのかもしれない。

 だが……ロキアルムは祐人の凍るような視線を受けて背筋が冷えた。体が無意識に震えだす。


「手順を間違えたのは、あったかもしれないけど、僕は別に後悔はしてないよ」


「ヒ!」


「お前のとどめをさす方法だけは決めていたんだ……僕はそれに拘っただけ」


 祐人はシャツのボタンを外し、その懐に右手を入れる。

 そして、その懐から一丁の拳銃を取り出した。

 その拳銃はニイナがロキアルムに復讐するために用意したものである。祐人はニイナの部屋から、その拳銃をこの場まで持って来ていたのだ。

 実父を失い、自分の無力さに悔し涙を流した時に、その少女が恐らく人生で初めて握ったであろう、その武器を祐人は握りしめ、セイフティーロックを外した……。


「な、ひっ!」


 祐人がその銃口をロキアルムの額に向ける。

 ロキアルムの情けない悲鳴が上がった。

 ロキアルムは理解しているのだ。

 もう限界ギリギリまで力を使った今の自分がこの銃弾を受ければどうなるか……。




 直後、グルワ山の中腹にある洞窟の最奥から、数発の銃弾の発射音が鳴り響いた。





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