俺がバイトを休んだらバイト先の後輩が死んだ話
咳屋キエル
1
「死んだ?」
数日ぶりに出勤して、休憩室で座って煙草を吹かす眼鏡の同僚におはようと挨拶して、返された声が何だかやけに暗かったのでどうしたんだよと話を振ったら告げられた言葉への、たっぷり数十秒固まってからの反芻だった。
「死んだ? 米田が?」
目の前の同僚の短い答えを反復して訊き返して、その現実味のなさに意図せず口角が上がる。
季節の変わり目、いや寧ろ初冬の気候に体が耐え切れず、風邪を引いたのが一週間前。それでも二日ほど無理して出勤して、とうとう市販薬で誤魔化せないくらいこじらせて休んだのが数日前。そして熱も下がって体調もよくなったのでと出勤したのが今日。
入った時点で、休憩室の雰囲気が――むしろ店舗全体がやけに暗く沈んでいる気がしたが、久方ぶりの職場だから憂鬱さもあって感じただけだろうと思っていた。
その結果が、唐突すぎる訃報だ。しかもそれが客とか本社のお偉いさんとかそういう人間ではなく、同じ職場で働く後輩の名だったことに、由人の額に嫌な汗が滲む。
「米田が死んだって、何で? いつだよ」
「おととい」
「何で」
「自殺」
だから何で、と無意味な詰問をするより早く、同僚がちらりと由人を見た。
「お前、テレビも何も見てないのかよ。テレビでもネットでも騒がれまくってるぞ」
どちらも知らない。見ていない。高熱で伏せっている間、テレビを点ける体力も携帯で調べる余力もなく世間から隔絶されていたせいだ。次に何と言えばいいのか分からず、由人はただ視線を彷徨わす。
「……どうせ携帯の充電切らしてたんだろ。おとといの時点で電話しても繋がらなかったし」
図星だった。体調の悪化に気を取られて携帯を放ったらかしにして、今日の朝ようやく慌てて充電器に繋いだような状態だった。なので、着信履歴さえ確認できていない。空気を読まぬ自らのだらしなさに、どうしようもなく背筋が凍った。
「……ごめん」
「別に」
どう言葉を選んだものかと数秒激しく頭が単語を探し回って、やっとの思いで絞り出す。
同僚は吸った紫煙と共に素っ気なく返して、テーブルの上の灰皿で灰を落とした。灰を払った煙草を煙を吸い込まず口に咥えて、自らのズボンのポケットに手を入れる。
取り出されたのは彼本人の携帯電話だった。携帯のホームボタンを押して、パスコードを入力して、画面上のアプリを立ち上げて、また何かを打ち込む。
「ほら」
その動作をただ黙って見ていた由人は、それが自分に向けて差し出されたことの意味をすぐ掴めなかった。
「お前、確かガラケーだろ。これの方が読みやすいし、時間まで読んでろ。指動かせば動くから」
「あ、ああ……サンキューな」
携帯を支える親指で器用に画面を動かして見せる手から受け取って、由人は画面に目を落とす。貼ってある保護シートが、細かい傷とシートがそこだけ抉れるくらいの大きな傷にまみれていた。
年季の入った保護膜の先、CMなどでもよく見かける有名なニュースサイトのロゴと、並ぶ活字の列が見えた。
“コンビニ従業員の男性死亡、バイトを苦に自殺か”。文字の一番上に位置する太字の見出しは、そんな有り触れた文言で綴られていた。
そしてその見出しの下、本文の真横に貼り付けられた画像は見紛うことなく、見慣れた職場のロゴマークだった。
ともすれば震えてしまいそうな指先で、教えられた通りに画面を動かしてみる。動いた。文字列が上に流れて、本文が画面を埋め尽くす。
まず最初に本文に記されていたのは、日時と現場の状況。十一月二十三日午後十二時五分頃、市内の高層マンションの駐車場。発見された男性は頭を強く打っており、搬送先の病院で死亡が確認された。そして屋上には男性のものと見られる鞄が置かれていて、それにより警察が飛び降り自殺を図ったとして捜査を進めている。
そこまで無言で読み進めて、由人は再び画面を操作して続きを確認する。
男性は、大手コンビニエンスストア“オールマート”の制服を着用しており、名札から苗字が確認された。その記述と先に見えた名前に、この後に及んで尚息を呑む。
名札から確認された苗字は“米田”。近所に住む、コンビニ従業員の“
それはやはり疑いようもなく、由人の後輩の名前だった。
「…………自、殺って……何で……」
「……ニュースの通りだろ」
無意識に喉奥から漏れた独り言に、同じく独り言のように同僚が答えた。
灰皿に短くなった煙草を押し付けて鎮火しながら、同僚が溜め息をつく。
「ウチ、ブラックどうこう以前に店長がクソすぎるしな。しかもあの日、あいつ米田に何度も電話してたし」
「……二十三日?」
「ああ」
