第6話覚悟の入学式⑤


 祐人は一人、校門に向い歩きながら、担任の美麗の言う通り、この学校の敷地内から格の高い寺社仏閣にある特有の神聖さを感じていた。

 ちょっとした悪霊や物の怪程度では、侵入すら出来ないだろう。

 それは、雑霊等に良く襲われる祐人には、単純に有難かった。


(まあ、この学校なら勉学には力が入れられそうだな)


 そう思いつつも、祐人はやや重い足取りで歩く。祐人には考えなければならないことが多かった。


「明日の休み中に引越しを済ませて……それと、やっぱりバイトを早く探さないとなぁ」


 吉林高校は全国から入学者が来るため、学校の敷地の隣に、大きな学生寮がある。

 例年の行事で、入学式の次の日は入寮式があり、寮生以外は休みになっていた。祐人は、その日を利用して引越しをする予定でいた。

 祐人は、明日の引っ越しのための荷造りや買出しをしようと思い、やや急ぎ足になると、校門を出ようとしたところで、見慣れた少女が立っていることに気づく。


「あれ? 茉莉ちゃん! まだ帰ってなかったの?」


「……せっかく待っていてあげたのに、何よ、その言い草は」


 茉莉は艶のある栗色の髪を春風に靡かせつつ、形のいい眉毛を少し中央に寄せている。


「いや、吃驚して……。ごめんね、結構、待ったでしょ?」


「まったく、静香から聞いたわよ。入学初日から担任に目を付けられていちゃ、だめでしょ」


「そう言う訳でもないんだけど……。気を付けるよ」


 茉莉は軽く息を吐き「じゃあ、帰りましょ」と体を翻した。

 祐人は茉莉に小走りに近づき、その横に並んだ。

 しばらく無言で駅に向う。

 二人の家の最寄り駅は同じなので、茉莉も一緒に帰るつもりだったのだろう。

 実は祐人は、今後のことも考えて、電車賃節約のために歩いて帰るつもりでいた。大人の足で一時間半はかかる距離だが、問題はないと考えていた。

 しかし、茉莉がわざわざ自分を待っていてくれたことから、今日は電車で帰るしかないなと思う。纏蔵に紹介された引越し先は、方角も最寄り駅も変わるが、学校との距離は今とさほど変わらない。それで、今後も歩いて通うつもりでいた。


