不機嫌さんには特製プリンアラモード。
響き渡るのは剣戟の音。誰かの叫びと、誰かの呻きと、何かの咆吼と。ぶつかり合う命達の戦いがそこにあった。
王都ドラヘルンよりほど近い草原地帯。平時は初級冒険者でも相手に出来るような魔物しか出ないこの場所に、大挙して押し寄せる魔物の群れがあった。付近の洞窟型ダンジョンより溢れ出た魔物達が、獲物を求めて荒れ狂っているのだ。魔物の異常発生、スタンピードだった。王都ドラヘルンの戦える者達は、冒険者も騎士も問わずにその掃討に当たっていた。魔物を王都に近づけるわけにはいかないのだ。
そしてそれは、《
「あーもう!倒しても倒してもキリが無いんだけど!」
「レレイ、叫んでる暇があるなら、大人しく倒せ。……右っ!」
「解ってるよ!……でりゃぁああああ!」
殴り倒し、蹴り飛ばし、無限とも思えるほどに湧いてくる魔物を相手に、レレイが叫ぶ。そのやや後方で、味方を巻き込まないように気をつけながら薬品瓶を投げつけているクーレッシュが、苦言を呈した。文句を言ったところで魔物の数は減らない。そして、斥候として培った俯瞰的な視野でクーレッシュが注意を促せば、レレイは持ち前の反射神経でそれに応えて、新たに現れた魔物を渾身の力を込めた蹴りで吹っ飛ばした。
訓練生である二人は互いに互いを補い合いながら戦っているが、それは他の面々も同じだった。ティファーナは愛用のナイフを片手に魔物の懐に入り込んで攪乱し、その背後から迫る魔物をフラウが的確に射殺していく。たおやかな女性に見えて、ティファーナは斥候をこなす冒険者である。普段のおっとり穏やかな言動とは裏腹に、魔物の急所を的確に斬り捨てていく手腕は確かなモノだった。そしてフラウもまた、ティファーナ以外の味方の援護もこなす程に、冷静に弓を扱っている。指導係の名は伊達では無かった。
ブルックは愛用の曲刀で、まるで紙のようにさくさくと魔物を斬り捨てている。魔物の攻撃がかすりもしない。細身の身体のどこにその力があるのかと同じ戦場を駆ける前衛職達が驚いているが、当人はあくまで淡々と敵を倒していた。アリーもまた大剣をふるって戦っているが、彼はどちらかと言えば全体を把握してあちらこちらに指示を飛ばしている。【魔眼】の
そんな前衛の一団から離れた場所で、アロールは小さく息を吐いた。彼女の周囲には、大柄の魔物達が沢山いた。筆頭は、常に彼女の首に巻きついている白蛇のナージャだ。ナージャは今、その本性であるヘルズサーペントの巨体をあらわにしていた。その場にいる魔物は、全て、アロールの従魔だった。わずか十歳の幼子であるが、アロールは大人顔負けの魔物使いである。彼女の使役する魔物達は、暴走に飲まれた魔物達を蹴散らしていた。
そして。
「ヘルミーネ、うちの子達は巻き込まないでよ」
「私、そこまで下手くそじゃないわよ?失礼ねー」
「そう。それじゃ、よろしく。……安心して。近寄らせないから」
「ありがとう。頼りにしてるわ」
愛用の
ヘルミーネに近寄る魔物をアロール配下の魔物達が倒していく。ヘルミーネはその安全地帯から、無数の矢を放つ。空に浮かんで敵の位置を捕捉し、必要な箇所へと矢を放つ咄嗟の判断は、弓に優れたと言われる羽根人の面目躍如だった。
そんな彼女達とはまた別の場所で、約一名、場違いに暢気な空気を醸し出している男がいた。学者のジェイク先生である。
「うーん?やっぱり奇妙ですねぇ。確かにスタンピードですけど、この先のダンジョンは安定していたはずですし、まだスタンピードの周期では無いはずですし……?」
「ジェイク!頼むから護衛の俺から離れて魔物に近寄らないでくれ」
「あぁ、すみません。ありがとうございます、リヒト」
「……頼むぞ、本当に」
「色々と気になったもので」
