第74話 敵襲⑦
無線機が無くなった!?
グエンの悲鳴にも近い訴えに、瑞穂も辺りを見渡すが祐人とホットラインを結んでいる無線機はない。
「申し訳ありません! 確かにここに下ろしたはずなんですが……この戦闘の最中に誰かが持っていくことは考えづらいんですが……一体誰が!」
自分のミスだとグエンは顔に悔しさを滲ます。無線機のパックが無くなったことに瑞穂は驚愕するが、今は戦闘中だ。瑞穂は冷静にグエンに指示をだす。
「グエンさん、他の無線機はない? 調達できる?」
「は、はい! 今、前線のは出払ってますが予備のものがどこかにあるはずです。恐らく、最後部にいる部隊の機材の輸送車にあると思います」
「……」
瑞穂は時計を見る。今、瑞穂たちは南北に伸びたマットウ護衛部隊の前衛である北側にいる。それで最後方に取りに行って帰って来る時間を考えると、かなりのタイムロスは免れない。瑞穂は拳を握り、その顔に焦りの表情を見せた。
いつもの瑞穂であれば、ここで焦り、短絡的な力任せの行動にでるところであった。だが、今の瑞穂は自らを立て直す。想定外の出来事を前にしても自身の視野を広くし、次の一手を考えようと頭を回した。
(いや、焦ってはだめ! マリオンはこの作戦のために自分で判断して、迎撃に向かったわ。祐人ならどうする? あいつなら……。それで私は? 私の役目は……)
「グエンさん」
「はい!」
「テインタンさんに言って、マットウ将軍の近くに兵力を集中させるように言って。敵はマリオンが迎撃をしに行った奴以外はほとんど倒したはずだから、新たに敵が召喚しない限り部隊で十分守れるはずよ」
「は、はい!」
「それと、信号弾はある?」
「あ、それなら、あちらのトラックに積んであるはずです!」
「それをあるだけ持って来て」
「分かりました!」
グエンはすぐにトラックに行き、信号弾を三丁抱え、瑞穂のところに持ってくると、瑞穂の後ろ姿を見て驚いてしまう。それは瑞穂の体の周りがぼやけたように光を発していたのだ。そして、その艶やかな黒髪が風もないのにフワッと浮いているようにゆっくりと靡いている。それが幾千の精霊たちが瑞穂の周りに集められ、瑞穂に掌握されつつあることなどグエンに分かるよしもなかった。
瑞穂は祐人が来るであろう部隊北側の山林の方を向き、信号弾を持ってきたグエンに振り返りもせずに話しかけてくる。
「グエンさん、持ってきた?」
「はい!」
「じゃあ、私の正面上空に向かって立て続けに撃って。祐人なら、きっとこれに気付いて私のいるこの場所に最短で来るはずよ」
「わ、分かりました! シテンジさん、耳を塞いで下さい! でもそれでシテンジさんは?」
「私に構わないで撃ちなさい! 私は祐人がいつ来てもいいように、敵能力者への攻撃準備を始める!」
瑞穂の気迫の籠ったセリフを聞いて、グエンは圧倒されるように頷く。そして、信号弾を正面上空に構え、自身の耳を守るようにするとトリガーに力を籠める。
その時、凄まじい衝撃音が戦場全体に駆け巡った。もちろん、グエンの信号弾ではない。その衝撃音はマリオンの向かった部隊東側の方向から来たものだった。
グエンは思わず東側の方へ意識が行く。
「あああ、あれは! シ、シテンジさん! あの方向はシュリアンさんが向かった方向です!」
瑞穂は狼狽えるグエンに怒鳴る。
「マリオンは大丈夫! グエンさんは早く信号弾を!」
「は、はい!」
瑞穂に強く言われるとグエンは正気になり、すぐに信号弾3発を立て続けに瑞穂の正面上空に向かい撃った。グエンは撃ち終り瑞穂に顔を向けると、瑞穂は頷く。瑞穂は狼狽えたグエンを叱咤することで、奮い立たせた。今はこれが有効だと思ったのだ。
「ありがとうございます。じゃあ、グエンさんはすぐにテインタンさんにマットウ将軍のところに兵力を集中させることを伝えて!」
「分かりました! シテンジさん……お気をつけて!」
グエンは瑞穂の指示に従い、テインタンのいる部隊に向かい走りだした。
そして、残った瑞穂はまた、不思議な感覚に囚われた。
