第238話 機動宇宙戦艦〈しらたき〉
目を覚ます。
ぼんやりした視界に映るのは、無機質な天井と埋め込まれた光源。
ナツコはベッドの上にいた。
意識はぼんやりとしたままで、頭が痛む。
身体を起こそうとすると筋肉が悲鳴を上げた。
原因は直ぐに分かった。運動神経皆無の身体を酷使しすぎたのだ。
それに身体全体が熱く火照っていた。頭の上に乗せられた氷嚢もすっかりぬるくなっている。
熱限界を迎えた〈ヘッダーン5・アサルト〉を動かし続けたのが半分。右脳の奥、良く分からないがとにかく演算能力の高い領域に、長時間複雑な計算をさせ続けたのが半分。
――そうだ。
思い出して、ナツコは右脳の奥へ意識を向ける。
だが生憎肝心の脳組織は休眠状態にあった。
道理で頭がぼんやりするし、身体も重いわけだ。
とろい頭をフル回転させて、今度は左脳の奥へ意識を向けてみる。
こっちにもなにかあるかもしれない。
果たしてそれはあった。
一瞬ずきりと頭が痛み、認識力が拡張されて時間をゆっくりに感じた。
だけどすぐにその感覚は消えてなくなる。
左脳の奥の脳組織はまだ十分に発達していない。
今の今まで眠っていたのを、ようやく起こしたところだ。
たぶん一度起こしてしまえば、あとは放っておくだけで勝手に成長していくだろう。
どれくらいで使い物になるかはわからない。右脳の方が起きたらその辺も計算してみることにする。
とりあえず現状確認。
氷嚢をどけて、痛む体をゆっくりと起き上がらせる。
窓のない部屋。
医務室だろう。壁際には壁と一体化した薬棚。扉付きで、落下防止柵まで取り付けられている。
扉は1つ。個人認証を通して開けるタイプ。
そういえばと、胸元を見下ろす。
いつも首からかけている個人用端末はそこになかった。
服装もツバキ小隊の制服ではなく、白衣だけを身に着けていた。
慌てて白衣の前をしっかり閉める。閉めてから部屋に自分以外誰もいないことを思い出し、焦る必要もなかったとちょっと反省した。
横に目をやると、サイドテーブルに制服と下着が置かれていた。
きちんと洗濯されて綺麗に畳まれている。
フィーリュシカがやってくれたのかとも考えるが、こんなところに気を回してくれるタイプかなとも疑問に思う。
乾燥機をかけたばかりらしく、制服は暖かかった。
制服の隣に個人用端末と拳銃。
個人用端末をなくさないように首から下げて、拳銃を手に取る。
弾は残っているはず。とりあえず武器は確保。
だが手に持ってみるとなんだか軽い気がする。
弾倉が抜かれている。薬室を覗いて見るもそちらにも弾はゼロ。
持っていても仕方がないので拳銃をサイドテーブルに戻す。
どことも分からない場所で、頭は働かないし、体もボロボロ、おまけに丸腰という状況は正直不安ではあったが、フィーリュシカに連れてこられた場所だしきっと安全だろうと信じることにした。
「あれ? フィーちゃんに連れてこられたんでしたっけ?」
思い返そうとするが頭は9割9分くらい眠ったような状態だし、記憶は曖昧で詳細を思い出せない。
タマキの命令を受けてフィーリュシカを追いかけた。
枢軸軍の地下施設でフィーリュシカと戦った。
最後の最後に結局負けた。
そこまでは覚えてる。
そのあと金色の何かが頭の中に侵入してきて――。
記憶はそこまでだった。
「ここ、施設の中かな?」
窓がないのは地下施設内だから。そう考えれば正しい。
しかし薬品棚に落下防止柵が設けられているのはなぜだろうか。地震対策? 地下だと揺れやすいとかあるのだろうか?
考えているとお腹がなった。
出撃の際、保存食は積んできた。
だがそれは〈ヘッダーン5・アサルト〉のバックパックの中。そしてそれはばらばらになって地下施設入り口前に転がっていることだろう。
食事は諦める。
幸い医務室には洗面台があった。水は確保できるから直ぐに死ぬこともないだろう。
もしかしたら探したら食料も出てくるかもしれない。
ちょっと探索してみようかと、布団をのける。
白衣の丈が短い。これはいけない。白衣しか身に着けていないのだ。
せめて下着をと手を伸ばすと、ぴこんと電子音が鳴った。
胸元を見るが個人用端末ではない。
アラームもセットしてないし、電波も不通なので何かを受信するはずもない。
じゃあどこからだろうと考える間もなく、医務室のドアが横にスライドして開いた。
「あらまあ。起きていらしたのねえ」
入ってきたのは割烹着を身につけた老婆だった。
腰が曲がり、杖をついている。後ろで1つにまとめられている髪は白く染まっていた。
皺だらけの顔の、細い目でナツコの姿を見て、ゆっくりと歩いてくる。
「お着替えでしたらお手伝いしますよ」
「い、いえ、大丈夫です」
慌てて布団をかぶり直す。
人前に曝すにはこの白衣の丈は短すぎた。
「え、ええと。すいません。あなたは?」
「トメと言います。まだ熱があるわねえ」
トメと名乗った老婆はナツコの額に手を当てて熱が下がりきっていないことを確かめると、ぬるくなった氷嚢を回収して、医務室の冷凍庫から新しい氷嚢を取り出した。
「あの、私、自分で出来ますよ」
「駄目ですよ。病人なんですから、しっかり休んで頂きませんと」
老婆の口調はゆっくりとしていて優しげではあるのだが、しゃがれた声でそう言われてしまうと逆らってまで自分でやる気にはならなかった。
ナツコはベッドに横になったまま、新しい氷嚢を付け替えて貰う。
「ありがとうございます。
私、ナツコです。ナツコ・ハツキ」
「ええ。フィーネさんからうかがっていますよ」
「フィーネ……? フィーちゃんのことですよね?
ええと、聞きたいことがたくさんあるんですけど、とりあえずここは何処ですかね?」
そうですねえと、トメはのんびり相づちをうち、乱れた布団を綺麗に正してからやはりのんびりした調子で答える。
「機動宇宙戦艦〈しらたき〉の医務室です。
フィーネさんがねえ、意識を失ったあなたをここまで運んで来たそうですよ」
「しらたき……?」
ナツコは機動宇宙戦艦という聞き慣れないワードはいったん置いておいて、しらたきという言葉に鋭く反応する。
「やっぱりしらたきですよね!
糸こんにゃくじゃ無いですよね!」
「何のことかは存じませんけど、この船は〈しらたき〉ですよ」
「やっぱり! ――え、船ですか?
そう言えば宇宙戦艦って――もしかして今、宇宙にいます?」
宇宙戦艦なのだからそうだろうと問うナツコ。
トメはかぶりを振った。
「いいえ。大気圏内ですよ。ラングルーネ? ですか? 基地を攻略するとかで」
「ラングルーネ……。
私も、行かないと――」
基地攻略戦が始まっている。
通信が繋がらないからツバキ小隊がどういう状況にあるのか分からないが、だとしても基地に戻るか、通信が繋がる場所まで向かうかしなければならない。
しかし布団から出ようとすると、トメに肩をがっしりとつかまれた。
腰の曲がった老婆とは思えない力で、そのまま布団に押し込まれる。
「駄目ですよ。とても外を歩けるような状態じゃあありませんからね。
若いのに、こんなばあさんにも勝てないんですから」
「う、うぅ……。返す言葉も無いですけど……。ツバキ小隊が――」
「それなら大丈夫ですよ。
今フィーネさんと、トーコさんだったかしら? 可愛らしい女の子ね。アキさんに良く似ていたわねえ。
――2人が向かいましたから。
そうでなくても〈しらたき〉がいますから。あなたのお仲間さんたちは大丈夫ですよ」
「うーん。いまいち〈しらたき〉と呼ばれると強く感じないんですよね」
どうしても〈しらたき〉と呼ばれる度に、半透明の糸状にしたコンニャクを連想してしまい、ナツコにはとても大丈夫とは思えなかった。
しらたきでひっぱたかれたらびっくりするかも知れないけれど、戦争の役に立つとは思えない。
「ナツコさんは熱が下がるまでここにいて貰いますからね。
その間はしっかりお世話しますから、身体を休めることだけ気にしていて下さいな」
「気持ちは嬉しいんですけど――。
そうですね。しっかり休みます」
頭もしっかり働かない。身体もまともに動かせない。その上熱を出し、よぼよぼの老婆相手に力負けするような状態だ。
出て行ったところで足手まといにしかならない。
そもそも、出て行くことすらままならない。
身体を休めることに決め、それでも出来ることを模索してトメへと問う。
「通信が繋がらないんですけど、統合軍と連絡取れる通信機ってあります?」
ネットワーク接続の遮断された個人用端末を示して尋ねると、トメは首をかしげる。
「あまり機械には詳しくなくてねえ。ごめんなさいね」
「そうですか。詳しい人は……?」
「居るには居るんだけどねえ。今は忙しそうだったから。後で聞いておきますよ」
「はい。是非お願いします」
通信機についてはとりあえず先送り。
長時間の音信不通でタマキに怒られやしないかと不安は募るばかりだが、こちらからはどうしようもない。
精々、通信が繋がった時の気の利いた言い訳を考えることくらいしか出来ない。
確認すべきことは確認したので、興味に任せてトメのことを質問する。
「トメさんは、看護師さんなんですか?」
トメはしわくちゃの顔で微笑んで返した。
「いいえ。看病はしますけどねえ。
この船には、料理とか掃除とかする為に乗っているんですよ」
「わあ! 料理人さんなんですね!
私、義勇軍をつくる前はハツキ島の中華料理店で働いていたんです!
冷やし中華って知っていますか?」
トメは大きく頷く。
「ええ知ってますよ。
ここの乗組員さんが好きでねえ。時々作りますよ」
「本当ですか!?
是非、詳しいレシピを教えて下さい!」
「構いませんけれど、それも熱が下がってからにしましょうね」
ナツコは興奮して上半身を起こしていた。
トメはしっかり横になるよう示して、ズレた氷嚢を頭に乗せ直す。
「材料だけでも」
「はいはい。体調が良くなったら、一緒に作りましょうね」
トメは歳を重ねているだけあって、ナツコの我が儘にも動じること無くマイペースであしらった。
とても言い合って勝てる相手ではない。
その時、食べ物の話をしたからか、再びお腹が音を鳴らした。
「あらまあ。お腹が空いたようですね。
もう少し待ってくださいね。消化に良い物を作りますから」
「出来れば冷やし中華を――」
「熱が下がったらねえ」
何処までもトメはマイペースを貫いた。
ナツコからそれ以上要求を出すことも出来ない。
トメはサイドテーブルに水筒を置いてくれた。中身は経口補水液のようだが、体内の塩分が少なくなっていたからか、あまりしょっぱく感じない。
「ええ。しっかり水分をとってね。
ではご飯を作って来ますから、しっかり休んでいてくださいね」
「はーい」
ナツコが気の抜けた返事を返すと、トメはゆっくりと医務室から出て行った。
医務室は静かになった。
ナツコは言いつけを守って、ベッドで横になったまま、とりあえず通信が繋がった時のためにタマキへの言い訳を考えた。
でも次第に意識が遠のいて、結局眠りに落ちてしまった。
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