殺人姫の砂糖壺

玉簾連雀

一日目:疑信暗祈

 私、櫻木冥天さくらぎみそらは今、ある町の、とある学校にいる。

 正確には、校門の前に立っている。

 私がなぜそんなアホらしいことをしているかというと、それは話せば長い話になる。

 簡単に言うと、世界を救う為である。つまり、ちょっとした人助けである。

 何でも、この町には、マジックアイテムという都市伝説おとぎばなしがあるらしい。

 曰く。

 人の願いを叶える奇跡、だとか。

 そんな話を聞いて、黙っていられるわけがない。そんなモノは、奇跡なんてモノは……やはり、私がころさなければ気が済まない。

 なんてことを考えていたら、不幸にもチャイムが鳴ってしまった。

 日は、空の高い位置。

 きっと昼休みぐらいだろう。それまで静かだった校舎が、一気に騒がしくなる。

 このままでは、生徒やら教師やらに見つかって面倒なことになるので、あらかじめ防犯カメラ対策の術をかけて、気配を殺してから、校舎に滑り込んだ。

 この術は、最近開発したもので、なかなかに使い良い。ただ、カメラは誤魔化せても人の目は誤魔化せないのが弱点である。

 そこで、近くの物陰に潜んで、生徒が通りかかるのを待つ。運良く女子生徒が通っていったので、着ていた制服を転写コピーする。

 適当な私服が、途端に先程の生徒が着ていたのと寸分違わぬ制服に変化する。

 やはり、便利な能力だ。少なくとも、単純に他人の真似をすることに関しては。

 ともあれ、これで準備は完了だ。私は、マジックアイテムなるハリボテのキセキを求めて、懐かしくも憎らしい、『学校』の廊下に踏み出していった。


 目に映る、吐き気がする様な『日常』。

 聴こえて来る、空っぽの会話。

 私は、捜索開始早くも二分で、既に辟易していた。

 着崩した制服。

 消し忘れた黒板。

 机に散らばるノート。

 さざ波の様に聞こえて来る話し声に混ざって、浮かんでくるのは棄てられなかった白昼夢。

 まだ、私が人間で、学校に通っていた頃の思い出きろく

 それは、例えば雨の日の悪夢の様に、ゆっくりと私の認識を侵食していく。

 破り捨てられた教科書のページ

 床に倒された机と、笑い声。その響きに混ざって、誰かの泣き声が聞こえて来る。

 (流されるな)

 現実を意識しろ。

 泣き声は、止まない。

 (引きずられるな)

 それでも、現実は誘い水の様にすり抜けていって、代わりに幻が思考を侵す。

 笑い声。泣き声。

 泣かないで。

 周りを囲む、人影。顔の無い、『他人』という影。

 泣いているのは誰だろう。笑い声が邪魔だ。

 (泣かないで)

 こんなもの、すぐに消すから。

 両腕に衝撃。影が消える。そして周りは一面の赤。

 赤。赤。アカ。赤赤アカ赤赤赤赤赤赤赤赤赤赤アカ赤アカ赤赤赤赤赤赤……。

 「…………っ!」

 意識が、悪夢から浮上する。浮遊感。たまらず、近くの壁に手をつく。

 周りを見回す。人気のない、薄暗い廊下。

 (……そうだ)

 私は、あまりの不快感に耐え切れず、昼休みでも人の少ない、旧校舎に向かったのだ。

 きっと、悪夢は一瞬のことだったのだろう。

 (……私は)

 学校なんて、嫌いだった。

 「……っ……」

 胸の辺りが痛い。もう痛みなど感じないはずなのに、まるで刃で刺されたかの様な、鋭い痛みを感じる。

 痛みには慣れているはずなのに、思わず体を丸めた。

 (痛い)

