味噌を見つけたらゲットするしかないのです。


「ハローズさん、全部ください!」


 興奮気味に叫んだ悠利ゆうりに対して、ハローズは困惑していた。いや、ハローズ以外の面々も十分困惑していた。何しろ、普段の悠利からは感じられないほどの情熱がそこにあるのだから。

 悠利が手にしているのは、小さな壺だった。その中身を確認して、悠利はこのように興奮状態に陥ったのだ。それを持ち込んだのはハローズだし、中身の確認を頼んだのもハローズだが、まさかほけほけでのほほんの悠利が、こんな食いつきを見せるなどとは思わずに、呆気に取られている。




 ハローズが《真紅の山猫スカーレット・リンクス》のアジトに持ち込んだのは、彼らにとっては未知の食材である《味噌》だった。




 ハローズは行商人だ。あちらこちらと移動を重ね、新しい商品を開拓してくる男でもある。というか、それまで知らなかった商品を発掘して、それを多くの人々に知らしめるのが趣味なのだ。そうして笑顔を振りまくのが大好きで、売れる商品への嗅覚も素晴らしいのだが、同時に不思議と金儲けへのがめつさをそこまで持っていないという変わった商人でもあった。

 話が逸れた。

 そんなハローズが持ち帰ってきたのが、味噌だった。赤味噌である。ただし、味噌はこの辺りでは殆ど知られておらず、使い道を皆は知らない。ハローズにしても、使い道をよくわかっていない商人仲間に、縋るようにして頼まれて、在庫を引き取ったに過ぎないのだ。

 で、それを悠利に見せようと思ったのは、彼の好奇心だった。異邦人である悠利ならば何かを知っているかもしれないと判断したのだ。あと、どうしても解らない場合は、アリーに鑑定して貰おうと思っていたのも事実である。…ハローズの中で最近、《真紅の山猫スカーレット・リンクス》が商品鑑定所になりつつある。


「えーっと、ユーリくんは、これを知っているのかな?」

「はい。僕の故郷では醤油と並んで定番の調味料でした。全然見かけないので、存在しないのかと思ってたんですけど」

「これは調味料なのかい?」

「そうですよ?」


 ここで会話がかみあっていないことを、悠利も理解した。ハローズが味噌が何かを知らない、と。もっとも、味噌が何か解っていないのは、ハローズだけではなく、《真紅の山猫スカーレット・リンクス》の面々全員なのだが。…なお、アリーは面倒くさがって鑑定していないので、味噌はまだ謎の物体のままだった。


「えーっとですね、味噌は醤油と同じように大豆を原料にして作られる調味料です。主な使い道は、味噌汁と言われるスープの調味料になります。それ以外の料理にも使いますけど、一般的にはスープの味付けに使います」

「…ふむ。これで味付けをしたスープ、と言うのが想像できないのが正直な感想だがね」

「じゃあ、とりあえず作ります。お借りしても良いですか?」

「あぁ、構わないよ。お願いしよう」

「はい!」


 悠利は素晴らしい笑顔を残して、味噌の入った壺を抱えて台所へと走っていった。人数が多いのと、一応食べ物らしいと言うことで食堂で話をしていた面々は、悠利の背中を見送った。…あんなにも嬉しそうな悠利を見たのは、初めてであったので。

 なお、悠利が味噌に大興奮しているのは、スープばかりの生活に飽きてきたからだった。醤油はあった。米もあった。梅干しもあった。それなのに、何故か味噌だけが見つからなかったのだ。味噌汁と白米と梅干し。そこに卵焼きや焼き魚を加えれば、立派な和食の完成だ。それが恋しかったのである。

 外国で長く生活すると、日本食が恋しくなると言う。悠利はそれに近い状態だった。とはいえ、米も醤油もあったので、そこまで禁断症状は出ていないのだが。それでも、味噌汁に慣れ親しんでいた悠利にとって、ハローズが持ってきた味噌は大歓迎するべき品物なのである。


