第237話 アキ・シイジの過去
「どうですか?
大戦の英雄! みたいに出来てました?」
垂れ目気味の瞳を爛々と輝かせて、艦長席に立つユイ・イハラ――もとい、その生体クローンであるナギ・イハラは尋ねた。
映像機器を操作していたアイノは、先ほど配信した映像データを3倍速で確認して所感を述べる。
「少なくともユイよりはそれっぽかった」
「自分のこと?」
アイノの言葉にトーコが口を挟む。
トーコは〈しらたき〉のブリッジに連れてこられたのだが、宇宙艦船について一切の知識が無いためやることも存在せず、空いていた参謀席に腰掛けて暇を持てあましていた。
アイノは不機嫌そうに返す。
「違う。本当のユイ・イハラだ」
「本当のユイ・イハラは本当の大戦の英雄でしょ?」
「記録上はな。
実際は間抜けで鈍くさいアホ女だ」
「嘘でしょ」
信じられないとトーコは言い切った。
ユイ・イハラは公式記録の残っている戦果だけでも人類の歴史上において比類無いほどだったし、彼女の率いる機動宇宙戦艦はたった1隻で、滅亡寸前だった枢軸軍を連合軍との対等講和の席まで導いた。
「そう思いたきゃ好きにしろ。
だがそこにいるナギはユイのほぼ完全なクローンだ」
「ほぼですけどねー」
指で示されて、ナギはのほほんとした口調で朗らかに笑って返す。
話し方はサネルマのそれに似ているが、柔和な顔立ちと合わさって更に抜けているように見えた。
「信じたくない」
「だから好きにしろ」
「じゃあ信じない」
トーコも幼少期は少しばかり大戦の英雄ユイ・イハラに憧れを持っていた。
それが突然、鈍くささではナツコと良い勝負しそうなナギを持ってこられて、大方こんな感じでしたと言われても頭が受け入れなかった。
「で、ナギ元帥? 少尉? ――なんとお呼びしたら?」
「あー、これ、お母さんの制服なんです。私は一応枢軸軍では中佐だったんですよ。
でもアイノ様がおじいちゃん――アマネ様を脅迫して無理矢理つけた階級なので、気にしなくていいですよ。
お母さんと違って士官学校も出てませんし。
普通に名前で呼んでくれて構いません。アキちゃんの娘さんですもの。私もトーコちゃんって呼びますね!」
ナギは外套を重いという理由で脱ぎ艦長席の椅子にかけながら答えた。
お母さん、と呼んでいるのはユイ・イハラのことであろう。生体クローンである彼女に両親が居るはずはない。
トーコは話の中に出てきた「アキちゃん」という言葉に反応しながらも、一時それは忘れてナギについて問う。
「では中佐。あなたはユイ・イハラ提督の遺伝子を元に造られたクローンで、ブレインオーダーでもあるんですよね?
あなたを産み出したのは誰ですか?」
「アイノ様ですよ」
ナギは隠す気も無いようで、アイノの方を示して答えた。
「回答感謝します。
で、アイノ。シアンは何者?」
トーコはナギへ礼を述べると視線をアイノへ向けた。
手のひらで示す先。火器管制席に座っているのは青い髪、青い瞳をした少女。この間までツバキ小隊が捕らえていたシアンだ。
アイノは、ナギのことを中佐と呼んだのに、自分のことを呼び捨てにするトーコに対して若干の苛立ちを見せながらも回答した。
「ゴミ投棄用の惑星に遺棄されてたのを拾ってきて蘇生した」
「アイノが?」
「そうだ」
この場に居ないフィーリュシカについても問う。
「フィーは?」
「群れからはぐれた宇宙人の脳を地球型人類の身体に移植した」
「アイノが?」
「そうだ」
立て続けの質問に、アイノは文句を言わず素直に答えた。
だがトーコは回答の内容に必ずしも満足しなかった。
「とても信じられない」
「信じる信じないはお前の自由だ。
気が済んだなら黙ってろ」
「暇なんだけど。
〈音止〉は?」
機動宇宙戦艦が地表の帝国軍を薙ぎ払う光景を眺めるのには特等席とも呼べる位置ではあったが、トーコにとってそれは退屈以外の何物でも無かった。
元々新しい〈音止〉が手に入ると言うから、アイノの命令に従い、タマキを裏切ってまでここまで来たのだ。
その結果が参謀席で座っておしゃべりするだけではとても納得いかない。
当然の権利とばかりに〈音止〉を要求する。
