この手は離さない 6

 リビングに戻るとドアの近くに立っていた眞澄くんに淳くんが声をかけた。

「珠緒さんはどう?」

「痛みは収まったみたいだ」

 珠緒さんは朝までここにいることはできないので、もう少し休んだらアジトに戻るそうだ。


 それを聞いて少し話せるかもしれないと思い、横たわる珠緒さんの前へ行く。誠史郎さんが場所を譲ってくれたのでそこに正座した。

「珠緒さん……。ごめんなさい」

「みさきさんが謝ることは何もありませんわ。私こそ、ご心配をおかけして申し訳ございません」


 先ほどよりずいぶんしっかりとした声音になっていた。表情も余裕が出てきたように見える。だけど私は罪悪感でいっぱいだった。

「本当にお気になさらないでください。油断してしまいましたの。お恥ずかしいところをお見せしました」


 優しく微笑みかけてもらうとまた涙が滲んできた。だけど私が泣いていてはいけない。唇をへの字に結んで、何とか堪えようとがんばる。

「笑ってくださいまし。せっかくの愛らしいお顔が台無しですわ」


 頭で考えてしまうと笑うのって難しい。上手くできなくて表情筋をむぐむぐ動かしながら視線を上げる。珠緒さんを挟んで正面にいつの間にか淳くんが座っていた。柔らかく破顔して頷いて見せる。それを見ると自然に口元が綻んだ。



 夜明け前に珠緒さんは帰っていった。もう痛みはすっかり収まったそうだ。誠史郎さんが車で送ると言ったのだけど、アジトの場所は秘密なのでひとりで行くと断られた。

 私たちが珠緒さんの所属する穏健派吸血種の隠れ家をことがお互いのために重要らしい。そのため、見送りは玄関までだった。

 誰に何をされたのか教えてもらえなかったけれど、腹部に強い衝撃を受けたのだろうと誠史郎さんは言っていた。


「珠緒さんは何もおっしゃりませんでしたが、おそらく攻撃を甘んじて受けられたのだと思います」

 私たちを庇うために。きゅっと拳を握った。珠緒さんはとてもおしとやかにみえるけれど、やっぱりリーダーのひとりだけあって、戦闘になると強いそうだ。


「少し休みましょう。こちらも反撃のカードは手に入れましたから」

 誠史郎さんの言葉に深く頷く。淳くんはひとりで行かないと約束してくれたので安心だ。


 それぞれ部屋に戻ろうと移動が始まる。私はわざと最後尾で階段を昇って、その前にいる淳くんのパジャマの裾を掴んだ。白皙の整った面がキョトンとして振り返る。

 何か言おうと形の良い唇が開きかけたので、私はしー、と口の前に人差し指を立てる。そして耳を貸してとジェスチャーを見せた。


 淳くんは首を傾けたけど、ややあって耳に手を添えながら近づいてくる。

「ありがと」

 珠緒さんに笑ってと言われたとき、淳くんがいてくれたからできた。感謝を込めて白い頬に軽いキスをする。恥ずかしいので彼の顔を見ずに追い越した。





 目が覚めたのはもうお昼時だった。みやびちゃんも相変わらず足元ですやすや眠っている。

 今日はひとりでも稽古をがんばるためにジャージだ、と気合いを入れて着替えた。


 リビングにいくと、もうみんな起きて集まっていた。イズミさんもいる。誠史郎さんが車でおうちまで送るそうだ。

 淳くんと目が合うとちょっと照れくさい。だけど彼も何か吹っ切れたようだ。纏う空気が変わっている。


「研究所に行く日が決まったよ」

 私が寝ている間に何があったのだろうと驚いてしまう。

「明日の昼に来てほしいって」

 にこ、と淳くんは微笑む。お昼だと雪村さんに会う可能性はない。翡翠くんも眠っている。ありがたいような、問題が解決しないような。


「ひとりで来てくれ、とは言われなかったからね。遠慮なくみんなで乗り込ませてもらおう。これで翡翠の居場所を特定できれば、月白から暴れる理由を取り上げられる」

 淳くんの言葉に頷く。あと数日、大きな事件を起こされないのを祈るばかりだ。


 イズミさんを送りに行くまではまだ時間があった。ブランチを食べてからひとりで鍛練場の掃除をして、木刀を素振りする。

 もうあんな胸が潰れるような思いはしたくない。誰も傷つけられないように、強くなりたい。

 1度しか会ったことはないけれど、目の前に月白さんに一太刀浴びせるつもりで刀を振るう。


「相手、しようか?」

 突然声をかけられてびっくりしてしまう。振り返ると淳くんが出入口のところにいた。いつからいたのだろう。

「淳くん、刀使うの?」

 私はそんな姿を見たことがなかった。剣の稽古はだいたい眞澄くんが付き合ってくれる。

「基本的なことは教わったよ。どうも僕には向いてなかったみたいだけど」


 並べて置いてある木刀の1本を手に取って構える。型が違うけれど、物語に出てくる美しい西洋の騎士のように見えた。

 木刀のぶつかり合う音が響く。向いていないと言っていたけれど、全くそんな印象は受けない。隙が見えない。

 どれぐらい打ち合っていたのだろう。私の体力が限界を迎えてしまった。


「ごめん……。休憩……」

 肩で大きく息をしながら、崩れるように大の字になって転がった。刀を握っていた手も痛い。淳くんは涼しい顔をしているので感心してしまう。

「全然向いてなくないよー……」

 くすくす笑いながら彼は隣で三角座りをする。


「意地悪してごめん。僕も負けないようにがんばったから」

 汗に濡れた額を撫でられてちょっと恥ずかしい。いつも見ていて、私の癖や性格を知っているからできるのかもしれない。

「ずいぶん上達したね」

「でも勝てなかったー」


 床の冷たさが気持ち良くて仰向けで瞳を閉じていると、唇に柔らかいものが触れる。驚いて瞼を開くと眼前で白皙の美男子が優艶な微笑をひらめかせていた。

「昨日のお返し」

 淳くんもこんなことするのかと思うとどきどきしてしまう。真っ赤になって両手で口元を隠した。

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