 ――でも、私が◼したアレらは、きっともっと痛かったはず。

 余計な思考を、頭を振って追い払う。

 やはり、学校に乗り込んだのは間違いだった。少し休んだら、五時限目始業のチャイムが鳴る前に、さっさとここを立ち去ろう。

 そう思ったとき。

 「……どうしたの?」

 私は、今日最大の不幸と、目が合った。


 薄暗い廊下の階段の、一段目にうずくまる様にして座った私の前に、一人の少年が立っていた。

 細い体躯に、端正な細面。男にして置くには、少々惜しい。

 少年は、私を見下ろしてはいるが、見下してはいない。こういう目ができる人間は、あまり見たことがなかった。

 なんて。

 何にしろ、他人に姿を見られるのは、いいことではない。私は、少年を追い払おうとした。

 「うるせぇ。どっかいけ」

 やたらドスの効いた声。あまりに久しぶりに人と話すもので、必要以上に険悪な感じになってしまった。

 少年は、目を瞬いて、驚いたことに、微笑した。

 「ごめん。ただ、苦しそうだったから、大丈夫かなって」

 予想外だった。少年が怯えるか、腹を立てるかして立ち去るとばかり思っていた私は、一瞬、言葉を失った。

 それを察してか、少年は再び、口を開いた。

 「でも、それってウソでしょ?」

 「……は?」

 突飛な言葉に、思わず間抜けた声を上げる。相も変わらず微笑を浮かべ続ける少年に、何故かうすら寒いものを感じた。

 「君は、僕に去って欲しいとは思っていないよ」 

 確かな、それでいてどこか冷めた、淡々とした口調で少年は言った。

 そして私は気付く。彼の左耳を飾る小さな石。

 そして思い出した。都市伝説……私の探す、可笑しな奇跡のこと。

 人の願いを汲み取る魔法。

 「『偽らざるジャッジメント』……」

 呟いた私に、少年は、どこか夢見る様に微笑んだまま答えた。

「うん。君も知ってたんだ。……『マジックアイテム』のこと」

 一気に警戒態勢に入った私とは裏腹に、少年は微笑んだまま。

「そう。僕は、『ジャッジメント』の持ち主。どうして君が知っているのかは知らないけれど。……僕は、願った。願って、しまった」

 願って、祈って。

 縋って。

「『みんなを、他人を信じたい』……それが、僕の願い」

 少年は、夢見る様に、虚ろに微笑う。

「……ちょうど良かったぜ」

 そして私は、彼の願いを、嗤う。

「オレは、あんたを捜してた」

 未だ消えない痛みを振り払う様に、立ち上がる。

「見つけたぜ、判定者。まずは、お前からころす」

 しかし彼は、再び私の予想外の行動に出た。

 壊す、という剣呑な言葉に顔色一つ変えず、あまつさえ、私の座っていた階段に、少し私と距離を置いて座ったのだった。

「……おーい」

 たまらず、声を掛けてしまった。私の本気の殺気を感じて、ここまで無反応な人間に会うのは、もしかしたら初めてかもしれない。

 少年は、ぽつり、と呟いた。

「……殺してくれるんだ」

 思わず顔が強張る。

「僕を、終わらせてくれるの……?」

「ざけんなタコ‼」

 躊躇うことなく怒鳴った。怒鳴ると同時に、ダァンと足を踏み鳴らす。我ながら、完全に不良である。

 でも、それだけ彼の言葉は、私にとって聞き捨てならないものだったのだ。

「初対面の奴になんてこと言ってやがる‼死にてぇってんならてめぇで終わりにしろやこの根性無しが‼なァに他人ひとに頼ってやがる、ナメてやがるだろああん⁉」

 と。

 凄まじい勢いでひとしきり罵倒して、してしまってからはっと我に返る。

「……いまのはウソじゃないや……」

 怒鳴られた彼は、ぼんやりと微笑みながら、私を見上げる。私はふぅっと息を吐きながら、階段にどさりと座った。

「お前、気持ち悪い」

「ウソじゃない」

「嫌い」

「ウソ」

「別に興味なんか無いんだからね」

「……ウソ、だよね?」

「人に死なせてもらおうなんて、甘えすぎ。死ね」

「……ウソじゃ、ない」

 彼の持つアイテムの能力を推し量る。どうやら、単純に相手の言葉の真偽を測るだけで、別に思考が読めるとかいうわけではなさそうだった。