「積んではあるが直ぐには使えない。
拡張脳の移設も必要だ」
「じゃあ今やって。
アイノも暇でしょ。見てれば分かるよ」
トーコの指摘にアイノは反論せず濁った瞳でただにらみつけるだけだった。
実際アイノの仕事はもう終わっていた。
新鋭戦艦と呼ばれる〈しらたき〉は、最低1人居れば動かせるように設計されている。
それをナギが操艦、シアンが砲撃と役割分担がされている中では、通信機相手に暴言を吐くくらいしか出来ないアイノに活躍の場は無かった。
「そもそも大気圏内でまともに動くように設計されてない」
「――他に機体ないの?」
「ある。――が、じっとしてろ。」
「お断り。
1つだけ言うことを聞くって約束だったでしょ。
もうその役目を終えたんだから、元の場所に返して」
トーコは強気に要求を出す。
機嫌を損ねたアイノは激昂して要求を撥ねのけた。
「愚か者め。
そんなに降りたきゃ地表に叩き落としてやる」
だがトーコは勝ち誇った態度で続ける。
「そう? 出来るならどうぞ。
アキ・シイジの娘を叩き落とせるの?」
アイノは小さな手をぎゅっと握って怒りを露わにしたが、結局席から立ち上がってナギとシアンへ告げる。
「ここは任せる。時刻が来たら攻撃を始めろ。
コゼットのバカが指定した施設には傷1つつけるなよ。
あいつの耳障りな声で説教されるのは御免だ」
「もちろん。お母様のためですもの。任せて下さい!」
鼻歌交じりに火器管制プログラムを組み上げていたシアンは胸を張って応じた。
これから帝国軍の基地を焼き払うというのに、彼女の態度はまるでゲームに興じている子供のようだった。
そんなシアンに不安を覚えるトーコの前に、アイノが立ってついてこいと示した。
ブリッジを出た彼女を追いかけて艦内通路を真っ直ぐに進む。
格納庫までは距離があった。トーコは切り出した。
「アキ・シイジはどうして育てられもしない子供を産んだの?」
「そればっかりは本人にしか分からない」
アイノは率直に答えた。
それはそうだろうけどと、トーコは不満混じりに質問を変える。
「アイノは出産に関わったの?」
「ああ。受精卵作って、成長促進で成熟させて、拾い上げる程度だが」
「全部じゃん。担当医アイノだったんだ。
ってことはメルヴィルは知ってて適当言ってたわけだ」
宇宙海賊の副艦長メルヴィルは、アキ・シイジの担当医はアマネ・ニシの知り合いだと答えた。それは正しかったかも知れないが、アイノと顔見知りだったのだから正体も知っていたに違いない。
「その辺りのこと教えて貰っていい?」
「メルヴィルは何処まで喋った」
問われて、当時の会話を思い出しながら答える。
アキ・シイジは死神と称されるほど凄腕の宙間決戦兵器パイロットだったこと。
連合軍との戦いでアキ・シイジは傷を負ったこと。
最後の力を振り絞り子供を産んだこと。
子供は宇宙海賊に託され、惑星トトミ首都の孤児院に預けられたこと。
それを聞いてからアイノは口を開く。
「余計なことは喋らない利口な女だ」
「あなたにとっては大層都合が良かったでしょうね」
皮肉めいて返すが、アイノは気にする様子も無かった。
ここまで連れてきた以上隠す気もないようだった。
アキ・シイジの過去について話し始める。
「あいつは脳に先天的な欠陥を抱えていた。
右脳の一部脳組織が異常な程発達していて、そのおかげでどんな攻撃も予測して回避出来たし、相手の動きも予測できるから攻撃も必ず当たった」
「だから強かったと。
でも欠陥なんて言い方あんまりじゃない」
アイノは顔をしかめる。
「欠陥以外の何物でも無い。
このあたしですら特異脳――アキが勝手にそう呼んでた――がどういう組成で、どういう構造で出来ているのかさっぱり分からなかった。
しかも使えば使うほど特異脳は成長した」
「どんどん強くなるってことだよね」
「そうだ。
異常発達した脳組織が大きくなればその分思考能力が上昇した。
使えば使うほど、あいつは強さを増した。
あたしが設計した〈音止〉もあって、あいつは宇宙で誰よりも強くなった。
メルヴィルは戦闘で傷を負ったと説明したようだが、そりゃ誤りだ。
