第4話 取調べ

 強めのノックを合図に、脇机にあるノートパソコンのディスプレイに表示された録画開始アイコンをクリックした。


 録画開始を確認し、大股でドアに向かう。


 ノックの直前まで、「怪人初めてだよー。緊張してきたわー」とぼやいていた寒川検事は、とうに、冷静沈着な検察官の顔になっている。


 ドアを開けると、コオロギみたいな顔の怪人が手錠腰縄で拘束された状態で立っていた。

 貧相な体格の怪人で、痩せ型の女性くらいの大きさしかない。

 それでも、謎の怪人故なのか、大柄な警官2名に両脇を固められていた。

 警察官のうち一人は、地検地下にある身柄拘束中の被疑者を待機させる房、同行室勤務の人だったが、もう片方の人は背広を着た見慣れない顔の人だった。


 怪人は他の被疑者と接触しないよう、独房に入れ、押送も集団で乗るバスではなく、一人ずつ留置場から連れてくる取り決めだ。

 背広の人は怪人が留置されている三滝警察署の人なのだろう。


 どうぞと声をかけると、同行室の警官は躊躇なく、怪人の背中に軽く触れた。


「はい、入って」


 促されると、コオロギ怪人は素直に従った。


 コオロギ怪人が着ている脇腹に大きく『管理』と乱暴な字でマジック書きされた灰色のスウェットから、留置場独特の臭いがした。


 スウェット同様に『三滝署管理』と書いてある便所サンダルが歩くたびに、ぺたんぺたんと間抜けな音を立てていた。


 怪人は、警察官により、検事正面のパイプ椅子に座らせられ、手錠を外され、椅子に腰縄を縛り付けられる。


 人間の被疑者でも、気性の荒い者はこの段階で騒いだり、暴れることもあるが、コオロギ怪人はされるがままだった。

 まるで、ここで暴れても無意味だと分かっているような落ち着きっぷりだった。


「こんにちは。私は検事の寒川といいます。私の話している言葉、分かりますか?」


 警察が作成した供述調書では、「黙して語らず」の繰り返しだった。

 無論、署名・指印なんて取れていない。

 言葉が通じないなんて、分かりきっているが、それでも確認するようにと法務省刑事局ホンショウからの通達に定められている。


「リーリー」


 検事の問いに、怪人は鈴虫の鳴き声に似た奇声で返した。

 ずっと聴いていると、無性に不安になってきそうな気味の悪い声だった。


「お名前は?」


「リーリー」


「生年月日は?」


「リーリー」


「国籍は?」


「リーリー」


「住所は?」


「リーリー」


 何を聞いても、リーリーしか言わない。警察の調べでは、一言も口をきかなかったようだから、進歩はしている。

 けど、せっかく話しても、鳴き声しかあげないのでは、黙秘とほぼ同義だ。

 僕は静かに嘆息した。


「あなたは警察から占有離脱物横領という罪で、ここ検察庁に送られてきました。これから、弁解録取べんかいろくしゅという、あなたの言い分を聞く手続きを行いますが、まず、その前に、あなたに保証された権利の告知をいたします。あなたには、言いたくないことは言わなくて良いという黙秘権という権利があります。ただし、嘘をついて良いという権利ではありませんので、その点は気をつけてください。それから、国選弁護人こくせんべんごにんについて、説明があるので、手元の紙を見てください」


 人語の通じぬ怪人相手にも、検事は淡々とお決まりの告知を続ける。


 勾留請求に必要な書類のチェックをしながら、僕は自転車コオロギの横顔を観察した。

 取調中の被疑者の動向を観察するのも、事務官の大切な役目だ。

 検事はどうしても調べに神経を多く割いてしまうし、正面からしか、被疑者の様子は目視できない。

 だが、事務官席からなら、例えばテーブルの下で、被疑者がハンカチを何度も何度も握りしめている様や、質問に答える際、頬の筋肉がわずかに痙攣した瞬間を捉えられる。


 こいつ、緊張しているとか、後ろめたそうだとか気づける。


 実際、取調べが終わった後、検事から「嘘ついてるように思えたんだけど、横から見てて、どう思った?」と意見を尋ねられる場合もある。


 だから、目を皿にして、しっかり見ておこうと思ったのだけど……。


 うん、表情からは何を考えているのか、全く分からない。


 早々に諦め、机の下の黒い手に視線を動かしたが、妙に折り目正しく揃えて膝の上に置いているなー、指毛みたいなのは、触覚の一種かな? 程度の情報しか読み取れなかった。


 緊張している者にありがちな、貧乏ゆすりなどの挙動も見られない。

 落ち着き過ぎていて、不気味だ。


 取調べは、犯罪事実の読み聞け、罪状認否、逮捕時の状況や犯行に至る経緯についての質問と、教科書通りに進んだ。


 が、結局、コオロギ怪人は「リーリー」以外、何も言わなかった。


 仕方なしに問答調書を作成し、検事による読み聞けが終わると、僕はボールペンと指印器を手に、怪人の傍らに歩み出た。


 無意味に思えても、やるべきことは遺漏なく済ませなければならない。

 コオロギ怪人の瞳に似た無機質な録音録画用のカメラが、僕と検事の一挙手一投足を監視し続けている。

 近くから見下ろすと、怪人の長く立派な触覚が2本生えた頭の頭頂部には細かい産毛が生えていた。


「この内容で間違いがなければ、この辺りに署名をしてください」


 調書の末尾を指差しながら、ボールペンを差し出すと、怪人は受け取って、ミミズがのたうち回っているような線を調書に書いた。


 え? もしかして、僕の言葉が通じた? この変な線は、こいつの名前なのか?

 いや、およそ文字とは呼べぬ、子供の落書きみたいな線を署名と見做すのは危険だ。

 何となく、反射的に意味のない線を書いてみただけだろう。

 象やアシカ、猿だって、クレヨンや筆を使って、何やら書くじゃないか。

 あれと同じだよ、きっと。


「えっと、じゃあ左手の人差し指にインクをつけて、名前の横に押してください」


 って、押したー!?

 指示どおり、左手の人差し指にインク付けたし!


 寒川検事の濃いめの眉が、ピクリと動いた。

 インクで汚れた指先を拭き取らせるのを待ち、検事は弁録の仕上げの常套句を告げた。


「これからあなたには、裁判所に行ってもらい、今と同じような手続きを裁判官からも受けてもらいます。そして、裁判官が判断すれば、今日から10日間、あなたは警察署の留置場に勾留されます。さらに勾留の延長が必要だと認められると、最大20日間の勾留がありえます。勾留期間中には、警察からも私からもお話を聞かせてもらいますので、きちんとお話ししてください。それでは、今日の手続きはおしまいです」




 コオロギ怪人と警察官が退場し、録音録画装置を切った途端、寒川検事は険しい表情で口を開いた。


「あいつ、自分からは話せないけど、俺たちの言ってること理解していたよね。コツを掴めば、意思疎通ができるかも知れないよ」


 やっぱり検事も気づいていたか。僕は重々しく頷いた。


「部長に報告しなきゃ。それから警察にも」


 寒川さんは、もどかしげに電話を手繰り寄せ、三滝署の担当刑事の警電けいでん番号をダイヤルした。


「あ、検事の寒川です。御子柴みこしばさん? どうもお世話になります。本日送致の占脱の怪人の弁録、今終わったのですが……」


 怪人の中には、日本語を解する者がいる可能性がある。

 捜査官としては言わずもがな、ジャスティスレッドとしても、大変億劫であるが、他のジャスティス7のメンバーと共有し、対策を話し合わなければならない重要な発見であった。

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