 また一つ、ため息を吐いた。

 この仕事、暇潰しにと引受けたが、想像以上にしんどい。

 黙ってこちらを伺う少年に、ぶっきらぼうに言葉を放った。

「遺言ぐらい、遺したらどうだ」

 ようやく、彼の腹立たしい微笑が消えた。驚いた様にこちらを見て、それから、少年は語り出す。

 私が知りたくもない、彼の願いの話。


「僕は、嫌われ者なんだ。僕の周りの世界は、僕が嫌い。みんな、僕が嫌いなんだ。でも、僕はみんなを好きになりたい。でも、みんなのことがわからないんだ。だから、」

 他人みんなを、知るために。

「みんなを、信じたかった。だから、願ったんだ。みんなを、疑いたくないって」

 マジックアイテムとは、ヒトの願いが形を持ったもの。

 作られた、紛い物のキセキ。

「そしたら……これをくれたんだ」

 貴方の願いを叶えましょう、と。

「女の人。どうしてか、顔を思い出すことが出来ないけれど」

 魔女の誘惑。それはきっと、甘い言葉の罠。

「それから、僕はみんなのウソがわかる様になった。僕に向けられる言葉の、全てのウソが」

 そして。

「わかったんだ。……みんなは僕が嫌いじゃない。みんなは、自分に疲れてただけだって。……誰も、僕を見てなんかいなかった。僕は、嫌われていたんじゃない」

 ただ、単純に。

「僕は、たまたまそこにいただけなんだって」

 いじめというのは、多くはストレス発散だ。自分より弱いモノの存在が、安心感を生む。それはつまり、自分よりさきに淘汰されるモノがいるということで、自分が淘汰される可能性が減るということ。

 生き物として、当たり前すぎること。

 弱いモノならなんだって構わないのだ。いじめる側にとっては、あらゆる『弱さ』がその理由となる。そこに、『弱い個体』としての概念はあっても、その個体自体には意味はない。必要なのは、『弱さ』だけなのだから。

「僕は、みんなのことを信じられる様になった。みんな、僕を嫌いなわけじゃない。みんな、僕を見ていない。ウソを吐いていても、それを知ってるから、疑う必要なんてないんだ。僕の知らないウソは、なくなった」

 知っている。そんな痛み。

「信じるための、ウソ」

 矛盾はしていない。ウソは、それがウソだとわかった時点で、ウソとして機能しなくなる。

 彼は、疑心を殺したのだ。

 私が、強者を◼したのと同じ様に。

「……なんだ」

 下らねぇ。

 そう呟くと、彼はやっぱり微笑んだ。

「みんなを信じられたら、幸せになれると思ったけど……何か、疲れちゃったんだ。だから、終わらせたくなった」

 ごめんね。

 謝るぐらいなら、最初から声なんてかけるな、と思ったが、口には出さず。

 代わりに、言ってやった。

「じゃあ、お前はウソは知ってるけど、本当のことはわかってないわけだ」

「……?」

 訝しげな顔で、こちらを見る。再び微笑みを崩したことに、ちょっと勝ち誇った様な気持ちになる。

「うん、この世はウソがわかるだけじゃわからないよ。だって、ウソではないものが本当だとは限らない。お前は、『他人を信じたい』なら、『本当を知る』べきなんだ」

「『本当』……?」

 あのクソペテン魔女。心で密かに毒付く。

「お前、騙されたんだよ。その魔女に、さ。この世に本当のことなんか何もない。確かなものとか、正しいこととか、そんなもん人の数だけあるに決まってる。そもそも、お前の『みんな』っていうのがおかしいんだ」

 彼は、呆気にとられた顔で聞いている。

 私は、そのまま、彼にとっての『本当』を壊していく。

「人ってのはそれぞれ勝手に思考してる。全部違うもので、互いに繋がったりしない。繋がったと思うのは、それはお互いにお互いが繋がったと勘違いしてるだけだ。

 人は、本当には分かり合ったり出来ないものなのさ。他人の痛みなんて、わからない。そんなものを並べて、一括りに『みんな』なんて、そりゃ無理があるさ。『他人』というものは、一つ一つの『他人』の集合体。違うものが集まってるだけ。お前は、その中で特に弱い部分があっただけさ」

