里帰りで里心がついたそうです。


「嫌だぁああ!俺もここに住むぅううう!」

「阿呆なこと言うとらんで、さっさと出立準備しぃや!」


 大声で叫く青年の頭を、傍らにいた女性がひっぱたいた。もとい、ぶん殴った。遠慮無くぶん殴られても、青年はそのまま叫び続けていた。全然痛みを感じていないだろう青年の隣で、彼をぶん殴った女性が、痛そうに腕を押さえていた。

 無理も無かった。

 どだい、女性の細腕で殴って大丈夫な相手ではなかったのだ。青年は、狼の獣人であった。獣人族は皆、人間よりも強靱な肉体をしている。その中でも、狼とか獅子とか虎とかの肉食獣は、筋肉の発達が著しく、よほどの急所で無い限り、そうそう痛みを感じたりはしない。

 レベルが高く、防御に特化した獣人は、生身で矢を弾くのだ。正確には、筋肉で受け止めたり弾いたりするらしいが、その話を聞くと人間達は殆どの場合「え?それ冗談?」という反応をする。だがしかし、残念ながら事実である。

 そして、そんな狼獣人をぶん殴ったのだから、女性の拳の方が痛くなっても仕方ないのだ。しかもこの女性は、小柄で知られるハーフリング族なのだ。ハーフリングは手先が器用で、身軽である。そして、その大きさは、成人しても人間の子供ぐらいのサイズしかない。そんなわけなので、そんな小柄な種族である彼女は勿論身体もそこまで強くなく、隣の狼獣人を殴ってダメージを逆に受けるのも、当然だった。…それでもぶん殴ってツッコミを入れてしまうのは、彼女の性格なので仕方ない。


「……すまねぇな、アルシェット」

「えぇねん、アリーの旦那。久しぶりに顔出して、ウチらもちゃんとやってるて、そういう報告に来ただけ、のつもりやったんやけどなぁ…」


 痛む拳を撫でながら、遠い目をして呟く女性、アルシェット。その手に傷が無いのか確かめて、痛みを少しでも緩和させるために濡らした手ぬぐいで冷やしているのは、ティファーナだった。ハーフリングであるアルシェットの手は小さく、それが赤く腫れ上がっているのはとても痛々しかった。


「…あのー、お弁当用意してきたんですけど…」


 ひょっこりと悠利ゆうりが顔を出したのは、そんな時だった。それまで叫んでいた青年が、ぴたりと動きを止めた。その視線は、悠利が手にしているバスケットに向かっていた。獣人は人間よりも五感に優れている。更に、青年は狼獣人である。狼は犬科なので鼻が利く。ゆえに、動きを止めたのだ。


「弁当?!ユーリ、中身は肉か!?」

「あ、はい。昨日バルロイさんが美味しいって言ってた照り焼き肉も入ってますよ。あとは、サンドイッチと、デザートにクッキーと…」

「肉!肉!」

「えぇい!やかましいわ、この脳筋狼がぁあああ!」


 顔を輝かせて叫ぶ狼獣人バルロイに対して、アルシェットのツッコミが入る。ただし、今度は素手で殴るなどという真似はしない。腰に付けた魔法鞄マジックバッグであるポーチから、彼女は即座に愛用の槌を取り出すと、それでバルロイをぶん殴った。ハーフリングの体格に合わせて小さな槌だが、表面には金属のコーティングがされており、割と、良い音が響いた。

 だがしかし。


「アル、痛い」

「やかましい!お前が阿呆さらすせいで、ウチがこうやってツッコミに忙しいんやろうが!」

「だが、ユーリが昨夜の肉を作ってくれたんだぞ!肉!肉!」

「黙れ脳筋狼!」


 再びアルシェットの一撃が振るわれる。頭でそれを受け止めながら、痛いと面倒そうに呟くバルロイ。ダメージは全然無さそうだ。うわぁという顔で悠利が見ているのだが、他の面々はいつものこと、と言いたげにスルーしている。…とはいえ、見習い達はぽかんとしている。平然としているのは、ある程度の年齢以上の者と、指導係だった。

