夢魔 5

 力を蓄えて何をするつもりなのだろう。

 数学の授業中、運動場では淳くんと眞澄くんのいるクラスが体育の授業でサッカーをしている様子をぼんやり眺めていた。

 インキュバスに実体はない。誰かの身体を借りるために強い力が必要なのだろうか。

 ふと思いついたのは、強い力がないと身体を借りられないひと。


『君たちの誰かがボクに身体を貸してくれてもかまわないんだよ?』

 先日インキュバスに言われた台詞が脳裏に蘇る。

 本当の狙いは、みんな。あるいは、みんなの中の誰かにいるのではないか。

 もしそうなら、みんなにタリスマンを返した方がいい。

 そうだとして、目的は何だろう。誰かに呼び出されたインキュバスだとして、淳くんたちの身体を借りたい理由があるはずだ。だけどこちらに情報がなさ過ぎる。


 運動場で歓声が響いた。それでハッと現実引き戻される。眞澄くんがシュートを決めたようだ。

 改めて私はみんなのことを何も知らないと思い知らされる。

 淳くんと眞澄くんが笑いあっているのが見えた。みんなが私を護りたいと言ってくれるように、私もみんなを護りたい。

 お祖父ちゃんならいろいろわかるのかもしれないけれど、今のところ夢の中にヒントを与えにも来てくれない。自分でがんばるしかない。4人とも狙うのは現実的じゃない。誰かひとりだけだと思う。


 とりあえず、できることをがんばろうと正面を向いて、黒板に書かれた数式をノートに写した。

 その時ふと思いついた。私たちのことを知っていて、冷静な目を持っていそうな専門家にアドバイスをもらってみよう、と。ただ、彼は全員に会ったことはないからそのことを踏まえての話にはなる。





「なんや。わざわざメールで電話したいから空いてる時間教えてって、そんな用事か」

「すみません……」

 今日1日何事もなく終え、あとはベッドに入って眠るだけという状態に身支度して自室に戻り、透さんから21時頃なら電話ができると返信があったので今電話をかけている。


 もしも透さんがインキュバスだとして、4人の中で身体を借りるとしたら誰にするかと質問したのだ。

「そもそも、なんでインキュバスなんか相手にしてんの?」

 電話の向こうから少し呆れたような声色が聞こえる。

「何故なんでしょうね……」

 私が聞きたいぐらいだ。


「で、まあ、もし俺があんたとこの誰かの身体を乗っ取るとしたらやけど。ふたりしか会ったことないからそのふたりでしか言われへん。それやったら黒髪の方や」

 眞澄くんのことだ。


「そのお兄ちゃんの方が頭に血が上りやすい感じやったからなあ」

「なるほど……。それなら眞澄くんの頭に血を上らせるならどうしますか?」

 なんだか受話器の向こうの様子がおかしい。しばらく無言の時間が続いた。


「みさきちゃんはホンマに俺の想像を超えるな……」

「インキュバスが入り込める隙ができるのは眞澄くんが怒ったときかなと思ったんです」

「んー、まあ、なあ……」

 何となく透さんの歯切れが悪い。


「インキュバスは怒るっていうより、ヤキモチとかの方が……」

「ヤキモチですか」

 眞澄くんが色恋沙汰で嫉妬することはあるのだろうか。


「簡単やで。俺が手伝ったろか?」

 突然透さんの口調が楽しげに変わった。ありがたい申し出だけど私の独断で眞澄くんを危険に晒すのは怖い気もする。

「ありがとうございます。他のみんなと相談してからまた連絡をさせてもらいます」

 もう一度礼を言って電話を切ってからまた考えたけれど、眞澄くんを騙すことになる作戦はやっぱり嫌だなと思った。


 そうだ、とぽんと手を打つ。

 インキュバスを出し抜けないだろうか。そのために眞澄くんに協力を仰ぐという方法なら良いのではないか。インキュバスだって、誰かの身体を借りたいと言っていた。

 この家には強い結界が貼ってあるので、どんなに力を蓄えたと言っても入って来られないだろうし、おそらくここでの相談を盗み聞きもできないはずだ。


 善は急げと眞澄くんにメールで何処にいるのか尋ねると、まだリビングにいるとすぐに返信があったので部屋を飛び出した。

 リビングには眞澄くんしかいなかった。ひとりでソファーに座ってゲームをしていた。


「どうしたんだ?そんなに焦って」

 コントローラーをテーブルに置いてこちらを見てくれる。

「眞澄くんにお願いがあって」

 私は隣に行くと、ぎゅっと眞澄くんの手を握って顔を近づける。


「インキュバスに隙を見せてほしいの」

「はあっ⁉︎」

「眞澄くんの身体を借りにきたところで追い払えないかなって。そのために私もがんばるから」

「が、がんばるって…。みさき、何をするつもりなんだよ…」

 眞澄くんは頬を紅潮させて、伏せ目がちになった。長い睫毛が影を落とす。

 私は眞澄くんにそう言われて、はたと気がついた。何をすれば良いのだろう。


「どうしたら良いと思う?」

「ノープランかよ」

「悪くない案だと思いますよ、みさきさん」

「誠史郎さん」

 いつの間にか背後に誠史郎さんが立っていた。

「誠史郎、いつから……」

「つい今しがた、お水をいただきに来ただけです。偶然お話が聞こえましたが、眞澄くんにがんばってもらわないといけませんね」


 誠史郎さんが少し意地悪そうに微笑む。そして何か眞澄くんに耳打ちした。すると眞澄くんは真っ赤になって立ち上がる。

「なっ……なっ……」

 眞澄くんは言葉が出ない。

「では、土曜日に決行しましょう。協力してもらえるかイズミさんに聞いてみます。みさきさん、服と靴のサイズを教えていただけますか」

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