第157話 〈音止〉対〈ハーモニック〉
「拡張脳使っていいよね?」
「使えるものは全て使え。手を抜いて勝てる相手じゃない」
トーコの言葉にユイは即答した。既に有機ケーブルの格納されたコンソールはロック解除されていて、トーコが引き抜いたケーブルを後ろへ渡すと、それは躊躇なく首筋に刺された。
「んっ――。急に刺さないでよ」
「そんなこと言ってる場合か」
「そうだけどさ。無響域ってまだ積んでる?」
「ああ。ただし使えるのは1度きりだ。よく考えて使え」
「了解」
トーコは〈音止〉の火器管制へアクセスし、全武装の最終チェックをかける。
主力の左腕122ミリ砲。これは弾種選択装置を外し、全て徹甲弾を積んできた。
副兵装として右腕88ミリ砲。こちらは弾種選択装置を残し、徹甲弾と対装甲榴弾、榴弾をバランスよく積んでいる。
近接戦闘武器として、〈ハーモニック〉の振動障壁と共振し、防御力を無視して攻撃可能な共振ブレードが2振り。
機体周辺のあらゆる振動兵装を一時的に無力化する無響域。
残る装備は対歩兵用の25ミリ機関砲と爆雷程度。気を逸らしたりレーダーを錯乱したりはできるが、相手が相手なので小細工が通用する可能性は低いと予想された。
「拡張脳、起動するよ」
トーコは武装チェックを終えると、いまだに有機ケーブルを接続していないユイに対して早くするよう促した。彼女はケーブルを手に持って首筋にあてると、直ぐには刺さずトーコへ語り掛ける。
「後のことなんか考えるな。あいつに勝つことだけを考えろ。いいな」
「分かってる。準備良い?」
重ねた催促に、ユイは忠告を飛ばす。
「あまり機体を壊すな」
「それって〈音止〉のこと? それとも〈ハーモニック〉?」
問いかけにユイはようやっと有機ケーブルを首筋に刺し、脳接続を介して答えた。
”両方だ”
”――了解。善処する”
トーコは有機ケーブルの格納されていたコンソールにある起動スイッチを押しきった。〈音止〉コアユニットに装備されていた制御棒が弾き飛ばされ、出力最大値が50%まで上昇する。
”二式宙間決戦兵器〈音止〉
起動最終確認
全機構点検 : 正常
冷却機構 : 正常稼働成功
脳接続 : 確認
拡張脳同調率 : 79% ―― 起動可能
主動力機構 : 正常稼働 出力49%
起動最終確認正常終了
〈音止〉起動可能
〈音止〉起動 : 是 / 否 …… ”
謹慎期間中に拡張脳を使って訓練を重ねたおかげで同調率が上昇していた。この状態なら通常稼働で15分。全力稼働でも10分近く戦闘可能だった。
それでも使用後の発熱と頭痛がなくなるわけではないが、脳負荷によって情報量制限をかけられるまでの猶予は伸びた。
トーコは起動を承認し、〈音止〉起動最終シーケンスへと移行させる。
”二式宙間決戦兵器〈音止〉
全安全装置 : 解除
主動力機構 : 全力稼働 出力99%
拡張脳 : 起動
接続脳保護 : 有効
…………全機構正常稼働確認
――〈音止〉起動 ”
全ての冷却機構が稼働開始し、コアユニットから光の柱が立ち上った。
トーコは体感時間を引き延ばされ、重い液体の中に浮かんでいるような錯覚を覚える。
視覚情報から色が消え失せ一面灰色に染まった世界で、目の前の、漆黒の敵を睨む。
”全力で戦う。吐く準備しておいて”
”準備は出来てる。構わず行け”
トーコは真っ直ぐ敵を見据えて意識を集中させた。
黒い〈ハーモニック〉は進路を塞ぐように立ちふさがり、両腕を下ろした一見無防備ともとれる構えをとっていた。
〈音止〉との相対距離は800メートル。拡張脳を起動したトーコにとって一撃必中のはずの距離だが、相手は得体の知れぬ強さを持つ。
ハイゼ・ブルーネ基地での戦いでは、黒い〈ハーモニック〉の人間のような動きに翻弄され敗北を喫した。
意識を向け続けつぶさに敵機を観察し続けるが、まるで置物のように動かず、その場で体重移動すらかけない。
こうしている間にも拡張脳のもたらす情報量によって体が熱を持ち、吐き気を伴う頭痛が押し寄せてくる。
拡張脳を使っていられる時間は限られる。相手の目的が輸送車両を奪うまでの時間稼ぎだとしたら、向こうから攻めてこないことも予想出来た。
こちらから仕掛け、一気に突破するほか無い。
一挙動で122ミリ砲を向ける。砲口を向けられても〈ハーモニック〉は動かない。
仮想トリガーへ指をかけた瞬間、〈ハーモニック〉が回避機動をとった。右へ瞬発的に移動。
拡張脳が取得した空間情報を計算し、圧倒的な情報量としてトーコの脳へと押し付ける。
荷重分布から、機体の運動状態、加速度、全関節の稼働状態を明らかにし、未来の移動予測点を導き出す。
誤差修正した122ミリ砲は〈ハーモニック〉の移動先を捉え、瞬時に仮想トリガーが引かれた。
発砲炎が雨粒を払い飛ばし、振動障壁ごと〈ハーモニック〉を貫く122ミリ徹甲弾が放たれる。
――避けられた。どうして?