 この賑やかな二人組、バルロイとアルシェットは、数年前まで《真紅の山猫スカーレット・リンクス》に所属していた。バルロイは格闘家、アルシェットはアイテム士として共に修行を積み、パーティーの仲間達と順調にギルドランクを上げていたのだ。そして、久しぶりに訪れた王都ドラヘルンで、かつての修業先であるクランの師匠達に挨拶をするためにやってきたのだ。

 そうして彼らは一泊したのだが、そこで問題が発生した。それが、冒頭でバルロイが叫んでいた状況である。




 簡単に言えば、脳筋狼が、悠利に餌付けされてしまったのだ。



 

 一泊するならば、当然夕飯はアジトで食べる。一人二人増えたところで、悠利を含む見習い達料理担当は困らない。困らない程度には慣れた。突然ならば困るが、前もって連絡があれば、人数に合わせた料理を作れる。そうして、特に豪勢でも無い、《真紅の山猫スカーレット・リンクス》的には《いつものご飯》を提供したところ、狼が一発で堕ちた。

 勿論、アルシェットも料理の美味さに喜んでいた。自分たちがいた頃にはこんな料理は出てこなかったし、そもそもが料理担当の人間なんていなかった。今の構成員は恵まれているなぁ、なんて暢気に笑っていた。彼女は大人なので、美味しい食事を喜ぶだけで終わったのだ。

 だがしかし、バルロイは違った。彼は色々がっかり残念な脳筋狼だった。だがしかし、ここで勘違いしないでもらいたいのは、基本的に狼の獣人というのは、思慮深い。群れを率いる長の資質が備わっている、頭も良い肉体派なのだ。…だがしかし、バルロイはその狼獣人の中に時々生まれる、脳みそまで筋肉でしかない、とても残念でがっかりな男だった。

 そんなバルロイだから、仲間達に問答無用で《真紅の山猫スカーレット・リンクス》に放り込まれたのだ。基礎を無理矢理にでも叩き込まなければ、三日でダンジョンで強敵に挑んで死ぬと判断されたのだ。間違ってない。その友人達の判断は正しく、お陰でバルロイは基本技術を学んで卒業し、今、立派に冒険者として生きている。


「ウチも誤算やった…。この阿呆が阿呆なんわ解ってたんや…。せやけどまさか、ここまで簡単に、餌付けされよるとは…!」

「アルシェットは悪くありませんよ。バルロイが相変わらず愚かなだけです」

「……ティファーナ、アンタ、相変わらずこう、優しげな顔して、怒る時は怖いな…?」

「性分ですから」

「さよか」


 アルシェットとティファーナが対等に話をしているのは、年齢が近いこともある。また、アルシェット達がいた頃のティファーナは指導係ではなく、構成員から指導係へ向けて修行をしている頃だった。その為、彼女達の間には普通に仲間意識が芽生えているのである。


「まぁ、バルロイさんの気持ちがわからなくもないですよ、俺」

「クーレ、アンタまで…」

「いやいや、考えてくださいよ、アルシェット姉さん。バルロイさんはちょっと食べただけですよ?でも俺ら、毎日毎日ユーリの料理食べてるんですよ?毎日ですよ?」

「……お、おぅ」


 普段へらへらお調子者のクーレッシュが、真顔で言ってきたので、アルシェットは大人しく黙った。続きが解っているのか、ティファーナはそっと視線を逸らした。アリーも逸らした。指導係である彼らには、ある意味他人事だったのだ。他人事なので、聞かなかったフリをするだけである。


「ここから巣立ったら、俺ら、二度とそれ食べられないんですよ?いや、顔出したら食べられるかもしれないけど、でも、毎日毎日、美味しい食事ってのからは外れるんすよ!?」

