ふたりの花嫁 7

 式神と彩音さんを見送る遥さんは、彼らの姿が見えなくなるとこちらを向いた。穏やかに苦笑している。

「みんな早起きで参ったよ」

「……遥、依頼されとったな」

 弟に凄まれた兄は、宥めるように胸の辺りに両手を上げて掌を見せる。


「巻き込むつもりはなかったんだ。真宮さんが生き霊になって探すのは多分みさきちゃんだと思っておうちを訪ねただけだよ。このタイミングで透が連れ出してるなんて思ってなかったんだ」

「そうですね。みさきさんは自宅にいれば結界に守られますから、真宮さんにお会いすることはなかったでしょう」


 誠史郎さんの眼鏡の奥の切れ長の双眸が、冷たく鋭く透さんを見据えた。不利な形勢だと判断した透さんは大きく両手を広げて私の方へ来る。

「みさきちゃーん。遥とセンセがいじめるー」

 ぎゅっと抱きしめられたけれど、私はどこか上の空だった。下を向いて唇を噛む。


「みさきちゃん?」

「……どうしたら助けられますか?」

 とても複雑な心境だ。この気持ちは傲慢だと、彩音さんに思われるかもしれない。だけど同じ力を持っているから、何かできることがあるかもしれない。


 私は産まれたときから守られていたけれど、彼女のように何も知らずにいるひともいる。『白』の能力者はそれとわかる痣を持って産まれて来るのだけど、知識がなければ気がつかないそうだ。年齢を重ねると共にそれは消えてしまう。

 彩音さんも、彼女の周りのひとたちも何も悪くないのに。『白』の血を持っていたから大好きな人たちと引き離されたなんて。悲しいし、悔しかった。


「今のみさきちゃんではどうにもできへん」

 透さんは胸に私の顔を埋めさせて、頭を撫でてくれる。言葉は厳しかったけれど、口調も大きな掌も優しかった。

「せやけど、いつかどうにかできるように、笑わろてくれてたら今はそれで十分や」

「透さん……」


 珍しくまじめなことに驚いて顔を上げた。

「落ち込んでても何も変わらへんからな。へこんでる暇があったら、1個でもできることを自分でどうにか増やすしかない」

 はにかんだように破顔する透さんから目が離せない。きっとこの人はそうしてきたんだ。そして精神的にも、術者としても強さを手に入れた。


「あかん、ヤメヤメ。説教くさいんも湿っぽいのも苦手やねん」

 頬に少し赤みが射している。透さんは照れていた。それを隠すように右手で顔を仰ぐ。それを見ると何だか胸の奥が温かくなった。いつもの飄々としているけれど仕事には真摯で、スキンシップが積極的過ぎるところも、女のひとに慣れているのも全部ひっくるめて透さんなんだ。


 それで私は、そんな彼をもっと知りたいと思っている。透さんの恋人になりたいのにすべてが未熟だから、透さんを取り巻くいろんなものに嫉妬していたんだと、こんな時に気づいてしまう。何という間の悪さだろう。

「遥も噛んどるし、あのおねーちゃんは自由の身にはなれるやろ」


 には、という箇所で胸が潰れる。どれほどの辛い思いだったのか、それは想像を絶する。透さんの腰の辺りに腕を回して、シャツに顔を押しあてて涙を堪えた。彩音さんが少しでも心穏やかになれる日が早く来てほしいと思った。

「みさきちゃん……」


 私たちの横で誠史郎さんは小さく咳払いをした。はっとして、慌てて透さんから離れる。

「あの、遥さん」

 いろんなものをごまかすために、遥さんの元へ駆け寄る。彼が首を傾げると、緩くウェーブのかかった髪が僅かに揺れて、朝の光が跳ねた。


「彩音さんは……」

「僕は今回、あくまでお手伝いだからね。あちらで始末をつけてもらうしかない。現実的な落としどころは、告訴しない代わりに慰謝料と養子縁組の解消、それから接見禁止ぐらいだろうね」

 そんなもので彩音さんの心の痛みは癒されない。わかっていても何もできない。もどかしい。解決には時間がかかりそうだ。


「真宮さんとこは、みさきちゃんにチョッカイ出してきそうやな」

「それは大丈夫。絶対、とは言いきれないけれどね」

 遥さんがこれには自信を持っている感じだった。


「相手もそんなにバカじゃない。みさきちゃんに手を出したら黙ってないのは真堂家だけじゃないってわかっただろうから」

 そういえば透さんの詰問を遥さんは否定しなかった。彼に彩音さんの救出を頼んだ人がいるということだ。


「……それは」

 誠史郎さんは何か言いかけて、私を一瞥して止めてしまった。

「誠史郎さん?」

「今は止めておきましょう」

 そう言われると余計に気になってしまう。だけど誠史郎さんは柔らかく両眼を細めると、私の髪を撫でて踵を返す。

「そろそろ朝食の時間ですから、戻りましょう」


「……誠史郎さんはさといなあ」

 少し嬉しそうに遥さんはひとりごつと誠史郎さんの後に続く。

 バラの庭を先に行ってしまうふたつの背中を眺めていると、隣に人影がやって来た。頭ひとつ分以上背の高いその主を見上げる。


「透さん」

 妖艶に微笑んだのでどうしたのだろうと考えた瞬間、不意打ちでキスをされた。呼吸を奪うように激しく貪られ、全身の力が抜けてしまう。

 すぐ近くにあった小さなベンチを置いてあるドームの柱に、背中を押し付けられた。首筋を端正な唇が滑り、鎖骨の辺りで止まったかと思うと強く吸われる。

「俺のって印」

 肌に残った赤い痕を舐められると、何かが背筋を駆け上った。


 多分、これも透さんなりの慰めなんだと思う。今は振り回されっぱなしかもしれない。だけど、いつか。

「覚悟しといてください」

 透さんの頬に軽いキスをした。反撃をされるとは思っていなかったみたいで、目をぱちくりさせている。その隙に彼の腕から抜け出して背中側へ移動した。後ろから抱きつく。


「いつまでも透さんの思い通りじゃないですからね」

 広い背中に呟いて、するりと離れる。振り返ると透さんは私を見て余裕綽々といった微笑を浮かべていた。

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