回避されるより早く、拡張脳が攻撃失敗を告げる。
攻撃の瞬間を予測され、本来の予測線から外れた行動をとられた。
だが回避行動すら見越して攻撃を放ったのだ。それが回避されたことにトーコは戸惑いを隠せず、右腕88ミリ砲を向けながら緊急後退。足下を狙って発砲。
榴弾が爆ぜるが、敵機は小さく跳躍しそれを回避すると、ブースターに点火し距離を詰め始めた。
――こいつ、接近戦に持ち込むつもり!?
機体スペックだけを見れば接近戦で有利なのは〈音止〉だ。高い機動力と瞬発力は近接戦闘においてその真価を発揮する。
しかし前回は接近戦に持ち込まれて手痛い傷を負った。
後退を続けつつ距離をとって観測を継続。
だが脳疲労は蓄積を続け、脳の中枢が痛みを訴え始める。
それでもトーコは攻められない。普通の〈ハーモニック〉が相手であれば垣間見える、『絶対に攻撃の成功する点』が、この黒い〈ハーモニック〉に対してはどうしても見いだせなかった。
全速力で距離を詰めながらも、一切の隙の無い機動。
――前に戦った時より強い。違う、こいつ、前回とは別人……。
敵機が遂に90ミリ砲を構える。
拡張脳が唸りを上げ、砲の向きから弾道を予測。
敵機にかかる荷重分布が突然崩れた。それすら拡張脳は捉え動きを再計算するが、連続的に行われた急制動と急加速により敵機はバランスを崩し、おおよそ人間の動きとは思えない動きで膝から崩れ落ちる。
――今だ!!
〈音止〉がアンカースパイク射出と同時に122ミリ砲を構え、体勢を崩した〈ハーモニック〉へ狙いを定める。
”攻撃予測。危険”
大きく崩した体勢のまま、敵機が90ミリ砲を放った。
放たれた砲弾へ意識が向けられると、拡張脳が回避機動を算出開始。
”回避可能。攻撃継続、危険”
90ミリ砲は回避可能。だが敵機は左手を突き出していた。
装備されているのは音波砲と、57ミリ砲。その攻撃を予測しようとするが、〈ハーモニック〉は体勢を崩しているにもかかわらずブースターとスラスター制動によって、傍目には転んで転がっているようにしか見えないような形で前進。
その滅茶苦茶な動きにトーコは相手の先を読むことが出来ない。拡張脳が回避ルートを算出するが、地を転がる敵機の行動が予想しきれない。
愚直に後退をかけていた〈音止〉へと57ミリ砲が放たれる。
耳を劈く甲高い音に、螺旋を描く発砲炎。
”共鳴作動検知”
――分かってる!
