第3話 明日の新件

 翌日の夕方。


 僕は、調室で相棒の寒川さむかわはやて検事と在宅被疑者の呼出し予定について話し合っていた。


 不意に、卓上の内線電話が鳴った。


「はい。寒川検事係です」


部付ぶつき雨宮あめみやだけど、明後日起訴の案、見終わったから空いてる時、取りに来て」


 雨宮さんは、綺麗な滑舌の理知的な声で一気に用件を告げ、通話を打ち切った。


菰田こもだの案決裁終わったみたいなので、取ってきます」


 受話器を置くと、『何の電話?』と問いたげな検事に報告する。


「お疲れ。今の雨宮さん?」


 そうだと首肯すると、検事は頭を抱え、顔をしかめた。


「マジかー! 怖いなあ。雨宮さん、厳しいんだもん」


 任官4年目、A庁検事、真っ只中の寒川検事は、僕より2歳年上の30歳だ。


 A庁検事とは、任官4年目から5年目までの若手検事の呼称である。

 彼らは、東京、大阪、横浜そして、我らが城西などの俗にA庁と呼ばれる大都市圏を管轄にする地方検察庁に配属される。

 検事としては、いわば修行期間であり、大都会を舞台とした、ありとあらゆる種類の事件を担当させられ、多忙を極める時期である。


 対する雨宮さんは、身分こそ僕と同じ検察事務官だが、勤続20年を超えるベテランだ。

 彼が務める部付というポジションは、チェックマンなんて横文字で呼ばれることもある。


 ペアによって、役割分担は微妙に異なるが、事件処分の際に作成する決裁書類は、担当検事とその立会事務官の合作だ。

 それらの書類を、検事が直に刑事部長の決裁に持って行く前、不備がないかを点検するのが部付の主な仕事である。


 とはいえ、ベテランで、しかも捜査・公判立会経験の豊富な部付になると、形式面以上の指摘もしてくる。


 あくまで検事主体という線引きはしつつも、立会事務官を通じ、「この証拠だけで起訴して大丈夫?」とか「この起訴状だと、公訴事実の特定が不十分じゃない?」といった類の耳打ちをしてくるのだ。


 雨宮さんの場合、ずば抜けてツッコミの精度が鋭いため、若い検事は、何を言われるかと身構えてしまうらしい。


「そんな心配しなくて大丈夫ですよ。記録引き取りついでに、明日の身柄見てきますね」


 ジュノンボーイ出身と申告されたら納得してしまいそうな、甘いマスクの検事に断り、僕は調室を出た。



 刑事部捜査官室にて、雨宮さんからありがたいアドバイスを頂いた後、僕は捜査官室に入ってすぐのカウンターに近づいた。


「おっ、拓哉じゃん」


 カウンターの前をうろついていた長身の中年男性が、にやにや含み笑いをしている。

 決裁待ちなのか、片手に事件記録を持っている。

 僕は男性、横山副検事に会釈をし、カウンターの上に置かれた一枚のコピー用紙に目を落とした。


 県警本部の留置管理課作成の明日の身柄新件送致予定一覧表。


 ずらりと被疑者の名前や送致警察署などが印字された表の余白部分には、刑事部長の字で、担当検事の名前が書き込んであった。


「寒川さんのとこ、ジャスティス・レッドが立会のおかげで、ずっと謎怪人の配点なかったけど、明日、ついに来るぞ」


 人の不幸はなんとやら、妙に上機嫌の横山さんが耳打ちしてきた。

 マジか?


 チャッキーの奴、部長に何かしちゃいないだろうな。


 どうか間違いであって欲しいという僕の願いも虚しく、一覧表の氏名不詳、年齢不明、備考欄に『怪人』と打ち込まれた行の横に、『寒川』と走り書きがあった。


占脱センダツか。横山さんにあげます」


 他人事だからと楽しそうな副検事に、ちょっとだけ反撃する。

 横山さんとは、新米立会だった3年前、1年間コンビを組んだ仲だ。

 未熟者だった僕に、懇切丁寧に指導してくれた恩人であり、父親みたいな人だ。

 礼儀は失しないけど、気軽に冗談が言える相手である。


「いらんよ。明日うちは、オーバーステイの兄ちゃん3人組来るんだ。怪人は身上なんてないようなもんだし、記録ペラペラだぞ。たまには、奴らを処罰するのもいいんじゃないか」


 僕が攻撃力の高い必殺技を、あえて放たないのを知った上での発言がこれだ。横山さんも人が悪い。


「好きで裏をやらされているのではありません」


 目は合わせず、ポツリと反論すると、分厚く大きな手のひらに背中を押された。


 顔を上げると、横山副検事の奥二重の目が、柔らかい笑みをたたえていた。


「頑張れ、と言うべきところだろうけど、拓哉は頑張りすぎるところがあるからな。ほどほどにな」


 暖かい気遣いに、ふっと気持ちがほぐれた。

 からかうような態度もポーズ。本音は訳のわからない使命を負わされた元立会を慮ってくれているのだ。

 ふと、最近気を抜ける瞬間がなかったと今更ながら気づいた。



 ほっこり優しい気持ちになり、捜査官室を出ると、胸ポケットに入れていたスマホが振動した。


 回数からして、メッセージの受信だ。

 片手で届いたばかりのメッセージを開封すると、ブラックからだった。


『ブルーの態度は悪いけど、正直君の対応は目に余ります。僕だって、多忙な中、活動しているのですよ?』


 一気に気分が冷めたのは言うまでもない。ジャスティス7の面子とは、どいつもこいつも馬が合わない。

 僕は割と本気で、チャッキーの人選の裏に、悪意を疑っている。

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