のほほんと笑っているジェイクであるが、その彼に襲いかかろうとした魔物を槍の一閃で倒したリヒトは、冷や汗を掻いている。彼はこの非力な学者先生の護衛を仰せつかっていた。基本的に面倒見が良いのでその仕事に文句は無かったが、知的好奇心の権化の学者先生は、分析しろというアリーのお言葉に俄然張り切って、暴走一歩手前だった。仕事はしてくれるが、自分の身の安全には無頓着。なんて迷惑な男だ。相変わらずダメ過ぎる。
一応手に鞭は持っているし、鞭の扱いはそこそこ出来るのだが、致命的に体力が足りていないので、戦わせても邪魔になるだけなのである。ので、リヒトがせっせと魔物を倒す傍らで、ふむふむと状況分析に勤しむジェイクであった。……1人だけとても楽しそうなのが、流石である。
「それで、分析は出来たのか?」
「えぇ、大体は。アリー、結果が解りましたよ」
「そうか。それで、どうだ?」
魔物を斬り捨てながら近寄ってくるアリーに、ジェイクは困ったように眉を下げながら口を開く。その表情から発言内容があまり良くないことを察したのか、アリーとリヒトの顔が面倒そうに歪んだ。ただでさえ面倒くさいスタンピードなのに、まだ面倒な案件が控えているのかと言いたげだった。
「このスタンピード、人為的に引き起こされていますよ」
「は?」
「ダンジョンの状況などの情報と、この場の魔物とその他諸々分析した結果ですけど、これ、自然発生じゃありませんね。この先のダンジョンがスタンピードに入るにはもう数年は必要だったはずです」
スタンピードとは、魔物の異常発生を言う。その発生条件は個体の増殖などの繁殖状況にも影響されるが、ダンジョンが存在する地域では別の側面があった。ダンジョンマスターの暴走や、ダンジョン内の生態系の乱れによって、スタンピードは起こる。だが、それでもそれらはあくまで自然災害の一種でしかない。
そのはず、だったのだ。
「ちょっと待て。人為的にどうやって引き起こすんだ」
「そもそも、スタンピードの分析研究は進んでいます。その仕組みを理解した上で、スタンピードを防ぐための手立ても研究されています。……ですので」
「……仕組みが解って、防ぐことが出来れば、逆に活性化させることも出来る、と?」
「おそらく」
ちっ、とアリーは盛大に舌打ちをした。ジェイクはあくまで事実を口にしているだけである。学者という性質から、ジェイクは憶測で物事をほとんど語らない。自分が調べて納得できた、確証のある情報しか与えてこない。それが解っているだけに、アリーは忌々しそうに舌打ちをするのだ。
スタンピードは下手をすれば、小さな村を飲み込むほどの災害なのだ。それを人為的に引き起こすなど、外道の所行である。犯人が解るなら、ぶちのめしたくなる案件だ。
そして、そのように考えるのは何も、アリーだけではなかった。
「ほぉ?」
「「……げ」」
「あ……」
低い声が3人の背後から聞こえた。いつの間にそこに現れたのか、ブルックがいた。魔物の体液で汚れた曲刀をぶんっと振って汚れを落とすと、奇妙に感情の欠落した無表情で魔物の群れを見詰めている。ぶわりと彼から発されたオーラ、明らかな殺気に、アリーとリヒトが顔色を変えた。流石のジェイクも顔を引きつらせている。
何故かクール剣士様がご立腹だった。基本的に普段はそこまで沸点が低くないのに、何かが逆鱗に触れたのか、それはもう、近年まれに見るレベルでご立腹である。触れた瞬間斬られそうなオーラに、リヒトがじりじりと後じさる。無意識だった。本能の警告だ。
「……ヲイ、ブルック?」
「……潰す」
「……っ、総員待避!この馬鹿キレやがった!リヒト、ジェイク運べ!」
「了解!」
ぼそりと呟いたブルックの目が、完全に据わっていた。ついでに、その本性であるは虫類めいた瞳に変貌している。そこまで理解して、アリーは周囲に向かって警告を発して走り出した。リヒトは言われるままに傍らのジェイクを小脇に抱えて走り出す。
