君の隣 5
黒豹のように華麗でしなやかな身のこなしで、裕翔くんは紫綺くんに躍り掛かる。紫綺くんはそれを蝶のようにひらりと優雅にかわすと、一転して鋭く一撃を加えようと拳を繰り出した。
裕翔くんも最小限の動きで紫綺くんの腕の描く軌道から外れ、カウンターを狙う。だけど当てることはかなわなかった。
ふたりは構えを崩さずに少し距離を取って無言で睨み合う。吸血種の紫綺くんはもちろんだけど、裕翔くんの身体能力もすごい。眷属になると吸血種の頃より身体が重くなると聞いていたけれど、そんな風には全く見えない。口角には不敵な笑みさえ溢れている。
私は何が起こってもいつでも打って出られるように、霊力の籠められた棍棒を構えていたけれど、眞澄くんと透さんが私を隠すようにふたりの動きを見ている。
「みさきちゃんは、勇ましいなー」
少しだけこちらを振り向いて、透さんはニヤリと笑った。私は訳がわからず、きょとんと彼を見上げる。
「がんばり屋さんや。今度、結界の張り方が上手くなるコツ、俺が教えたるわ」
「ありがとうございます!」
素直に嬉しかった。透さんの力はすごい。真堂家の身内以外の人に術を教えてもらえる機会はめったにない。
「俺も参加する」
「お断りや」
「お前とみさきをふたりきりになんて、させられるワケないだろ」
こんな会話をしている最中も、裕翔くんと紫綺くんは拳を交えていた。一進一退の攻防が続いている。
紫綺くんの足蹴を裕翔くんは半歩退くとダメージをもらわないように上腕で受け流す。反撃に転じ、鋭く踏み込むと手刀で顎を狙う。紫綺くんは背中を反ってそれを避け、勢いのまま後方へ見事な宙返りを披露した。
軽快に着地した紫綺くんを見て裕翔くんはますます楽しげに大きな双眸を輝かせる。
「隙がないなー」
戦闘体勢でなくなった裕翔くんに忌々しげな視線が刺さるけれど、全く気に留める様子はない。
「ちょっとタイム」
そう言ってストレッチを始めてしまう。紫綺くんは小さくため息を吐いて動きを止めた。
膝の屈伸をしながら裕翔くんは何か思いついたようで、ぱちんと指を鳴らす。私を見てニコッと笑った。
「ずっと興味あったんだよね」
瞬きの間に裕翔くんは私の目の前へ来ていた。眞澄くんと透さんも驚くほどの素早さだ。
額を寄せられると、彼の指が私の耳の後ろ側の付け根を擽るように触れる。思わず両目をぎゅっと閉じてしまった。
「みさき、ごめんね」
耳元で甘美に囁いた裕翔くんの唇が肩口に触れ、歯が皮膚を破る。痛みに身動ぎすると、慰めるように裕翔くんは血を舐めた。
「これ、クセになりそう」
銀色に変化した双眸が上目遣いに視線を絡ませてきた。舌なめずりをして見せるその妖しさに、私は呼吸を奪われてしまう。
「ありがと」
ちゅ、と音を立てて同じ箇所にキスをした裕翔くんは、踵を返して重力を感じていないよう軽やかに跳ねていく。
「……あンのバカ」
その声で我に返った。眞澄くんは頭が痛いと言うように眉間を人差し指で押さえている。
「おもしろないな」
透さんが仏頂面で呟いた。
「大丈夫か?」
「ちょっと痛いけど、大丈夫」
眞澄くんの問いに傷口を手で押さえて頷く。
「見せてみ」
そう言って透さんが私の手を掴んで咬み傷を露にした。肩口にできた穴を見て、形の良い眉根を僅かに寄せる。
「痛そうやな……。綺麗な肌がもったいない」
印を結びながら口の中で短い真言を唱えてくれると、痛みが和らいだ。
「ありがとうございます」
「お安いご用やで」
透さんはそう言って上手なウインクを見せてくれた。とても器用だと感心してしまう。
「お礼はみさ……」
「何言い出そうとしてるんだよ」
私と透さんの間に眞澄くんが割って入って、ふたりのいがみ合いがまた始まった。仲が良いのか悪いのか。
「お待たせっ」
再び紫綺くんとの戦いに戻った裕翔くん。先刻よりさらに重力など感じていないような軽妙さだ。紫綺くんは歯軋りの音が聞こえてきそうなほど険しい表情になった。
「シキ、けっこういいやつだな」
満面の笑顔の裕翔くんに、美しい吸血種の青年は思わず呆気に取られてしまったみたいだ。
「お前……バカだろ」
「だってオレがみさきのところに行く時間、ちゃんと待っててくれたじゃん」
紫綺くんが動揺したのがわかった。それを悟られたくないのか、彼は俯く。そしてきつく拳を握ってわなわなと身体を震わせる。
「お前に、何がわかる……!?」
顔を上げると鋭い眼光を裕翔くんに突き刺す。だけどその瞳は潤んでいるように見えた。
「お前みたいな空っぽの吸血鬼に……」
『吸血鬼』という単語を発した紫綺くんの声と表情に、私はひっかかりを覚える。
「俺が負けるはずない……っ」
やはり心の乱れが起きているみたいで、急にモーションが大きく雑になった。裕翔くんは難なく懐へ飛び込み、紫綺くんの右腕を掴んで背負う。
「オレ、吸血鬼じゃない、よっ!」
そのまま投げ降ろされた紫綺くんは背中をアスファルトで強かに打ち付けてバウンドした。衝撃で苦しげな呻きが漏れる。
「オレはみさきの
仰向けに倒れている秀麗な面に、とどめの肘鉄を叩き込む動作を裕翔くんが行う。
だけどそれは、紫綺くんの鼻先でピタリと止まった。茫然と目を見開いている紫綺くんに、裕翔くんは人懐こい満面の笑顔を向けると立ち上がる。
「オレの勝ちだから、ヒスイの居場所、教えてよ」
差し出された裕翔くんの手から、寝転んだままで紫綺くんは顔を背けた。
「……場所は俺も遥も知らない」
「えっ!?」
裕翔くんは目をぱちくりさせた。
「だって……」
困惑したような表情になった裕翔くんは、助けを求めるように私たちの方を見た。私もどうすれば良いのかおろおろしていると、眞澄くんがふたりの元へ行こうとする。だけど紫綺くんがおもむろに口を開いた。
「……あいつのところにいるのは間違いない」
「あいつ?」
「理沙子」
「誰?それ」
裕翔くんは首をひねった。紫綺くんは独り言のように小さく呟く。
「……亘理の会社の社員だ」
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