塩水で、中までしっかり鮭の塩焼き。


「この鮭の切り身、どうするの?」

「塩水に漬けるよ」

「……塩水?」


 まな板の上に並べられた生鮭の切り身を前にして、ヤックは首を捻った。鮭の切り身はだいたい、塩を振って焼いていたのだが、何故か悠利ゆうりは塩を振るのではなく、バットに酒を少量入れた塩水を作っていた。塩の量は、舐めてみてしょっぱいと感じるぐらい。つまり、割としっかりとした塩水だった。

 その塩水に、ぽいぽいと生鮭を放り込んでいく。本日のお昼ご飯は10人と、人数が多めだった。なので、生鮭の切り身も10人分だ。塩水の中に放り込まれていく生鮭を、ヤックは不思議そうに見ている。


「ユーリ、焼くんじゃないの?」

「焼くよ」

「なのに何で、塩水に漬け込んでるの?」

「塩を振って焼いたときって、表面だけが塩辛かったりしない?」

「する!」


 悠利の問いかけに、ヤックはこくこくと頷いた。魚の塩焼きは、先に塩を振ってから焼くのだが、その振り方が上手で無いと、味が偏ってしまうのだ。極端な話、皮はパリパリで塩味が付いていて美味しいけれど、身を食べてみたら塩味が薄くてあまり美味しくなかった、みたいな話だ。ヤックにも経験があるので、素直に頷いた。

 悠利にも経験はある。塩を表面に振るというのは、それだけバランスが難しいのだ。だがしかし、その悩みを解決してくれるのが、この方法だった。しっかりとした塩水に浸けて、タレを染みこませるように塩を馴染ませるのである。


「こうやって塩水に浸けるとね、中まで塩味が浸透するから、満遍なく味が付くんだよ」

「へー」

「そうすると、どこを食べても同じ味がするから、食べやすいし」

「それ、すっごい嬉しい」

「だよね~」


 顔を輝かせるヤックと相変わらずのほほんとした悠利。いつもの光景だった。

 とりあえず、鮭を塩水に漬けた後は、他の準備に取りかかる。鮭の塩焼きならば、気分は和風。パンよりご飯。そんな悠利の考えの元、味噌汁や煮物、おひたしなどの和風料理の数々が準備されていくのであった。ちなみに、味噌汁はいつも、具材を三つは入れるようにしている。その方が旨味が出て美味しくなる気がするので。

 他の準備が全部終わった頃に、頃合いかと思って鮭を塩水から取り出す。この辺の感覚は勘でしか無いので、説明が難しい。魚の数や大きさによっても変わるからだ。焼いて食べないと判断できないのがちょっと難しいところかも知れない。

 とにかく、塩水から引き上げた生鮭をまな板の上に並べて、布巾で水気を拭き取る。ただし、擦ってはいけない。ぽんぽんと軽く触れるようにして水気を取るだけだ。擦ると魚を傷めるので気をつけましょう。


「それじゃ、鮭をグリルで焼いてっと」

「見た目、別に特にそこまで変わってるように見えないんだけどなー」

「まぁね。食べてみてのお楽しみってことで」

「そうだねー」


 のほほんと会話をしながら、二人はてきぱきと昼食の準備を整えていく。鮭が全て焼き上がる頃合いには、匂いに釣られて皆が食堂にやってきた。定食スタイルで一人分ずつトレイに用意を調えて、渡していく。……もはや完全に焼き魚定食だったが、細かいことは気にしてはいけない。美味しければ良いのである。

 そして、皆で「いただきます」と唱和してからの食事が始まった。焼きたてほかほかの鮭に箸を入れる悠利。元々の鮭が良い鮭だったのか、ほろりほろりと綺麗に身がほぐれる。火加減が調度良かったのか、骨もするっと外れてくれるのがありがたい。薄ピンクの身と、パリパリに焼き上がった皮のコントラストが美味しさをそそった。

 一口サイズにほぐした身を口に運ぶ悠利。まだ温かい鮭の味が、口の中で広がる。全体にほんのりと広がる塩味に、失われていない鮭の脂が混ざり合って何とも言えずに美味しい。塩味とはいえそこまで濃くは無いので、喉が渇くということはない。また、ちゃんと全体に味が付いているので、どこを食べても美味しかった。

 個人的に言わせて貰えれば、悠利としてはかなり満足のいく出来映えだった。塩を振って焼いた塩焼きよりは、こちらの方が塩分も控えめだし、味はしっかりついているし、良いこと尽くしだ。


「やっぱり塩鮭は美味しいねー」

「ユーリ、これ、どこ食べても美味しい」

「気に入った、ヤック?」

「気に入った!これ、他の魚でも出来る?」

「出来るよ」

「じゃあ、今度は別ので試したい」

「了解」


 隣り合わせに座ってにこにこしながら食べている悠利とヤック。黙々と食事を続けていたブルックが、二人のやりとりに少しだけ視線を向けた。


「何か、この塩鮭は特別な調理でもしたのか?」

「特別ってほどじゃ無いですけど、塩を振るんじゃなくて、塩水に漬けました。」

「塩水に?」

「はい。その方が、味が全体に馴染むので」

「なるほど」


 ほぐした塩鮭を口に運びながら、ブルックは小さく頷いた。確かに、いつもの、塩を振って焼いた魚のように味にムラがあるわけではない。どこを食べても同じようにしっかりと塩味がするのは、大変ありがたいことだった。二人の会話が聞こえていたのか、そこかしこでなるほど、という言葉が聞こえてきたが、悠利は気にした風もなく食事を続けていた。美味しいは正義である。