その時のことを思い出したらしい、顔を顰めた同僚が続ける。
「まだ出勤前の米田に早く出ろって言って、その後すぐ明日明後日休みだけど出ろって電話してやがった。……どう考えてもあいつのせいだろ」
まくし立てるような低い声には、抑え切れない怒りが滲んでいた。
同僚はその場に居て、ここの店長が電話口で無理難題を持ちかけているのを聞いていた。だというのに、後輩が自ら命を絶つことになってしまった。怒りは上司だけでなく、自分自身に対してでもあるのだろう。
そこまで考えて、由人はふと同僚が語った内容を思い出して眉を顰め、瞠目した。
「本当、米田の奴もお前くらい堂々と嘘の親戚作って休めば」
「――俺のせいだ」
「はあ?」
「俺のせいだ」
訃報を聞いたときの比ではなく冷や汗が噴き出して、立ち尽くす足と携帯を握り締める手が震え出す。間抜けた声を上げて眼鏡越しにこちらを見上げる同僚に、由人は繰り返した。
「俺のせいだ、これ、」
「何言ってんだお前、お前休んでたんだしそりゃないだろ」
「だからだよ!」
由人は手足と同様、震えの混じる声を張り上げる。
そうだ。自分は後輩である彼が死ぬとき居なかった。休んでいたから。
そして同僚曰く、店長が電話で要求したのは当日の早出と翌日翌々日の休日出勤。その二日は本来なら、自分が出る予定だった。今日二十五日まで入っているのは、連絡がつかなかったからかそれとも馬鹿な店長の下手な気遣いか。分からないが、確かなことが一つ。
「俺が休んだからだよ! だから代わりにあいつが出るハメになって、だから……!」
死んだんだ、という締め括りは、どうしても言えなかった。自分のせいだと思ったら、彼を死なせる原因を作った自分がそんなことを言ってはいけない気がした。
もしちゃんと連絡出来る状態だったら、せめて少しでも彼への負担を減らせたのだろうか。いやむしろ寒くなる時期なのだから体調管理を万全にして、体調を崩しさえしなければ彼は死ななかったのだろうか。
あの時そういう選択をしていたとして、少し何かが違っていたとして、後輩の自死という結末を変えられたかどうかは分からない。それでも、加速していく自責の念に引きずられての仮定が止まらない。
「志自岐、とりあえず落ち着けって」
立ち上がった同僚に、由人は大丈夫もごめんも落ち着けるかも何も返せなかった。
状況からして自分が間接的にでも関与しているのは確実だ。しかもそれは、幾ら体調不良という事情があったとしても、普段からの悪癖や怠惰さが招いたものだ。
今まで休みたい時は架空の親戚を作って通夜だ葬式だと偽ってきた由人でも、その要素を無視出来るほどの胆力はなかった。
「落ち着けよ。お前は休んだだけだろって」
「だから、それが」
「それに関してちゃんと対応するのが上だろ。欠員が出たせいで死んだっていうなら、米田を殺したのはあいつだ」
でも、と言いかけて、どう否定するかの検討もつかず由人は口を噤む。
同僚は別に、出まかせの慰めを言っているわけではないのだろう。語気を強めた言葉には、迷いも下手な気遣いもない。彼は本気でそう思っていて、思ったことを言っただけで、そしてそれは恐らく客観的に見たら正論だ。自分がもし部外者でニュースを読んでまた自殺かと思う第三者だったら、同じことを言っただろう。
あまりにも近すぎる距離で自分の世界を掠めた死という絶対的な終わりに、まだついていけていないだけだ。きっとそうだ。そうだが、受け容れようがなかった。
「……取り敢えず、俺そろそろ休憩終わるし携帯貰うわ」
「……ああ、ごめん……」
ただ握っているだけになっていた携帯の画面が、いつの間にか暗転していた。由人は掠れた謝罪と共に携帯を手渡して、行き場の無くなった手を下げる。
「あんま考えすぎんなよ。落ち着いたら来りゃいいから。どうせ、今ならちょっと遅れようがバレやしない」
とん、と軽く肩を叩かれて、曖昧に頷く。
壁に掛けられた時計に目を向けると、あと数分で店に出る時間だった。時計から視線を外して、休憩室の扉を出て行こうとする同僚の背中を見る。
「バレないって……そういえば、店長は」
「事情聴取とかじゃないか? 昨日から見てないけど知らね」
同僚はうんざりしたような、嫌気に満ちた声音で毒突いた。
「あんな奴、もういなくていいよ。あーあ、店長死んで米田戻って来ないかな……」
後半の独り言らしい声が、後ろ手に閉められる扉に遮られた。
俺がバイトを休んだらバイト先の後輩が死んだ話 咳屋キエル @sekiel
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