ひととせのーと 〜 Dictionary of girls 〜

長雪ぺちか

第1話 【旅行】


周りを雑木林に囲まれた高台にひっそりと建つ、私立ひととせ高校。そこに通うこの物語の主人公たちは特にこれといって代わり映えのない日常を送っていた。地域で大きなイベントもなく、あるのは田んぼと畑、それと……喫茶店ぐらい。今日も4人は放課後喫茶店に寄り、取り留めのない話に花を咲かせるのだ。


カランカラン……


「マスターいつものお願い」

「うちもそんな感じで」

「ボ、ボクもいつもので……お願いします」

「…………………………」

「ちょっと待って。今日は少しカプチーノの気分なの。それでお願い、マスター」


喫茶店『BRIDGE』に入った4人の少女たちは注文を済ますと、店内際奥のテーブルへと慣れた足取りで歩いて行く。それもそのはず、彼女たちはこの古びた喫茶店の常連客なのだ。駅からも遠く最近近場にス◯バやコ◯ダやド◯ールなどの人気カフェチェーン店ができてしまったこともあり、客足は途絶え店内は閑散としているが、それは学生にとって好都合で、彼女たちがこのお店を通ってしまう理由の1つになっているのだろう。

そうこうしている内に手際よくマスターは常連客のいつものメニューを完成させ、それを丸いお盆に乗せ運んできた。テーブルに運ばれてきたのはカップが3つに取っ手のないグラスが1つ。学校帰りで制服姿の4人はそれらをテーブルの中央に置き、テーブルを囲んでいる。グラスから一筋の雫が垂れた頃、暖房とファンの音をかき消すように綿菓子の様にふんわりとした桃色髪の少女がテーブルを叩き、立ち上がった。


「みんな! この冬、どこか旅行に行きましょ!?」


テーブルを叩いたのは春陽……小泉春陽こいずみはるひ。ひととせ高校に通う本作品の主人公の1人。ふんわりとした桃色の髪を肩ほどまで伸ばし、全身からゆるふわな雰囲気を醸し出しながらも、その実、性格はゆるふわではない。今の様に積極的に突拍子も無い話題を提供する、ちょっとしたトラブルメーカである。因みに、学校の成績はあまり振るわないらしい。頭の中は容姿通りゆるふわだ。


「旅行……旅行……それいい!いいじゃんね!うちも賛成~!」


春陽の問いかけに答えたのは夏羽……蓮実夏羽はすみなつは。本作品の主人公の1人。ツンツンとした赤髪につり目のボーイッシュな少女だ。見た目通り言動が漢らしく、ノリもまさに男子高校生のそれ。誰にでも分け隔てないその性格からか、学校内での人気も高いらしい。大体月一で告白されては彼氏を作り、しかし1週間で破局する。理由はシンプル、夏羽の彼氏は朝デートと称して早朝6時からマラソンを強いられるからである。本人は毎朝5キロのランニングが日課であるから問題ないのだが、彼氏にとってみればたまったものではない。まさに脳筋、それが夏羽という少女の実態だ。

春陽の提案を聞いた夏羽は目を輝かせ、調子付いた様子で麦茶の入ったグラスを献杯しゴクリとそれを喉に流し入れた。次に、薄い橙色髪でお団子を携えた幸の薄そうな少女が春陽から目を逸らしながら言う。


「ボ、ボクはちょっと遠慮して……」

「何言ってるの!アキは行くの確定なんだからねっ」

「ふええ…………ひどいよぅ……」


横暴な春陽の前で力なく項垂れるのはアキ。本作品の主人公の1人。見るからに幸薄そうな、小動物キャラである。背も春陽に比べ一回り小さい。春陽とは幼稚園以来の付き合いで、春陽の性格がああであることも相まって同じ学年だというのにまるで姉妹の様だと巷で噂になっている。いや、なってないかもしれない。彼女の愛らしい容姿、そして思わず守ってあげたくなるその人柄雰囲気から、ひととせ高校には秘匿された彼女のファンクラブ『コスモスを愛でる会』なるものが存在するらしく、そういう意味では噂になっている。本自己紹介で1つ嘘をついてしまった。それはアキ……藤守秋桜ふじもりあきおの人称代名詞は『彼女』ではなく『彼』であってしかるべきであるということだ。まあ大したことではないため今後も『彼女』を使うとしよう。