 そんな風に穏やかに昼食が進んでいたのだが、騒動はその終盤に起こった。しっかり噛んで味わって食べる悠利は、食事の速度が少々ゆっくりだ。別にそこまで遅いわけでは無いのだが、早く食べるが染みついている冒険者の中にいれば、ゆっくりになるだろう。

 で、皆が殆ど食べ終わった頃合いに、まだ悠利は茶碗に半分のご飯と、同じく半分の塩鮭を残していた。他のおかずを全て食べ終えた悠利が何をしたかというと、塩鮭の身をほぐし始めたのだ。それまで食べていたよりも細かくほぐし、念入りに骨を取り除く。そうして作った塩鮭のほぐし身を、悠利は当たり前みたいに茶碗に放り込んだ。更に、脂が残りつつも表面がぱりぱりに焼かれた皮も、食べやすい大きさにして茶碗に載せる。


「……ユーリ、何してんの?」

「え?お茶漬け食べようかと思って」

「「え?」」


 思わず問いかけたヤックに返されたのは、けろりとした言葉だった。そうして悠利は、席を立つと台所に向かい、ヤカンでお湯を沸かし始める。こいつは何をしているんだという顔をしていた一同は、悠利が沸騰したお湯をヤカンごと持ってきて、ほぐした塩鮭とその皮を載せたご飯の上へ熱湯をかけた瞬間に、殴られたような衝撃を受けた。

 お茶漬けという食べ物に、彼らはそこまで愛着は無い。悠利が普通に食べるし、アリーも梅干しで食べたりするのでそういう食べ方があるのを知っているが、基本がパン食のこの地では、お茶漬けの存在はスルーされていた。

 だがしかし、だがしかし、である。熱々のお湯を注がれた鮭茶漬けは、何だか無性に美味しそうだった。お湯に、塩鮭のピンクの脂が浮いている。それが旨味として出ているのだと解るほどに、美味しそうな匂いがした。ヤカンを戻してきた悠利は、そんな皆の反応などどこ吹く風で、ふーふーと冷ましながら鮭茶漬けを口に運んだ。


「あふ、あふ……っ」


 熱い熱いと言いながらも、そろそろと口に流し込む。そう、お茶漬けは流し込んで食べるものだ。口の中に、お湯でふやけた鮭の身とご飯が入り込む。お湯なので味はないが、塩鮭の味が出ているので問題無い。時々ふやけた皮からじわりと滲み出た味が口に広がるのも、また、美味しい。

 ずずずとちょっとお行儀の悪い音を立てながら鮭茶漬けを食べ終える悠利。美味しかったーとほわほわした顔で「ごちそうさまでした」と手を合わせた悠利は、目の前で机に突っ伏す仲間達の姿に首を捻った。


「……皆、何力尽きてるの?」

「……ユーリ、それ、美味しそう」

「それ?」

「お茶漬け」

「あぁ、鮭茶漬け、美味しいんだよねぇ」


 ヤックの悔しそうな言葉に、悠利はへろっと応えた。ダンダンと机を叩く音が響いて、ぎょっとする悠利であるが、皆は気にしていなかった。ずーるーいー!とか叫びだしそうな感じだった。……美味しい食べ方をするときは、周りにも一声かけましょう。でないと腹ぺこ軍団が、こんな風に拗ねます。


「えーっと、もしかして皆、お茶漬けにしてみたかったの?」

「っていうか、お茶漬けに興味はなかったけど、ユーリが食べてるの見たら美味しそうだった!」

「あぁ、うん。えーっと、ごめん?」

「そういう食べ方あるなら教えてよ!」


 ヤックの心の底からの訴えに、悠利はとりあえず、ごめんと謝った。だって、別にそこまで大事になると思わなかったのだ。たかが鮭茶漬けである。それなのにこんなに皆が食いつくなんて悠利は思いもしなかった。……彼は知らない。悠利が食べているものは美味しいものだと、皆が勝手に思っていることを。そして、それが、八割ぐらい間違っていないことを。


「……えーっと、また今度、塩鮭用意するね?」

「ライスも一緒に!」

「うん、解った。解ったから、ヤック、そんな恨めしげな顔しないで。皆も……」


 約束だからね!と叫ぶヤックと、同意する周囲に対して、悠利はこくこくと頷いた。皆物好きだなぁとか暢気なことを思ったが、そこは言わぬが花と黙っておいた。まぁ確かに、鮭茶漬けは美味しかったのである。しかも今日は塩鮭が良い具合に焼き上がったので、パリパリに仕上げた皮も絶妙な味わいだった。

 うん、また作ろうと悠利は思った。鮭茶漬けも美味しいし、ほぐしてご飯に混ぜ込んでおにぎりにしても絶品だ。皆が塩鮭とご飯の組み合わせを喜んでくれるなら、それらを提供しても怒られないだろう。どうせなら、薬味を用意して、ちょっと豪華な鮭茶漬けと洒落込んでみるのも面白いかも知れない。そんな暢気なことを考えているのだった。



 なお、後日、お茶漬けが飲み屋の〆メニューにあると知った酒飲み達が、晩酌のついでにお茶漬けを要求するようになるのはご愛敬である。


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