あの大戦の最終決戦でアキは〈ハーモニック〉3機を単独で相手にしたが、1機を撃破、2機を大破させて帰ってきた。
機体は傷ついたが、それだけだ。どっかの下手クソとは違う」
「私の悪口は散々聞いたから省略していい」
トーコは一応反応したが、話が逸れるのを嫌って続きを促す。何が問題だったのかと問うと、アイノは回答した。
「異常発達した脳組織そのものだ。
飛んでくる誘導弾を観測して瞬時に軌道計算しちまうほどの演算能力だ。
そんな物が頭の中にあって、しかも使えば使うほど成長した。
成長を続けた特異脳は肥大化して、通常の脳組織を圧迫し始めた」
トーコは息を呑む。
スーパーコンピューター並の、もしくはそれ以上の演算能力を有する脳組織。
しかも組成も構成も不明。原理不明の物体が、頭の中で肥大化を続けた。
その先に起こることは、詳細は分からないまでも、感覚的には理解出来る。
内側から圧迫された通常の脳組織がどうにかなってしまうだろうと、予想するのは容易いことだった。
「それが、アキ・シイジが死にかけた理由?
誰も特異脳を使うなって言わなかったの?」
「散々言った。
にもかかわらずあいつは勝手に戦った。
何処かの下手クソと一緒だ。いくら拡張脳の危険性を説いても、聞く耳を持たなかった」
トーコは反論できない。
拡張脳が危険な物体だと分かっていても、それを使えば戦局を一変させる強さが得られた。
だから使わないという選択が出来なかった。
拡張脳が物理的に使えなくなってしまったから最近は使用していないが、もしまだ稼働していたのならば使い続けただろう。
そしてアキ・シイジの特異脳は自分の頭の中にあった。
彼女は限界を迎えるまで、戦い続ける選択をしてしまった。
アイノはばつが悪そうにしながらも話を続けた。
「あたしの責任でもある。
無理矢理にでも出撃禁止にするべきだった。
だがあいつの力がどうしても必要だったのも事実だ。結局、あいつ無しには最終決戦を戦う事すら出来なかったんだ。
――話が逸れたな。
とにかく、肥大化した特異脳のせいでアキは限界を迎えた。
解決するには特異脳を外科手術で除去するしかなかった。
一刻を争うような状況だったにもかかわらず、あいつは子供を産みたいと願った」
「理由は――分からないんだよね」
トーコは顔を伏せ気味にして自問自答する。
アキ・シイジは子供を産むことを望んだ。
アイノはその望みに答えた。分かってるのはそれだけだ。
「あいつは大戦が終結すれば宇宙が平和になると信じていた。
自分は無理でも、自分の子供には平和な宇宙を見せてやりたかったのかも知れん。――いや、今のはあたしの勝手な憶測だ。
最後の最後まであいつの考えてることはさっぱり分からなかった」
アイノはかぶりをふって自分の考えを否定し、続きを話す。
「ともかく、あたしゃあいつの願いに応じた。
短い付き合いだったがあいつには世話になった。それに、あいつの子供なら見てみたいとも思った。――今となってはバカな考えだったと思うが」
一言余計だとトーコが愚痴る。アイノは聞こえないふりをしてそのまま続けた。
「特異脳の除去が成功するとは限らない。だから先に子供を産ませた。
さっきも言ったとおり、受精卵を作って胎内に戻し、成長促進して出産させた。
欲が出て受精卵を2つ作ったが、片方は未熟児で産まれた。
片方無事ならアキは満足するだろうと、そっちは宇宙海賊に廃棄させた。
残った方の欠陥品がお前だ」
「どうせ欠陥品ですよ」
「ああ全くだ」
アイノは物憂げな表情を見せた。
何か隠してることがあるのかとトーコは問う。
「両方廃棄すれば良かったと思ってる?」
「バカを言うな。
両方育てるべきだった。
あの未熟児の方が当りだったんだ。
カリラが未熟児だった話は聞いたか?」
トーコはかぶりを振る。彼女とは産まれた時の境遇を話し合うような仲では無い。
「あいつも未熟児として産まれたそうだ。だがロイグはあいつを育てた。
今時未熟児なんて珍しい。
あたしゃアキの子供が未熟児で出てきたのは無茶な成長促進で短期出産させたのが原因だとばかり考えてた。