 彼は、黙っていた。私は続ける。

「嫌われたんじゃない。お前が嫌っただけだろ?弱い自分自身を。他人のウソばっか暴いて、自身のウソに溺れてた。

 ほら、弱い。お前がいつも笑ってるのは、自身にウソを吐いてるからだ。本当は泣きたいのに、ウソを吐いてる。みんなが、お前を見ていないんじゃない」

 お前が、お前を見てないんだよ。

 彼は、表情のない顔で言った。

「そっか。『ウソ』は、僕だったのか」

 彼は、どこまでも表情のない顔で私を見ていた。微笑みの仮面を引き剥がした彼は、今にも崩れそうなほど脆くて、そんな様子は、私にとってはとても好ましいものだった。

 美しいのは、綺麗なものだけではない。醜さも、なかなかに好ましいものなのだ。

 故に。

 私は、弱さも嘘も、肯定する。

 立ち上がって、言った。

「いいじゃん、ウソでも」

 彼の方を見ないで言う。

「本当なんて、つまんないよ」

 嘘は、楽しい。楽しい嘘で自分を騙すのだって、有りだろう。

 彼は、何も言わない。

「それがウソでも、お前が本当だと思うなら、もう、ウソが本当でいいじゃん」

 彼は、小さく呟いた。

「それは、ウソだし、ウソじゃないね」

 私は、笑って振り向きながら言った。

「そんな判定、反則だよ」

 彼は、黙って微笑んだ。

 ウソと本当の境なんて、案外、曖昧に笑って誤魔化せる程度のものだったのだろう。

 話し終えたとき、ちょうど、チャイムが鳴った。休み時間はお終いらしい。

 私は、彼に近付いた。

「ほら、君を『壊した』よ。オレの用は済んだから、君はさっさと行きなさい」

 手を伸ばして、彼のイヤリング、『ジャッジメント』に触れる。彼は驚いた様に、私を見ていた。

(……情報転写コピー完了っと)

 そして、彼から離れる。未だにこちらを見つめる彼は、言った。

「ねぇ、君は誰?君がここにいるのは、ウソ、だよね?」

 思わず、舌打ち。弱いくせに、なかなかどうして手強い相手だった。接触しただけで、こちらのウソを読まれた。

 気まぐれに、答えてやる。

「オレは、傍観者。このストーリーがあんまり面白いんで、つい手を出しちまったんだ。それだけ」

 そう、と呟いて、彼は、

「君の、名前はなんていうの?」

 一瞬、間が空いた。彼に、ウソはつけない。

 仕方がないので、正直に答えることにした。瞬間の葛藤を誤魔化すように、言葉を継ぐ。

「……オレは、白銀はくぎん

 しろい銀色。

 これは、ミソラの銘。

 本当ではないけれど、ウソではない。

 彼の判定は、どうだったのだろうか。

「綺麗。昼の空の、月の色だね」

 そんな台詞に、気を良くしてしまい、彼の名前を聞き返したのは、本当にどうかしていた。

 彼の名を聞いて、私は彼に言った。

「いい名前じゃん。ウソにしとくにゃ勿体無い」

 そして、彼は、彼の日常へと戻って行く。

 別れの言葉は、特に交わさなかった。


 ウソつきな審判と別れた後、私は再び授業が始まり、人気のなくなった学校を、そそくさと後にした。もう二度と、こんなところに来るもんかと誓いも新たに、近くの駅のコインロッカーまで歩く。