振動によって防御を無視して攻撃を行う共鳴。
対〈ハーモニック〉兵器として製造された〈音止〉は共鳴を無効化するが、装備された武装に命中すれば異常振動によって瞬く間に破壊されてしまう。
意識を更に集中し、拡張脳へ全力で回避機動を計算させる。
脳が蓄積疲労増大を訴える。まだ5分と戦っていないのに、既に脳負荷が50%を越えていた。
”回避不能”
最大出力で計算を実行した拡張脳が事実を告げる。
トーコは弾道から防御方法を計算させ、やむなく左腕122ミリ砲を投棄。直撃コースをとっていた57ミリ砲弾の射線上に放られたそれは、命中と同時に気味の悪い高周波の音を響かせると、共振作用によって本来の物理的強度が無視されたかのように歪に砕け散った。
”強すぎる”
”だったらどうする。逃げるのか? 止めはしないぞ”
”戦うよ。ちょっと黙ってて”
ユイはそれきりトーコへ対して意思を伝えようとはしなかった。
本当は指示して欲しかったトーコだったが、それで1人で戦うしか無いと、突撃をかけてくる敵機を睨んだ。
90ミリ砲の直撃をくらうのだけはまずい。
だがそちらの回避に専念していると57ミリ砲が飛んでくる。機動力を優先したとは言え、〈音止〉の正面装甲は57ミリなら受けきれる。恐ろしいのは武装破壊だ。122ミリ砲を奪われ、更に残った88ミリ砲まで奪われたら、近接戦闘武器しか残らなくなる。
この不可思議な動きをする敵機との近接戦闘は、トーコにとって考えたくないことだった。
突撃をかける〈ハーモニック〉へ88ミリ砲を指向させる。
振動障壁は88ミリ砲を弾いてしまう。だがあくまで弾くだけだ。装甲に対して垂直に近い角度で突入させれば、弾かれること無く装甲を加害する。
拡張脳による演算を使えば、そう難しくはない。
だというのに、トーコの脳裏には先ほどの不可思議な動きがまとわりつく。
2脚人型装甲騎兵は構造だけ見れば人間によく似ている。
だが人が乗り込んで操縦する以上、〈R3〉のように直感的には操縦できない。どうしても機械的な動きになってしまう。
それが圧倒的な火力・防御力・機動力を備えた装甲騎兵の弱点だった。
以前黒い〈ハーモニック〉と戦った際、トーコは敵の人間のような動きに翻弄された。
そこに機械らしさはなく、7メートルの巨体を持った人間がそこに居るかのようにすら思えた。
だが、今目の前に居るのはどちらでもない。機械的な動きでは断じて無いし、人間のような動きでも無い。
その動きは人間とは別の理で動く生命体のようで、予測困難であった。
距離を詰める黒い〈ハーモニック〉。
その正面装甲へと88ミリ砲を指向させ切ったトーコは、意識を集中させ、砲弾の突入角と装甲の配置を入念に計算。
拡張脳が答えを導き出すと同時に発砲。それを見越したかのように敵機は転倒した。
足首をひねりながらくるぶしで大地を削り前のめりに倒れる。肩に命中した88ミリ徹甲弾は振動障壁によって弾かれ彼方へ飛んだ。
陽炎のような揺らめきが途切れるが、追撃の手段を持たない〈音止〉は視線同調の25ミリ機関砲を乱射するしかなかった。
機関砲をものともせず、倒れた〈ハーモニック〉は地面に手を――いや手首をついた。
予想外の動きに対してトーコは拡張脳へと再計算を命じる。
計算回数が増し、加速度的に脳負荷が高まる。
既に最初の情報量制限まで猶予は僅かだった。
立ち上がらず、地面を手首で叩いて跳ねた機体が、ブースターを噴出させ自ら地面に叩き付けられる。その勢い再び跳ね上がった機体の左腕、57ミリ砲が〈音止〉へと指向していた。
――まずい。
照準は右腕88ミリ砲。これを失うわけには行かない。
甲高い音と、螺旋を描く発砲炎。共鳴作用を持つ57ミリ砲が放たれた。
”回避可能”
拡張脳に回避機動を算出させ、機体を緊急後退させる。からくも砲弾から逃れたが、胸部装甲を地面に押し付けたままブースターによって地を這った〈ハーモニック〉が、飛び上がるようにしながら右手90ミリ砲を指向させていた。
砲撃の瞬間、トーコの意識が急激に現実へと引き戻される。
”警告 : 脳蓄積疲労90%
報告 : 接続脳保護機構 情報量制限50%”
――こんな時にっ!!