だがカリラの話を聞いて考えが変わった。
あいつはブレインオーダーだ。母親のレナートは、アキとは別の先天的な欠陥を脳に抱えていた。
通常は感知出来ない次元に干渉する力だ。それを使って胎内に居るカリラの脳へ直接情報を書き込んだ。
結果、脳の成長が優先されてカリラは未熟児として生まれた。肉体の成長が後回しにされたんだ」
トーコはそこまできいて、本来であれば双子になるはずだった子供に何があったのか予想をつけた。
脳の成長が優先されて肉体の成長が後回しにされるのであれば、その子供も脳成長が優先されたのだろう。
そしてアキの子供には、脳成長が優先されるような事態が発生し得た。
「特異脳が遺伝してた……?」
「あたしはそうだったと考えてる。
今となってはどうしようもない。もう廃棄させちまった。
残った方は特異脳の欠片も遺伝してない。あるのは多少の思考演算に対する耐性くらいで、自分で考える能力は皆無だ」
「なるほどね。皆無は言い過ぎだけど。
でもアイノが私を下手クソ扱いする理由は分かったよ。
特異脳が遺伝してる可能性があったから私を〈音止〉のパイロットにしたのに、全くなかったと」
「特異脳に期待したわけじゃない。
お前に期待したのは拡張脳を使うことだけだ。だがそれも中途半端だったから下手クソの穀潰しだと言ってるんだ」
トーコは流石にむすっとしたが、ここまでの話を聞いて、〈音止〉のパイロットが自分でなければならない理由が分かってきた。
「〈音止〉の拡張脳は、拡張脳との遺伝子一致率が一定以上じゃ無いと使えないんだよね?」
「そうだ」
アイノは確かに頷いて見せた。
説明を求めるように視線を送ると話し始める。
「出産の後、そのまま特異脳の除去手術を始めた。
あたしゃ自分の専門を脳科学だと自負してたが、それでも特異脳の除去を上手く行かせる自信はなかったし、実際手術してみて自分がどれほど愚かだったか思い知らされた。
原理不明の物体が訳の分からない形状で脳の中に寄生してた。
あんな手術は2度とごめんだ」
「失敗したの?」
問いにアイノは怒ったように首を横に振る。
「バカを言うな。あたしゃ天才だ。
最悪の事態は免れた。アキは一命を取り留めた。
――だが、それだけだ。身体は動かせない。意識も長時間保っていられない。
それに、これはこっちの都合だが、アキの介護をしていられるような状況じゃ無かった。
拡大し続ける帝国軍に対抗するための準備に取りかからないといけなかった。
通常脳組織の再生に期待して処置は施したが、その後直ぐに、アマネに頼んでアキを別の場所に移させた。
詳しい場所はアマネしか知らない。
だがあいつは信頼出来る。きっと今もアキは生きてるはずだ」
「そう」とトーコは気の無さそうに返事をした。
母親が生きているとは分かっても、結局、死にかけた身体で子供を産んだ理由は分からず終いだ。
これでは怒っていいのか、もし再開できたときにぶん殴っていいのか判断がつかない。
アイノは咳払いして話を再開する。
「――で、取り出した特異脳だが、捨てるには惜しい物体だった。
実験の結果、エネルギーを送ってやれば思考回路を形成することが分かった。アキの頭の中にあった時とは桁違いのエネルギーを要求したが、〈音止〉の深次元転換炉なら事足りた。
だが問題もあった」
「遺伝子一致率がある程度ないと使えなかったと」
「そういうことだ。
計算するにもどこかから計算内容を送ってやらないといけないし、計算結果を取り出すにも窓口が必要だ」
「そこで私の出番ってわけね」
「ああ。期待していた程じゃなかったが、動かすことには成功した」
「そりゃどうも。
私は母親の脳みそ接続されて戦ってた訳ね」
トーコはいつだったか〈音止〉のコクピットで居眠りしていた際、かつての戦争時の記憶を見たような気がしていた。
今思えばあれは、特異脳に残されていたアキ・シイジの記憶の欠片だったのだろう。
「そこまでして特異脳を使う理由は?」
「厄介な宙間決戦兵器パイロットがいる。
あろうことか逆恨みでアキに対して殺意を抱いてる。
対抗できるとしたらフィーか、特異脳を使った誰かか。
