時間と密度と距離のカンケイ 3

 紫綺くんに空っぽだと言われても、これからいっぱいにすれば良いと笑った裕翔くん。だけど今日は遥さんに若いと言われて本当に若いのかを気にしていた。どうしたのだろう。

 私はリビングでクッションを抱えてソファーに座っている。目の前で裕翔くんは眞澄くんとゲームをして遊んでいた。その横顔はいつもの明るく楽しい裕翔くんだ。


 ふたりの楽しそうにじゃれ合う声とテンポの良いゲーム音楽が子守唄になる。今日は運動して汗をかいたからお風呂に入らなきゃ、と思うのに瞼が重力に逆らえない。

「みさき」

 うとうとしているところで淳くんに肩を揺さぶられ、名前を呼ばれてハッとする。

「先にお風呂入っておいで」


 こくんと頷いて、睡魔と戦いながら何とか湯船までたどり着く。気持ち良くてこのまま眠ってしまいそうだ。

 浴槽の縁に両手を置いて、その上に顎を載せる。偶然、指に唇が触れたとき、裕翔くんを思い出してしまった。


 のぼせそうになったので急いで髪と身体を洗ってお風呂場から出る。パジャマに着替えて濡れたままの髪をドライヤーで乾かそうと洗面台の前に立った私の顔を見たとき、また裕翔くんの顔と唇の柔らかさが甦ってきた。

 初めての、ふたりだけの秘密。なんだか胸の奥がくすぐったい。


「あ、ゴメン」

 恥じらいからひとりで悶えて、何をやっているのだろうとへなへなと座り込んでしまったところを裕翔くんに見られてしまった。

 一度引き返そうとしたけれど、何か思いついたのか彼はやっぱり脱衣所に入って扉を閉める。軽やかな足取りでこちらへやって来た。


「具合悪い?」

 踞っていたので心配をかけてしまったみたいだ。裕翔くんは私の目の前にしゃがみこむ。まだ乾いていない前髪にそっと彼の指が絡んだ。

「違うの。思い出しちゃって……」

 恥じらいで俯いてしまう。顔が真っ赤になってしまっていると思う。


「忘れられなくなっちゃった?」

 少し意地悪な響きが明るい声に混じる。恐る恐る顔を上げようとしたとたん、二の腕を捕まれて唇が重なった。


「オレでいっぱいになってよ」

 裕翔くんが色っぽく目を眇める。今度は噛みつくみたいなキスをされた。息が上手くできなくて勝手に涙が目尻に溜まる。

「裕翔く……っん」

 あまりに性急で、私の感情がついていかない。胸を押して離れようとするけれど裕翔くんはびくともしない。


「みさき、どっか痛い?」

 裕翔くんは私を掴んだまま覗きこむと、目の際きわに口づけて涙を拭う代わりに軽く吸う。

「……どうしたの?裕翔くんらしくないよ」

 少しでも距離を取ろうとじりじりと上半身を退く。壁と洗面台と裕翔くんに囲まれているのであまり逃げ場はなかった。

「オレらしいって何?」


「元気で明るくて、いつも楽しそうで……」

「それでみさきはオレだけのモノになる?オレは誰も知らないみさきが見たい。オレはみんなよりみさきといる時間が圧倒的に短いから、それを越えられる何かが欲しいんだ」

 大きな瞳は真っ直ぐ私を見据えている。

「みさきでいっぱいになりたい。全部みさきで満たして。みさきもオレだけを見てて」


 私に覆い被さるみたいに抱きしめてきた裕翔くんの双眸に、切ない光が揺れる。どうしたら裕翔くんは安心できるのだろう。

 やっぱり過去がないというのは不安なことなのだと想像する。それを私が補うことなんてできるのだろうか。


 わからないなりに考えて、おずおずと彼の首の付け根に手を添える。私が首を伸ばすと裕翔くんからも距離が縮められていた。触れ合う唇にさっきまでの荒々しさはない。


「……お揃いのキーホルダーとかじゃ、ダメ……かな?」

 アクセサリーでは学校では使えないけれど、キーホルダーならバッグにつけることもできる。


「ふたつでひとつになるのとか、クラスのヤツがつけてた」

「じゃあ、そういうの、探そ?」

 裕翔くんは弾けるような笑顔で頷いてくれたので、ほっと胸を撫で下ろす。


「一緒に買いに行こう?」

 彼の大きな瞳はキラキラ輝いている。手をぎゅっと握られた。私が小さく頷くと、猫が甘えるようなかわいいキスをされる。

「約束」

 もう一度口づけを交わすとそれはどんどん深くなる。


 私の唇を裕翔くんの舌が抉じ開けて、焦らすように歯列をなぞる。徐々にこちらの身体に力が入らなくなってくるのを彼は見逃さない。そのまま床に押し倒されてしまった。一体どこでこんなことを覚えたのだろうと呆然と裕翔くんを見上げる。


 彼は妖艶な微笑をひらめかせて私の耳たぶから首筋へ啄むようなキスをする。さすがに身の危険を感じた。

 いくら何でも、これ以上親密な関係となるには早すぎる。


「ゆ、裕翔くん……!」

「何?」

 全く悪びれた様子もなく、ちょこんと小首を傾げる。それになぜか怖じけづいてしまって、小声しか出せなかった。


「あの、髪乾かしたいんだけど……」

「いいよー」

 すんなり私から降りてくれた。私の考え過ぎだったのだろうか。

 動揺したままのろのろ立ち上がって、出しっぱなしになっていたドライヤーを手に取る。小さく息を吐いてから顔を上げると、鏡の中で裕翔くんがニコニコしているのが見えた。


 スイッチをいれて髪を熱風で乾かし始める。不意に後ろから抱きつかれた。ゴロゴロとご機嫌に喉を鳴らす猫みたいなご満悦の表情で私の邪魔をする。

「みさき、いー匂い」

 モーター音で何を言っているのか聞き取り辛いし、火傷させないか心配になる。できれば離れてほしいけれど、裕翔くんの嬉しそうな表情を見ているとそれを伝えるのははばかられた。


 乾かし足りないけれどドライヤーを止める。待ってましたとばかりに裕翔くんはさらに密着してまだ湿っぽい私の髪にキスをした。

「一緒にお風呂入ろうよー」

 猫なで声で告げられたとんでもないお誘いに思わず噎せてしまう。

「わ、私はもう入ったから」

「いーじゃん。もう一回入っても」

 無邪気に強引だ。だけどここは私も折れる訳にはいかない。


「恥ずかしいし……」

 それ以上言葉が思いつかなくなって、唇を結ぶ。暫しの沈黙がこの場を支配した。

「……仕方ないか」

 裕翔くんから微かな苦笑が漏れ、耳元に端整な唇が寄せられる。

「心の準備ができるの、待ってるね」


 鏡に映る虚像の彼は、艶やかに頬を綻ばせていた。その姿は女性の扱いに慣れた青年で、私は太刀打ちできる気がしない。無意識に使い分けているとしても、末恐ろしい話だ。天然タラシなんて。

 裕翔くんが服を脱ぎ始めてしまったので慌てて脱衣室を後にする。廊下で閉じたドアにもたれると、全身を火照らせてずるずると崩れ落ちてしまった。

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