ブルックは、人間に擬態しているものの、その本性は
「ブルックー、他の方々にご迷惑をかけないようにしてくださいねー。あと、人為的に発生させた元凶はここにはいないと思いますよー?多分、ダンジョンに細工するだけして、もうどこかに消え失せてると思います-」
「お前は平然とあの阿呆を煽るな、このボケ学者ぁああああ!」
「ちょ、アリー!この状況でジェイク殴られると、俺が走りにくい!」
のほほんと火に油を注ぐジェイクと、その頭をぶん殴りながら怒鳴るアリー。ジェイクを小脇に抱えているリヒトは、体勢を崩しそうになりながら必死に訴えている。そんな賑やかな3人と、先ほどのアリーの総員待避の警告と、何か殺気をまき散らしているブルックに気付いた《
ブルックはもう既に、そんな愉快な仲間達の発言を聞いていなかった。一歩一歩、魔物の群れへと歩いていく。気付いた人々が制止しようとするのを逆にアリーが諫めて、撤退させる。ブルックはそれすら見えていないようで歩き続けている。……なお、魔物は本能が強い生き物なので、本気で怒っていらっしゃる
かくして、突如発生したスタンピードは、たった一人の本気でキレた剣士によって壊滅させられたのであった。なお、おかげでたいしたけが人も出なかったということで、報酬が上乗せされたのであった。結果オーライ?
「って感じでな。ブルックさん、超怖かった」
「へー。それじゃあ、アリーさんがわざわざおやつに甘味作れって言ったのって、そのせい?」
「そうそう。未だにめっちゃ不機嫌だからな」
「甘い物で機嫌直るかなぁ?」
「直るんじゃね?ブルックさん、お前のおやつ大好きだし」
ことんことんとフルーツを一口サイズに切っている
スタンピードかぁ、と悠利はラノベやアニメなどの記憶を引っ張り出してみる。魔物が凄い勢いで押し寄せてくる、結構危ないやつではなかったっけと思ったが、皆が無事に戻ってきたので何とかなったんだろうなと思っている。実際、アリーも皆を連れて出て行くときにちょっと出掛けてくるぐらいのニュアンスだったので。
なお、その理由は、とりあえず危なくなったら全部ブルックに対処させよう、という考えがあったからである。最終兵器クール剣士。今回は勝手にキレて暴走したが。
「ユーリ、これはあとどれぐらい混ぜれば良いんだ?」
「あ、こう、泡立て器を持ち上げて角が立つ感じまでです。もうちょっとお願いします」
「解った」
「手伝ってもらっちゃってすみません」
「リヒトさん、ありがとうございまーす。レレイがいたらあいつにさせるんですけど」
「いや、大丈夫だ。……手伝った分だけ、早くブルックの機嫌が直るんだろう?なら手伝う」
ボウルに入った生クリームを黙々と泡立てているリヒトは、ちょっと哀愁漂う感じで呟いた。不機嫌なブルックに困っている感じだった。リヒトは前衛職なので、殺気その他に聡い。また、その前衛と解るがっしりとした体躯の割に内面は繊細なので、不機嫌オーラをばらまいているブルックに胃痛を感じているらしい。別に彼が悪いわけではないのだが。
なお、何故リヒトが生クリームを泡立てているかというと、クーレッシュが力尽きたからだ。手首が死にそうになったらしい。色々な魔道具が存在する便利な異世界なのだが、ハンドミキサーは見つからなかった。そのうち誰かに作ってもらいたいと悠利は思っている。ちなみに普段はウルグスが担当しているが、今はお勉強の時間なのでいないのだ。
悠利が作ろうとしているのは、プリンアラモードだった。今日はおやつをプリンにしようと、朝から作っていたのだ。大きなプリン型ではなく、一人一人に行き渡るように小型の型で作ってある。そのプリンを応用して、ブルックにスペシャルバージョンを渡そうというもくろみである。