フィーには他に仕事があるから後者に期待したいが、残念なことにね」
アイノは発言を誤魔化すが、言いたいことはしっかりとトーコに伝わっていた。
期待していたほどトーコは強くなかった。
だからアイノはトーコを見限ろうとした。でも結局、トーコはここまでついてきてしまった。
拡張脳を――アキの特異脳を積んだ、宙間決戦兵器〈音止〉を動かすために。
「上手くやるよ」
「今まで上手くやってきた奴が言うなら少しは期待したかもな」
「これまでだって上手いこといってたよ。
だって私もアイノも生きてる。そうでしょ?」
「妄言だな。
ここまで連れてきたが、〈音止〉に乗るのは強要しない。
こっちの都合で戦いに巻き込んだが――」
トーコはアイノの言葉を遮った。
それから指先でアイノの額を軽く弾く。
「止めろ暴力女。あたしの脳はお前のと違って精密なんだ」
「どうだか」
額を押さえるアイノの隙をついて、更に一発叩き込む。
アイノは赤く染まった額を抑えて非難の目を向けてきた。
トーコはそれを軽くあしらって口を開く。
「私、アイノの都合で戦ってるわけじゃないから。
自分で戦うって決めて軍人になったの。
アイノと出会って〈音止〉が貰えなかったら今よりずっと寿命は短かっただろうけど、それでも戦う事は決めてたから。
今だってそう。
ツバキ小隊として戦うのも、ナツコをハツキ島まで守るってのも、自分で決めたことだから。
その厄介な宙間決戦兵器パイロットが統合軍の敵なら、私は戦うよ。
〈音止〉がなくたって、アイノが居なくても。
――だから私のことは好きに使って。
で、下手クソの穀潰しでも勝てるように、ちゃんと機体整備して策を練っておいて。
アイノは天才なんでしょ?」
アイノは俯きながら舌打ちする。
「愚か者め」
「知ってる」
「いいや。お前が思っている以上にお前は愚かだ」
「知ってるって」
「何も分かっちゃいない」
アイノは足を止めてトーコを睨む。
遅れて立ち止まったトーコは振り返って、何がそんなに気に食わないのかと視線で問う。
「あたしはお前を殺すぞ」
冷たい言葉。
濁りの消えたアイノの青い瞳は真剣そのものだった。
だがトーコはその瞳を真っ直ぐ見据えて応じる。
「私は死なない。
戦って、戦って、戦い抜いて生き残ってやる」
アイノは視線をそのままに返した。
「そう言って死にかけた奴を知ってる」
「でも死ななかった」
「運が良かっただけだ」
「才能で負けてても、運だけなら私だって負けてない」
アイノはそれを鼻で笑う。
「やっぱりお前は愚か者だ」
「お互い様でしょ」
「お前ほどじゃない」
アイノは再び歩き出し、早足でトーコを抜き去ると格納庫の扉を開いた。
明かりをつけると、正面に赤く塗装された機体が映る。
15メートル級宙間決戦兵器。大きさは異なるが、そのフォルムにはトーコも見覚えがあった。
「――これが〈音止〉。アキ・シイジの乗った機体……」
「それは後だ。こっちに来い。
――おい、こんな所で何をしている」
足下に転がっていた何かに躓いて、アイノが憤慨する。
蹴飛ばされた何かは、毛布代わりに纏っていた黒い布きれを脱ぎ捨てると立ち上がり、淡々と無感情に問いかけに答えた。
「休憩」
彼女――フィーリュシカの言葉にアイノは更に憤慨する。
「お前には機体の整備をするよう言いつけたはずだ。
誰も入れるなと言った艦内に部外者を連れてくるし、人の言うことを聞かない奴め」
「準備完了まで中に誰も入れるなという命令を受けた。
通したのは準備完了後。命令には反してない」
「いつから屁理屈をこねるようになった」
「何が不満なのか理解出来ない」
「もういい。出撃準備をしろ。トーコの援護に当たれ」
フィーリュシカはトーコの方をちらと見て、それからアイノへと向き直り頷く。
「承知した」
「分かったらさっさと移動しろ」
こくりと頷いたフィーリュシカは、〈R3〉の装着装置がある方へと歩いて行った。
アイノは怒るばかりでそんなフィーリュシカの様子など気にもとめていなかったが、トーコは彼女の後ろ姿に――歩き方に違和感を覚える。
――怪我してる?
