病人には卵おじや。
突然だが、《
「……寝込んでる、ですか?」
「あぁ。毎度のことだから気にするな。数日すればけろっと出てくる」
「はぁ…」
アリーに告げられた言葉に、
とりあえず、怒濤の朝食と後片付けを終えた悠利は、日課の洗濯と玄関先の掃除を終わらせて、件の病人の元へと足を運んだ。本日、殆どの人間が出払っており、留守番は見習いのみ。いつもなら誰かがいるのだが、今日はアリーも午前中は所用があると出かけている。…まぁ、昼食には戻るとのことだが。
「ジェイクさん、具合は大丈夫ですか?」
コンコンとノックをしても、返事は無かった。もう一度ノックをすると、弱々しい声で開いてると返事があったので、悠利はそろりとドアを開けて室内を覗き込んだ。…そこは、書庫と見まごうばかりの本で埋め尽くされていた。彼の部屋が一階の端にある理由を、悠利は何となく理解した。本が大量すぎる。これ、床抜けないのかな?と思いつつも中に入る悠利。
本は多いが、整理整頓はされている。主の性格を反映しているような部屋だった。…興味のある部分だけ充実している、という感じで。
ベッドの中から顔だけを覗かせているのが、部屋の主であるジェイクだ。ジェイクはトレジャーハンターだが、
そして、ジェイクもその例に漏れず、学者のテンプレタイプだった。今回も、いつものこととされ、かつ数日で復活すると皆が言っているのも、そのせいだ。何度も繰り返されているので、誰も大事だとは思わない。
「あー…、ユーリくんかぁ…。…大丈夫、寝てたら治るから…」
「徹夜続きじゃ普通に倒れますよ。だから、ちゃんと寝てくださいってお願いしたのに」
「……ごめん。本の続きが、気になって…」
「そうだと思いましたけど…。…食欲はありますか?とりあえず、水差しにレモン水入れときますからね?」
「ありがとう…。食欲は、ない…」
喋っている途中で睡魔が襲ってきたのか、体力が切れたのか、ぱったりと動かなくなるジェイク。うわぁと思いながらも、悠利は枕元の水差しにレモン水を入れていく。水にレモンの輪切りを入れてある。ついでに、食材として購入しておいたフェンネルも放り込んである。さっぱりするのではないか、という勝手な考えであった。ただの水より、味が付いている方が食欲が刺激されないかなぁ、とか。
一応、
ジェイクの部屋を後にすると、悠利はそのまま真っ直ぐと台所へと向かった。食欲は無いとのことだが、食事は取った方が良いと判断したのだ。いくらただの睡眠不足と過労だと言っても、栄養を取らないで良いわけがない。そんなわけで、食欲が無い、体調不良のジェイクでも食べられるものをと考えたのである。
とはいえ、悠利はただの男子高校生である。
「…確か、炊飯器に昨夜のご飯残ってたよね…?」
朝食は常にパンなのだが、昼や夜は適度にライスやパスタを活用することもある。そこらへんは作る人間の好みに任されるのである。なお、昨夜は丼が食べたいというリクエストの元、ライスが活用された。メニューはかき揚げ丼ぶりになった。理由、野菜くずが余っていたから。
ぱかりと炊飯器の中を確かめてみれば、お茶碗一杯分ほどのご飯が残っていた。それに満足そうに頷くと、悠利は小鍋に水を張り、昆布を浸ける。昆布出汁は偉大である。本当は鰹節とか煮干しとかも欲しかったのだが、生憎まだ発見できていない。その内港町に行きたいと本気で考えている
食欲が無いのならばあまり具材を入れるのはどうかと思ったが、それでも何も入れないのは栄養価が、と考えた結果。悠利が選んだのは、エノキだった。キノコなので出汁がちゃんと出るし、エノキは味が淡泊なので食欲が無いときでも食べやすい。細かく刻んでしまえば、消化にも良いだろう。多分。
出汁を煮立て、沸騰前に昆布を取り出し、塩と酒、醤油であっさりとした味付けを行う。そこにエノキと炊飯器から取り出したご飯を投入し、ことことと煮込む。実に簡単な、シンプルイズベストみたいなおじやの作成である。
本当は、具合の悪いときには梅干しのおかゆが良いかと思ったのだが、梅干しが見当たらなかった。また、それでは栄養価が足りないと考えて、出汁を使ったおじやの方にチェンジしたわけである。
「何?」
ぼそりとした声が聞こえて、悠利が振り返ると、そこにはじっと小鍋を見つめるマグの姿があった。きょとんとしている悠利に対して、マグは鍋を指さして、もう一度問いかけた。
「何?」
そこでやっと、何を作っているのか聞かれていると理解した悠利は、破顔する。にこにことしたいつも通りの笑顔で説明を始めた。
「ジェイクさんが寝込んでるから、おじや作ってるんだよ。炊飯器にご飯残ってたし」
「出汁」
「うん、出汁でご飯を煮込むと美味しいから」
「………美味?」
「うん。でもこれはジェイクさんのだから、駄目」
「…………」
「駄目なモノは、駄目」
じぃっと無言で見つめてくるマグに対して、悠利はにこにこと笑いながら拒絶した。こういうときは、誰も勝てない強さを発揮する悠利である。悔しそうな顔をするマグに対して、悠利は首を捻る。おじやは確かに美味しいけれど、どちらかと言えば病人食のイメージである。普通に育ち盛りの少年が食べたがるご飯とは思えなかった。
なお、マグがここまで反応しているのは、彼が何だかんだで出汁とか旨味とかに魅了されているからだった。味覚が鋭敏なのか、他の者よりもその辺に対する食いつき方が半端無かった。マグに料理をさせると、出汁と素材の旨味で、塩分控えめなのに結構美味しいという現象を作り出すのだ。別な意味で将来有望だった。
ことことと煮込み、ご飯が軟らかくなり、味を吸い込んだのを確認すると、最後の仕上げに取りかかる。ボールに割った卵を軽快に溶くと、そのまま流し込む。ふつふつと煮立っていた部分に流し入れると、火を止めて蓋をする。蒸らして火を入れる作戦である。
待つことしばし。卵に火が通った頃合いを見計らって蓋を開けてみれば、良い感じにふわとろ卵になっていた。出汁の香りも漂い、実に美味しそうだ。悠利は満足のいく出来映えに笑顔になると、トレーに鍋敷きを置いて小鍋を乗せ、器とスプーンを用意する。勿論、鍋には小ぶりなお玉もセットである。
背後にコバンザメか背後霊のように付き従うマグを連れて、ジェイクの部屋を目指す。ノックが出来ないことに気づいた悠利の代わりに、マグが素早くノックをすれば、小さな声で返事が聞こえた。二人はそのまま室内へと足を運ぶ。
「…ユーリくん?」
トレーを持った悠利にきょとんとしているジェイクであるが、悠利は気にせずそのまま歩み寄る。水差しの隣にトレーを置くと、小鍋の蓋を取ってみせる。ふわり、と出汁と醤油の絶妙な香りが部屋に広がり、くぅとジェイクの腹が鳴った。
「…え、っと」
「何も食べないのは身体に悪いので。これなら、食べられるかなと思って作りました。無理して全部食べなくても、残ったら僕が食べますから」
にこにこと笑いながら、悠利は器に卵おじやをよそう。ほかほかと湯気を出す謎の料理に、ジェイクはぽかんとしている。…なお、この世界、一応粥はあったりするが、悠利が作ったような、出汁を活用したおじやはあまり知られていない。リゾットもあるにはあるが、あちらはチーズが入っていたりする。病人食っぽくはないのだ。
「僕の故郷の料理で、おじやと言います。出汁と醤油ベースで味付けをしてますから、あっさりめですよ。具材はエノキと卵だけです」
どうぞ、と差し出された器を、ジェイクは受け取った。ぶっ倒れて寝込んでいたので、食欲なんてちっともなかった。悠利が置いていったレモン水を飲んで多少マシになったが、食欲はなかったのだ。…それなのに、目の前の匂いを嗅いだら、無性に空腹を訴える身体があるのだから、不思議である。
そっと、スプーンで一匙分掬って、息を吹きかけて冷ましながら口に運ぶ。しっかりと煮込まれたライスは柔らかく、出汁を吸った卵は絶妙だった。細かく刻まれたエノキは食感の楽しさを伝え、昆布出汁と醤油ベースの味付けは優しく暖かい。体中に染み渡る味に、ジェイクはゆっくりと、だが確実に食事を進めた。
「…無理なら、残す」
ぼそりとマグが伝えた言葉に、ジェイクはうんと小さく頷いた。頷いたが、ゆっくりとだが器の中身を食べきり、次々お代わりをしていく。それを見ているマグのオーラがどんどん不機嫌というか、残念そうになっているのだが、誰も気づいていなかった。……マグは、ジェイクが残した分を食べようとしていたのだ。だがしかし、普通にジェイクの好みに合ったのか、卵おじやは次々消費されていく。目論見が外れていくばかりである。
結局の所、小鍋いっぱいの卵おじやを、ジェイクは完食した。はふ、と美味しそうに顔をほころばせるジェイクの顔色は、食事前よりよほど良かった。明らかに血色が良くなっている。食事は偉大である。
「ありがとう、ユーリくん。美味しかったよ」
「良かったです。…これからは、無理しないでくださいね?」
「うん、気をつける」
笑顔で会話をする二人。実に微笑ましかった。…その背後で、空っぽになった小鍋を、スプーンでかつんかつん触って凹んでいるマグがいたのだが、マイペース二人は気づいてもいなかった。哀れ、マグ。
なお、その話が広まり、「病気になったら特別食が作って貰えるのか!?」とアジト中が大騒ぎになったのは、また別の話である。
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