もう馴染みとなった2人の姉妹漫才を横目に、スラリと長く伸びたホワイトヘアーを耳にかけ眼鏡少女が首をかしげる。揺れる髪に添えられたリボンについたフェイクジュエルが控えめに輝いていた。


「春陽、旅行に行くというけど何か目的はあるの?何がしたいとか、どこに行って何を見たいとか」


冷静に、小さな唇でそう答える彼女の名は冬乃……白鳥冬乃しらとりふゆの。本作品の主人公の1人。もう4人目である。主人公とは一体なんなのか考えさせられる。それはさておき、彼女は見た目通りの委員長キャラである。現在ひととせ高校でも自分のクラスの委員長をしているらしく、もっと言うと中学生の頃は生徒会長まで経験している根っからの委員長体質だ。委員長として恥じない学力も持ち合わせており、学内テストは常に一桁台をキープしている。先述の脳筋娘と違って、こちらは脳が脳で出来上がっている。脳髄100%だ。今の説明では、彼女はかなりお固く見えるが、いや実際お堅いのだけども、お菓子作りが趣味であったり可愛い一面もある少女であると補足しておこう。


長々とキャラ紹介をしてきたが、本来日常系の作品にそこまでキャラ以外のセリフが入り込むのは良くない。退屈であるし、なにより可愛くないからだ。女の子の日常は緩くてふわふわした、まるで小泉春陽の容姿の様な可愛さを求めている。ここから私は自重して、ゆるふわな女子高生のお話に戻るとしよう。キャラ説明を終えたら作者など不要なのだ。

冬乃はカップを持ち上げカプチーノに口をつけるとそれを小さく啜る。


「「目的?」」


意外な質問に春陽と夏羽は顔を見合わせる。


「そんなの無いけど?」

「そもそも目的のある旅行ってあるの?」

「あるわよ。修学旅行とか」

「あ、ほんとだ」


夏羽はポカーンと口を開いて感心する。うんうん唸りながらいくらか考えると春陽は視線を秋桜に移し口を開いた。


「旅行……そもそも旅行ってなんだろう? 分からなくなってきたかも。アキはどう思う?」

「うーん…………どこかに出かける……こと?」

「それは違うんじゃない?それだと……例えば買い物とかも旅行になってしまうわ」

「でもそう思ったら買い物も楽しくなるじゃんね!それ採用~!」

「確かにそうかもしれないわね」


彼女の話を理解したのか、してないのか夏羽は上機嫌に口笛を吹く。冬乃はそれに呆れる様子はなく、優しく夏羽に微笑みかけた。


「旅行……これって意外と奥が深いかもっ!今日の話題は決定ねっ!冬乃、いつものっ!」


「分かったわ」と言うと冬乃は紺の学生鞄のチャックをジャッと開き、中を漁る。そして1枚のノートを手にするとそれを4人が囲むテーブルの真ん中にそっと置いた。ジャ◯ニカの自由帳だ。春陽は緑の縁で囲まれた自由帳の新しいページを開き日付を付けると、他に客のいない店内に響くほどのトーンでこう言う。


「今日は旅行について考えていきましょっ!」


こうして今日も彼女たちの日課が始まるのだった。



「まずは『旅行』の定義の確認ね。ググる?」

「ググるググるー。うち、機械は苦手だけどググりだけは上手だし」


夏羽はそう言うと、スクールバックから赤い装いの電子辞書をを取り出し、手慣れた様子でタイピングする。ひらがな入力なのはご愛嬌。ついでに言えば、電子辞書で調べ物をすることをググると言うのもご愛嬌だ。

調べ終わったところで、夏羽は電子辞書の画面を3人に向けてテーブルの上に置いた。


「こんな感じっぽい」

「なになに……?なるほど、なるほど」


春陽は辞書に書かれた『旅行』の欄に注意してそれを読み上げる。


【旅行】[名]家を離れて他の土地に行くこと。旅をすること。たび。


それに合わせて、秋桜が自由帳に可愛らしい丸文字で言葉の定義を書いていく。そして綺麗にかけたと自慢げに鼻息を吹いた。いい匂いがしそう。


「他の土地に行くこと……って、結構大雑把な定義ね。これは意見が割れると思う」

「そう……だね。どこからが他の土地なのか……だよね?」

「その通りよ、アキくん。この『他の土地』を文面通り捉えて『旅行』を考えるなら、私はと夏羽は学校に行くこと自体が旅行になってしまうと思うわ。私たちは隣町から電車で通っているわけだし」

