第222話 ナツコと少女
ナツコは食事を載せた盆を持って、懲罰房区画へ続く管理ゲートを通った。
来客に見張りを任されていたトーコは視線を向けるが、手に持った料理を見て眉を潜める。
「それ隊長の許可は貰ったの?」
トーコが問うと、ナツコは胸を張った。
「もちろんです!
名前を言ったら与えて良いって言ってました」
「ちなみに名前言う気ないみたいだけど。
あとふて寝してるところ」
「え? 寝てました?」
ナツコが懲罰房へ目をやると、ベッドで横になっていた少女がもぞもぞと動いて声を発した。
「起きてる」
「起きてるみたいです」
「起きていればいい話じゃ無いと思う」
少なくとも少女は名前を言っていないし、言う気も無い。
しかしナツコは食事を与える気満々のようで、わざわざ収監されてる捕虜相手に料理をしっかり温めて持ってきている。
「あ、ユイちゃんがトーコさんのこと呼んでましたよ。
〈音止〉の修理するから手を貸して欲しいそうです」
「こんな時に……。
ちょっと待って、誰か呼んでくる」
ナツコ1人に見張りをさせるわけには行かないとトーコはそう提案したのだが、ナツコはかぶりを振る。
「大丈夫ですよ。私だって見張りくらい出来ます。
鉄格子もありますし安全ですよ」
「はっきり言うけど物凄く不安」
「大丈夫です! 過保護すぎます!」
駄々をこねる子供のようにナツコは声だかに主張した。
トーコはどうしても不安を拭いきれなかったのだが、〈音止〉を放っておく訳にもいかない。
「絶対フィー呼んできたほうが良い」
「大丈夫です!!」
トーコの不安は払拭されることはない。
しかし鉄格子がある限り外側に居れば安全なのは確かだ。
食事を受け渡すケージは内側と外側、どちらかの扉しか開かない構造になっているし、余程バカなことをしない限りは安全のはずだ。
「じゃあいくつか約束して。
まず鉄格子には触らない、触らせない。
食事用ケージ開けるときは十分離れさせる。
忠告に従わない場合は迷わず発砲する。威嚇射撃とか要らないから1発目から当てて。
分かった?」
「もしかして私のことバカだと思ってます?」
「違うの?」
「違いませんけど、そこまでバカじゃないです。
それくらいのことは当たり前です」
ナツコは完全には否定できなかったが、それでも身元不明の少女相手に不用意に近づくような真似はしないと主張する。
「分かってるなら良いけど。
隊長との約束はちゃんと守ってね」
「それも分かってます。
何処まで心配性なんですか」
「ナツコに言われたくない」
トーコは去る前に懲罰房の扉が施錠されていることを確認して、それから再度いくつか約束事を伝えようとしたのだが、ナツコがふくれて見せたので「しっかり見張ってね」と言い残してその場から離れた。
過保護なトーコから解放されたナツコは、食事受け渡し用のケージを開けてお盆ごと中に入れた。
「名前は言わない」
「あ、私、ナツコ・ハツキです。
よろしくお願いしますね」
少女がふてくされたように声をかけるのに対して、ケージを閉めたナツコは鉄格子の前でお辞儀して自己紹介した。
「言わないわよ」
「はい。構いませんよ。
それより冷めないうちにどうぞ」
「あんた怒られないの?」
「怒られるとは思いますけど、絶対駄目ならそもそも私1人に運ばせませんし、多分そこまで酷く怒られることも無いと思います。
なので気にせずどうぞ。昨晩から何も食べてないですよね?」
少女はベッドの縁に腰掛けて、ナツコの顔をまじまじと見つめる。
ニコニコとした、何も考えて無さそうなその顔を見て、少女は立ち上がった。
「これ外して貰って良い?」
後ろを向いた少女が、背中側で拘束された両手を示す。
「あ、そうですよね!
