第86話 スルトの剣②

 支部長室に日紗枝は入り、志摩が準備した通信モニターを見て頷く。

 日紗枝は機関のホットラインを繋げた画面の前に座り、その右後ろに志摩が控える。すると、数秒立たずに画面が切り替わった。

 画面にはローマ本部の長、つまり世界能力者機関の長であり自身も機関の最高ランクであるSSランクの【サルヴァトーレ】ジョルジョ・ボルトロッティーが現れた。


「久しいね、日紗枝。今回は災難だった」


 ジョルジョは少しくすんだ金髪の前髪を軽く払い、いかにも人の良い笑顔を見せた。日紗枝は、軽く会釈をして社交性の高い笑みを見せる。

 日紗枝は礼儀正しく応じる。


「いえ、ジョルジョ様、お忙しいところお時間を頂きまして申し訳ありません」


「もう、ジョルジョでいいよ? 日紗枝と僕の仲じゃない?」


 ニコッとジョルジョは白い歯を見せ、自分の好きな角度なのか少し左斜めに顔を向けて髪をかき上げる。

 日紗枝はジョルジョの自信の満ち溢れた顔に無表情に口だけ動かした。


「あ、はい、ただの上司と部下の間柄ですので、ジョルジョ様でいいです」


「はっはっはー、もうほんとに日紗枝は照れ屋……」


 そのさわやかに笑う機関の長のジョルジョの椅子が画面から横にスライドして消える。すると、ジョルジョの代わりに初老の男性が出てきた。その生真面目そうな容貌と白髪を短髪にカットした姿は、まるで頭の固い退役軍人といった雰囲気を感じさせる。


「ジョルジョ様、もういいです」


「あ、バルトロさん! お久しぶりです」


 日紗枝は懐かしいというように、笑顔を見せた。

 画面の見えないところから「日紗枝、僕と扱いがちがうじゃなーい」と聞こえてきたような気がするが、日紗枝は聞こえないことにした。


「うむ、日紗枝も元気そうでなによりだ。それで早速だが今回の件のことだ」


「はい」


 日紗枝も顔を引き締めて、目じりの皺の彫の深いバルトロの目を見た。


「日紗枝のことだ、もう感じていることかもしれないが、今回の日本支部の新人の情報は信憑性が高いと我々も考えている。恐らく、その依頼主を襲ってきている能力者はスルトの剣で間違いないだろう」


「やはり……」


「こちらでも数年かけてこのスルトの剣の能力者たちの行方は追っていたのだ。機関本部の直属の能力者たちでな。だが、こちらの力不足で申し訳ないが、毎回、ここぞというところで逃してきた」


「今回もバルトロさんたちが動けば、逃げるのではないんですか?」


「いや、今回はそうとも限らん」


「……と言うのは?」


「あいつらの目的だ。どうやら、今回はこいつらの目的が成就する可能性があるのかもしれん」


「目的……それは把握してるんですか?」


「把握も何もない。スルトの剣なら自然に目的は絞られる。恐らく、世界能力者機関の破壊、もしくはその存在理由の失墜、そして、その上で自らの存在を世界に公表でもしたいのだろう」


「それは……」


「そうだ、我々の考える最悪のパターンの公表だよ。これでは表世界と事を構えることになりかねんし、能力者を自国の戦力と考えて抱え込みに走る国家が増えるだろう。現在でも機関に所属しない国家お抱えの能力者たちもいるのだ。今は、機関に配慮して、大々的にそういった動きはないが、機関の力が弱まったと思えばどうなるか分からん」


 日紗枝の後ろに控えている志摩はバルトロの話にハッと顔を引き締める。日紗枝はバルトロの言うことで、今回の機関の最高戦力であるSSランクへの素早い出陣要請に理解を示した。


「それで王俊豪様ですか……」


「そうだ。ここで表世界に機関の弱みを見せるわけにはいかん。あの男なら申し分ない。王(ワン)家は代々、強力な能力がありギルド発足時からの機関の功労者とも言える家柄でもある。スルトの剣は生半可な敵ではないのと同時に、その目的が我々、機関にとって最悪のものだ。そうであるなら王家の連中も渋りはすまい。この機関発足に大きく関わったのだからな」