「そっか!うちは毎日旅行してたのか!? オラ、ワクワクすっぞ!」

「一人称がブレてるわよ、夏羽。うーん、私の感覚だと学校に行くのは流石に旅行とは思えないのよね……じゃあ、みんなが思う『他の土地』は何なのか発表ねっ!」


春陽がそう言うと、秋桜は自由帳に『他の土地とは……』と書き込み、皆の意見をまとめる準備をする。春陽たちが行なっているこの日課はもう半年以上になるもので、秋桜の書記っぷりも板についてきた。最初は1番文字が女子っぽいという理由でノートを取ることになり、若干不満を抱えていた秋桜であったが、今ではそれを楽しんで行っているようであった。

言い出しっぺの春陽が自分から率先して手を挙げ、意見を述べる。


「私が思う『他の土地』は他県ねっ。県を越えたらそれはもう立派な旅行っ!アキはどう思う?」

「ボ、ボクは……隣町でも旅行って思っちゃう……かも?歩きで行くのが大変なところは……もう大冒険……だね」

「次はうちね!うちは、観光地が『他の土地』だと思うなー。だって旅行に行くって言ったら観光地じゃんね?」

「確かに……夏羽の言っていることは、非常に的を得ているように感じるわ」


冬乃は感心したように隣に座る夏羽を見ると、夏羽は「それほどでもあるかなー!」と一切隠そうともせず、頭に手を当てる仕草をしながら照れた。


「私はアキくんの意見と同じになってしまうのだけど、隣の街に行けばそれはもう『他の土地』だと思うわ。私は頭が硬いから、やっぱり言葉通りその意味を受け止めてしまうの」

「まぁまぁ、それがふゆのんのいいところでもあるっしょ!」

「みんなの意見が出揃ったわねっ!…………隣町でも『他の土地』の意見が2人でたけど隣町に行くのでも旅行って結論でいいのかしら?」


春陽が3人に、特に上記の意見を述べた2人……秋桜と冬乃を見て問いかけた。

彼女たちは互いに向き合い、しばらく見つめあったかと思うと急に笑い出す。


「確かに『他の土地』と言われたらそうなのだろうけど、やはりそこに行くのが『旅行』かと言われたら、おかしいわよね?」

「えへへ……う、うん……ボクもそう思う……な。ボクは……自分で言うのもなんだけど、出不精で……隣町に行くのでも緊張しちゃうから……大冒険ではあるけど『旅行』ではない……かなぁ」


控えめに秋桜がそう告げると、春陽があることに気付く。

目の前のコップに淹れられた良い香りのジャスミンティーを口元に運ぶと、香りを楽しみつつそれを一口飲んだ。

パンッと小さな音を立てながら、春陽は両手を合わせる。


「それじゃあこの『旅行』の定義は少し変ね。なんだかしっくりこないわっ!」


それを口にした後に、彼女は冬乃をチラチラと見る。冬乃の頬は若干の色付きを見せると、モジモジと手をいじり始めた。


「……毎回このセリフを言うのは恥ずかしいのだけど、言わないとダメかしら?」

「もー、ちゃんと言ってよーふゆのん!恥ずかしくないし、かっこいーじゃんね!それにうちが唯一頭良く見えるポイントだからやらなきゃダメ!」


夏羽は恥ずかしがる冬乃の制服の袖を掴むと、目をくの字にしながら腕を揺すった。

このままでは埒が開かないと感じ取った冬乃は深くため息をつく。

そして覚悟を決めた目つきで3人に向き合った。


「全ての謎は『定義』の定義に隠れている」


「難しい大人は……色々考えているみたい……だけど」


「そんなの女子高生には関係ないじゃんね!」


「言葉は想いを伝えるものっ」


「ボクは知ってて……あなたは知らない……そんな何かを……伝えるもの」


「そしたら難しく考えることはないじゃん!」


「だとすれば定義とは『私たちの心に名前をつけること』でいいのではないかしら?」


「さあ、今日もノートの1ページを埋めましょっ!」


4人が各々自分のカップやグラスを手に持つ。カップの面々はそれをソーサーから音がしないように持ち上げ口に運び、夏羽だけはグラスであるためそれを前に突き出して茶色い液体をガブガブと飲んだ。一見行儀悪く見える男らしい飲みっぷり。しかしこれがこの飲み物の作法であると夏羽は豪語していた。


