五本目 愛はバール、心はドアノブ

 ~♪(最近はやりのJPOP)

「あ、すみません僕のです。ちょっと失礼」

 さあ、出発というところで、紫氏のケータイが鳴った。そういえば、この人の名前は真黒まくろ 紫むらさき。自己紹介はカットしたから、言い忘れてた。

「ん?」

 ケータイを取り出した紫氏が、怪訝そうな顔をする。

「どうしました?出ないんですか」

「………非通知からです。あの人です。いつも公衆電話からかけてくるんです」

 恐怖というより、辟易した声であるところを見ると、もう慣れてしまったようだ。

「周りに聞こえるようにしてから出てください」

 ピッ

「もしもしムーちゃん?どうして探偵事務所なんかにいるの?そんなに悩んでることがあるなんて、私知らなかったわ。気づけなくてごめんなさい。ムーちゃんがそんなになっちゃうまで気づかないなんて、彼女失格ね。でも、それなら先に、私に相談してほしかったな、なんて、ちょっと悲しいかも。ううん、今からでも、きっと私が力になってあげるから!そうそれこそ探偵なんかより!ってあはは、さすがに調子乗りすぎちゃったかな。でも、ムーちゃん、何を依頼するの?あ、わかった、ムーちゃん、私が浮気してないか調査するのね?キャーカワイイ。でも安心してムーちゃん、私はあなた一筋よ。神にだって誓えるわ。本当よ。さ、もう帰りましょう。今日はムーちゃんの大好物の肉じゃがよ」

 繋ぐが早いか、ケータイが女性の声で鳴き喚く。歳は上だろうが、そんなにいってない印象である。キャンキャンという感じだが、普通の恋する乙女のような声だ。だがさっきから、まくし立ててくる。こっちの話なんか聞きやしない。

 筆談で、周りに聞こえるようにしているのがバレないように、いつも通り会話してほしい、と伝えた。

「ちがうよ。なんでそこまで自分が思われてると思えるんだ。アンタのストーカーの件に決まってんでしょうが。もう電話するなって言ってるでしょ。これでやめたら、探偵さんもキャンセルするし、ケーサツに突き出したりしない。やめないなら、また返り討ちにします」

「なに言ってるの?彼女なら彼氏と電話ぐらいするでしょう。それに、私は恋人だって言ったのに、冤罪で三年も離れ離れになってしまったのよ。もっとトークしましょう!きっと本物のストーカーを捕まえて、100回謝らせてやるんだから!あ、もしかしてその話?私のストーカーの件って。そうなのね、私たちはいつも白の中ですものね。あ、すみませんさっきから私ばっかり喋っちゃって。ご挨拶もまだなのに、お恥ずかしい。私は干鉢涙って言います。鉢を干す涙と書いてかんはちなみだです。紫の、その、恋人、です。もう聞いたかも知れませんけど、私たち冤罪被害にあって、三年間も刑務所に入れられちゃって。どうか、どうか真犯人を見つけて頂けませんか。よろしく、お願いします」

 げ、聞いてるのバレてた。後半ほとんど泣いてたな。よくもまあそこまで出来るわ。

 もう大声あげて泣いてるし。そういえば、すぐそこの角の所に公衆電話があったはず。というかここまで泣き声が聞こえてきてる。どんだけ大きな声出してるのやら。筆談でその事を紫氏に伝えた。

「よーし、わかった。あくまでその態度は崩さないんだな。なら、もう今から行ってとっ捕まえてやる。往生せーや!」

 流石に頭に来たのか、語調が荒くなっている紫氏が、その勢いで事務所を出ていくので着いて行く。相手は女性だし、キードもあるし、三人ならなんとかなるだろう。繋ぎっぱなしのケータイから、まだ泣き声が聞こえてくる。


 走って30秒で着いた電話ボックスには、すごい泣いてる女性が、受話器は当てたまま座り込んでいた。ツヤツヤの黒髪が腰まであり、よく手入れされている。服も、流行を意識したコーデである。そして、なんと言っても、特筆すべきはその顔立ちであろう。容姿端麗、眉目秀麗、美人麗人、流した涙すらその美しさを損なわず、むしろある種の色気を醸し出しており、さながら雨に濡れた牡丹の花。わかりやすく数字で言うとAPP17位。というか、めっちゃ泣いてる。さっきまでの勢いを忘れて、紫氏まで軽く引いてる。

 と、紫氏がきっかり3メートルに入った途端、涙氏がパッと顔を輝かせて、こちらにグルンッと首を回した。

「あ、ムーちゃん!わざわざ来てくれたの?ありがとう、嬉しいな。あ、はじめまして、先程からお電話させていただいておりました、干鉢涙ですー。今回はよろしくお願いしますー。私も全力でお手伝いさせていただきます」

 涙氏は深く深くお辞儀をする。

 ガタガタと電話ボックスから出てきた涙氏の目からはもう涙は出ていない。そこには愛想の良い笑顔があった。さっきまで身体中の水分を全部涙にするのでは、というぐらい泣いていたのに。

「そうですか、なら黙ってこのまま交番に行きましょうか。自首のが幾分か罪が軽くなる可能性がないこともないですし、何より私達も楽です」

 まるで定型文のようなやりとりだ。次元の向こうでしか行われないと思ってたのに。

「どういうことですか?協力していただく話では?」

 下げていた頭を少し上げて、伺うように見上げる。

「そんな訳ないでしょう。あなたが犯人です。あなたが被告です。あなたが悪です。あなたは黒です。真犯人なんぞ、あなたの中にしか居ない幻なのです。もっと言えば、ムーちゃんとの恋人生活から、あなたの妄想です。それを、人は、世間は、法は、ストーカーと言うのです」

「………そう…ですか。あなたもそうなのですか」

 スッと曲げていた腰を伸ばす。

「なら、お帰りいただきましょうそうしましょうええそうです簡単なことです最初からそうしていれば良かったムーちゃんと二人きり邪魔されないように誰も彼も追い出してそうすれば真犯人も冤罪もない幸せ幸せ幸せ」

 ?!虚ろな目で何かボソボソ呟いてる。

「さあ、そうと決まれば」

 いつの間にか右手にはキードが握られている。

 気付いた時にはもう遅かった。止める間もなくキードは、涙氏の太ももに突き立てられた。

「ムーちゃん、帰りましょう!」

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