「ですが……あの方は」


「ああ、案の定、吹っかけてきたよ。だが、あの男にしては随分と報酬額をまけてきた。さすがに相手がスルトの剣と聞いて、渋っている場合ではないと思ったんだろう。だが、それでも、ちと高額でな、悪いが各支部にも援助金を拠出してもらう。もちろん当事者の日本には相当額を負担してほしい」


「な! バルトロさん! それなら我々が毅成(たけなり)様に出陣をお願いします! 実力的にも人格的にも問題は……」


「日紗枝、こちらでも各支部の能力者の稼働状況は確認している。毅成(きせい)が、今、受けている依頼はあと最短で一日はかかろう? 他の支部でもそうだ。Sランク以上がほとんど出払っている。それでだ……これを聞いて日紗枝はおかしいとは思わんか?」


 日紗枝はバルトロの問いかけに目を細める。


「まさか……これは偶然ではないと。……いくらなんでもそこまでの組織力がスルトの剣に」


「いや、そこまでは分からん。だが、随分とスルトの剣に都合が良い状況だ。しかも、ミレマーと地理的に近い、日本、中国、インドはほぼフル稼働……そう考えると、ありえなくもないということだ」


「そ、それにしても、いくらスルトの剣でも、最盛期なら分かりますが……まさか! バルトロさんは、今回のスルトの剣の動きに呼応している組織があるとお考えなのですか?」


 バルトロは日紗枝の質問に答えず、苦笑いだけ見せた。


「だが、あちらの連中にも誤算がある。最もミレマーに近い支部である中国支部の最高戦力が空いていたのだからな。まあ、あの男のがめつさが、今回、この状況打開の切り札、かつ、最も信頼のおける人材になったというわけだ。あの男の望む報酬額のせいで中国支部も王俊豪はほとんどいない人材として扱われていたのが、今回は良かった」


 日紗枝はため息を吐き、若干俯くが、すぐに顔を上げた。大事なことを聞かなければならない


「それで……日本の請負分は?」


「ああ、それはこれぐらいかな? まあ、全体の四割ほどだな」


 日紗枝にそう言われ、バルトロは画面に向かい何本かの指を立ててみせる。

 それを見て日紗枝は目を向いて大声を上げる。


「はあーーん!? バルトロさん! それはいくら何でも!」


「え? え? 大峰様? あれは、どれほどの?」


 志摩がいまいち理解が及ばず、驚愕している日紗枝に問いかける。


「志摩ちゃん……今、志摩ちゃんが考えている金額を十倍にして、それと通貨はUSドルでね。……あいつの報酬はいつもUSドルなのよ!」


「ええーーーー!!」


 先ほどまで、王俊豪に様、をつけていた日紗枝は、無意識にあいつ呼ばわりになってしまう。


「本部も当然、それ相応に負担するが、日本は当事者だろう?」


「それにしたって! バルトロさん! それだと今年の日本支部の予算が!」


「大事な日本支部の新人が3人も危ないのだぞ? 将来の稼ぎ頭たちを救出すると考えれば良かろう、あ、ランクDの少年はそう稼ぎ頭でもないか。だが将来性がなくもないだろう?」


「…………分かりました。こちらも、新人たちをどうしても守りたいですから」


「まあ、日紗枝の気持ちもわかる。我々も一応は王俊豪の条件をそのまま受け入れたわけではない。我々にとっても大きな出費になるのだからな」


「……というと?」


「今回は、王俊豪に完全出来高制の報酬だという条件を飲ませた。つまり、さっき言った日本の報酬の負担額は最高額の場合、というものだ。これであの男も必死に働くだろう」


 日紗枝はバルトロに驚いた顔を向けた。能力者との契約の主流は事前報酬と成功報酬に分けることが多いのだ。まれに完全出来高制の依頼もなくはないが、ランクSSにそれを承諾させるのは聞いたこともない。ましてや相手があの【守銭奴】王俊豪ならなおさらだった。