(以前にこうやって新人試験の吸血鬼との戦いの最中に叱咤されたことがあったわ……。ええ、確かにあった……。それで救われたのよ……私たちは……)
マットウの部隊から数キロ離れた廃村で、ニーズベックは魔法陣の中心でニヤリと笑う。
「ククク、これで終わりだ。機関所属の軟弱な能力者たちよ……。行け! 地獄の番犬ガルム! 奴らのはらわたを喰いちぎれ! マットウ諸共な! ハーハッハッハ!」
気が触れたように笑うニーズベックの口から、蛇のように先端が二つに割れた舌が伸び、プスプスと血を滲ますニーズベックの首筋を舐めると、ニーズベックは甘美な表情で魔力を魔法陣に込めた。
ニーズベックが召喚したのは超上位の魔獣ガルムだった。体長は10数メートルに達し、狼のような巨体に目を血のように赤く光らせ瞳がない。大剣のような鋭い牙を口から数百本も生やし、その巨躯を支える4本の足には軍用のバイクほどの大きさの鉤爪が4本ずつ突き出していた。
ニーズベックはガルムを召喚するにあたり、召喚していた妖魔百十数体を敵になるべく気付かせずに半減させていた。ガルムのような超上位の魔獣を召喚するのはニーズベックですら多大な負担がかかるのだ。このガルムは召喚士本人をも食潰しかねない魔獣なのである。
だが実は、このガルムでさえ100%の状態で召喚されてはいない。本来のガルムなどはあまりに強力すぎて、この世に召喚するのには、人知を超えた力が必要になる。そもそも、人に扱えるような魔獣ではないのだ。たとえ100%の状態でなくとも。
しかし、ニーズベックはそのガルムの力の一端を大量の魔力と生贄とを引き換えに数時間だけ召喚することを可能にしている。
ニーズベックはガルムと契約の際にガルムに殺されかけている。その時にニーズベックはガルムに言われた。もし自分の力を借りたいのならば、召喚の度に貴様の矮小な魔力だけでなく生贄もさし出せと。それならば邪神に連なる血を持つお前に特別の計らいをしてやる、とニーズベックの脳に直接伝えてきた。
そして、ニーズベックは瀕死の体で這いつくばり失禁をしながら、ガルムの申し出に何度も頷いたのだった。
その生贄とは……人間の心臓。そして、その心臓は多ければ多いほど強力な力を顕現できる。
今、ニーズベックの前にはこの廃村の……いや、廃村にさせられた村の住人たちの心臓が多数転がっていた……。
勝利を確信しているニーズベックは、まず深追いしてきたマットウの兵たちにガルムを向けた。ガルムの目を通し、必死に銃を乱射するマットウの雑兵たちを確認し蹴散らす。
ガルムは人の恐怖に敏感に反応する。兵たちはガルムを視認するだけで、発狂直前の恐怖に叩き込まれて、正常な判断を失っていた。ガルムはその兵たちの恐怖を嬉しそうに喰らい、その兵の体を軍服ごと爪で切り裂いた後に踏みつぶす。
「ハッーハハ! 伝わってくるぞ! ガルムの喜びが! 空腹を満たす充足感が!」
マットウの部隊はガルムに木の葉のように蹴散らされ、もはや組織としての連携は失われていた。ある者は当てもなく逃げ、ある者は狂ったように銃火器をガルムに叩き込んでいる。
それらの兵にガルムは、その地獄の入口とも思える巨大な顎を開けて息を暴風雨を起こさんがばかりに吸い込むと、逃げていた兵たちがその意思に反してガルムの口に飲み込まれるように体を持って行かれる。
もはや、阿鼻叫喚の坩堝と化し、戦場と呼べない地獄がそこに広がっていた。
そして、ガルムは吸い込むのを止めると、何とか木にしがみついていた兵たちの体が地面に落ちる。そして、マットウの兵たちは見た。その縦に180度ほど開いたガルムの顎から、薄暗い闇の塊が広がっていくのを。
ガルムの顎からこの世との境目の闇が吐き出されようとしている。それを目の当たりにしたマットウ直属の護衛を任された精鋭部隊の屈強な兵たちは涙を流しながら、恐怖で乾いた笑いを出す。
今、兵たちは絶望というものを形にして見ていた。そして、ガルムがその絶望という名の闇の塊を吐き出そうとした時……
ガルムの眼前に眩い光が下りてくる。そして、その光は左右に広がり、ガルムの巨体の周りをカーテンのように囲んだ。
「む! 何だ!?」