「そういえば引越し先はどこなの? もう決まっているんでしょう?」


「あ、うん。爺ちゃんに聞いたら、知ってるかな? 四神神社のすぐ近くだったよ」


「そこ知ってるわ。小学校の時に写生会で行ったことがあるもの。……ちょっと、街の外れね」


「うん、そうだね。明日、引っ越すつもりだよ」


「そう……。それとね……祐人」


「うん? 何?」


 ちょっと力無く聞いてくる茉莉が珍しい。


「……春休みは、どこに行っていたの?」


 どうやら、このことは元々聞くつもりだったらしい。祐人は苦笑いした。

 それとこの少女にはやっぱり嘘は吐けないなと思う。全部を言うことは出来ないが……。

 撃沈はしたが、初恋の人だったからかな? と柄にもなく思ってしまう。


「うん、実は父さんを探しに……ね」


「遼一おじさん? 修行の旅だっけ? 今、どこに行っているか分からないって言っていた?」


 茉莉は横を歩く祐人に顔を向けて、何で? という顔をしている。

 言うことはできないが、祐人の父は修行の旅に出掛けたわけではない。祐人の父はどこにいるのか、分かっていなかったのは本当だが、どこに行ったのかは分かっていた。

 それは、堂杜家の秘匿管理物件の魔來窟の向こう側の世界〔魔界〕である。

 だが、祐人は茉莉にそれ以外のことでは本当のことを伝えた。


「母さんのことを報告にね。知っているはずもないし、ずっと出来ていなかったから……」


 何でもない様に祐人は笑う。


「あ……」


 茉莉は、それ以上の言葉は発しなかった。またしばし、無言が続く。

 茉莉は、一年前に祐人と祐人の母親が品川のテロ事件に巻き込まれ、不幸にも母親が行方不明になった時の事を思い出した。

 そして、その事件直後、体調を崩した祐人を見舞いに行き、変わり果てた祐人の姿を見て、どういう反応をしていいのか、分からなかった自分を思い出す。


 それは、祐人からの告白を拒否して間も無い頃であった。

 その時、茉莉は祐人に対し、自分に出来ることがあれば、何でもしてあげたいと強く思った。

 力なく無理して笑う祐人を見て、心が締めあげられるようだった。

 祐人の性格は分かっている。

 きっと、祐人は自分に振られたことで相当落ち込んでいたに違いない。


 そんな時に起きた事件……。


 そしてあの時……その時の祐人は、誰かの助けを確かに必要としていた。


(それはきっと、祐人に近しくて祐人のことをよく知っている誰か……。そういう人でなければならなかったのに……私にはその資格が無かったわ) 


 茉莉は、直前に祐人からの告白を断っている。そういった状況が、茉莉を同じ道場の門下生として、そして同級生としてしか祐人と接することを許さなかった。自分が許さなかった。

 茉莉にとって、誰かの傍にいるということは、それが許される資格が必要なのだ。

 茉莉は僅かに歩く速度を落として、横にいる祐人の、ほんのちょっとだけ後ろに位置を変える。

 そして、こちらに気付かれないように祐人を見つめた。


(祐人がもっと男らしかったら……もっと私を引っ張ってくれるような力強さがあったら……私は心おきなく横にいて、昔も今も、祐人の力になることが出来たのに……)


 このような考えが沸いてくると、このややこしく難しい少女は、何故だか段々、ムカムカしてくる。それはどこに向けてのイライラなのか、本人はまったく分からない。

 告白を断った時もこれで男として奮起してくれたら、などと思っていた。


(別に深い意味は無かったわ。ただ一般論として、優しいだけの男になって欲しくなかっただけ……だって、その方が祐人のためにもなるじゃない)


 などと考えながら、その時の事を思い出した。そして、この少女にしては珍しく理論だっていない。

 だが、おかしなことに白澤茉莉という一個人の中では、これが正当に成り立っているのである。さらに珍しいのは、普段の彼女であれば、こういった理論立たないことが自分自身の中で起きた時は、必ず納得いくまで自分を掘り下げていた。


 ところが、茉莉はこの件に関してのみ、何故か掘り下げることはしなかったのである……。




 その優しそうな外見からは想像しにくいが、白澤茉莉という少女は自分に厳しい。

 そのため、あらゆることに手を抜くということを決してしない。

 それは生来、誇り高いことにも起因しているところがあるのだろう。 


 また、茉莉の中心的な物の考え方であるのは、何事にもビジョンを持つことの重要性を己に言い聞かせている点である。

 それはすべてに亘っていて、極端にも男性への評価にも適用されている。交際するならばこういう人物像というものが、確かに決まっているのだ。

 一般的に言えば、好みというものだろうが、他の人と違うのは彼女のなかで、それが異常に厳しく徹底されていることである。

 つまり、彼女の思う人物像でなければ、決して付き合うことはありえないのである。そして、そのビジョン以外の男性に恋愛感情を持つことも、自分には許さない。


 祐人と初めて会った時の第一印象は、悪いものではなかった。むしろ、良かったとさえいえる。

 外見も嫌いでは無かったし、剣術の腕も常に自分の上をいっていたのも、ポイントが高かった。

 しかし……祐人は内面となると、茉莉の交際相手としてのビジョンとは大いに異なっていたのである。


 茉莉という少女は鈍感ではない。むしろ、鋭い観察眼を持っていた。

 祐人を見ていて、祐人が自分に対して、同じ門下生として以上の好意を抱いている、ということは以前から気付いていた。

 そして、茉莉は素直にそれを嬉しい、という気持ちも確かに持っていた。だから、道場へ練習に行くのも楽しかったし、力も入った。

 だが……交際となると、話は違うのである。


 茉莉は祐人といつか、男女として付き合う、ということを想像はしたことは、実は何度もあった。別々の小学校を卒業して、同じ中学校に通うようになってからは、その頻度はさらに多くなった。