残った情報量で回避機動を算出。攻撃予測線を真っ赤になった目で確認しながら、機体を乱暴に横へ振って攻撃から逃れようとしたが、90ミリ榴弾が右腕極至近距離で爆発。
衝撃をもろにくらった右腕が損傷。
機体が大きく揺れ、脳疲労が限界に近いトーコは吐きそうになったが、のど元まで出かけたものを飲み込んだ。
後ろ飛びで敵機との距離をとり、計器を目視で見て機体情報を確認。
右腕小破。88ミリ砲使用不可能。
使えなくなった88ミリ砲を投棄したトーコは、体勢を立て直した敵を見据える。
相手は無傷。90ミリ砲も57ミリ砲も健在。
全身を黒く塗装された〈ハーモニック〉は、陽炎のような音の鎧を身に纏い、白く輝く瞳で〈音止〉を見つめていた。
実力の差は明らかだった。
機体スペックでは新型超高出力コアを積んだ〈音止〉有利。更に拡張脳まで使ったにもかかわらず、相手に1撃も与えられていない。
”潮時だな。撤退しろ”
”黙っててって言ったでしょ”
”あたしゃ機体を壊すなと言った”
”壊すのはこれからだから。保護機構解除して”
”それだけは出来ない”
”ケチ。いいよ分かった”
トーコはユイへものを頼むのは諦めて、50%の情報量制限のかかった拡張脳へ意識を向けた。
残り少ない時間的猶予を、これまでの戦闘データ再計算に割り当てる。
導き出されたのはトーコの予想通りの答え。
これまで敵機は、傍目から見て滅茶苦茶で異常としか思えない行動を続けてきた。
だが現に今ボロボロなのは〈音止〉で、対する〈ハーモニック〉は無傷。
だとしたら、これまでの行動が滅茶苦茶だったはずが無い。
拡張脳の導き出した答えは、敵の行動は全て合理的だと言うこと。
人間ならば足をくじき骨折するような転びかたでも、機械の体を持つ装甲騎兵はそれに耐えうる。
手首で地面を叩くのも、胸部で地面を抉るのも、荷重限界さえ超えなければ問題無い。
人間にとっては非合理的な行動も、それが分厚い装甲に守られているとなれば話は別だ。
人類は機械の装甲を纏う〈R3〉を開発し、7メートル級の巨体を持つ装甲騎兵を開発した。だがその動作は人間の動きを拡張するだけだった。
機械の体を手に入れたのならば、その体に相応しい、新しい運動理論が存在するはずだ。
機械的に算出された最適な行動は、しばしば人間の考える合理的な行動から外れる。
しかし人間の本能が、自らの体と異なる運動理論を拒んでしまう。
それでも、人間の限界を超えた装備を運用する以上、人間の勝手な思い込みなど捨てて、機械に適した動作をするべきだ。
黒い〈ハーモニック〉はそれに従い行動決定している。〈音止〉もそうでなければ勝ち目は無い。
拡張脳は圧倒的な演算速度を誇るが、計算指示を出すのはトーコだ。全ての行動はトーコの知識に従って決定される。
だけど、それでは駄目だ。もっと機械的に、無限に近い可能性から最適な解を見つけ出さなければならない。
――だから、お前が計算しろ。人間らしさなんていらない。最適な運動を、私に示せ!!
拡張脳がトーコの持つ運動理論を無視して、全ての選択肢から〈音止〉の最適な運動を計算開始する。
脳疲労の蓄積したトーコは途切れそうな意識の中で、叩き付けられた情報を元に〈音止〉を操縦する。
地を蹴った〈音止〉はブースターを展開し敵機に迫る。
武装が共振ブレードしか無くなった以上、接近戦に持ち込まなければ勝ち目は無い。
敵機は冷静に迎え撃とうと90ミリ砲を構えた。
砲口が火を噴く直前、トーコは拡張脳の計算結果に基づいて前方へ飛び込むように跳躍した。
回避のためどちらかの足を地に着けておくのが鉄則だが、拡張脳はそれより投射面積を最小限にすることを優先すべきだと結論を出した。
情報量制限によって灰色の世界はゆっくりではあるが確実に進んでいく。
90ミリ砲が照準を修正。
流暢に弾道計算をかけている余裕の無かったトーコは、接近経路だけ確認し、攻撃が外れることを祈って邁進した。
火を噴く90ミリ砲。〈音止〉はその瞬間ブースターを解除。推進力を失い慣性に従うが、スラスター制動によって地面に急降下。砲弾はその僅か上を通過した。
――これで、決める!!