「それじゃあ、『旅行』に必要な要素を考えていくわよっ!」

「『旅行』といえば、友達と一緒に行くものじゃね?」

「ボ、ボクは……一人で旅行に行くこともある……かも?」

「ちょっとアキ!そんな話、お、お、お姉ちゃん知らないんだけどっ!私も誘いなさいよねっ!」

「ふぇぇ……一人でお出かけしても……いいじゃないか……」


秋桜の肩を掴み、春陽が彼女に迫る。長い付き合いである秋桜と春陽はもう姉妹同然の中であり、動揺すると春陽は突然お姉ちゃんへと変貌する。姉に自分の行動を報告するのは妹の義務なのだ。


「アキくんの言う通り、私も一人で旅行に行くことあるわね。この間なんて、一人で箱根まで行ってきたわ」

「箱根温泉かー、結構時間かかるじゃんね。2時間……いや、3時間?いいなーふゆのん。うちも誘ってくれればよかったのに」

「……裸を見られるのは恥ずかしいから、一人で行きたいの」

「そっかー。ふゆのん、おっぱいぴったんこだもんね。仕方ないかー」

「そ、そう言うことじゃない!」


冬乃は日焼けのしていない白い肌を赤くさせ、夏羽に抗議する。彼女は胸が小さいことを否定しているわけではなく、小さい胸を見られるのが恥ずかしいわけでもないと言っているのだが、結局のところ白鳥冬乃はぺったんこであった。4人の中では胸が1番大きい春陽が勝者の余裕を見せる表情で話を戻す。


「冬乃、さっき箱根に旅行しに行ったと言ったわね?箱根は観光地じゃないっ!」

「あっ、うちがさっき言ったあれじゃんね!」

「そうよっ!観光地に行くことは間違いなく旅行の1つだと思うわっ!」

「それも……そうなんだけど、夏羽ちゃんが……すごく良いこと言ったと……思うな」


秋桜が自信なさそうに、それでいて可愛らしい笑顔を夏羽に向ける。夏羽は首を傾げ、自分の発言のどこが良かったのか分からず心から喜べないといった様子だ。


「アキくん、何か分かったのかしら?」

「う、うん……今夏羽ちゃんは……箱根温泉に行くには『結構時間かかる』って……」

「でかしたわ、アキ!つまりはこう言うことねっ。『旅行』とは、遠くに行くことっ!」

「えへへ……そう……かも」


春陽に頭をワシワシ撫でられ、秋桜は幸福と羞恥の混じった表情ではにかんだ。イチャつく2人を置いておいて、冬乃は秋桜からペンを借りると自由帳の1ページの右下に四角い図形をいくつか書き入れた。


「ふゆのん、何書いてんの?」

「さっきのアキくんの話で少し思ったことがあったのよ。これを見て、この1番大きい四角が『お出かけ』の集合、そしてその中に入っている小さい四角が『旅行』の集合よ」

「ベン図と言われるやつね。最近数学の授業で習ったわねっ」

「ベン図…………?数学……?勉強の話はやめてー!!」


夏羽は頭を抱え、その場に倒れたかと思うと、景気付けにグラスに入った茶色の液体を飲み干す。気付けばテーブルの上にはピッチャーでそれと同じものが置かれており、夏羽はもう一杯グラスにそれをいれた。


「……相変わらず、いい飲みっぷり……だね。夏羽ちゃん」

「そりゃあね!麦のジュースは最高だぜー?」

「麦茶のこと麦のジュースと呼ぶのはやめなさい。勘違いする人がいるかもしれないでしょう?」


冬乃は夏羽を宥めると、コホンと咳払いし仕切り直す。


「とにかく、この図を見ればわかると思うけど、『旅行』は『お出かけ』の特殊な例だと私は思うの。差別化する点として、まず分かっているのは先にアキくんと春陽が言っていた、距離の問題ね」

「冬乃のしたいことが分かったわっ!『お出かけ』の例をいくつか出して、『旅行』と『お出かけ』の境界を探そうってことねっ!」

「その通り。因みに『お出かけ』は家から出ること全てを表しているわ」


冬乃はそう言うと、秋桜は冬乃の書いた図の左にペンを構えた。どうやら左側に例を書いていきまとめて行くらしい。


「はいはい!私から!イト◯ー行くのはお出かけじゃんね!」

「なんで店舗名限定してるのよ」

「昨日アク◯リ買いに行ったからさ。ポ◯リじゃないよ」

「謎のこだわり……だね」

「うちはスポーツマンだから、アク◯リ信者じゃんね」


違いはわからないが、夏羽はスポーツドリンクに異様なこだわりがあるようだった。かく言う3人もこの喫茶店で頼む飲み物にはこだわりがある。話せば長くなるため、それはまた今度だ。


「次、私がいくわねっ。アキの家に遊びに行くことっ!これはちゃんとお出かけよね?」

「どうして、ボクの家限定なのさぁ……」

「昨日遊びに行ったからだけど?というかここ毎日アキの家行ってるじゃない?」

「ふぇぇ……そうだった……」


さも当たり前のように告げる春陽と対比して、冬乃が怪奇なものを見る目を彼女に向ける。幼馴染であり仲が良いと言っても、流石に毎日は通いすぎだろう。冬乃は若干引き気味だ。


「アキは何か例を思いついた?」

「うん……お仕事に行くのはどう……かな?ボクのお父さんとお母さん…………東京でお仕事で……」

「なるほど、確かにそれは『お出かけ』ね。しかも、遠くに行くけど『旅行』とは違った例。流石ね、アキくん」

「えへへ……そう……かな?」

「最後に私だけど、少し変化球を投げるわ。家出、これはどうかしら?」


冬乃は上手いこと言ったと少し自慢気に口角をあげると、カフェラテに口をつける。気付けばもう4人の飲み物は湯気が昇ることはなく、ぬるくなっていた。しかし、暖房の効いた暖かい喫茶店の空気に体が慣れてきた彼女たちにとってそれはさほど問題ではなかった。

季節は冬、喫茶店の外は身にしみるほどの寒さだ。夏羽は風に揺れる街道の木を見ると肩をすくめた。


「今の季節に家出したらたぶん死んじゃうっしょ」

「……そう……だね。二度と帰って来れなくなっちゃう……ね」

「その通り。出かけたまま帰ってこなかった場合はどうなのかということが言いたかったのよ」

「ふむふむ……これはアレねっ。家に帰るまでが遠足です、というやつねっ!」

「……少しニュアンスが違うけど、そんなところよ…………ちょっと待って。『家に帰るまで』これは重要なファクターじゃないかしら?」


冬乃が身を乗り出して春陽の手を握る。突然のスキンシップに春陽は驚きを隠せないが、すぐに細かいことは忘れて手を握り返した。


「確かに、どっか行くまでの電車とか車も楽しいし、旅行の一部な気がするっしょ!」

「そうねっ。車窓から見える景色も旅行には欠かせないアクセントだと思うわっ!」

「う、うん……ボクもそう思う……かな」


そう言って、秋桜はペンで小さく『家に帰るまでが旅行』と書き入れると、隣に座る春陽が親指を立てた。


「とりあえず、今上がった例を考えていきましょっ!まず夏羽が言ってた、お買い物についてだけど、これは間違いなく『旅行』ではないわよね?」

「そりゃあそうっしょ!旅行って考えた方が楽しいかもだけどー」

「何故、お買い物は『旅行』じゃないのか、その要因は……まず距離的に近いということはあげられるわよね?他にあるかしら?」

「楽しくないとか?」

「でもアキと一緒に洋服買うのは楽しいわよっ?あ、でもこれ近場ね」

「…………はい」


冬乃が1つの結論を出し議論が深まろうとしたところで、秋桜がゆっくりと手をあげる。自然と他三人の視線がその手に集まった。


「目的が違うと思う……な」

「目的? 確かふゆのんも最初に目的がどうこう言ってたようなー?」

「お買い物は……生活のためにしないといけないもので…………それが目的になってるけど…………旅行って……楽しむことが目的なのかな……って」


秋桜がはにかみながらそう言うと、春陽たちは俯き黙りこくった。その異様な状況に秋桜の不安感が煽られる。「どうしたの?」その一言を秋桜が発しようとした時、それよりワンテンポ早いタイミングで春陽の口が動く。パァッとはじけるような笑顔が咲き誇る。