 だが、その茉莉の想像の中の祐人は、自信に満ち溢れて、力強く自分を引っ張っていくのである。

 それはまさしく茉莉のビジョン通りの人物像であった。


 ところが、現実の祐人は優しすぎで、どこか頼りない少年であった。剣術ではあんなに強いのに何故だろうかと思うし、非常にもどかしい。

 そのように考えるようになってからは、祐人の引き気味な態度にもイライラするようになった。

 現在の祐人との関係は、こういった中学生時代に完成されたといっていいだろう。


 また、一度だけ祐人は茉莉にとって許せないことをした。道場での立ち合いで、わざと茉莉に勝利を譲ったのである。

 茉莉は烈火のごとく怒り、祐人は何度も謝ってきたが、どうにも中々許せなかった。

 この時の茉莉は、勝ちを譲られたことでプライドを傷つけられたことを怒ったのもあったが、それよりもその怒りの根源は、勝ちを譲っても平気でいられる祐人が許せなかったのだ。

 その後、少々長い二人の間の気まずい空気も落ち着き、中学二年の終わりに事件が起きる。


 何と……祐人が自分に告白をしてきたのである。


 これには正直、茉莉も驚いた。

 だがその時、祐人は茉莉のビジョン通りの人物にはなってはいなかった。

 今まで、茉莉なりに、祐人を男らしくすべく指導してきたつもりだったが、祐人が変わることは無かったのだ。


 茉莉はだいぶ悩んだ……。

 ところが、自信無さそうに、いかにもダメ元といった感じで告白してきた祐人の顔が思い出され、イライラしてきて……。


 茉莉は決断したのだった。

 祐人の告白を断る、ということを。

 そして、茉莉はここで祐人に大きな嘘をついた。

 それは片山という架空の一つ上の先輩に告白されたということ。そしてその片山先輩とまずはお互いを知るために友達から始め、また改めて結論を出すということになったと……。

 祐人はこの茉莉の嘘にまったく気づくことなく、今に至っている。




 祐人と茉莉は、商店街の通りに入り、その一番奥に駅が見えてくる。

 突然に、祐人は横からの強烈なプレッシャーに気付き、何事かと振り向く。

 そこには……こちらを睨みつけている茉莉さん? がいる。

 目が赤く光っている……様にも見える。すぐに祐人は前を向いた。


(え、何? 僕に怒っている? 何で? 僕、何かした?)