 ロッカーに預けていたカバンと、黒い、細長い形のバッグを取り出した。

『お疲れ様だ、主。目的のものは首尾良く手に入ったか?』

 話しかけてきた黒いバッグ……正確には、その中身に応える。

『とりあえず、データだけ抜いてきた。別に、探せと言われただけで、壊せとか奪えとかは言われてないし。……それよか、この後ちょっと暴れんぞ』

 私の言葉に不穏なものが混じるのを聞いて、バッグの中の愛刀はやれやれと呟いた。

『……主』

『何?』

『楽しそうで何より、だ』


 数時間後、私は再び学校の近くに戻っていた。

 あれから、式神を打って情報を集め、『彼』の事情をおおよそ掴んだ。

 それによると、現在彼をいじめているのは、彼とは違うクラスの男子4人。言葉の暴力が多かったが、最近は殴る、蹴るの暴行にエスカレートしてきているらしい。

 場所は、大体決まって学校の外。人通りの少ない駐車場だった。

 そして私は今、その駐車場付近を見張るべく、近くの建物の屋根に座っていた。

 持ってきた金属バットの柄に、顎を載せて溜息をつく。全く、お節介にもほどがある。しかし、わかっていても止められないのは私の悪い癖だ。

 私がそう思っているのを知ってか知らずか、愛刀、疾風刀は何も言わない。

 そうこうする内に、うるさい男子4人がやって来た。ご丁寧にも、さっきのエセ審判を引っ立てている。

 彼らが駐車場に入り、彼を取り囲んだ辺りで私は屋根から飛び降りた。高さ、大体十メートル。

 音もなくふわりと降り立つ。呆気にとられて私を見る4人。私は爽やかに挨拶した。

「やあ!どうだい、みんな元気?」

 有無を言わさず続ける。

「実はね、オレはフリーの殺し屋さんでね!初対面だけど、よろしくね!んで、さっそくなんだけど……」

 とりあえず、一番近くにいた一人の顔面を、拳底でぶん殴る。悲鳴を上げ、鼻血を垂らしながら情けなく倒れる。それを見て、気持ちが高揚してしまった。

「個人的にいじめはあんまり好きじゃないんだよね。なんでぇ……」

 飛び切りの笑顔で、恐怖に竦む残り3人に叫んだ。

「みんなのコト、ぶっ潰しちゃいまーすっ‼」

 言うが早いが、一人の足にフルスイング。嫌な音がして、絶叫が上がる。思わず笑顔になった。

「さァ、もっと!もっとだ‼」

 勇敢にも雄叫びを上げて突進してきた相手の腹に、バットを突き込む。げぇっと汚い音を立てて、胃の中身を吐瀉する。

「なんだよ、もっと抵抗しろよ!ケンカにならねーだろぉ‼」

 そのまま倒れた相手の頭を蹴りつける。飛び散る赤に、もう気分は最高だ。

 もう逃げる気力さえ失せたのか、ただ呆然と立ち尽くす最後の一人に、狙いを定め、思い切り跳躍して、

「やめて」

 彼に、阻まれた。首を傾げて、彼に問う。

「なんで?」

 彼は、困った様な顔で言った。

「白銀は、折角綺麗なんだから、そんなことしちゃダメだよ」

 興奮が、冷めていく。ちぇ、と舌打ち。

「君がそう言うなら、仕方ない」

 震えている男子に、当て身を喰らわせて意識を奪う。

「そこらへんに伸びてるのも、まあ一週間あれば治るし、そのうち目が覚めるでしょ。面倒なことになる前に、とっとと逃げな」

 彼は、私を見て言った。

「なんで、こんなことを?」

 私は、少し笑って言った。

「ただの、気まぐれさ」

 それじゃあと、手を上げて歩き出す。もう会うこともないだろう。

 立ち去り際、彼が何か言った気がしたが、多分気のせいだ。

「……ありがとう」



 その後、彼がどうするか、どうなるかなんて、私には関係ないし、興味もない。

 カバンに、血の付いたバットをしまって、歩き出す。お喋りな刀が、軽く言った。

『ミソラは、いつだって本当のことを言わないな』

 うるさいよ。

 そうして、私の、初めてのマジックアイテム回収作業は終わった。


 蛇足になるが、その後猛烈な空腹を感じた私は、もう二度と行かないと決めた学校に、懲りずに侵入し、購買なる所で並べられたパンを、真剣に見つめていた。

 やがて、一つを選び出す。

「……マスター、これを」

 それを、店主に差し出す。これが、私の選んだ運命。

「……120円」

 しまった。小銭がない。

「……ユキチで頼むぜ、マスター」

「……」

 私が選んだのは、アップルパイ。酸っぱくて甘い、楽しいウソの様な味だった。

「んめー」


 ミソラが立ち去った後、女子生徒が一人、購買に走ってきたのを、ミソラは知らない。

 少女は並んだパンを見て、ちょっと残念そうに呟いた。

「アップルパイ、もうないんだ…」

 少女は、少し間を置いて言った。

「しょうがないでしょ、今日はなし!」

 少女の奇妙な独り言に、訝しげな店主。

「あ、すいません!何でもないんで!」

 ミソラと少女の、二人がすれ違うのは、もう少し先の話。


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