どうやって外すんですか?」
「このタイプは鍵とか要らないはず」
「ちょっと見てみますね」
少女は鉄格子間近まで寄り、拘束された両手を突き出す。
ナツコは鉄格子の隙間から手を入れて、試行錯誤の末に拘束具のロックを外した。
拘束具がかちゃんと音を立てて懲罰房の床に落ちる。
「やっと外れた。とんでもない人権侵害だわ」
少女は両手を握ったり開いたりした後、指を1本ずつ曲げて全てが動くことを確かめる。
それから寝過ぎて目やにのたまった目をこすり、乱れた青い髪を整える。
「大丈夫です?」
「あと少し続いたら無理矢理拘束引きちぎってたとこだわ」
「そうならなくて良かったです」
拘束具の強度など知るはずのないナツコは微笑んで返した。
その間抜けな返答に、少女は鉄格子の間近によってナツコの顔を見つめる。
「鈍くさい顔」
「たまに言われますけど、そんなにですかね?」
「ええ。酷いもんだわ。
――でもこの間抜け顔何処かで見たことがある」
少女は更に顔を寄せて、目を細めナツコの顔をまじまじと観察した。
しかしいくら記憶をたどっても答えは出なかったようで、肩をすくめて見せた。
「駄目ね。まるで思い出せない。あたしの記憶力でも覚えていられないほどどうでもいい奴だったってのは確かだけど」
「え、ええ……多分物凄いバカにされてますよね?」
いまいちピンとこなかったが、確実にバカにしている風な態度だった。
しかもナツコはいつぞやこんなやりとりをした記憶があった。
そんなに間抜け面だろうかと思案して、ちょっと前ならともかく、軍隊で経験を積んだ今ならそうでもないのではないかと考え始める。
「今の私は、そんなに間抜けじゃないと思うんです」
「あたしにはそうは思えないわ」
「それはあなたが私のことをよく知らないからですよ」
「そう? 鈍くさい間抜けだってことくらい分かるけど」
「ですからそれは大いなる勘違いなんです」
「かもね。ところであんた左利きなの?」
「え? 確かに左利きですけどどうしてです?」
食事受け渡し用のケージを開けるとき左手で開けたかな、なんて考えを巡らすナツコ。
少女は呆れたように肩をすくめて、左手に持った物を突き出した。
「だってこれ、左利き用でしょ」
ナツコの拳銃、左利き仕様の〈アムリ〉が、少女の左手にあった。
初弾が装填されたそれは、発射可能状態で銃口をナツコの腹部へ向けている。
「――あ、あれ? おかしいです」
「自分がいかに鈍くさい間抜けか理解出来た?」
捕虜に拳銃を奪われた。
しかも至近距離でその銃口を向けられている。
油断が招いた現状に冷や汗を流しつつ、引きつった笑みを浮かべてなんとか答える。
「確かに、ちょっと抜けてたかも知れません。
――あの、拳銃、返して頂いても?」
「返すと思う?」
ナツコは多分返さないだろうな、とは思ったが、他にどうしようもないので苦笑いを浮かべていると、少女は拳銃を半回転させてグリップを鉄格子の隙間から差し出した。
「精々気をつけなさい」
「ありがとうございます。そうします」
ナツコは受け取った拳銃のデコッキングレバーを下げ、ホルスターに収めてロックをかけておく。
同じ過ちを犯さぬよう鉄格子から一歩後ずさり、本来の目的であった食事を勧める。
少女は内側の食事受け渡し用ケージを開けて、お盆ごと受け取るとベッドに腰掛けた。
「次から野菜減らして肉増やして。
あと合成じゃない肉ないの?」
「無いです。
野菜も食べないと駄目ですよ」
「あたしには必要無い」
文句を言いながらも少女は食事に手をつける。
「ちなみにその透明な糸状の食べ物、何て呼ぶかご存じです?」
「糸こんにゃくでしょ」
「いいえ、白滝と呼ぶんです」
「糸状にしたこんにゃくなんだから糸こんにゃくでしょ」
「糸状にしたこんにゃくを白滝と呼ぶんです」
「正直どうでもいい」
少女は食材の名称については対して興味も無さそうで、これ以上議論するつもりは無いと黙々と食事を口に運び、あっという間に平らげてしまった。
「まあまあね。
姉さんの料理に比べたら大分劣るけど」
「あ、お姉さん居るんですね。
お姉さんも青色の髪なんです?」
家族の情報が出てきて、少女の青い髪を綺麗だと思っていたナツコはついつい尋ねてしまう。
しかし少女は機嫌を損ねたのか、目を細めてナツコを睨む。
「尋問のつもり?」
「いえそんなことは。
でもあなたのこと知りたくて」
誤魔化すように笑って「駄目ですか?」と尋ねるナツコ。
少女は鼻を鳴らしたが、問いかけに答える。
「姉さんは青くない。血が繋がってないの。
それとも血縁関係に無いと姉妹って呼んじゃいけない?」
「そんなことはないです。
私にも良く分かります」
「あんたに何が分かるってのよ」
ナツコの発言を適当なことを言っていると判断した少女は挑発的に返す。
しかしナツコは微笑みを浮かべた。
「私、生まれて直ぐ孤児院に預けられたんです。
だから血の繋がってない家族がたくさん居ました。育ててくれたのも孤児院の院長先生です。
血縁関係がなくても、孤児院のみんなは私にとって家族なんです」
少女の青い瞳が、興味を持ったようにナツコを見つめる。
「そうよ。血の繋がりなんて親の勝手な都合でしか無いのよ。
血の繋がった子供を平気で捨てるようなロクデナシも居れば、血の繋がってない相手を大切に育ててくれる人も居る」
「素敵な人に巡り会えたんですね」
ナツコの言葉に、少女は初めて笑みを見せた。
