仮想地球7580 80歳で心臓が強制的に停止させられる世界
05. 生命維持装置(国産品)
イルセは仮想地球7580に迷い込みました。
はい。わたしが光りました。
創造主が与えた名前の通り。
仮想地球の空気を読んで、『ここは、人の寿命が最大で80歳まで、と決まっている世界です』とイルセに教えます。
イルセは「どうしてそんなことが決まっているの?」と聞いてきます。
そうでした。
イルセの精神年齢は、幼子ぐらいなのでした。
まるで、まだ分化の進んでいない、細胞のような。
大人の経験と思考とを持っていたなら、イルセはきっと「そんなこと、どうやればできるの?」と聞いてきたかもしれません。
わたしは、そちらの問いに対する回答を準備していました。
計算違いの、無用の回答。
急遽、仮想地球の再
そして、こう回答しました。
「神の世界では、みんながおじいちゃんや、おばあちゃんになって、それを支える若い人が居なくなったからです」
「えー? どうして? おじいちゃんとおばあちゃんが仲良く暮らせばいいだけなのに」
と、素直な疑問を、イルセはわたしに向けます。
「それで神の世界が成立するのかどうか、神の世界では試すことが出来ないんです」
とわたしは回答しました。
忖度リングであるわたしにはわかります。
だから、この仮想地球7580では、人が80歳で死を迎えるのだと。
実験的に。強制的に。
◆
とある、1階建ての家に着きました。
だいぶ年代物です。
「おうおう、よく来たよく来た」
「おあがりなさいな? お腹もすいているでしょう?」
骨っぽいおじいさんと、丸っこいおばあさんは、イルセの頭を交互になでてくれました。
丸っこいおばあさんは、ジュースとお菓子を居間のちゃぶ台の上において、「はいはい、そこに座っててね?」とイルセに言いました。
そして、少し曲がった腰で、台所へと行きました。
シャーッ!
お鍋にお水を入れる音が、台所から聞こえてきます。
カチッ。
ガスコンロをひねる音。
バタン……トントントン。
冷蔵庫から食材を出して、包丁で切る音。
居間のテレビは、甲子園の野球中継です。
この仮想地球でも、子供が絶滅したわけではありませんでした。
そして、風鈴の音。
まるで、お盆に、おじいさんの家に遊びにきたかのような、きれいな響きです。
◆
骨っぽいおじいさんは、首に白いタオルをかけて、底の深い金属容器から、でん、とはみ出たとうもろこしをかじりました。テレビの野球中継を観ながら、イルセのスケッチブックへのお絵かきを時折、覗き込みながら……休み休み、スマホを操作していました。
「おじいさん。そのスマホで何をしているの?」
と、胡座をかくおじいさんの背後から、ひょっこり顔を出したイルセ。
イルセが色鉛筆で描いた『高校球児の絵』は、なかなか写実的で、おじいさんは一瞬、息を止めるほど驚きながらも、「おー! イルセは絵が上手だな!」きねぎらい、お菓子を渡しました。
「ワシはな? 人間の寿命を伸ばす、『アプリ』というのを、このスマホにインストールしとるんじゃ」
と、骨っぽいおじいさんが言います。
なかなかのIT知識を持ったおじいさんのようでした。
「えー! そんなことができるのー!」
「シッ! 台所のおばあさんに聞こえてしまうじゃろ?」
おじいさんは慌てて、人差し指を口元へ。
「……何かあったんですかー?」
のれんを手で押し広げて、台所から顔を出したおばあさん。
「いやいや、なんでも無い」
おじいさんは、ごまかしました。
ちょうど、テレビ中継が。
高校球児の超ファインプレーを、何度もリプレイしていました。
打球はピッチャーライナー。
しかし、ピッチャーがその白球を、グローブで弾いてしまいます。
斜め後ろから猛然とダッシュしてきた、『ショート』というポジションにいる坊主頭の男の子が、グローブをはめていない方の右手で、バウンドする白球を見事に掴みました。そのままの態勢から、片足で飛ぶような姿勢で、一塁へとサイドスロー。
ファーストミットへ、バシィ!
きわどい判定……。しかし。
「アウトォ!」
審判の右腕が上がりました。
解説の権藤さんが、「いやあ、ショートの松井選手、素晴らしいプレーでしたね!」と興奮しています。
……そんなテレビの1シーンを横目で見たおじいさんは。
「ほ、ほれ。あのショートの選手が凄いって、驚いていたんじゃよ」
と言いました。
丸っこいおばあさんは。
「あら、そうなんですか。イルセちゃんも、野球が詳しいの?」
と、優しい笑みを投げかけて、のれんをくぐり、台所へと消えました。
「いやぁ危なかった。このアプリのことは、おばあさんには秘密なんじゃ」
「どうして?」
イルセのその疑問は自然です。
「男は75で、女は80で、心臓が停止する事は……もう学校で習ったかのう?」
「んー、わからない」
「そうか。もう少し年長さんになったら教えてもらえるじゃろう。ワシら大人に埋め込まれた心臓ペースメーカーはな。国が信号を飛ばしてリモートコントロールできるんじゃ。その時が来たら、ポックリ逝くように。じゃがの……?」
「うん」
「ワシがおばあさんより5歳ほど歳上じゃ。国の決まりでは、ワシは10年程、先に逝くことになるかの。だだ、ワシはやっぱり、寂しがりのおばあさんを残して逝きたいとは思わんでな」
言って、骨っぽいおじいさんはお茶を飲みました。
コクッという、喉の鳴る小さな音が、ちょうど台所の、包丁がまな板を叩くトントントン……という音の間に挟まりました。いわゆる、裏打ち。
「……やさしいんだね。ぐすん」
泣き顔のイルセの頭を、おじいさんはなでます。そして口を開きました。
「国が作った心臓ペースメーカーをハッキングして、その時が来ても死なないようにできるアプリが、開発されたみたいでな。へそくりでこっそり購入したんじゃよ。……じじいにはちょっと設定が難しいがな。ははは」
幸せそうにおじいさんは笑いました。
この仮想世界7580に出回る、おじいさんがスマホにインストールしようとしているアプリが、身代金を要求するソフト『ランサムウェア』であることを。
そして、お金だけ取られて、効果は何も無しになったりすることも。
知っています。
ですがわたしは、
おじいさんとイルセに教えてよいのかどうか?
……空気を読むのは、やはり難しいものです。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます