第2話 J太の限界 

 J太は耐えていた。


 しーんと静まり返った受験会場の教室。

 廊下際の最後列の座席。

 英語の試験中。


 最後の和文英訳の問題は読んだ。

 答の英文も頭の中には出来上がっている。

 英語は得意な方だ。

 なのに、シャープペンシルを握ったまま、一文字も書けなくなってしまった。

 額からにじみ出る汗、汗、汗。


 なぜだ。

 なぜ、しーんとするとお腹が鳴りそうになる?

 なぜ、しーんとしてるのに、おならがしたくなる?

 なぜ、同時にこいつらまとめて俺を襲いにかかってくるんだ?

 俺が何をした?


 試験時間、残りあと五分。


 いや、今は理由などどうでもいい。とにかく、周りのギャルに、ださいと思われたくないから、おならは最優先回避事項に即決。これは俺の青春を左右する一大事なのだ。


 今、あせって、答案を書くことを優先すれば、体内のガスが移動し、間違いなくおならがでてしまいそうだ。そうなれば、俺の青春、いや、人生が茶色く腐っちまう。第一志望合格で始まる、俺のあこがれの高校生活の幕開けが、台無しになっちまう。

 あの子、受験でおならした子だよね、なんて、後ろ指を指されて毎日すごすなんて真っ平だ。

 おならをするくらいなら、受験に失敗するほうがましだろうか。いや、これまでの受験勉強をおなら一つで棒に振るのは悲しすぎる。


 お、な、か、が鳴るのを阻止するには、通常、腹筋に力を入れてしばらく耐えて逃すのが俺のセオリーだ。しかし今回は、お、な、ら、もそこまで来ている。今、腹筋に力をいれると、もれなくおならも出そうなのだ。


 逆はどうだ?

 おならはどうやって、阻止するんだっけ?


 だめだ、考えているだけで、どちらも出そうだ。いっそ出してしまうか。


 まわりに男しかいなけりゃまだいいんだが。

 頼む、アイワナ男、男、男が欲しい。

 前の席は男だな。


 ちらっと隣の席の女子を見てみる。

 広瀬すず並のかわいい子。

 オーマイ!

 だめだ、今の俺には、微動だに許されない。


 残り時間、あと、三分。


 J太若干十五才にして、人生最大のピンチ。


 とにかく、息をとめて、答案を書こう。ゆっくりと、ミリ単位で手を動かすんだ。

 J太、お前ならできる、そうさ、きっとやってのけるとも。自分を信じるんだ。

 

 もう一人の自分が俺を導き始めた。


 解答欄まで手を持っていけたら、指先だけを素早く動かして答を書くんだ。そう、できるだけ、体に振動を与えないように細心の注意を払って……。


 残り一分。

 その調子。いいぞ、J太。そーっと、そーっとスライドさせて最後まで書くんだ。息はするな。広瀬すずに嫌な顔されたいか?


 時間は十分ある。終わりのチャイムと共に、トイレ向かってダッシュすればいいんだ。トイレは、教室を出れば、すぐ近くにあったはずだ。


 書けた。よし。チャイムが鳴るのを待て。

 教室を出てトイレに入るまで、油断するなよ。幸い、教室の出入り口は俺のすぐ近くだ。広瀬すずとの楽しい高校生活がお前を待っている。


 チャイムの音。


 トイレ向かってダッシュしようと廊下に出たとき……


 教室のすぐ目の前の階段を上がるスーツ姿の男のズボンのお尻が、びりっと音をたてて破れた。


それを見たJ太が、思わず吹き出した瞬間、彼の青春も音をたてた。

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