 祐人の額から汗が出てきた。よく分からない、全く身に覚えが無いが……時折、茉莉にはこういう時があるので、とりあえず見なかったことにする。

 さほど広くはない駅のロータリー付近までたどり着き、とにかく前だけを見ている祐人に対し、少し前を歩くようになった茉莉は声を掛けてくる。


「……祐人」


「はい!」


 祐人は背筋が伸びた。危うく敬礼しそうになったが、何とかとどまる。そういった態度に余計機嫌を悪くする茉莉だが、祐人は機嫌を直してもらおうと、どんどん腰が低くなる。


「引越しだけど! 私も手伝ってあげようか?」


 とても手伝いを申し出ている人間の話し方では無いが、茉莉はどうにも抑えが効かない。


「あ……。いいよ。荷物も少ないし、すぐに終わると思うから。……それに」


「それに?」


 その語気は強く、茉莉は祐人を睨むように、祐人の正面に体ごと向ける。

 その時、茉莉はドキッと心臓が弾む。

 そこには……どこか落ち着いた大人のような、そして、優しいようで隙のない笑みを浮かべている祐人がいた。


 それは……茉莉が初めて見る、祐人の顔であった。


「彼氏に悪いよ……。それに、ほら」


 祐人は、駅の改札口へ向う階段の下で立っている、水戸静香を指さした。そして、静香もこちらに気付いたようだった。


「あ……静香、待っててくれたんだ」


 茉莉もそこにいる静香に気付く。


「じゃあ、茉莉ちゃん。僕はちょっと明日の引越しのための用事を思い出したから、また明後日ね」


 そう言うと、祐人は何事も無かったように駅に背を向けて行ってしまう。


「ちょっ、祐人! それに彼氏なんていない……」


 茉莉は声を掛けるが、祐人はこちらを向かずに手を軽く振って行ってしまう。その姿は、極力そっけなくしているようにも見える。

 茉莉はその祐人の後姿に、自分でも理由の分からない不安を感じてしまっていた。

 それは今まで感じた中でも、最も強い不安……または、喪失感にも似たものであるかもしれない。

 そこに静香が走り寄って来た。


「茉莉、遅かったね。あれ? 堂杜君は?」


 と言いながら、静香はチラッと祐人のほうを見た。

 茉莉は、その視線に気付きつつ、遅くなってしまった理由と祐人には引っ越しのための用事があることを説明する。


「ごめんなさい、待ってくれているとは、思わなかったから」


 おしとやかに茉莉は応対する。ある意味、いつもの茉莉である。


「ああ、いいよ。私が勝手に来ただけだから! 何となく、やっぱり一緒に帰ろうと思ってね。邪魔だった?」


「そ、そんなことないわよ! でも、うん……ありがとう」


 二人は、駅の二階の改札の方に向い、階段を上る。階段の途中、茉莉は祐人が向った商店街の方を、静香に気付かれないようにチラッと振り返った。

 まだ祐人は充分に見えるところにいた。祐人は駅前のドラッグストアの前で、何か引っ掛かっている。店先の安売りシャンプーの棚を見ているようだった。

 祐人のその顔が先程とは違い、何かホッとしたような、のほほんとしてる表情に見える。

 祐人自身そんなことは無いのだが、茉莉にはそう見えたのだから仕方が無い。

 遠目から、その祐人の横顔を見ていると……何かまた、茉莉の心はイライラしてくる。


(何なのよ! その顔は!)


 茉莉は咄嗟にポケットの中にあった、買ったばかりで一度しか使っていないリップクリームを取り出し、剣道で全国大会準優勝に導いたその腕をしならせるように、祐人に向って投げた。

 距離にして四十メートル以上はあったが、それは素晴らしい速度と放物線を描き……祐人の頭に直撃する。


「痛っ! ……? ? な、何、何?」


 祐人は涙目になり頭を擦りつつ、キョロキョロして飛来物を確認する。


「何だコリャ……。何で? こんな物が?」


 祐人がリップクリームを拾い上げて見ていると、近くにいた若い女性店員が近寄ってくる。


「困ります、お客様……。それは商品になりますので……」


「え? え? 知らないよ! これはどこからか飛んできたんだよ! いや、ホントに! ほらこれ、包装も解けているもの」


「飛んできた……? ふふ、お客様、包装を取られては困ります。レジを通してからでないと」


 完璧な営業スマイルで店員は言った。


「レジは……あちらになっております」


 変わらない笑顔。

 祐人は、痛みとは違う涙を堪えつつ……もう選択肢が他に無いことを本能的に感じ取った。


「これ……下さい。それと、このシャンプーも……」


「畏まりました。ありがとうございます」


 肩を落としながら、店内のレジに向う祐人。

 そのやり取りを確認した茉莉は、「ふん!」と前を向いた。

 静香は「ん?」と振り返り、茉莉を見たが、首を傾けて前を向き、そのまま改札を抜けた。


 ただ、茉莉は先程の強く感じた不安感を思い出す。

 そして、その強い不安感の引き金になったものに気付いた。

 それは、鋭い人物観察眼のある茉莉だからこそ、気付いたものであろう。


(祐人……私に対して、他の同級生と同じ扱いで話をしていた……)



 それは自分に告白してきた祐人は、既に過去の人であるということを意味していた……。




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