11/1 姿三四郎
下駄で時間経過(季節単位、年単位)
おまえは人間の道をしらん
柔術VS柔道
小道具:蓮池の蓮
負けそうになったとき、これがダブると開眼する
悪人に弟子入りした新人が、
ボスが正義に負けるところをみて、正義に弟子入りする
『姿三四郎を観て』
武は、"術"ではなく"道"なのだ。
三四郎の入門先が柔術ではなく柔道というのがいいと思った。
強大な武を習得しながらも、「人間の道を分かっていない」三四郎は、
たびたび人の道を見失ってしまう。
しかし、そのたびに人の道に引き戻してくれるのは、蓮池の蓮だ。
映画ではカットされて文字だけの説明だったが、試合で人を殺してしまったことで気力を失った三四郎を元に戻したのは師匠の猛特訓だったということらしい。
猛特訓の様子は描写されてないが、それは蓮池に飛び込んだときの心境のやり直しなのではないか?と思う。自分の肉体を極限まで追い込むことで自我を捨て去り、精神を高みに昇華させようとする仏教の苦行僧のような。
三四郎は、鈍感で素朴な男だと思う。
それがゆえに力があっても、それに振り回されたり悩んだりして、人生をうまいこと乗り越えていけない不器用さがある。
そのいろんなものに振り回されてしまうという優柔不断さを断ち切るものとして、蓮の花はシンプルで力強いものに思えた。
小難しい理屈ではなく、『ただ蓮の花がそこにある。それが美しい』というシンプルな精神統一法が三四郎にはあっていたのではないかなあと思う。
仮に師匠に『人の道とはかれこれこういうものだよ』と言われて納得するような性質ではないように思った。
蓮の花の美しさにしても、師匠から教わったものではなく、三四郎が自ら気づいたもので、その価値は三四郎の心のなかだけにある。
人の"道"は、教わるものではなく、自らあゆんだ中にこそあるものだと思いました。
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