「それよっ、流石私のアキ!もうすっごく納得しちゃったっ!」

「うちも納得、納得ー!すっきりじゃんね!」

「またアキくんに良いところ取られちゃったわね。悔しいけど、素直に尊敬するわ」

「あわわ……みんな急にどうしたのさぁ……」


褒められ慣れない、正確に言えば普段から褒められる機会はあるのだが、いつになってもチヤホヤされることに慣れない秋桜は羞恥で顔を伏せてしまった。そんな彼女の姿を微笑ましく思い、3人は始めクスリと小さく笑い、だんだんとその笑い声は大きくなる。ひとしきり笑った後、春陽がパシリと両手を合わせた。


「『距離』『目的』『帰れるか』これが旅行の三大要素という結論で良さそうねっ。『目的』というのも踏まえて考えてみると、私の出した例『アキの家に行く』は楽しむ目的だけど場所が近すぎて『旅行』じゃないっ!」

「うちのはさっき言った通りー!」

「お仕事に行くのは……場所は遠いけど、楽しむためじゃない…………から『旅行』じゃない……よね?」

「家出はそもそも家に帰ってこない時点でおかしいわ。ついでに言えば、楽しむためでもない」


心のつっかえが取れた彼女たちは、各々伸びをしたり、体勢を崩したりしながら体をほぐしていく。リラックスしたところで秋桜が目の前のアールグレイに手を伸ばし一口飲んだところでそれは空になった。他の3人も同様、春陽と冬乃はカップの底が見えており、夏羽用の麦茶の入ったピッチャーも空になっている。そのことが余計おかしくて、四人は再びクスリと笑った。楽しい時間もそろそろ終わり。


「今日の結論が出たわねっ!アキ、最後の仕上げをよろしくねっ!」

「う、うん……!」


スラリと細く伸びた純白の指先から、丁寧にそれでいて可愛らしい字体で文字が紡がれる。

完成したノートの四ページを四人は囲むと、達成感や幸福感に包まれた表情で互いを見つめあった。


【旅行】[名]楽しむために遠くへ行くこと。家に帰るまでが旅行です!


マスターに別れを告げて店を出る。外はもう既に暗くなっていて、オレンジ色の街灯が四人を優しく照らしていた。外は結構な寒さであり、春陽はカバンからマフラーを取り出すと秋桜にそれを巻いた。店から出た後に冬乃は何か大切なことを忘れていることに気づく。


「そう言えば、最初はどこか旅行に行くという話だったけど、何も話し合ってないわね」

「か、完全に忘れてたっしょー!」

「あはは……お話に夢中になっちゃったから……ね?」

「何言ってるのよ。そんな話、もうしなくても問題ないわっ!」


春陽はしたり顔でそう言うと、三人は頭に指を当て考える。始めに夏羽が気付き、次に秋桜、最後に冬乃まで彼女の真意を理解して、頬を緩ませた。喫茶店前の歩道の真ん中で四人は手を取りあい、思ったことを同時に告げる。


「「「「四人なら、どこに行っても楽しい!!!!」」」」


息のあった四人のセリフを店内から、マスターが見つめていた。そのことに気付いた春陽は少しこそばゆさを感じて、頬を赤く染めた。幸福感に満たされ、四人が帰路につこうと歩き出したところで、我に帰った冬乃が冷静に蛇足の一言。


「まあ、どこに行くかぐらいは決めないいけないわよね」

「あはは……そう……かも」


なんとも締まらない、彼女たちの青春の一ページ。いつか終わりは来るのだろうが、今は『楽しく』そのページを埋め続ける。それだけでいいのかもしれない。

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