「よく、その条件を飲ませましたね……バルトロさん。一体、何をしたんですか?」


「随分な言いようだな、日紗枝は。私は彼と紳士的に話し合っただけだよ。まあ、私は少々、あの男の母親とも知己の仲でね。彼との交渉の前にその母親に、この過去の遺物であるスルトの剣が暴れれば暴れるほど、機関発足の最高かつ最大の功労者である王家の功績や名誉に傷がつく可能性がなきにしもあらず、なんてことにならなければ良いですな、と雑談をしてから交渉に及んだくらいだが?」


「…………」


「また王俊豪も中々、プライドの高い男でな。先ほど言った報酬の最高額を前払いでよこせと言ってきた。相当、息まいた様子だったのでな、私はそれを、やる気、と受け取って承諾したよ。というわけで、その報酬が振り込まれたのを確認してから働くとのことだ。そういうことだから、先ほどの負担額の振り込みは早急に頼むぞ、日紗枝」


 日紗枝はバルトロの話を聞きながら、軽く頭が痛くなってきた。


「分かりました。すぐに振り込みます……」


「うむ、頼んだ。そんな顔をするな、日紗枝。我々もすでにミレマーへ出立の準備を終えて、この後すぐに向かう」


「は? 王俊豪様に頼んだのではないのですか?」


「うん? 頼んだが、我々が動かない理由にはならんだろう? 我々だってずっとこのスルトの剣を追ってきたのだ。それに……我々がスルトの剣を捉え、討ち果たせれば、王俊豪に比べて随分と格安に依頼が達成されるだろう? あ、それとそちらが送ったランクAの二人が活躍してもいいのだぞ? 無理は勧めんがな。あと、ランクDにはすぐに退散させた方がいい」


 ここで、バルトロはニヤッと笑う。

 日紗枝は反目になってバルトロの嫌な笑みを見つめた。


「それで、完全出来高制ですか……」


「日紗枝! 私も新人たちが心配で、行こうと思ってるんだ!」


 画面横から再び、椅子を滑らせて世界能力者機関の長、ランクSSであるジョルジョ・ボルトロッティーが現れる。


「ジョルジョ様、自ら!? でも、ジョルジョ様はお忙しい身でしょう?」


 さすがに、機関の長のこの申し出に驚いた日紗枝は大きな声を出してしまう。志摩も驚き口を大きく開けてしまう。

 ジョルジョはまた得意の左斜めに顔を向けて白い歯をさわやかに見せる。


「ああ、日紗枝が困ってるのを放ってはおけないと、このジョルジョ・ボルトロッティーは考えているんだ」


 バルトロは上司のジョルジョに構わずに、話を続ける。


「では、日紗枝頼む。こちらもすぐにミレマーに向かう。……ジョルジョ様は書類整理が残っていますので、そちらをお願いします」


「な! 待ってくれ! 私も日紗枝の役に立とうと……」


「あなたが出るのは、機関の最終的な危機のみです。それにあなたを動かすのもタダではないのです」


「え? じゃあ、十分の一の報酬でいい!」


「書類がたまっております。今日はデスクで食事をお願いします」


「バルトロ! 百分の一!」


「……考えておきましょう」


 プチッとそこで通信が切れた。


「…………」


 日紗枝は暗くなった画面を眺めて、ハッとする。


「志摩ちゃん、申し訳ないけど、すぐに入金の準備をお願い、支部のプール金を出し切っていいわ。それと場合によっては私も出る!」


「分かりました! すぐに致します。ですが……お気持ちは分かりますが、大峰様が日本から離れるのは得策ではありません」


「し、しかし、新人たちが……」


「バルトロ様の話では、この現在の依頼過多の状況は敵の謀略の可能性も否定できないというものです。それで今、大峰様が日本を不在にすることはいけません。ここはバルトロ様達にまかせましょう……私も悔しいですが」


 日紗枝は志摩の真剣な表情を見て、軽く目を瞑った。


「分かったわ……。では私たちは出来ることをしましょう。取りあえず、毅成様には今のこの状況を伝えましょう」


「承知いたしました、大峰様」


 志摩は自分の悔し気な表情を隠すように深く頭を下げて、足早に部屋を出て行った。

 それを見送る日紗枝も硬く拳を握りしめる。


「私も何とも不便な役職に就いたもんだわ……」


 日紗枝はそう言うと、絨毯が敷きつめられた支部長室の床に目を落とした。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る