第1章 早く星に帰りたかった

第1話 縁の下の力持ち

「面白かったけど、事務官の扱いが適当なんだよね」


 契印機けいいんきのレバーを回しながら、検察事務官 坂本龍太さかもとりょうたは唇を尖らせた。

 先週末、流行の検察物の映画を彼女と一緒に観に行ったというので、感想を聞いたら、途端に同期の表情は曇った。


 耳障りなモーター音が一瞬止み、代わりにガチャコンと鋭い作動音が鳴る。


「なんかさ、立会がやるべき仕事を後輩検事がやってるの。警察や裁判所とのすり合わせから荷物持ちまでさ。刑事と検事しか出てこねえんだよ。あの世界には事務官いねえのかよ」


「尺も役者も足りなかったんだろ」


「出たー。赤坂君お得意の正論」


 坂本は穿孔されたばかりの供述調書のコピーを、急かすようにモーター音を発する契印機から引き抜き、素早く新たなコピーを滑り込ませた。


 ガシャコン


 狭いコピー室に再び作動音が響く。


 夜8時、城西地方検察庁5階、刑事部コピー室。

 定時は2時間以上過ぎていたけれど、僕らは絶賛残業中だ。

 僕も坂本も、100万ドルには届かないが、80万ドルくらいの地方都市の夜景が見える窓は出来るだけ目に入れないようにしている。

 あの外資系ホテルのレストランでは、カップルがフランス料理でも食ってるのかな、とか考えてしまって、無性に悲しくなるからだ。


 コピー機に検事が署名したての起訴状をセットし、スタートボタンを押す。

 明日の朝、出勤したらすぐに決裁に回すためにも、今日中に書類は整えておきたい。


「正論並べるのは、お前だって同じじゃん」


「仕事上はだよ。プライベートでは俺は柔軟なんだ」


 そうかな?

 彼がプライベート用のSNSでも、決してフリー素材以外の画像を使わないのを僕は知っている。

 あるいは、勤務時間内には、例え誰の目もない残業中であっても、SNSを起動させないことも。

 一般の公務員以上に模範的であれという上の教えを忠実に守っているのだ。


「去年退職した渡部局長覚えてるか?」


 坂本は不意に話題を変えた。


「うん。正直、関わりなかったから、どんな顔だったか忘れたけど」


 十中八九、年相応の見た目の、普通のおっさんだったはずだ。

 捜査部にいると、事務方の幹部とは滅多に顔を合わせないし、仕事上の関わりもない。

 結果、下っ端の捜査立会事務官の脳には、城西地検の事務官トップの顔立ちは曖昧模糊とした記憶しか残らないのだ。

 恥ずかしながら。


「あの人さ、若い頃はずっと東京の特捜いたんだって。内偵捜査の達人で、『特捜のラスプーチン』って呼ばれてたらしい」


「ラスプーチンって……」


 僕は思わず失笑してしまったが、坂本は笑わず、30年近く前に起こった、大疑獄事件の名を口に出した。

 当時の与党の大物政治家まで逮捕され、収賄容疑で有罪判決が下った、戦後史に残る事件だ。


「あの事件のキャップ検事付きが渡部局長だったんだって。検事の補佐しながら、全国から集めた応援の立会の陣頭指揮取ってたらしい。あの事件ってさ、世間では、キャップ検事が、実際に贈賄を行った大企業の子会社の銀行口座に、不可思議な金の動きを発見し、一気に突破口になったって話だろ」


 生まれる前の事件だし、僕はまだ特捜事件の経験がないので、大した知識はないが、そのエピソードは有名だ。

 なぜなら、ヤメ検弁護士となった元キャップ検事自身が、武勇伝として、度々テレビや新聞で吹聴して回ってるからだ。


「けどさ、あれ実際に見つけたのは渡部さんなんだって。自慢すべきなのは、渡部さんなんだよ。でも、世間の人は渡部さんの功績を知らない。この前テレビでやってた、あの事件の再現ドラマにも、渡部さん全然出てこなかったぜ」


 いささか興奮した様子で、坂本はまくし立てた。

 僕は同期の興奮ぶりと対照的に、気持ちは冷めたままだった。


「……まあ、そんなもんだよ。実際に起訴するのは検事なんだし。例え検事が渡部さんの名前を出したところで、カットされるさ。テレビは検事が活躍する絵が欲しいんだ」


 昼間にあった身柄拘束中の被疑者の取調べの光景が脳裏をよぎる。

 取調べが終わり、手錠をかけられた被疑者は、押送の警察官に促され、立ち上がると、検事に深々と頭を下げた。


「先生、ありがとうございました」


 今度こそ更生を誓った、覚せい剤累犯者の中年男の目には、うっすら涙が滲んでいた。


 が、彼は検事の傍らに座っている僕には特に何も言わず、会釈すらせずに、警察官に連れられ退出していった。


 よくあることだ。むしろ、僕にまで礼を言ってくれる被疑者の方が珍しい。


 恐らく、彼らからしてみれば、僕は検事の書記みたいなものでしかなく、捜査官としては認識されていないのだろう。

 検察事務官は、事件関係者が見えていないところで動いているのだから、仕方ないのだ。


 そして、その認識は世間一般の常識でもある。

 不満が全くない訳ではないけど、憤る気力はとうになくなってしまった。


「せっかくのデートだったのに『俺の仕事ってなんなんだろう』って気分沈んじゃったよ」


 また、映画の話に戻った。

 この一言が言いたくて、坂本は勇退した局長の話を引き合いに出したのだろう。


「俺たちだって、社会正義のために頑張ってるのに……」


 聞き取れるぎりぎりの声で、同期は呟き、作業の手を止め、僕の方に向き直った。

 一拍置いて、その太い眉が持ち上がる。


「ん? お前、ケータイ光ってるぞ。着信じゃね? いいのか?」


 僕のワイシャツの胸ポケットに入れたスマートフォンが点滅しているのを、彼は目敏く発見した。


「いいよ。今、うち準抗じゅんこう待ちなんだ。帰るわけにいかない」


 夕方、受け持っている被疑者の弁護人が勾留に対する準抗告を裁判所に申し立てた。

 弁護人の主張が認められれば、被疑者は即釈放される。

 裁判所は今日中に判断すると通告してきたので、結果が出るまでは、僕も検事も待機が必要なのだ。


「え、けど、お前、正義の味方のお仲間が呼んでるんじゃないか? 街でまた化け物が暴れているのかも」


 言いづらそうな表情で、坂本は指摘してきた。

 ジャスティス7の活動は、当初は秘密にしていたのだが、怪人がらみの事件記録にしょっちゅう逮捕者として名前が載ってしまうせいで、庁内では公知の事実になってしまっている。

 僕は首をゆるゆると横にした。


「多分そうだろうけど、あいつらだけでもやれるよ。準抗の結果出るまで、僕は帰らない。明日満期の身柄の起訴準備もあるし、ちょうどいいさ」


 嘘だ。

 僕なしでは、対応できる限度が非常に狭まる。

 でも、僕は非合法な正義の味方活動より、例え日の目を見なくても、合法的な正義の味方としての職務を全うしたかった。


「いいのか? 準抗待ちなら、俺が代わってもいいよ。対応できる誰かがいればいいんだ」


 坂本はなおも僕に帰るよう食い下がったが、僕は丁重にお断りをした。


 見ないようにしていた窓の外に視線を移したが、どこかで怪物相手に戦隊ヒーローが戦っている気配は、全く感じられなかった。


 疲れた顔の僕と坂本の横顔が写っていて、見なきゃよかったと後悔した。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る