しかも軽くは無さそうだ。腕の動きもおかしい。
でもフィーリュシカ相手に誰が怪我を負わせることが出来るだろうか。
「早くしろ」
アイノの言葉に思考を中断されて、トーコは駆け足で向かった。
用意されていたのは、全身を黒く塗装された7メートル級装甲騎兵。
「黒い〈ハーモニック〉……。
アイノが造ったの?」
「こいつは違う。別の技術者が造った。
〈音止〉の――違うな。お前のテストをするのにちょうど良いから持ってこさせた」
輸送護衛任務の最中に、レインウェル北部で戦った黒い〈ハーモニック〉。
トーコはそれに敗北し、アイノに見限られかけた。
だがトーコはその時拡張脳を使っていた。機体も万全の状態だった。一体誰が操縦していたのかと当然の疑問が沸く。
「パイロット誰だったの?」
「フィーだ」
「嘘。
だってあの時――。あ、レイタムリットに残ったんだっけ」
フィーリュシカはブレインオーダーとの戦闘で怪我を負ったことを理由に、輸送護衛任務には参加しなかった。
レイタムリット基地で治療に専念していたはずだが、何らかの方法で抜け出して、トーコの前に立ち塞がったのだろう。
「でも待って。ハイゼ・ブルーネの時は?」
「そん時は設計者が乗ってた。
向こうの言い分だと、〈音止〉が突出しすぎてたから止めに来たんだと」
「その人は今どこに?」
「宇宙海賊に売り飛ばした」
思いもよらぬ人身売買宣言に意表をつかれながらも、トーコは搭乗のため汎用機を身につけ始める。
「操縦は一般的な装甲騎兵と変わらないよね」
「ああ。いくつか特殊な機能もあるが、マニュアルを読め」
「了解」
アイノは黒い〈ハーモニック〉足下の制御用端末を操作して、機体コアユニットを稼働させると、コクピットを開放した。
それからリフトを操作してトーコの目の前に降ろす。
トーコがリフトに足をかけると、アイノもリフトに乗った。
複座には見えないと呟くトーコを無視してリフトが上昇する。
リフトが上がりきるとトーコはコクピットに乗り込んだ。アイノはリフトに片足をかけたまま、機体の起動手続きを手伝う。
「出撃準備を済ませろ」
「了解」
言われるがまま、個人用端末をかざして認証を実行。
既にトーコのパーソナルデータが入力されていたようで認証を通過。
メインディスプレイが立ち上がり、機体名〈ヴァーチューソ〉が表示される。
〈ハーモニック〉のカスタム機ではなく、機体名の与えられた派生モデルらしい。
汎用機とコクピットブロックの操縦機構がリンクを確立し、セルフチェック通過。出撃待機状態まで移行した。
「出撃準備完了」
「頭を後ろに押し付けろ」
「どうして?」
「いいからやれ」
やれと言われたら拒めない。
トーコは背もたれに身体を預けて頭を押し付けた。
途端、首筋に冷たい物体が押し付けられた。
突然のことに全身が強ばるが、同時に身体から急激に力が抜けていく。
「あっ――ん……。
――ちょ、ちょっと何今の!?」
「もうその反応は飽きた。
触ろうとするな。神経を繋ぐ有機ケーブルだ」
「〈音止〉のアレと一緒?」
「ケーブル自体はな」
でも繋いだところで〈ヴァーチューソ〉には拡張脳は積んでいないはずだ。
今も拡張脳は、ここまで来るのに使った装甲騎兵の方の〈音止〉に搭載されている。
疑問に答えるようにアイノが言う。
「特異脳を再現しようとして産み出した出来損ないが積んである。
神経伝達で操縦のサポートくらいには使える」
「特異脳の出来損ないね」