「具材は何にしようかな~」


 料理大好き乙男オトメンなので、悠利はうきうきしながら冷蔵庫の中を覗き込んでいた。味噌汁の具材は各家庭によって異なるし、その日の材料や気分によっても異なる。とりあえずハローズを待たせているので、火の通りやすい具材にしようと考える程度の気遣いはできる悠利である。

 作業の始めとして、冷蔵庫から瓶を取り出す。その瓶には水と昆布が入っている。普段は一から昆布出汁を作るのだが、急ぎの時用に、前の日の夜に昆布を瓶に漬け込んでいるのだ。今回はそれを利用する。鍋にどぽぽぽと瓶の中身を注いで火にかける。


「タマネギと、エノキと、ワカメにしておこうかな~」


 タマネギは皮を剥き、芯も取り、少し細めに切っていく。昆布を取り出した鍋にぽいぽいと放り込むと、今度はエノキを細かく切っていく。細かくするのは火が通りやすくする為である。そして、生ワカメを取り出すと、一口サイズにざくざくと切っていく。切り終えれば、エノキも生ワカメもそのまま鍋に放り込んだ。

 そうして炊いている間に、悠利は味噌こしの代わりになるような何かを探した。味噌こしは必需品だ。少なくとも、悠利の中では、味噌を溶くときには味噌こしがいるのである。中には、お玉でそのまま溶くヒトもいるようだが、釘宮くぎみや家では味噌こしを使い、残った粒の多い部分は味噌汁には入れなかった。

 理由は、何となく舌触りが気になるから、であった。特に深い意味はない。あと、味噌こしの方が溶きやすいというのも理由の一つにはあった。

 ごそごそと道具を探しつつ、悠利はとりあえず味噌こしの代用になりそうな、小さな手つきのザルを発見した。味噌を広めるならば味噌こしも広めたい、などとどうでも良いことを考えながら、悠利は鍋を見た。ぶくぶくと沸騰している鍋の中で、タマネギとエノキとワカメが踊っていた。

 具材に火が通ったことを確認すると、悠利は火を消した。味噌を溶く時は火を止める。そして、味噌を入れた後は、温める場合でも決して沸騰させてはいけない。というのが悠利が母親から教わった味噌汁の掟である。…掟と言うほどのものでは無いのだろうが、まぁ、心得として習った言葉である。

 まずはスプーンに一掬い。ハローズが持ってきたこの味噌が赤味噌であろう事は解っているが、塩分濃度などはわからない。なので、少しずつ、少しずつ溶かしていく。…なお、いつの間にか背後に見習い四人が立っていて、悠利の作業を不思議そうに見ているのだが、そこは突っ込んではいけない。割といつものことなのだ。


「こんなものかなぁ…」


 目分量で味噌を溶かし終わると、悠利は味見をする。興味津々な四人を放置して、味見をして後、もう一度味噌を少量加える。久しぶりの味噌汁なので、ちょっと感覚がぶれている気がした。あとは、こちらの味噌と、実家で使っていた味噌の味が少々違うこともあるだろう。

 何はともあれ、シンプルな味噌汁は出来上がった。悠利は満足そうに笑うと、味噌汁を器によそって運ぶ。とりあえず持っていくのは三つだった。自分の分と、ハローズとアリーの二人に飲んで貰う為である。


「残りは喧嘩しないように味見に使って良いよ~」

「「わかった!」」

「喧嘩はダメだからね?」

「「わかってる!」」


 念入りに釘を刺す悠利に、四人は素直に答えた。未知の食材だろうが、見慣れない色合いのスープだろうが、そんなことは彼らには関係が無かった。美味しそうな匂いがする、それが正義なのだ。それが答えなのである。万年欠食児童を舐めてはいけない。