「いやいやいや、落ち着けクーレ。そもそも、トレジャーハンター目指しとんやろ?遠出するやろ!?」

「日持ちする弁当作ってくれるんすよ、ユーリは!」

「お前も餌付けされとんかい!」


 すっぱーんとアルシェットはクーレッシュの頭を平手で叩いた。武器を握らなかったのは彼女の優しさだ。人間のクーレッシュにそんなことをしたら、大怪我をしてしまう。怪我は回復薬で治せるが、それを作れるのは調合の技能スキルを持つものぐらいだ。特に、薬師が得意としているが。回復薬はあまり安くはないのである。


「それだけじゃないんですよ、アルシェットさん!ユーリ、裁縫も掃除も洗濯もめっちゃ上手なんです!」

「は?」

「出かけてる間に布団干してくれてるし、洗濯物がほつれたら直してくれてるし…!時間が無いときは掃除も手伝ってくれるし!」

「あの子はアンタらのオカンと違うやろうが!」

「「もうお母さんで良い!!」」

「ハモるな、阿呆ぉぉぉぉ!」


 すぱぱーんとアルシェットはクーレッシュとレレイの頭を殴った。二人よりも小柄なので、飛び上がってすっぱーんである。ハーフリングは小柄だが、その分身軽で、ジャンプすればその差を埋めることは可能だ。だがしかし、間違っても、ツッコミを入れるために使う身体能力では無い。

 頭を抱えるアルシェットであるが、いつもなら一番にツッコミを入れそうなアリーが何も言わなかった。ちらりと視線を向けられたアリーは、ひらひらと手を振っていた。無理、と言いたげな反応である。

 そして、オカンとかお母さんとか言われた悠利はと言えば。


「僕は男だから、お母さんは無理だと思うけどなぁ?」


 実に斜めにずれた発言をしていた。やっていることは実質お母さんなのだが、当人はあんまり気にしていなかった。彼は自分の好きな家事をやっているだけなので、それが皆のお母さん扱いとかどうでも良いのだ。趣味をやっているだけなので。


「ユーリ、そういう話やないねんで?」

「そうなんですか?あ、アルシェットさん、これ、残りのお弁当です。パーティーメンバーは全部で五人で良かったですよね?」

「あぁ、五人やけど…。…全員分作ってくれたんか?」

「はい」


 にこにこと笑う悠利から弁当のバスケットを受け取ると、アルシェットは困惑した顔で問いかける。勿論、悠利の返事は至極あっさりとしたものでしかない。それらを大切に魔法鞄マジックバッグであるポーチに片付けながら、アルシェットは小さくため息をついた。


「アンタがそないに世話焼いてるさかい、あいつらがあんなんになるんちゃうか?」

「えー?でも僕、やりたいことしてるだけですよ?」

「…まぁ、アンタが良いんやったらそれでえぇけどな…」


 ため息をついて、そして、アルシェットは背後を振り返った。そこでは、ここに住むと叫んでいるバルロイと、さっさと出て行けとツッコミを入れているアリーの姿。アルシェットの代わりにツッコミを引き受けてくれているらしい。


「俺も拠点ここにする!」

「卒業したヤツまで受け入れる余裕はねぇ!出ていけ」

「そこをなんとか、お父さん!」

「誰がお父さんだ、ボケぇええええ!」


 独身のアリーに対して盛大な地雷を踏んづけたバルロイ。振りかぶったアリーの拳は、本来ならば受け止められる筈の拳は、何故か必殺の一撃クリティカルヒットを発生させて、バルロイを吹っ飛ばした。悠利と見習い以外の誰も驚いていないのは、それがいつものことだからである。

 種明かしをするならば、アリーは【魔眼】でバルロイの急所を鑑定して、そこに渾身の一撃を叩き込んだのだ。どれだけ強固だろうが、弱点は存在する。【魔眼】ならばそれを見抜くことは容易いのだ。何だかんだで、鑑定系の技能スキルはチート様なのである。




 結局、パーティーメンバーがやってきて引き取るまで、バルロイは粘りに粘って、我が儘を言っていたのであった。脳筋狼の仲間に合掌。


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