道理で人間のような動きをしていたわけだと、トーコはようやく始めてこの機体と対峙したときの謎が解けた。
「好きに使って良いの?」
「構わない。
こいつは大した演算能力も無い。お前の脳でも問題無く扱えるはずだ」
「それは良いね」
異常な情報量に脳が焼かれないのはトーコにとって喜ばしいことだった。
その反面拡張脳のように周辺観測や未来予測には使えないが、〈しらたき〉の援護の下戦うのだから、多少スペックが低くても構わないだろう。
アイノはリフトへ体重をかけてコクピットから離れていく。去り際にトーコへ声をかけた。
「頼りになる整備士が後ろにいないからって癇癪を起こすなよ」
「ゲロ臭くないぶん操縦に集中できる」
アイノは皮肉に対してささやかながら笑みを返す。
「それでいい。
〈しらたき〉が援護するし、フィーも援護につける。
死なない程度に好きにやってこい」
「了解。言われなくてもそのつもり」
コクピットブロックが閉じる。
全てのサブディスプレイが立ち上がり、統合軍の戦術データリンクとの接続が確立。
勝手に出撃コード『ツバキ8』が発行されて、ツバキ小隊の現在地が共有される。
『カタパルトへ。
着地には重力制御ユニットを使え。使い捨てだから起動タイミングを間違えるな』
「降下訓練は受けてるから安心して」
『ならいい。さっさと行ってこい』
「了解」
アイノがリフトから離れるとトーコは〈ヴァーチューソ〉を立ち上がらせる。
出力に対する動きは良い。神経伝達によって、汎用機とリンクして装甲騎兵の7メートルある機体を自分の手足のように動かせた。
格納庫に設置されたカタパルトまで移動。両足を固定すると、アラートが鳴り正面のハッチが開いていく。
フィーリュシカから同乗許可申請。
許可を出すと彼女は〈ヴァーチューソ〉の右肩に飛び乗ってきた。
見慣れない機体。しかも確実に変態機に分類されるであろう機体だ。
装甲の薄い、高機動機のような見た目なのに、右腕には大型火砲を装備している。
その火砲も統合軍が一般的に使用しているものとは言い難い、特殊用途向けの42ミリ対装甲砲だ。
「〈R3〉でカタパルト射出されて大丈夫?」
『問題無い』
気遣ったのだが、フィーリュシカからは淡々とした返答しか戻ってこなかった。
普通に考えたら大丈夫では無いのだが、彼女が問題無いと言う以上そうなのだろう。
念のため確認しておく。
「怪我してるよね?」
『損傷があることは事実。
全力戦闘不可。一時修復まで45時間の休息が必要』
今度は「問題無い」とは返ってこなかった。
やはり怪我をしている。それも軽くはない怪我だ。
だが彼女はここで降りる気はないようだった。
『降下と〈ヴァーチューソ〉援護に支障は無い。
出撃許可が出ている。発進を』
トーコの視界に映るランプは既にグリーンに点灯していた。
早く出ないとカタパルトの操作をしているだろうアイノから苦情が飛んでくると、トーコは発進シーケンスを進める。
「何とか揺らさないように善処するけど、ちゃんとつかまっててね」
『承知した』
反応を確認して、トーコは両足を踏み込んだ。
カタパルトが起動し〈ヴァーチューソ〉は見る間に加速していく。
「ハツキ島義勇軍ツバキ小隊。トーコ・レインウェル。
〈ヴァーチューソ〉出撃する!」
大気圏内を航行する機動宇宙戦艦〈しらたき〉の前方に向けられたカタパルトから、トーコの駆る〈ヴァーチューソ〉が射出された。
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