「ハローズさん、お待たせしました。こちらが味噌汁になります。具材はタマネギとエノキとワカメです。でも、味噌汁の具材は他にも色々使えますので、これは一例です」

「ありがとうございます。…いただきます」

「…俺の分もあるのか?」

「はい。…だってアリーさん、あの争奪戦には混ざらないでしょう?」

「………混ざりたくねぇ」


 ぼそりとアリーが呟いたのは、背後で味噌汁の取り合いをしているクランメンバーがいるからだった。あいつらは、と頭を押さえながら呻くアリーに、ハローズは困ったように笑っている。悠利もちょっとだけ、困ったように笑った。食べ物に目が無いクランメンバーであり、ついでに、仁義なき戦いで取り合いとかしそうですらある。…もっとも、悠利が喧嘩をするなと釘を刺したので、よほどで無い限り、皆で仲良く分けるだろうが。

 気を取り直したようにハローズが器を手にして、そっと口を付けた。口に含んで、驚いたように目を見張る。それは、未知の味だった。そもそも、ハローズは味噌を口にしたことがない。だから、それは見知らぬ味であるはずなのだ。


 だがしかし。



「…不思議と、優しい味わいですね。しっかりと味がするのに、決して後味はしつこくありません」

「味噌は元々が大豆ですからね。味噌そのままで食べる手段もありますし、炒めた野菜の味付けに使うこともあるんですが、僕はこの味噌汁が、一番好きです」

「…ユーリ」

「はい、なんですか、アリーさん?」


 ハローズの隣で味噌汁を飲んでいたアリーが、半分ほど中身の無くなった器を見ながら、ぼそりと悠利を呼んだ。素直に返事をした悠利を見たアリーの顔は、どこか不機嫌そうですらあった。スキンヘッド+眼帯の男がそんな顔をすると怖いのだが、悠利はもう慣れたので全然気にしていない。

 そして、アリーは口を開いた。




「ライスが欲しい」




 仏頂面で呟かれた言葉に、悠利は瞬きを繰り返した。ハローズは呆気に取られ、もう一口味噌汁を飲む。そして、納得したかのように頷いた。それはもう、大きく大きく頷いた。

 そもそもが、アリーは梅干しを好む男で、ライスと梅干しを普通に食べている。つまり、味覚的には日本人に近いモノが備わっているのだろう。そのアリーなので、味噌汁を飲んで一番に思ったことが、「米が欲しい」という発想だったに違いない。悠利にもよくわかる感覚であった。


「そうですね。味噌汁って、ライスと一緒に食べることが多いですから」

「逆に、パンにはあわねぇな?」

「そうですねぇ…。まぁ、僕の周囲には、味噌汁とパンで普通に食べるヒトもいましたけど、少数派ですね」


 やはり味噌汁にぴったりなのは米だろう。多分。

 ハローズはうんうんと頷きながら味噌汁を飲んでいた。そうして味噌汁を飲み干すと、悠利に向けてにっこりと笑った。それはもう清々しいほどに爽やかなにっこりだった。


「ユーリくん、この味噌を定期的に仕入れるので、ちょっと販売の手伝いをお願いできませんか?」

「はい?」

「この味噌汁を店頭で配ろうと思います。そうすれば、味噌の使い方を伝える事もできますから」

「あぁ、試食販売ですね」

「はい。…ですので、その味噌汁を作るのを、手伝って頂けますか?」

「僕で良ければ喜んで!」


 悠利が顔をキラキラさせて答えた。…なお、純粋に手伝いをすることを口にしているのだが、悠利がやる気になっているのは、ハローズが味噌を定期的に仕入れると言ったからである。つまり、ハローズの店に行けば、味噌を買うことができる。悠利にはそれが最重要事項であった。

 そして、味噌が売れていけば、味噌こしを誰かに作って貰うことも可能かも知れない。その辺りのこともいずれハローズに相談しよう、と悠利は思った。この味噌は割と豆の粒などが残っているタイプだったのだ。それはそれで味わいがあるのだが、悠利としては味噌こしが欲しかったので。




 なお、味噌汁の試食販売は大盛況に終わり、王都ドラヘルンに味噌という新しい調味料がデビューするのであった。


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