第23話 其はガラスのロリポップなり
「お兄ちゃん、久しぶりー」
「おー、ニナか。いらっしゃい」
「せめて目を見てから言ってくれない? まーたガラスばっかり見て」
ニナがやってきたのは兄、ニコが引きこもるアトリエだ。
モデルとして幼いころから活躍しているニナは、久しぶりの休日ということでしばらく会っていなかったニコのもとにやってきた。
ニコのアトリエにはたくさんの美術品が置かれているが、中でも多いのはガラスの彫像である。それをニナは何故か苦手としているのだが、ニコに伝えたところでどうにもならないことを知っているため、これについては諦めていた。
――生きているようで気味が悪い。
これがニナのガラスの彫像に対する一番の気持ちだ。虚ろな目も、柔らかな肢体も、素材に合わせたシワをきざむ服も、今にも動き出しそうな姿のガラスの彫像たちが並ぶニコのアトリエは、なかなか気持ちの悪い場所である。
そんなニコのアトリエにニナが足を運ぶわけは、気味の悪いモノを蒐集していようと自身の兄が素晴らしいインテリアデザイナーだからである。照明のデザインを手がけることが多いが、室内全体のデザインを得意としているため、ニナの部屋のデザインは幼いころからニコに頼んでいた。
たまにガラスの彫像によくにた家具を置いていくこともあるが、目に入らないように布をかけてしまえば生活するうえで問題はないとニナは割り切っている。
「んー」
「あっ、別にいいよ。いつものことだし」
「うーん」
「……コーヒーいる?」
「いる。季節限定フレーバーとかいうのもらったから、勝手に淹れて」
「りょーかい」
「ん」
のんびりとガラスの彫像を見つめながら、何かをスケッチブックに描き出しているニコを見つめながら、ニナはため息をついた。
二人が生まれ育ったのは父が経営する画材店だ。ニコと同じようにガラス――こちらは手の平サイズの小物――の置物を好む父と、赤色にこだわりを持ちすぎる母のもとに生まれたニコは、幼いころから奇人の両親を見て育ったため同じく奇人に成長してしまった。本人は奇人だとは思ってもいないようだが、幼いころから共に育ったニナはニコが奇人であると確信している。
そんな奇人三人に囲まれて育った中で、ニナは比較的普通の感性を持っていた。反面教師というものだろうか。幼いころから両親やニコの姿を見ていたため、自分だけはまともな人間であろうと思ったという。
そんなニナは自身のことを凡人だと称するが、本当にそうであったのならば人気モデルとして生き残れるわけがないとニコは思っていたりする。
「お兄ちゃん、コーヒーいれたよー」
「んー、ありがとう」
「どういたしましてっと」
しばらくしてキッチンから戻ってきたニナの手には、二つのマグカップがあった。
マグカップから香り立つのはストロベリーの香り。――ニコが言っていた季節限定フレーバーとは、ストロベリーのフレーバーコーヒーのことであった。一口飲めばふわり、どころかぶわりと香るストロベリー。コーヒーのわずかな苦味と、それを消し去らない適度な甘味が意外と美味しい。コクはそれほどないので、コーヒーのコクを楽しみたい人にはそれほど好かれはしないだろう。
ニコはコーヒーであればなんでもいいというタイプなので、何も気にせず飲み進める。その間にも右手は止まることを知らず、次々と照明のようなものを描き出していた。その中にはニナが好きなデザインのものもあったため、ニナはニコの作業が終わったあとに一つ注文を入れることにした。
ソファに座りマグカップを傾けると、今回のフレーバーコーヒーはニナ好みのものではないことが分かる。
「やっぱり季節限定モノのアタリハズレは差が激しいわね」
そう呟きながらニナは目の前のローテーブルに置いてあるガラスポットから一つのロリポップを手に取った。
ニナは幼いころからロリポップが好きだ。しかしキリッとした顔立ちのニナはマネージャーからイメージに合わないとよく言われている。
一日に十本はロリポップを消費するのだが、これまでの写真撮影の中でロリポップを使用したものは少ない。ニナと同じくモデルとして働く友人は、ふわりと柔らかそうな可愛らしい見た目からロリポップを使用することが多いため、撮影後にいくつかのロリポップを横流ししてくれる気の利く子だ。ニナはどれだけ感謝しても感謝しきれないという。
マネージャーもお世話になっているカメラマンもメイクアップアーティストたちもニナの好物がロリポップだと知っているのだが、やはりイメージが合わないと撮影では使用されない。撮影で使用したとしても、やはり表に出るのはロリポップの姿が一切ない写真ばかりであった。
艶々とした包み紙を剥がし青系のマーブル模様をしたロリポップを口に入れる。その味はどうやら見た目とは正反対のチェリーのようだ。
「美味しいけど、複雑な気持ち……」
ストロベリーのフレーバーコーヒーと共に食べるには避けた方がいい組み合わせとなってしまったが、ニナは気にせず口内に残るコーヒーの味をロリポップの味で消していった。しばらくするとストロベリーの香りは消え、チェリーの香りだけが残る。マグカップの中にはまだフレーバーコーヒーが残っているが、ロリポップを食べ終わったらシンクに捨ててしまおうとニナは考えていた。
しかし、ロリポップを食べ終わったニナがソファから立ち上がろうとすると、何故か体が全く動かせなくなっていたのだ。
助けをニコに求めようにも、声を発することはできない。呼吸をしているはずなのに、口からこぼれるのは何もない。いったい何が起こったというのだろうか。
必死にニコへ視線を向けていると、作業が終わったのか椅子から立ち上がるニコの姿がニナの目に映った。
――お兄ちゃん、助けて!
動くことも、声を出すこともできないニナは必死で自分のもとに近づいてくるニコに視線で訴える。しかしニコは不思議そうな顔でニナを見下ろしていた。
「あれ? 静かになったと思ったら、これ食べちゃったのか」
ニコはローテーブルの上にあるロリポップの包み紙を見て、そう言った。
その言葉を耳にしたのを最後に、ニナの思考は暗く閉ざされた。
「あっちゃー。ちゃんと片付けておくんだったなあ。ニナを彫像にするつもりはなかったんだけど……。うーん、でも綺麗だからいっか」
ニコがニナに触れると、その頬は、全身は、つるりとした透明度の高いガラスへと変質していた。
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