勿論、絶対うらやましがる面々が出てくると解っているので、フルーツも生クリームも多めに用意している。ただのプリンの方が良い人はプリンをそのままに。デコレーションが欲しい人はお好みのトッピングを追加する形だ。フルーツも各種取りそろえているので、かなり豪華なプリンアラモードが出来そうだった。
「クーレはデコレーションする?」
「いや、俺はそのままで良いや」
「了解。リヒトさんはどうします?」
「せっかく泡立てたし、ちょっとだけ」
「解りました」
男2人はやはり、そこまで甘党ではないのでデコレーションには興味が無いらしい。とはいえ、女性陣は絶対にあれこれ盛り付けたがるだろうし、甘党のブルックは色々デコレーションした方が絶対に喜ぶと3人は思っていた。多分間違っていない。
そうして出来上がったプリンアラモードを手に、悠利はリビングへと向かった。そこでは、ブルックが1人、ソファに腰掛けて読書をしていた。いつも通りの無表情っぽく見えるが、オーラが違う。びしばし伝わってくる不機嫌オーラに、クーレッシュとリヒトは部屋の入り口から悠利を見守っていた。悠利は鈍感なので、機嫌悪そうぐらいしか解っていなかった。殺気が解らない一般人強い。
「ブルックさん、おやつ食べませんか?」
「……もうそんな時間か?」
「はい。今日はプリンなんですけど、ちょっとデコレーションしてみたんです。プリン豪華版ですよー」
「……ずいぶんと手の込んだプリンだな」
「今日は皆さんお疲れ様だって聞いたので」
にこにこと笑いながら悠利が差し出したガラスの器に、ブルックは軽く目を見張っていた。中央に置いてあるのはお手製プリンだ。そのプリンを、リヒトが一生懸命泡立てた生クリームや各種フルーツで彩っている。色とりどりのフルーツが綺麗だった。
どうぞ、と差し出されて、ブルックは大人しく器を受け取った。一緒に渡されたスプーンで食べられるように、フルーツは全て一口サイズに切られている。色々と盛り付けられているので、どこから食べて良いのか悩むぐらいだ。とりあえずブルックは、一番手前にある生クリームとプリンを一緒にスプーンで掬い取った。
生クリームには本当に軽くしか砂糖が入っていない。どちらかというと牛乳の風味が強い。プリンも甘さ控えめに作られている。だがそれは、別に美味しくないというわけではない。素材本来の甘みが生きていて、無理に砂糖で甘みを加えなくても大丈夫なのだ。シンプルな味わいだが、そこがまた、互いを引き立て合っている。自家製カラメルソースも良い感じだった。
「美味しいな」
「お口に合いました?」
「あぁ。いつもありがとう」
「いいえ。お疲れ様でした」
「…………」
にこにこといつも通りの笑顔の悠利に、ブルックは少し目を見張って、次いで、困ったように笑った。そこで彼は、このちょっと豪華なプリンが誰の差し金かを察したのだろう。器を机に置くと、ぽんぽんと悠利の頭を撫でる。
「すまない。俺もまだまだだな」
「そんなことないですよ。ご機嫌は直りましたか?」
「直った。というか、ユーリにそこまで気を遣わせるのも悪いしな」
大人げなくて済まなかった、と謝罪してくるブルックに、悠利はのほほんと笑っている。ちなみに悠利はそこまで迷惑だと思っていなかった。誰だって機嫌の悪いときぐらいあるよね、ぐらいの認識だった。殺気が解らないって強い。
2人の様子をうかがっていたクーレッシュとリヒトが、ブルックから発されていた殺気とか不機嫌オーラとかが消えていくのを理解して、ホッと安堵の溜息をついた。これで日常が戻ってくると思う程度には、彼らは常識人で良心的で、小市民だった。爆発物の近くになんていたくないのだ。
なお、自分が依頼したとはいえ、おやつ一つで機嫌が直ったブルックに、アリーが呆れ混じりにぼやく姿があるのだった。
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