手の甲で地面を叩き、ブースターを再始動。複雑怪奇な機動を取りながら立ち上がった〈音止〉は左手に共振ブレードを構えていた。
対する〈ハーモニック〉が僅かに後退をかけつつ57ミリ砲を向ける。即座に発砲されるが、邁進を続ける〈音止〉は回避行動をとらない。
螺旋を描く発砲炎と共に放たれた徹甲弾は、突き出した右腕に突き刺さった。
〈音止〉は共鳴を無力化する。それに、57ミリ砲では〈音止〉に対する有効だとならない。
手のひらを貫通した徹甲弾は手首の深くまで達していた。〈R3〉であれば手を失う重傷だろうが、装甲騎兵ならば搭乗者は傷を負わない。パーツを変えれば済む話だ。
1対1の戦いである以上、どれだけダメージを受けようとも、最後に立っていた方が勝者だ。
砲撃を受け止めた〈音止〉は前進し、左手に持った共振ブレードを振るう。
極至近距離。振動障壁に触れただけで防御力を無視して破壊する必殺の一撃。
〈ハーモニック〉は緊急後退をかける。しかし高速回転した機動ホイールが、雨でぬかるんだ地面を捉えきれず空転し横に滑った。崩れるように姿勢を低くした機体上方を共振ブレードが通過。
――まだだ!
急速前進した〈音止〉もまた機動ホイールを空転させ、〈ハーモニック〉頭上へと崩れ落ちる。破損した右手が突き出され、敵機頭部を直撃――寸前で振動障壁によって軌道を逸らされる。
耐久限界を超えた右手は手首から先が拉げて脱落した。
”危険 : 脳蓄積疲労95%
報告 : 接続脳保護機構 情報量制限25%”
危険領域に突入した脳疲労によって情報量が4分の1にまで制限される。
途端に認識能力が低下し、体感時間が普段のものへと近くなる。いよいよ後が無くなったトーコは、拡張脳の導き出す最適な行動だけを頼りにがむしゃらに戦闘を継続。
――まだ戦える! あと少しだけ――
機動ホイールが空転した勢いそのままに投げ出された左脚部が、スラスターによって空中を舞う。その場で転回し繰り出された回し蹴りが、敵機左腕57ミリ砲をかすめる。その瞬間、アンカースパイクが炸裂。振動障壁を一時解除されていた〈ハーモニック〉はそれを防ぎきれず、武装を投棄し後退。
――逃がすもんか!
振り回された脚部が異常と共に機動力低下を訴えるが、トーコはそれを無視して最後の攻勢に出る。
人間の動きを超越した、装甲騎兵にとって最適な動きを元に、滑るように間合いに入り込む。既に90ミリ砲の砲身より内側。肉薄することで、火砲を失った不利を覆した。
敵機も武装を失った左手に共鳴刀を持つ。刀身が展開されると、独特な高周波の耳鳴りと共に、共鳴刀が陽炎の如き揺らぎに包まれた。
横薙ぎに振るわれた共振ブレード。
そこへ〈ハーモニック〉は右腕をかざした。90ミリ砲ごと貫いた共振ブレードは、振動障壁の固有周波数と共振を起こした。局所的に無限大となった振動が〈ハーモニック〉右腕を粉々に打ち砕くが、既に強制脱離されていて本体へダメージを与えられない。
攻撃成功によって自壊した共振ブレードを投棄すると、トーコはもう1振りの共振ブレードを抜く。
だが攻撃は敵機が早かった。袈裟斬りの共鳴刀を〈音止〉は半歩後ずさりからくも回避。敵の間合いから逃れたが、それは同時に自身の間合いから逃したことを意味した。
それでもトーコは共振ブレードを振るう。のたうつように繰り出された突き。攻撃の瞬間、〈音止〉は共振ブレードを手放した。
共振ブレードによる共振破砕は防御力を一切無視する攻撃。突き刺さずとも、振動障壁へと触れさえすればそれは威力を発揮する。
再展開された振動障壁へ向けて放られた共振ブレード。
敵機は左足をブースターによる加速によって地面に打ち付け自壊させ、紙一重で攻撃を避ける。
”最終警告 : 脳蓄積疲労98%
報告 : 〈音止〉強制終了準備開始”
――まだだ! まだ止まるな!
