第5話 席替え
「うーん、おかしい。俺としたことが。」
始業式から一週間が過ぎたというのに、未だ薫と口をきいていない。こんなに席が離れているのがいけないんだ。もちろん、何か理由を見つけて、いや、こしらえて話しかけてしまえばいいのだが、そんなことを考えようものなら、心臓がバクバク言い出してとても普通に話しかけられそうもない。こんなこと、俺の今までの人生にはなかった経験だ。
「ねえねえ、矢木沢君。僕ね、今度ステージに立つんだけどさ。」
席が近いわけでもないのに、この須藤裕貴がやたらと俺に話をしに来る。
「でね、僕はヴァイオリンなんだけど。」
「え?何?」
「ヴァイオリン。僕、室内音楽部なんだよ。」
「そうなのか?」
俺がつい興味を示すと、須藤の顔は晴れやかに輝いた。
俺は室内音楽部の事を須藤にいろいろと聞いた。この部は、部員は現在八名。四人ずつグループを組んでコンテストに出るらしい。今は二組とも、ヴァイオリン、ビオラ、チェロ、フルートの組み合わせで組んでいるそうだ。
また、顧問は音楽教師の松永優で、彼自身ヴァイオリンが弾けるので、よく指導もするらしい。優しいのと上品で二枚目なルックスのため、生徒にはかなり人気があるというが、部員の中にはマジでファンな奴もいるらしい。
「京一、お前、あいつをあんなに喜ばせていいのか?」
須藤が自分の席に戻った後、隣の席の彰二が小声で話しかけてきた。
今のところ、席は名簿順なので、俺は窓際の一番後ろだ。彰二はその一つ内側の一番後ろなので、机はくっつけていないが一応隣だ。この教室、一番後ろの列は俺と彰二の二つの席しかない。他の列は七人並んでいるが、この二列は八人なのだ。この席は非常に居心地がいい。居心地はいいが、薫は教室の真ん中にいる。近くになれないなら、せめて彰二の近くだったらいいのに。そうしたら休み時間に近くに行く口実ができる。
ああ、せこい。俺らしくない。誰にどう話しかけたっていいはずじゃないか。
「お前らしくないな。いつもなら、ああいうタマは適当にあしらっておくのに。」
「ああいうタマ?」
「矢木沢君ファン。」
「ファン?ばかばかしい。」
「お前は好きでやってるわけじゃなくても、矢木沢京一はわがK高校のアイドルだからな。」
先生が入って来た。これからホームルームだ。俺は斜め前方の薫の後ろ姿を見ながら、突然思い立った。
「先生、席替えを提案します。」
ちょうど、今日のホームルームは何がしたいか、と先生が口にしたところだった。
「早めに席を替えて、多くのクラスメートと親しくなった方がいいと思います。」
「矢木沢君、いいこと言いますね。反対の人がいなければ、やりましょう。」
反対の人などいるはずがない。反対する理由はないはずだ。せっかくいい席なのに、と彰二はぼやいたが、俺の思惑が分かっているので反対はしない。
で、多くの人と仲良くなるための席替えなのだから、好きな者同士で隣になっていいはずはなく、当然くじ引きだ。くじ運に強い弱いがあるとは思わないが、人間こういう肝心な時こそついていないものだ。
席替えをしてみたら、俺は廊下側の一番前。薫は窓際の後ろから二番目だった。なんだこれは。初めの席の方が後ろ姿を眺められるだけましだった。すると、後ろの方の席の奴が手を挙げた。
「先生、僕目が悪いので、前の方がいいんですけど。代わってもらってもいいですか?」
すると、俺も、と手を挙げる奴が数人いた。
「ああ、そうですね。目が悪い人は前列限定で決めた方がいいですね。それでは、まず目の悪い人だけでくじ引きして、それ以外の人はその後でもう一度やり直しましょう。」
と、先生が言ってやり直しになった。そうしたら・・・。
なんと、俺は薫の後ろの席になれた。俺は元の席と同じ、窓際の一番後ろになり、その前に薫が座ることになったのだ。奇跡だ。ミラクル。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます