買い出しは庶民派市場で。

 怒濤の朝食ラッシュを終えた悠利ゆうりは、ヤックと二人で買い出しに出ていた。何しろ、食材が壊滅しているのだ。補給しなければやっていけない。その際、お金をくれたアリーに、悠利は一つだけ我が儘を伝えた。


 それは、調味料を買わせて欲しい、というものだった。


 アリーは一瞬だけ眉を寄せたけれど、現在厨房に存在する調味料が必要最低限であることは理解していたのか、頷いてくれた。その代わり、値段の基本が解っていないだろう悠利ではなく、ヤックが購入先を判断するようにと言い含めた。…どうも、マイペースすぎる悠利に、「世間知らず」というレッテルを貼り付けたらしい。あながち間違ってはいない。この世界の常識はさっぱりだ。

 かくして、お金を渡されたのも、店を決めるのも、ヤックである。悠利に異論はなかった。持って行けと手渡されたショルダータイプのバッグを提げて、悠利はヤックの先導で歩いている。なお、そのバッグは買い出しに使うようにと与えられている、魔法鞄マジックバッグだ。簡単に言えば、バッグの中に様々なモノが入る。明らかに容量を超えていても入る、魔法の鞄だ。

 貴重な品であるのは事実であるが、冒険者達ならば大抵持っている。性能はピンキリで、いずれも錬金術師たちが作り上げているのだとか。もしくは、ダンジョンのドロップ品か。流石異世界でファンタジーだと悠利は思ったのだが、実はこの世界、悠利が想像していたような、魔法のある世界では無かった。人間も魔物も魔法は使わない。使えない。全ては技能スキルオンリーだった。

 その事実は悠利をちょっとだけがっかりさせたが、属性を持った魔石を用いて作られた様々な魔導具や魔法道具マジックアイテムが存在する。風呂でお湯が出たり、台所にコンロがあったりするのが、これに該当する。そういった様々な道具を、錬金術師や鍛冶師が作り出しているのだ。…それを魔法と称するのは、この世界でもおとぎ話に魔法が出てくるからに他ならない。使えないからこそ、昔話の類には、魔法の使い手がいたりするようだ。

 まぁ、現代日本で、科学が発達したのと似た感じだろう。原材料が魔石なだけで。というぐらいに悠利はけろっと片付けた。難しいことは彼には関係無い。便利な品物があるという事実で十分だった。



 …なお、悠利は【神の瞳】を持つ探求者なので、その気になれば、その手の道具は作り放題なのだが、当人に自覚は無い。



 さて、そんな二人が赴いているのは、王都の中でも下層と中層に位置する場所だった。立地が、ではない。ようは、生活基盤の階級が、だ。慣れた様子で歩くヤックの隣で、悠利はあれこれと質問をしている。ヤックも、初めて自分より新入りの仲間を迎えたことが嬉しいのか、嫌な顔一つせずに説明をしていた。

 王都ドラヘルンは、冒険者達が生活する界隈が、一番城門に近い場所にある。それは、いざという時の防衛に使えるというのもあるし、素性の知れないならず者達を、一般市民や街の建造物から遠ざけるという意味もある。だが、今のところドラヘルンの冒険者達は王都の住人と友好的な関係を築いている。…どこかの国では、冒険者=ならず者という、迷惑な認識も存在するらしい。

 そして、ヤックが悠利を買い出しのために連れてきたのは、庶民の味方の市場だった。わいわいがやがやと賑わっているその光景は、悠利の目には商店街に見えた。店は建物の場合もあれば、テントや屋台の場合もあった。それでも、皆が生き生きと、声を張り上げて商品を宣伝している姿は、やはり、古き良き商店街を思わせた。


「買い物は、この市場でするのが一番だよ」

「そうなの?あっちにも確か、お店がいっぱいあるって言ってたよね?」

「…お店はあるけど、あっちは、値段が高いんだ。その分いつでもきっちり商品がそろってるけどね」

「あぁ、お金持ち向けとか、商売する人向けとかの、ちょっとお値段張っちゃう系なんだ?」

「そうそう」


 どちらが悪いと言うわけではないだろう。ただ、別にそんなに裕福でも、舌が肥えているわけでもないトレジャーハンタークラン《真紅の山猫スカーレット・リンクス》の普段の食材の買い出しに、わざわざ値が張る商店に向かわなくても良い、というのがヤックの持論である。…もとい、困った先輩見習い以外の面々の、共通認識だ。

 そんなわけで、ヤックはこの庶民向けの市場にしょっちゅう出入りしている。ゆえに。


「おう、アリーんとこの坊主!今日も買い出しか?美味い肉が入ってんぞ」

「おやおや、ヤック坊じゃないかい。今日はチーズが手に入ったんだけど、どうだい?バターもあるよ」

「ヤックくん、旬の野菜が入ってるから、覗いていきな-!」

「ヤック、久しぶりだな。仕入れから戻ったから、魚どうだ?」


 などなど、あちこちから声がかかる。ヤックは地味に人気者であった。それも、彼が《真紅の山猫スカーレット・リンクス》で真面目に見習いをやっていることを知っているからだ。見ている人は見ているのだ。そして、こういう庶民の味方系市場は、仲良くなれば大変お得だ。オマケがついたり、割引して貰えたり、お得ばっかりだ。

 なので、ヤックは色んな店に顔を出しながら、その都度悠利のことを紹介した。曰く、昨日入ったばかりの《真紅の山猫スカーレット・リンクス》の新人だ、と。自分と違って、料理がとても上手だから、食材をきちんと使ってくれると思う、と。悠利がそんなことないと否定するのもまた、謙虚に映るのか、皆が好意的に迎えてくれている。



 あと、料理が上手=食材をちゃんと使えると聞いて、全員目の色が変わった。



 やはり、商売人としては、自分たちが売った商品を、きちんと扱って欲しいのだろう。もっとも、悠利はそんな周囲の注目なんてつゆ知らず、商品と値段を見ながら、購入するモノを選んでいる。なお、悠利にこの世界の物価の基準はちっとも解らないので、同じ値段の商品の中から、より品質の良いものをチョイスしている。

 何故そんなことを出来るかと言えば、技能スキル【神の瞳】のおかげだった。鑑定さんはお仕事の出来る技能スキルなのである。ならば、その最上位に位置する【神の瞳】が、チートしないワケがない。見つめるだけで商品の状態が手に取るようにわかる。ゆえに、悠利は最初から最上質ばかりをチョイスするのだが、そのために、売り手側に驚愕されている。


 …繰り返すが、本人は何も気にしていない。


 そんな買い物を幾つも幾つも繰り返した頃、ふと思いついたと言いたげにヤックが問いかけた。その時悠利は、同じぐらいの大きさの二つのキャベツを真剣に見ていた。


「ユーリ、実はすっごい目利きなの?」

「ふぇ?」

「いや、どの店でも、お店のヒトが驚くぐらい、良いの選んでるから」

「あぁ、僕、鑑定士だから。すみません、こっちのキャベツください」

「え゛?」


 さらっと言ってのけると、悠利は向かって右側のキャベツを指さした。ほぉ、と店番の若いお兄さんが面白そうに笑った。二つのキャベツは殆ど違いが無いように見える。だが、悠利が選んだ方が、ほんの僅かだが色つやが良かった。本職でもなかなか見抜けないぐらいの、微妙な差違である。

 そんな悠利の隣で、ヤックは固まっていた。鑑定士?と呟く声が、どこかカタコトだった。よほどの衝撃だったらしい。…無理もないのだが。

 この世界において、鑑定という技能スキルは非常にレアリティが高いと言われている。所持している人間の割合が少ないというのもあるが、それ以上に、鑑定が色々と優れすぎているのだ。勿論、レベルが低ければ殆ど何も出来ないに等しい。だが、高位になればなるほど、様々なことを見抜ける。何も、トラップを見抜いたり、お宝を鑑定するだけが、彼らの力の使い道ではない。

 例えば、未知の毒物が発見されたとする。高位の鑑定技能スキル持ちならば、その毒がどんな影響を及ぼすかを知ることが出来る。また、何で作られているかという成分分析も可能だ。そして、成分が解るならば、それを分解するものを考えることも可能。鑑定系の能力保持者は、いずれも重宝されるのである。


 鑑定の技能スキルレベルが下位の者を鑑定士。

 鑑定の技能スキルレベルが上位の者を鑑定師。

 そして、鑑定よりも上位である【魔眼】の技能スキルを保持している者を、真贋士。


 たった三種類と言われるかもしれないが、その影響力は計り知れない。そして、鑑定師が真贋士に至る可能性は、あまりにも、少ない。【魔眼】は後天的に得ることの出来る技能スキルではある。だが、鑑定の技能スキルを磨き、己のレベルを磨き、それでもなお、届く者はほんの一握り。現状確認されている真贋士の実に九割が、先天的に【魔眼】の技能スキルを保持していたと言えば、いかに貴重かわかるだろう。



 …さて、その爆弾をぽいぽい落した悠利であるが、ヤックのことなど気にせずに、他の野菜の見聞に移っていた。ぶれない。



 次々と別の野菜を選んで、お会計の段階になるとヤックを呼ぶ。財布を握っているのはヤックなので、悠利は選ぶだけである。今まではそれで普通にやりとりがされていたのだが、残念ながら、今のヤックは固まっていた。仕方ないので、悠利は財布をヤックから受け取って、中身を確認した。

 入っているのは、小銅貨、銅貨、銀貨の三種類だ。この世界の貨幣は、これ以外に金貨と白金貨が存在する。だがしかし、金貨なんて一般人は滅多なことでは目にしないし、白金貨なんて、大金持ちか王侯貴族しか使わない。なので、アリーから手渡された財布に入っているのは、銀貨までなのだ。

 小銅貨は一枚が1ゴルド。銅貨は一枚が10ゴルド。銀貨は一枚が1000ゴルドとなっている。ゴルドというのはこの世界の貨幣の単位で、単位表記はG。貨幣は世界共通で、言語も世界共通というのを聞いて、悠利はなんて便利な世界だろうと本気で思った。この異世界が、悠利の知っている地球よりも大きいのか小さいのかは解らないが、言葉と貨幣が同一ならば、色々と便利なのではと思っている。

 言われた通りの値段を支払って、悠利は興味本位で小銅貨を見つめた。そうすると、技能スキルが発動したらしく、眼前にステータス画面のように説明文が現れた。



――小銅貨

  貨幣。価値は一枚1ゴルド。庶民に何より見慣れた銅貨。

  円形。表に刻まれているのは商売の神ルードの紋章(菱形の中央に図形を貫く一本線)。

  なお、日本円に換算すると1ゴルド=10円。サイズは十円玉。



「…うん?」


 何やら最後にどうでも良さそうな一文が加わっていた。だがしかし、悠利は細かいことは気にしなかった。ついでに、こちらと日本の物価の違いも何となく理解した。こちらで言われる値段では違和感なくイメージしていたが、日本円に換算すると、10倍になっているイメージだ。何故ならば、先ほど購入したキャベツが、一つ150ゴルドだったのだ。日本円で考えたら、キャベツ一個が1500円である。怖い。

 とはいえ、こちらはこちら。日本は日本である。どうせ悠利はこちらの貨幣で買い物をするのだし、細かいことは気にしないでおこうと思った。そういう難しいことを考えるのは、彼の役目ではあるまい。


「ヤック-、次の店行こう-?」


 魔法鞄マジックバッグに野菜を詰め込んだ悠利は、未だに固まっているヤックを揺さぶって呼び戻す。やっと意識が現実に戻ってきたらしいヤックは、口をぱくぱくさせながら悠利を見ていたけれど、諦めたようにため息をついて、彼を連れて次の店へと足を運ぶのだった。

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