既にトーコの意識はほぼ現実へと引き戻されていた。
それでも彼女は悲鳴を上げる自身の脳を酷使し、一瞬で照準を定めると移動用ワイヤーを射出。
〈ハーモニック〉には掠りもしない。
放たれたワイヤーの先端は、空中にあった共振ブレード柄を捉えた。
急速に引き戻されるワイヤー。空中を暴れ狂うように飛来した共振ブレードが敵機背後から襲いかかる。
攻撃はコアユニット側面装甲を捉えたが、〈ハーモニック〉は振動障壁を解除していた。共振破砕は発生せず、ただぶつかっただけの攻撃は装甲に僅かな傷をつけただけだ。
だがトーコはこの瞬間を待っていた。残りのブースト燃料を全てつぎ込み前進。
共鳴刀を逆手に持ち、迎え撃つ体勢をとった敵機へと向けて、左腕の拳を構え突撃を敢行する。
振り下ろされる共鳴刀。
その攻撃が〈音止〉右肩を捉える瞬間、トーコは無響域の起動スイッチを脳内で叩いた。
〈音止〉が凜とした音を響かせる。
全ての振動兵器を一時的に無力化する無響域。それは〈音止〉の右肩に突き立った、共鳴刀の振動を打ち消した。
高周波振動を打ち消され、ただの薄い刃と化した共鳴刀は、装甲を切り裂くことも引き抜くことも出来なかった。それでも〈ハーモニック〉は無理矢理に共鳴刀を押し込もうとする。
肩から侵入した共鳴刀先端は既にコクピットブロック最終障壁まで到達していた。
緊急アラートがけたたましく鳴り響き、脱出機構の作動を強く推奨される。
それでもトーコは更に一歩踏み出し、渾身の攻撃を繰り出す。
人間的な動作を無視して、力学的に最大の威力を持ちうるよう計算されて撃ち出された、左腕の一撃。
それは〈ハーモニック〉正面装甲を捉え、自身の装甲や基礎フレームを崩壊させながらも、装甲奥まで突き刺さった。
”二式宙間決戦兵器〈音止〉
強制終了工程開始
冷却機構 : 負荷99% 異常発生……致命的損傷
主動力機構 : 通常稼働移行不可能――緊急停止
全安全装置 : 再起動 ―― 失敗
脳接続 : 強制切断
拡張脳 : 休止状態移行開始
〈音止〉強制終了
……全機構強制終了
拡張脳 : 再起動不可能…………休眠状態”
強制終了した〈音止〉は、一切の動作不能に陥った。
正面装甲に深々と左腕を突き刺された黒い〈ハーモニック〉は、最後の力を振り絞り後方へ跳躍すると、片方しか無い脚部で地面に立った。
コアユニットを守る装甲が全て脱離されて、緊急冷却材が放出される。
〈ハーモニック〉も戦闘継続可能な状態では無かった。
駆動に不要な全ての装甲を脱離させると、片足の機動ホイールだけで後退を続け、雨の中へと消えていった。
「おええぇ……内蔵まで吐くところだった」
これでもかと吐きまくったユイは、口元をぬぐうとコクピットの非常用ライトを点灯させた。
「おいトーコ。吐くならさっさと吐け」
だがトーコの反応は無い。
ユイは自身の有機ケーブルを引き抜くと、席から身を乗り出してトーコの肩を揺らす。
するとトーコは力なくその場に突っ伏した。
「何をやってるんだ貴様は。だから半人前は嫌いだ」
意識を失ったトーコの有機ケーブルを引き抜いたユイは、続いてヘルメットも外すと脈を確認。かろうじて生きていたので、額に手を当てて熱も確認した。
「無茶しやがって。機体を壊すなと言っただろうが。人の話を聞いているのか、クソが」
悪態をつきつつも、ユイはトーコへ解熱剤を投与し、装備している汎用機のパーツを1つ1つ外し始めた。
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