この手は離さない 4

 イズミさんは吸血種に血を吸われ、私たちの家へ行くように暗示をかけられたのだと推測した。

 再び襲撃があるかわからないけれど、今日はうちに泊まってもらった方が良いと思った。

 ここなら強固な結界が張られているし、中に入ることを許されていない吸血種は侵入できないのでイズミさんを見守ることができる。そうすると問題は寝る場所だ。


「鍛練場に布団持っていけば良いだろ!」

 リビングとダイニングの間で、淳くんを盾にした眞澄くんがイズミさんに訴える。眞澄くんとイズミさんに挟まれた淳くんは慣れた様子で微笑んでいた。私も3人の側でどう仲裁すれば良いのかおろおろしてしまう。


「アタシは眞澄クンの部屋がイイの~!」

 こうなるだろうと予想はついていたのだけど。本当に眞澄くんに何かあったら寝覚めが悪い。

「あの、私の部屋で良ければ」

「イヤ、それも何か……」

 言い終わらないうちに眞澄くんが難色を示す。イズミさんの心は女性の私より女らしいので1番丸く収まると案だと思ったのに。


「僕がリビングで寝ますから、透さんとイズミさんで部屋を使ってください」

 淳くんの発言で、それまで他人事だとニヤニヤ笑いながらソファーにゆったり座って成り行きを見守っていた透さんが青ざめる。胸の前で両腕を交差させて身体を縮こまらせた。


「俺が取って食われるやん!」

「眞澄クンも透クンも、ひどーい!」

 イズミさんがさめざめと泣くフリをした。私でもウソ泣きだとわかるのだけれど、裕翔くんが隣に来て励ましている。


「ふたりともひどいねー。イズミさんは乙女だからふたりとも食べたりしないのに」

「裕翔クン、意味わかって言うてる?」

 混沌とした状況を見かねたのか、ダイニングで優雅に紅茶を飲んでいた誠史郎さんがため息と共に立ち上がった。すたすたとイズミさんの正面に移動する。


「イズミさん、ご希望はわかりますが、安全のために鍛練場でお休みになってください。吸血種がこの家に侵入できることはないでしょうが、念のためイズミさんの寝る場所にも結界を張りますので」

 誠史郎さんにそう言われたイズミさんは、しぶしぶといった様子だけど了承した。誠史郎さんは小さく微笑みかけると席に戻る。


 眞澄くんがぐったりと淳くんの肩にもたれかかった。

「助かった……」

 淳くんはくすくす笑いながら、眞澄くんの頭をポンと軽く叩いた。ふたりは本当に仲が良い。私には入り込めないので羨ましく思ってしまう。


 眞澄くんの場所を私に置き換えて妄想してみる。まずあんな風に肩に届かないので腰に抱きつくしかできない。そこまで想像して、何だか恥ずかしくなり手で頬を押さえた。


「今夜さえ乗りきれば催眠は効果が切れるでしょうし、あとは十字架を決して忘れないようになさってください。明日は念のためご自宅へお送りします」

 仮に『招いて』しまっていても、暗示が抜けていればイズミさんの血を吸った吸血種の命令を聞かなくなるので、十字架を家中のあらゆる場所に配置しておけば手出しできないはずだ。

「仕事が立て込んでなくて良かったわ~」


「なーんにも覚えてないの?」

 裕翔くんの質問にイズミさんの整えられた眉が困ったように八の字になる。

「そうなのよ。情けないわね~。こんな仕事してるのに……」


「気になさらないでください。ここへ来るように催眠をかけた吸血鬼に目星はついていますから」

「そうなの?」

 誰がイズミさんを襲ったのか、淳くんはすでに予想がついていることに驚いてしまう。眞澄くんも黒曜石のような瞳を丸くして淳くんを見る。


「まだ確証はないけれど、雪村さんって亘理さんのところの吸血種か、月白って珠緒さんを介して翡翠の居場所を探してくれっていってきた吸血種のどちらかだよ。そうでないならイズミさんを襲撃してわざわざここへ行くように指示する理由がない。どちらにしてもせっつきにきたんだ」


 全くの無関係なひとを襲撃していないだけ、まだ理性があるのだろうか。もっとも、我が家を知らない人だとこの場所にたどり着けないので意味がない。

 イズミさんは魔装具を作ることをお仕事にしているから簡単な術がいくつかは使えるけれど、戦う力はないし内側から結界を壊すこともできないと聞いている。だからただの警告なのだろうか。


「せっつきにって……」

 早く翡翠くんを見つけろ、なのか。早く翡翠くんのところへ来い、なのか。どちらにしたって歓迎はできない。

 長い睫毛に縁取られた両眼が僅かに伏せられる。それを見たとたん、淳くんは何かひとりで実行しようとしているのではないかと思えた。


 翡翠くんの居場所を知りたい月白さんからの接触だとしたら、私のせいだ。珠緒さんに断った方が良いと言われた依頼をやりたいと言ったのは私だ。

「だめだよ……」


 まだ淳くんは何も言っていないのに、不安に苛まれて彼の手を握ってしまう。優しい彼は、周りのひとを傷つけないために己を犠牲にすることを厭わない。

 それに引き換え、私は何て自己中心的なんだろう。淳くんがいなくなるのが嫌だからこんなことを口走っている。


「どうしたの?みさき」

 俯いて唇を結んだ。この手を離したくない。淳くんのいない世界なんて考えられない。この気持ちは何なのだろう。

「ひとりでどうにかしようなんて思うなよ」

「眞澄まで……」

「ってことだよな、みさき」


 眞澄くんの言葉にはっと顔を上げる。彼は精悍な面に優しい笑みを浮かべていた。

 チクリと胸の辺りが痛んだけれど、気づかないフリをしてこくりと頷く。

「心配させてごめん」

 柔和な声音が鼓膜を震わせても、私のざわつきは収まらなかった。

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