ニーズベックは魔法陣の上でミズガルドとは違う、濃密でいて澄んだ霊力を感じ取った。
「構わん! やれ! ガルム!」
ガルムはその口から巨大な闇の塊を吐き出した。その闇の方向は目の前に広がる光のカーテンにぶつかり、遮られる。その闇の咆哮は行き場をなくし、ガルムの周りを囲む光のカーテン内で拡散して、増幅し、大爆発を起こした。
マットウの兵たちは眩い光に目を庇い、立ってはいられない地揺れと凄まじい爆音で一時的に役に立たなくなった聴覚で一体何が起こったのか全く理解できなかった。
その衝撃音は辺りの山々にも反響し、爆発の凄まじさを物語る。
兵たちは目の前の事態の急変に恐怖心が吹き飛び、何とか機能している視覚を使い、どういう状況なのかを確認し始める。
すると、兵たちの前には見ているだけで神聖さを感じ取れるエメラルドグリーンの法衣を纏った金髪の少女が立っていた。いつもの純白の法衣ではないが、兵たちはその金髪の少女が誰なのかすぐに理解する。
「シュ……シュリアン様……」
マリオンは先程の爆発で顎から体までボロボロになったガルムを背中にし、マットウの兵士たちに振り返る。
「皆さん! ここは私に任せて、早くマットウ将軍のところまで撤退してください! 急いで!」
「お……お……うおおぉぉ! シュリアン様ーー!! た、助かったぞーー!」
兵たちは心身ともに疲れた体を奮い立たせ、立ち上がり歓声を上げる。
「急いでください! 本隊は向こうです! ここを押さえれば、私たちの勝利です! 皆さん、作戦に従ってください!」
「わ、分かりました! 総員、本隊に戻るぞ! 急げ!」
マリオンの張りのある声に兵たちは気力が戻り、移動を開始する。そして、兵たちは移動しながら、マリオンに敬礼をした。
「シュリアン様……どうかご無事で……」
「大丈夫です。このワンコには私が御仕置をしておきますので」
そう言って笑うマリオン。この十数メートルの巨体を持つ魔狼をワンコと言ったマリオンに兵たちは苦笑いしつつも、完全に正気を取り戻した。
「では、後ほど!」
そう言った部下たちを先導していた小隊長が本隊に向かい、走り出した。その後ろ姿をマリオンは見つめる。マリオンはこの魔狼をあえてワンコと言い、兵たちの恐怖心を取り払うように気を使った。それがここで必要なことだと思えたのだ。
(以前に……そう、あれは新人試験の時……私もあの戦いの中で誰かに気を使ってもらったんだった。だから、今、それを真似することが浮かんだのね。あの時……私は……)
マリオンは今、突然に沸いたむず痒さを振り払い、ガルムに体を向けた。ガルムの傷ついた体は猛スピードで回復していくのが見て取れる。
マリオンはエメラルドグリーンの法衣に手を入れると、エメラルドとマカライトが散りばめられた鞘に納められている十字の短剣を取り出した。
「さあ、ラファエルの法衣……行きます! 私と私の仲間を守るために!」
「エクソシストの小娘がぁぁぁ!!」
ニーズベックは怒りに震え、ペッと血の混じった唾を吐き捨てると、ニーズベックの奥歯がコロコロと転がっていく。
息を荒くしたニーズベックは魔法陣の前に置いてある怪しく刺繍された大きな箱を引き寄せると、その箱を開けた。そして、その箱に無造作に痣だらけの右手を突っ込むと赤い液体で濡れた肉の塊を取り出す。
「許さんぞぉぉ! 小娘ぇぇ! 貴様はすぐには殺さん……惨たらしく、五体を引き裂いて、目の前で仲間を一人ずつ喰らってから、脳を徐々に魔虫に吸わせてくれる!」
ニーズベックはその血の滴る心臓を目の高さまで持ち上げると、その浅黒い右手でひき肉の塊をこねるように握りつぶした。ニーズベックの顔にその肉片と血が勢いよく飛び散る。そして、その飛び散った肉片と血がニーズベックの魔法陣に触れると、魔法陣が怪しく光を放った。
「ガルムよ! 行け! 生きながらの地獄を見せてやるのだ!」
そう言うとニーズベックは顔に付いた肉片を尖端の割れた長い舌で取り除いた……。
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