小さなほんの微かな笑みだったが、ナツコには少女が笑っているのが良く分かった。
「ええ。お母様はあたしを拾って、新しい命と居場所をくれた」
「是非お会いしてみたいです」
「あんたならそのうち会えるわ」
「そうですかね? 他に姉妹はたくさんいるんです?」
少女は気分を良くしたのか、問いかけに対して饒舌に語り始める。
「姉さんとあたしと、あと妹が1人。
姉さんは穏やかで料理が上手で、ちょっと抜けてるところはあるけどいい人。
妹は語ることも無いわ」
「まあ、そういう人も居ますよね」
少女は姉の話をするときは機嫌が良さそうだが、妹の時はあからさまに機嫌を損ねていた。
多分、妹との仲は良くなかったのだろうとナツコは見切りをつけて、姉について聞く。
「もしかしてお姉さんって、〈空風〉に乗ってた人ですか?」
「尋問のつもり?」
少女はじとっとした瞳を向けた。
慌ててナツコは謝罪する。
「そんなつもりじゃ無かったんです。
ごめんなさい」
「別に。尋問しないなら閉じ込めておく理由も無いでしょ。
食事――の礼は言ったわね。食器返すわ」
少女は立ち上がると、内側のケージを開けてすっかり空になった食器をお盆ごと返した。
ナツコはトーコとの約束を守り、少女がベッドまで戻るのを見届けてから外側のケージを開いてお盆を取り出す。
「次はお肉増やしますね」
「野菜も減らして」
「それは駄目です。食事はバランスですよ」
少女は不満を訴えるように低く喉を鳴らしたが、「まあいいわ」と肉を増やすことだけ念を押した。
それからナツコが取り出したお盆を机に運ぶのを見ていたが、思い出したように呟く。
「シアンよ」
「え? 何の話です?」
唐突にかけられた声にナツコはそれが何を意味しているのか理解が及ばなかった。
少女はそんな態度に舌打ちしながらも説明する。
「名前よ。言わないとあんた怒られるんでしょ。
シアン・テラー。
シアンで良いわ」
「シアンちゃんですね。
ありがとうございます。
言ってくれなかったら、運んだ食事を自分で食べましたって報告しなければいけないところでした」
ナツコは屈託の無い笑みを向け礼を言う。
シアンはその笑みから逃れるように視線を逸らし、小さな声で問いかける。
「あんたは?」
「はい?」
質問の意味が分からずナツコが首をかしげると、シアンはことさら不機嫌そうに口を開く。
「あんたの名前。
聞いた覚えはあるけど内容を覚えてない」
「あ、そういうことですか。
ナツコです。ナツコ・ハツキ」
「ナツコね。とろそうな名前」
「それは――そんなことないと思うんですけど……」
確認するように自分の名前を口の中で繰り返すナツコ。
そんなバカなことをしているとシアンがベッドに横になったので、眠ってしまう前にと問いかける。
「シアンちゃん、あの時どうして私を助けてくれたんです?」
「何の話?」
「ラングルーネ基地攻略戦の時、助けてくれましたよね?」
「見間違いよ」
「〈アヴェンジャー〉は普通の人には装備できないって聞きました」
「だから見間違いでしょ」
シアンは腕を枕にして、ナツコに背を向け横になった。
「十分質問には答えたでしょ。
もう何にも言うつもりないから。おやすみなさい」
「分かりました。おやすみなさい」
シアンは十分に話してくれたと、ナツコはそれ以上問いかけなかった。
見張りとしての仕事を果たすべく眠りに入ったシアンへ意識を半分向けながら、持ってきていた教育用端末を取り出した。
◇ ◇ ◇
見張りを交代し、シアンの使った食器を運ぶナツコ。
丁度そこにタマキが食料備蓄の確認に来た。
彼女は空になった食器を見て、期待すること無く問いかける。
「綺麗に食べましたね。
それで名前はなんと?」
「はい。シアンちゃんです」
問われたナツコは聞いたとおり正確に答えたのだが、よもや回答が返ってくるとは思っていなかったタマキは、脳が処理するより先に口を開いてしまう。
「名前を言ったら食事を与えるという決まりです」
「はい。ですから、シアンちゃんです」
再びナツコは正直に答える。
ようやっとタマキの頭も言葉の意味を理解した。
「あの子、名前を言ったの?」
「はい。言いました。シアンちゃんです」
「本当に?」
「本当です」
ナツコは身の潔白を証明しようと真っ直ぐにタマキの目を見た
タマキもナツコが嘘をつくことは無いだろうとその言葉を信じる。
「良く聞き出せましたね」
「シアンちゃん、優しい子ですよ」
「そうは思えませんが。シアン。シアンね。
他には何か気になることはありましたか?」
問いに、ナツコは拳銃を奪われたことが真っ先に思い浮かび、そんな報告をしようものなら確実に怒られるだろうし、奪ったシアンも何かしらお咎めがあるだろうと、冷や汗をかきながら必死にかぶりを振った。
明らかに怪しいナツコの反応にタマキは訝しむように視線を向けたが、ナツコは最後まで口を割らなかった。
「隠し事ですか」
「そうですけど、しっかり解決したので、あまり深刻じゃ無いです」
「あなたがそう言うなら信じましょう。
名前を聞き出したのは良い仕事です。よくやってくれました」
褒められたナツコはちょっと照れくさくなって右手で頭をかく。
タマキは危ないから両手で運ぶようにと注意して、1度直接話をしてみようと懲罰房へと足を向けた。
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